016 準備フェーズ
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夕方になって、太陽が少し傾き始めた頃。俺は自転車を押しながら家を出た。
「行ってきます」
玄関の向こうに声を投げると、母親の返事が適当に返ってくる。
バイト先はいつも通りの時間だ。特に変わり映えのないシフト、変わり映えのない作業。それでも今の俺には、それくらいのルーティーンがちょうどいい。
厨房に入り伝票とにらめっこをしながら、料理を仕上げていく。客の騒がしさを聞いているうちに時間は勝手に過ぎていく。キャンプ帰りの余韻も、こういう単純作業の中に沈んでいった。
「お疲れ様でしたー」
気付けば閉店時間だった。
帰り道は少しだけ涼しくなっているが夏の暑さは残っており、ペダルを踏む足は少し力がない。家に戻り、夕食は居酒屋の賄いを食べているので、すぐに風呂を済ませる。そのまま部屋でぼんやりして1日が終わった。
次の予定は、週末のキャンプギア見学。そのことを考えると、少しだけ現実味が増すような、妙な感覚があった。
そして週末。
「お兄ちゃん、準備できたー?」
「もう出れる」
玄関から声が飛んでくる。楓はすでに靴を履いて待っていた。今回は車だ。親に借りることになっている。
「ちゃんと運転できるの?」
「できるわ」
「ほんとかなー」
「免許持ってるだろ」
そんな軽口を交わしながら、車に乗り込む。楓は助手席に乗り込み、スマホをいじっているが落ち着きがない。
「ねえ、早く行こうよ」
「はいはい」
エンジンをかけ、車を走らせる。目的地はキャンプギア専門店、1人の時は自転車できたが、今日は楓がいるので車を使っている。
店に着いた瞬間、楓のテンションが一気に上がった。
「うわ、広っ」
入口からすでにキャンプ用品がずらりと並んでいる。テント、タープ、チェア、ランタン、クッカー、焚き火台。
楓は吸い込まれるように売り場へ入っていった。
「これ見て、めっちゃいいじゃん」
「まだ入って5秒だぞ」
「だって全部いいんだもん」
早速、キャンプチェアを持ち上げて揺らす楓。
「これ軽くない?」
「アルミフレームだからな」
「これとこっち、どっちがいいと思う?」
「どっちも変わらんだろ」
「そういうの一番ダメなやつ」
店員が遠巻きに微笑ましそうに見ているのが分かった。完全に初心者丸出しの動きだ。楓は次々と売り場を移動しながら、いちいち反応する。
「ねえこれ見て、収納めっちゃ小さくなる」
「それは普通だ」
「え、これ欲しい」
「まだ何も決めてないだろ」
女性の買い物は長いと言われるが、それ以前の問題だった。全部にテンションが入っている。
俺は最低限必要なものを考えながら歩く。
「楓のチェアは買うぞ」
「え、いいの?」
「俺のしかないからな」
「やった」
楓は即決で1つのチェアに座った。
「これでいい」
「即決かよ」
「座り心地大事」
シュラフコーナーに行くと、楓は少しだけ考えたあと首を振った。
「シュラフいらないかも」
「寝る気あるのか?」
「夏だし、マットと毛布でいけるでしょ」
「まあ、そうだけど」
結局、寝具類は最低限の構成で落ち着いた。
会計を済ませるとき、楓は当然のように父親に連絡を入れていた。
「ねえ、お父さんがさ、軍資金くれた」
「軍資金って言うな」
「ありがたいでしょ」
「ありがたいけどな」
レジを通過し、車へ戻ると荷物を積み込む。キャンプチェアが2つになったと想像するだけで、少しだけキャンプの形が変わった気がした。
帰り道、楓は助手席でずっと喋っていた。
「BBQはね、肉だけじゃダメだからね」
「はいはい」
「野菜も焼くし、あと海鮮もいれる」
「欲張りだな」
「あとバター使うと絶対うまい」
「感想が浅いな」
熱量だけはやけに高い。
「炭はちゃんと起こして、火力分けてさ」
「そんな本格的だったか?」
「やるからにはちゃんとやる」
横目で見ると、完全に頭の中で完成している顔だった。そのまま家に戻ると、ちょうど両親がいた。
「じゃあキャンプ前の買い出し、一緒に行くぞ」
父親の一言で、話はさらに広がる。
「え、全員で?」
「その方が早いだろ」
気付けば、キャンプの前日……スーパー行きが決まっていた。
そして、キャンプ前日。
俺と楓、両親の4人でスーパーへ向かった。
「これ絶対いる」
「それさっきも言っただろ」
「いやこれは別」
「何が違うんだ」
カートはあっという間に埋まっていく。肉、野菜、調味料、飲み物、その他諸々……
楓は相変わらず忙しなく動き回り、父親は楽しそうに肉を選び、母親は冷静に量を調整している。
「遠足前みたいだな」
思わずそう呟くと、楓が振り返る。
「キャンプは遠足でしょ」
「違うだろ」
「似たようなもん」
笑いながら、さらにカートに追加される。気付けば、かなりの量になっていて、買い物を終えて家に戻る頃には、夕方になっていた。
車から荷物を降ろし、玄関に運び込む。
「これで準備完了だな」
父親がそう言うと、楓がすぐに返す。
「まだ当日あるけどね」
「まだあるのかよ」
俺が呟くと、楓は当然のように笑った。
「当日が一番楽しいんだから」
その言葉に、俺は少しだけ準備しておいた荷物の山を見た。キャンプというよりは、拠点づくりができる量じゃないか?
これはこれで、少しだけ楽しみになっている自分がいた。
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