策略
オースティンは面を引き締めて王妃の執務室へと向かっている。
確かめねばならない事があった。
「オースティン、急ぎ会いたいとは一体また何の用なの?
わたくしはこれからスカタルランドの大使との打ち合わせがあるので手短に頼みますよ。」
イルミナは迷惑そうな顔を隠そうともしなかった。
「母上、イワン王子の件です。婚約解消は仕方ないとは言え、転落事故とはどういうことです?……これは、母上の指図なのですか?」
オースティンの表情は険しい。
「何を言うかと思えば。くだらない事を言うのね。
イワン第二王子は不幸な事故でお亡くなりになった。同乗者は誰も助からなかった。きっと酷い事故だったのでしょう。」
「遺体の損傷が激しかったそうですね。誰が誰かわからない程に。
いえ、そんな事どうでも良いのです。彼らが崖下に転落したのは、王妃の指図なのですか?」
オースティンはイワンの事故死は母であるイルミナ王妃の意志だと、そう思っている。
妹のエトワールは形だけの婚約者であったイワンの死に、酷く衝撃を受けて部屋に閉じこもっている。
エトワールの身を案じて訪れた兄オースティンにも会おうとしなかったが、侍女を通じて手紙を受け取った。そこに書かれていたのは、『自分のせいでイワン殿下が亡くなった』という内容だった。
エトワールは婚約解消の少し前に、叔父であるユディトー侯爵に、イワンから届いた手紙を全て渡していた。そこにはありきたりな時候の挨拶があるのみで、エトワールを気遣う言葉も、他の女を連れ歩いていた言い訳すら書かれていなかった。
そもそも同じ王都にいるのに手紙でのやり取りというのが、ふたりの関係を如実に物語っていた。
手紙を証拠に、イワンにはエトワールへの気持ちは一切なく、2人で出かけることも、パーティのエスコートも無いという事実が婚約解消の決め手だった。
イワンは初めは抵抗したようだが、最後には承知しましたと納得した、と叔父から聞いた。そのイワンが帰国途中に事故死するというあまりのタイミングの良さに、オースティンは心が騒ついていた。
そもそも母は自分達に興味が無かった。母にとって子どもたちは権力の添え物でしかなく、権力を手にすることが最大の望みのように思えた。
父である国王が病に倒れた後、王妃自らが親政をひき、義兄ユディトー侯爵を重用し、全ての決定を王妃が掌握した。
エドマンド国王が倒れる前は、第一王子であるブライアンにもそれなりに接していたが、国王の目が届かなくなると、ブライアンを王宮から追い出した。オースティンを立太子させ、スカタルランドとの交易のため数ヶ月王都を留守にし、帰国したと思えばまだ幼いエトワール王女の婚約を勝手に決めてしまった。
一方、王太子であるオースティンの婚約者については、何かと難癖をつけて、決まりかけては壊すの繰り返し。そもそも、その婚約者も王妃自ら選んだ令嬢たちであるにも関わらず、だ。王妃の考えは誰にもわからなかった。
「事故は事故。イワン殿下の命運が尽きたのでしょう。
アレクセイ王太子の期待を一身に背負って、我が国との友好の架け橋になるつもりだったのに、残念なことね。」
イルミナは微笑みながら答える。
「とにかく、亡くなったイワン殿下のお気持ちを汲んで、スカタルランドとの縁は繋いでいくわ。エトワールは王太子妃として嫁がせます。」
「しかしっ!アレクセイ王太子は既に結婚されております。
まさかエトワールを側妃にと?」
「王太子妃は体調がよろしくないそうよ。さすがに王太子妃ご逝去後すぐの婚姻は外聞が悪いから、予定通りエトワールが成人になり次第、スカタルランドへ嫁がせるつもりよ。
あちらの国王陛下も大層お悪いようなので、婚姻と王位継承は同時になるかもしれないわね。」
「母上!本気で仰ってるのですか?王太子妃も国王陛下もまだご健在なのですよ?」
「あら、人生にはいつ何時、何が起こるかしれなくてよ。
それよりも貴方の婚約者はどうするつもり?ウィンストン家にいい夢を見させてやったけど、まさかあの強欲な娘を選ぶつもりではないでしょうね。」
「その事ですが、僕はアリス・ミドルトン公爵令嬢を婚約者にと望んでおります。」
「はっ、それこそ本気なの?その娘は元平民で、ブライアンの婚約者よ?貴方、ブライアンのお古が良いと言うの?」
「母上。失礼な物言いはおやめください。アリス嬢は素晴らしい女性です。兄上と仲睦まじいのも、兄上がアリス嬢を大切に思っているのもわかっています。
それでも僕も彼女は諦めきれないのです。」
イルミナは考えた素振りを見せたが、良いでしょう、と答えた。
「貴方がそれほど望むのは珍しい。余程気に入ったと見える。
