[58] 振り返れば
フランシス・オリベルト・ドランブリック。
アイオナ国の39代国王。
22歳の時に即位し、若い頃は豪放な政治手腕でヘブリディー諸国連邦に加盟せず対立していた2カ国を武力で属国とし、三代かけて悲願だった大陸を1つにまとめあげた。
その後は大陸一の大国の王として強気な外交を行いながら、戦で疲弊していた国内に活を入れ、荒れていた地方の復興を中心にゆっくりとだが回復させていった。
偉業を成し遂げた覇王は、悪政を敷く事もなく、国民達は彼を敬愛している。
貴族にとっても、功をあげればそれに応え、忠誠心だけでなく打算をもっても膝をつかせる力を持つ王だった。
国にとって名君であって、その前に絶対的支配者。
その前には、彼の性的嗜好なんて微々たる問題でしかない。
誰も諌めることもなく、そうすることもできない。
深夜、ふと目が覚めてしまった私はベッドの上で膝を抱えていた。
昼間、王に触れられたことを思い出すと、ざわりと鳥肌が立つ。
こんな嫌な感覚っていつぶりだろう。
生理的に受け付けないという以上に、本能が危険を知らせている。
私も彼の前では他の女達のように牙にかかってしまうしかないの?
私は無意識に口元に持って行った親指を噛む。
後宮で情報収集した結果、彼があたりかまわず女達に暴虐な行為をはたらきはじめたのは、戦が全て終結した後からだったという。
ターニャ様は、その頃病に臥し、王の渡りもなくなっていた為に暴力を向けられてはいみたい。
彼はいつまでも飢えが治まらないかのように、平和な世になるほど、どんどん後宮での暴虐さが増していた。
もはや制御不能、そんな気さえする。
何が彼を変えてしまったのだろうな。
そこまで踏み込むほどの余裕は、今の私にはなかった。
彼が退位するまで、皆持ちこたえられるのか。
そして退位後も彼の悪癖は続くのか。
考えても仕方が無い、か。
出口の見えない思考の迷路をさまようことに疲れた私は、身体を倒して頭の中のものを追い払うように枕に顔を押し付け、再び眠りにつこうと努力した。
執務室の人員が増え、未だナナとシュリの手を借りながらではあるけれど、順調に動き始めた。
後宮の部屋を借りる案は却下されたけど、執務室の隣の部屋を貰えた。
昔はここで6院会議などが行われていた広い会議室で、王妃が公務を行わなくなって以来物置になっていた。
そこを事務室とし、予定の人員分の机を配置し、後宮の物置にあった衝立てを白く塗り替えさせて仕切っていく。
一角には応接セットを置き、来客や打ち合わせで仕えるようにした。
レイアウトは私が自ら手がけた。
王のことで煮詰まっているのもあって、事務仕事に必要なものを揃えたり、業務の流れなどを決めていくのは楽しい。
今は、カイルはリックとミラーさんに仕事の引き継ぎをしていた。
「どうしてこんなことも出来ないんですか」
「だからボクは、机にじっと座ってるのが苦手なんだって。書類を読んでると眠たくなるんだよ」
「座るのが苦手なら立っても結構ですよ。内容が理解できないわけじゃないでしょう。要はやる気と集中力です」
カイルにこってりと絞られる横で、ミラーさんがニコニコと書類を積んでいく。
ミラーさんの報告で驚いたのが、リックが頭がいいということだった。
次世代を担う貴族の子弟が通う王立学院の経済科を卒業とあって、てっきり学生生活を謳歌しぎりぎりの成績で卒業だろうと思っていたら、在学中に一度も試験を落としたことのないそれなりに優秀な生徒だったらしい。
雑談を装い当人に話を聞くと、余計な勉強をしたくなかったからと、しごくまっとうにものぐさな理由をあげてくれた。
同じ科白を、授業中いつも寝ているのに成績が上位のクラスメイトの男子が口にしていて、やるせない気持ちになったのを思い出した。
能力は問題なくて、後は本人の気質だけね。
まあ、見渡せば私の周囲はまじめな人ばっかりだから、こういうタイプがいるのもいっか。
私は、カイルとミラーさんが話し合っているのをいいことに席を離れ、シュリにちょっかいをかけていたリックの背後に立つと後頭部をぺちっと叩いた。
「仕事の邪魔をしないの。気が散るようなら彼女達を私の部屋につれていくわよ」
「わかった、わかりました。お願いだからボクのオアシスを取り上げないでください」
日が落ち、私は誰もいなくなった事務室をのぞいた。
ナナとシュリが手慣れてることもあり、掃除や片付けが行き届き、部屋の中は整然と片付いている。
そのうち、彼女達の変わりに侍女を一人置かないといけないかな。
それより雑務専門の女性を置いて、仕事の合間に片付けをしてくれる人をがいいな。
何かと落ち着かない状況の中でも翌日に処理を持ち越す書類が減ってきたことに満足していた。
未処理の箱に残る数枚の書類に軽く目を通し、壁に掲げられた明日の皆の予定に目を通す。
来週に入れば一応カイルの手を離れ、自分達でこなせるようになるはず。
そうすればすぐに軌道に乗り、色々取り組みたいと思っていたことにかかれる。
私の頭の中は、すでに気になっている案件でいっぱいになっていた。
機嫌良く笑みを浮かべながら、お腹も空いたし後宮に戻ろうと入り口を振り返った時だった。
扉の前で、待機していた護衛のバッハとジャックが向かい合っていた。
声をかけようとし、私は息を飲んだ。
バッハの腹に白い刃が生え、その先の柄をジャックが握っていた。
「あなた達、何やってるの!」
私が叫ぶと、ジャックが刺した短剣を抜こうとした。
だが、バッハは前屈みになったものの膝を折ることなく、ジャックの腕を掴んで離さない。
「ちっ、まだ動けるのかよ。化け物め」
ジャックは短剣から手を離して大きな手を振りほどこうとするが離れない。
ジャックの足がバッハの拗ねを蹴りつけるが効果がないとみると、今度は横腹を蹴り付けた。
バッハはジャックの手を離し、蹴られた勢いで背中を壁に打ち付けた。
それでも、壁に背を預けたまま闘志を失わずに立つバッハに、ジャックは腰に差した長剣を抜いた。
バッハも腹を押さえる手から鮮血をしたたらせながら、もう一方の手で剣を抜く。
「ユカ様、お逃げください!」
痛みに顔を歪ませながら、低い吠えるような声音で私に叫ぶ。
でも、ドアの近くにジャックがいて、そこを通るのは恐い。
助けを呼ばなきゃ。
でもどうすれば。
考えているうちに、二人の剣がぶつかり,何度めかでジャックはバッハの剣を打ち飛ばしてしまった。
飛ばされた剣が床に落ちる前に、ジャックの剣が一閃し、バッハの肩を突いた。
剣先が抜かれると、バッハの躯は重い音をたてて倒れた。
「バッハ!」
私の悲鳴混じりの叫び声にバッハは反応しない変わりに、ジャックが振り返った。
返り血を浴びた彼の目はぎらつき、口元は白い歯を見せて笑っていた。
「どうして、どうしてこんなことをするの」
約半年、共に過ごし、私を守る存在だった彼の裏切りに、私はバッハが倒れたこと、血を見たこと以上に動揺していた。
唯一早朝ジョギングに付合ってきてくれたジャック。
真面目すぎるからついからかうことも多かったけど、彼の仕事ぶりには全幅の信頼を置いていた。
その彼が、私に血糊のついた剣を向けて近づいてくる。
「どうしてって言われてもね。見て分かるでしょう、ユカ様を殺す為ですよ」




