イルミナの過去
イルミナは幼い頃に、ユディトー伯爵家嫡男のユーディスに拾われた。
まるで犬猫のように人の子を拾ってきたユーディスに、伯爵夫妻は元の場所に捨ててきなさいと言い放った。それが出来ないのなら、処分するしか無いと言われ、ユーディスは怒りの余り声を荒げた。
「この子は僕のものだ。父上母上であっても手出しは許さない。」
そして汚れを落とすために湯浴みに連れて行き、メイドに指図して身綺麗にして、間に合わせの子ども用のドレスを着せてみると、そこに現れたのは美少女だった。
「名前は?」と問いかけたユーディスに黙り込んだ少女に、「今日からお前はイルミナ、僕の妹だ。」と言った。
見事に美少女に変わった少女に、伯爵夫妻は目の色を変えた。この娘を高位貴族に嫁がせて縁を結べば、ユディトー家は安泰であると。そこでイルミナと名付けた少女を養女として、大切に育てた。
ユディトー家の葡萄畑は広大だったが、運用が下手で利益率が低く、さほど裕福ではない、どちらかというと貧乏な名ばかりの伯爵家であったが、イルミナの知恵でワイン以外にも葡萄ジュースや、搾りかすを肥料にして販売するなど事業を拡大していった。顧客の獲得にもイルミナは如才なく立ち回り、ユディトー家はみるみる間に財を蓄えることとなった。
以前は招待されなかった夜会にも招かれるようになると、ユーディスとイルミナの美しい兄妹はとにかく目立ち、人々の話題をさらった。
イルミナに言い寄る男性は多かったが、その全てをやんわりと断り続けているのには理由があった。イルミナは王家に入り込むことを熱望していたのだ。
ある夜会で、婚約者のベルティーナ嬢を連れたエドマンド王太子と出会ったイルミナは、あなた方の側に仕えさせて欲しいと、図々しく願い出た。なぜかその願いを了承したベルティーナとエドマンドは自分達の婚姻後、イルミナを側妃として召し上げた。
なぜ彼女が側妃になったのか、側妃が必要だったのか、今となっては誰にもわからない。
そうやって王家に入り込んだイルミナは、常にベルティーナを立て、文官達と共に行政の手伝いをし、パーティなどでは裏方に徹して、王家に忠誠を誓い王家に尽くすために敢えて側妃になった健気な令嬢として、人々の心に入り込んだ。
ベルティーナがブライアンを出産した一年後に、イルミナも男子を生んだ。
母違いの王子達ということで、周りは心配したが、イルミナはいつでも弁えていた。
ベルティーナが亡くなるまでは。
*
ユーディスがその娘に気がついたのは偶然だ。
お供の護衛を巻いて、下町をうろつくのが好きだった。その日も入り組んだ路地を歩いていたユーディスは、道端にしゃがみこんだ小さな塊に目をやった。
「ひと?」
気になって近づけば、どうやら子どものようだ。
「おい、何してる?こんな所にいてたら、人攫いに連れて行かれるぞ。」と声をかけた。
しゃがんでいた塊がのろのろと顔を上げれば、薄汚れた中にきらりと光る瞳が見えた。
ユーディスは無言で子どもの手を引いて立ち上がらせた。
歩けるか?と問いかけると頷いたので、大通りまで出ると、ユーディスを探していた護衛がやってきた。連れている汚れた子どもに顔を顰めたが、じっと見つめられると黙って子どもを抱き上げた。
大人たちは皆、イルミナがその濡れたような大きな瞳でじっと見つめると、大体の人間はイルミナに好意的に振る舞うようになった。
自分の魅力の使い所を、子どもながらに、彼女は心得ていたのだ。
*
イルミナはユディトー家に引き取られるまでの話を語ることはない。
下町でユーディスに拾われた時、既に一人ぼっちだった。
「親は?」と尋ねられたが、親はイルミナ自身が捨てた。彼女は自分の意思でひとりで生きることを選んだ。それまで一緒に暮らしていた大人たちは、そもそもが本当の両親ではなかった。
イルミナが実の親から離れた時はまだ3歳で、親の顔ももう覚えてはいないが、妹がいたことは覚えている。その妹に何か事情があって手がかかるので、イルミナは地方のとある男爵家に預けられたのである。
男爵家では可愛がられていたが、イルミナが5歳の時、男爵夫妻に実子が生まれ、途端に邪魔者扱いされるようになった。
今までお母様と呼んでいた人に、「貴女のお母様じゃないわ。夫人とお呼びなさい。」と言われたイルミナは、男爵家を捨てることにした。
「お父様とお母様だった人たち、さようなら。」と、イルミナは家を出た。
誰も追いかけて来なかった。男爵家では使用人が少なかったせいもあるが、そのうち帰ってくるだろうと思っていたのだ。
五歳の幼女が着の身着のままで、食べるものもなく街中を彷徨いていて、事件に巻き込まれなかったのが不思議なくらいであるが、運良くユーディスに拾われた。
もっとも、イルミナが潤んだ目で相手を見つめてお願いをすれば、ほとんどの大人たちは言うことをきいてくれるので、意外と生きていくには困らなかった。イルミナは子どもながら、自分の持つ力の活かし方に気がついていた。
しかしその力は、真に愛する者を見つけた人間には効きにくい、或いは効かないものであることにも気付くのは、しばらくしてからだ。
*
イルミナが側妃になった頃、一通の手紙が届いた。
それはあの男爵家からで、娘のイルミナが側妃になり、これほど嬉しいことはない、一度会いたいので、王宮に尋ねて良いかという、随分と虫の良い内容であった。
すっかり男爵家の存在を忘れていたイルミナは、手紙の内容の浅ましさに気分を害した。
イルミナはユーディスを呼んで、このような手紙が来たのと見せた。
ユーディスは「了解した。」と答えた。
三日後、男爵家に賊が入り、使用人も含む一家全員が賊の手にかかり、命を落としてしまうという事件が起こった。
ただひとり、嫡男は貴族学院の寮に入っていたので免れたが、事件の後姿を消した。
嫡男は見つからぬまま、男爵家は断絶となった。
イルミナは二年間だけ育ててくれた男爵家に対して、特に悪感情を持っているわけではなかったが、恩義も感じていなかったので、切り捨てることに躊躇はない。
どちらかと言うと、最初に自分を捨てた実の親達へ、なぜ自分を捨ててのかと問いたい気持ちはあるが、名前も顔も覚えていないので、それは難しいことだった。
「ああ、どこから預かったのか、聞いてからでも遅くはなかったわね。」
出自を知ったからと言って、どうするわけでも無い。
親の愛を知らず、親から愛された記憶がないのに、子どもを愛せるわけがないわ、と思うイルミナだった。
お読みいただきありがとうございます。
イルミナの秘密が少し明かされました。