ブライアン第一王子との婚約は初めからなかったものとし、オースティン王太子と、アリス・ミドルトン公爵令嬢との婚約を王命にて通達する、これで良いかしら?」
オースティンは昏い目をして、頷いた。
違う、本当は王命で無理やり結ばれたいのでは無い、兄上と張り合うつもりだってなかったんだ、、でもあの子が、あの子だけが僕のことをわかってくれるんだ。
「面白くなりそう。」イルミナはブライアンが苦しむ姿を見るのが楽しくて仕方ない様子で、ニヤリと笑った。
*
『わたしは生きている、心配はいらない。貴女を必ず救い出すから決して諦めないで欲しい。
リナリア、愛している。』
一見するとただの連絡しか書いていない、イワンからの手紙だった。
しかし、リナリアが手を触れた途端にそこには別の文章が浮かび上がったのだ。
(あの人が生きていてくれるだけで、わたくしが生きるための力になる。)
リナリアは横たわっていたベッドから身体を起こして、何度も何度も手紙を読んだ。
『この手紙の中に小さな護り石を忍ばせてある。リナリア以外には見つからない仕掛けになっている。魔道士でも解読は無理だろうとの事だ。石は貴女の身を守ってくれる。
多分、食事に毒が盛られている。毒はこの石が浄化してくれる。ただ、身体は弱っているふりをしている方が良い。兄上は狂っているが馬鹿では無いから面倒だ。
どうか護石を肌身離さず持っていて欲しい。』
リナリアはそっと手紙を触った。手のひらに熱いものを感じた瞬間に、小指の爪くらいの小さな青い石が現れた。リナリアはその石をそっと握り胸元のロケットにこっそりと隠した。
手紙を読み終えた頃に侍女がお茶を淹れるためにやってきたので、リナリアはこの手紙をアレクセイ様へお渡しして、と託した。アレクセイには表面的な一行の文章しか読めない。それにリナリアにもイワンにも興味がないのだから、手紙を渡す必要はない。
しかし、詮索される前に手を打つというのが、リナリアがこの後宮で生きていく為の知恵であった。
手紙はアレクセイに取り上げられてしまったが、手紙に記された内容をリナリアは覚え込んだ。そこにはリナリア救出の手順が記されていたのである。
*
ミドルトン公爵家に王家からの書状が届いた。
「アリスを王太子の婚約者に内定する、これは王命である、って書いてあるな。」
クリストファー・ミドルトンは眉を顰めた。
「なんですって!王家は何を言ってるの!」
クリストファーの夫人エメリンは叫ぶ。
「まあ、そこは想定内だ。アリスが預言したんだ。王家が無理難題をふっかけてくるってな。」
「それでどうするつもりなの?」
「王宮で直接対決するか。」
クリストファーは宰相補佐という、本来とても厳しいはずの人間なのだが、なんとものんびりしているのが、この男の良いところだった。
エメリンはそんな夫が大好きなのでニコニコ笑うと
「それでこそ、アリスのお義父様よ。あの子を守るってわたしたち決めたのだから、徹底抗戦よ。そもそも、王太子殿下なんかにアリスは勿体ないわ。」
「おい、奥さん。それは不敬だから。」
クリストファーは笑いながらも注意したがエメリンは平気だ。
「誰もが思っているわ。なぜ第二王子が王太子なのかって。
今、王都で流行っている小説の主人公ってね、ブライアン殿下とアリスをモデルにしているのよ。
民衆は賢いのよ。為政者に簡単には騙されないわ。」
「だから、不敬になるからそれ以上は言うなよ。
レオナルドとブライアン殿下には策があるはずだ。俺たちはアリスの親として、堂々と臨めば良いのさ。」
「レオナルド様と言えば、ローザリア様とどうなっているの?
あの二人、お似合いだと思うのだけど。」
「レオナルドは女心がわからぬ奴だからなあ。」
「そこを何とか取り持つのが、貴方の役目ではなくて?」
宰相補佐夫婦があれこれとおしゃべりしている頃、アリスは義理の弟たち、ロビンとロイドと一緒にお菓子作りに励んでいた。
「義姉さま、クッキーを作るというのはなかなか奥が深いものですね。どれくらい混ぜれば良いかでこんなに味が変わるのですね。」
「そうですよ。材料の配分で随分変わるのです。でもね、一番大事な事は、食べてくれる人たちの笑顔を想像して、愛情を込める事なの。」
「愛情ってどうやってこめるの?ねえさま。」
「好きな人のことを思い浮かべるといいわ。ロビンとロイドは誰に食べて貰いたいかしら?」
ミドルトン公爵家ではほのぼのとした時間が流れている。
それは待ち受ける嵐の前の、束の間の平穏のようであった。
お読みいただきありがとうございます。
王宮陰謀編はここで一旦終わり、次から次章「対決編」に入ります。
更新頻度は遅くなりますが、引き続きお楽しみいただければ幸いです。




