風雲急
徐に立ち上がったのは、王立軍を率いて戦った将軍クレランス侯爵だった。レオナルドの父、前辺境伯の盟友であり、記憶を失っていたブライアンに、現在の情勢、貴族間のパワーバランスなどを教え込んだ残物でもある。
「陛下のご健勝なお姿を拝し、喜びを禁じ得ません。よくお戻りくださいました。」
エドマンド王はひとつ頷き、先を続けるようにと促した。
「わし位の年齢になりますと、やはり未来の我が国の安定が気になりましてな。陛下が体調を崩されている間、我が王国の執政はイルミナ王妃が主体となり、そこにおられるユディトー侯が側で支えておられた。
ちょうど今、陛下の隣にブライアン第一王子が付き添っておられるように。
そこでブライアン第一王子の立場についてお尋ねしたい。」
エドマンドは動じることなくクレランス侯と向き合い、視線が絡み合った。
「既にオースティン第二王子が王太子となられているが、今日見る限りでは、王太子殿下の出番は無さそうですな。
陛下はブライアン王子についてどのようにお考えなのか、どうなさるおつもりなのか、聞きたく存じます。」
「クレランス侯爵、場を弁えよ!
王太子はオースティンである。ブライアンは臣籍降下する身、本日はたまたま陛下のお側についているが、すぐにでも領地を与え、王都から退きそこで暮らすこととなる。」
イルミナの声が大広間に響く。
「ほぅ、わしが聞きたいのは、なぜ正妃から生まれた尊き血筋の第一王子を冷遇し、側妃であったイルミナ様からお生まれになった第二王子を王太子にしたのか?という事でしてな。
しかも立太子されたのは、陛下が体調を崩された後の話。
唐突に立太子の宣旨があり、我らは不思議で仕方なんだ。
何しろブライアン殿下は非の打ち所がないほど優秀でしたからな。
オースティン殿下が優秀ではないと申しているわけではござらんよ。人にはそれぞれ役割があり、それに見合った器を持っているということでしてな。非常に優れた器を持つ第一王子を外すことが、何を意味するのか、純粋に知りたいのです。」
「わたくしがオースティンの為にブライアンを追い出したとでも言いたいのか?」
イルミナの赤い唇がニヤリと弧を描き、扇子で隠したその唇が、呪詛を唱えようとした途端、イルミナの身体がまるで何かに痺れたかのように小さく痙攣した。
思わず膝をついたイルミナに、オースティンが駆け寄る。
「母上!どうされました?」
イルミナは答えられぬまま、青い顔をしてオースティンの手を借りて立ち上がろうとするが力が入らず、倒れ込みそうになった。ユーディスが傍から現れてイルミナを支えたが、既にイルミナは意識がない。
「王妃は具合が悪そうだ。控えの間へ連れて行ってやりなさい。」
エドマンドはユーディスを見てそう言うと、王妃には興味はないといった顔つきになった。
ユーディスは、付き添うと言うオースティンを制して、殿下はエトワール王女について差し上げてくださいと小声で告げ、イルミナを抱きかかえて控え室へと急いだ。
*
「さて。中断して済まなかったな、クレランス侯。
その答えであるが、王太子はオースティンで変更することはない。理由はブライアンが王太子になること、ひいては国王となることを望まないからである。
オースティンは真面目に王太子教育をこなしている。
それで納得はしてもらえぬかな。」
「御意。」クレランスは深々と頭を下げた。
「他に何かあるか?なければ余から伝えねばならない事がある。」
エドマンドは礼服の下、胸元に潜めた虹色の護石をきゅっと握った。
(ベルティーナ、力を貸してくれ。)
*
「イルミナ王妃は、余に呪いをかけた。その為、長らく床に伏す事となっていた。
また亡きベルティーナも、イルミナの呪いに依り身体を蝕まれ命を落とした。ベルティーナが守ろうとした我々の最愛の息子ブライアンは、本来なら受け取るべき権利も名誉も力も全て奪われて、ウィンストン公爵家へと追いやられた。
そして、母の実家であるウィンストン家で大切に守られる筈が、前ウィンストン公爵亡き後は、嫉妬や私怨により冷遇され、別邸に監禁されていた時にあの火事が起きた。
あの火事はブライアンを亡き者にする為に起こしたものだと、余は思っている。その責を問わねばならぬのは、ブライアンの叔父であるトーマス・ウィンストンだ。ウィンストン公爵には改めて聴取するつもりであるので、そのつもりで。」
ウィンストン公爵は身体の震えを抑えることが出来ない。
血の気のひいた顔でガタガタと震えていた。
居並ぶ高位貴族たちは、王の言葉に納得するもの、信じないもの、様子見を決め込むものと、それぞれの信条に従って、事の成り行きを見届けようとしていた。
「国王陛下!王妃殿下が、いえ、母上が父上に呪いをかけたなど、そのような事を俄には信じられません。
母上は確かに気位の高い方ですが、家族には深い愛情を感じているのです。父上の事を心より愛しておられるのです。」
オースティンはエドマンド王に立ち向かうつもりでいる。
確かに何かがおかしいと、薄々感じていたが、どれも家族を思っての事だと、オースティンはそう信じていた、信じたかった。
「オースティン。お前はそう思っているのだな。母を信じていると?」
「はい。勿論です。父上も母上もエトワールも、兄上も、僕にとっては大切な家族なのです。」
「では、ベルティーナに対する呪いについてはどう考えるのだ?」
「亡きベルティーナ王妃殿下が本当に呪いで亡くなったとは思えません。百歩譲って、仮に呪いのせいだとして、それを母上が実行したという証拠はございません。
何より、母上にそんな魔導士のような事ができるはずもなく、、、」
オースティンは、はっとした。
子どもの頃に母に言われたのだ。貴方には王家の特徴が出ていないから、髪の色も瞳の紋章も変えている、、、?
髪の色は魔道具で変えられる、しかし瞳の紋章は?僕には瞳の紋章はないのか?偽の紋章を、母上が何らかの力で見えるようにしているのか?
言葉が続けられなくなったオースティンの肩に、ブライアンが手を置き耳元で囁いた。
「オースティン、冷静になれ。ここは一旦終わらせよう。お前が傷つく必要はない。」
オースティンは目を見開いてブライアンを見つめるのであった。
*
ひとりぽつんと取り残されているエトワールは、心を閉ざしていた。
イワンの死を自分のせいだと思っていることもあり、食事も取らずにいて、元々痩せ気味の身体が、ますます細く小さくなってしまった。
(お父様もお母様もどうでもいい。わたくしを愛してくれる人なんて、伯父様以外には居ないのだから。)
生気のない目で、ぼんやりと当たりを見渡していたエトワールは、自分を真っ直ぐに見つめる女性に気がついた。
(ブライアンお兄様の婚約者のアリス様、、、)
アリスはエトワールににっこりと微笑みかけると、目立たないようにそっと近づいた。護衛達がアリスを止めようとしたが、エトワール自身がアリスの胸に飛び込んでいった。
「ミドルトン公爵令嬢、エトワールを頼む。」
エドマンドはアリスに頭を下げた。
*
「以上の罪により、余はイルミナ・ヴェルランドと離縁する事をここに告げる。
イルミナはユディトー侯爵家に戻り、ウィンストン公爵同様、改めて聴取する事とする。
聴取の内容は秘すが、イワン王子の転落死も含まれていることは明らかにしておく。」
エドマンド王はブライアンの手を借りて立ち上がった。
「先程のイルミナの様子だが、あれはクレランス侯を呪うために、呪詛を告げようとしたところを跳ね返されて、その呪いが自分に降りかかったのである。
このような場所で、呪詛を吐こうとした事がそもそも罪である。
イルミナの罪は今後暴いていくことになるが、王太子オースティンと王女エトワールは、母がイルミナであったというだけで、何の咎も負わない。オースティンが王太子である事も変わらぬ。
以上だ。」
お読みいただきありがとうございます。
エドマンド王は呪いから復活してからは平常運転です。元々厳しい人なので、イルミナに何かの術をかけられて誑かされ、その後呪いをかけられました。