さらば祖国
「アリス?そこにいるのか?」
ブライアンの声がした。彼はアリスを見てほっと安堵したようだ。
既にイワンの姿はない。アリスはイワンとはじっくり話す必要があると感じたが、それは今でなくても良く、必ずあちらから連絡してくるだろうと感じていた。
「オースティンは帰ったよ。我々もひとまず戻ろう。」
ブライアンは愛しい娘に腕を差し出すと、アリスを優しい目で見つめて微笑んだ。
「疲れたましたね、ブルー。」
ブライアンはアリスを優しく抱え込み、アリスの頭に小さくキスを落とした。
「苦しいです。」
「わたしも頑張ったんだから、ご褒美があってもいいだろう?」
「少しだけですよ。」
アリスはおずおずとブライアンの背中に手を回して、少しだけ癒しの力を使った。
*
「ブライアンお兄様はとんでもなく美しいわ。婚約者の方はそうでもないから、見た目は釣り合わないけど、あの方は嫌いじゃないわ。」
そう漏らすのはエトワールだ。
アリスに対して不満があるわけではないが、王族なのだから、他国の王族と結ばれてほしいと勝手に願っていた。それが元平民であることが、気に入らないだけのことだ。八つ当たりだとはわかっている。
(だってわたしは、イワン殿下と無理矢理婚約させられているのですもの。王族の務めだとお母様が仰るのだもの。)
「おや、エトワールは辛辣だね。ミドルトン公爵令嬢が気に入らないのかい?」
「叔父様、そういう訳ではないの。」
「それなら良いじゃないか。ブライアン殿下にはあれくらいがお似合いだ。」
叔父の物言いの方がよほど辛辣だと感じるエトワールだが、どのみちブライアンは早々に臣下に降ることが決まっているのである。
「ブライアンお兄様のお母様はとても美しい方だったわ。わたし、お父様が隠し持っている肖像画を見たことがあるの。
だけどお母様には言ってないわ。言えばきっと捨てられてしまうから。」
「わたしに知られたら、王妃に伝わるとは考えないのかい?」
「叔父様はわたしの味方だと思ってるわ。
わたしね、もっともっと早く産まれたかった。そうしたら叔父様の隣に立っていても、誰からも嫌なことを言われないもの。
わたしが好きなのは叔父様だけよ。お兄様方もわたしの事なんてちっとも気にかけていないし、お母様はわたしを嫌っているわ。
知ってるの。わたしがお父様に似ているから嫌われているのよ。」
「エトワール、落ち着きなさい。イルミナは君のことをとても愛してるいるんだよ。嫌ってなどいないさ。」
「だけどわたしとブライアンお兄様は、嫌になるほどの金髪で瞳の色もお父様と同じ。オースティンお兄様は違うわ。
お母様はオースティンお兄様だけを愛しているのよ。だから婚約だっていつも潰してきた。今回も、本気じゃないから、バルバラ様みたいな人を候補にするのよ。」
「エトワール、それ以上の発言は、わたしが許さないよ。
落ち着いて。さあ、こちらへおいで。」
向かい合って座っていた馬車の席をユーディスは移動して、エトワールの隣にすわった。そして、エトワールの肩をそっと抱いて、頭を撫でてやる。
「叔父様、わたし疲れたわ。」
「エトワールは何より大切な姪だよ。…娘のように思っている。だから君が泣くのは見たくない。
イワン殿下の件は任せなさい。婚約は破棄だ。」
*
眠れそうにない。
枕元の酒に手を伸ばしたイワンは、パーティでの出来事を反芻していた。
どこまで何を知っているのだ、あの女は。
目を瞑れば脳裏に浮かぶのは、儚げな笑みで微笑む女性の姿だ。
リナリア、、、貴女のためなら、命なんて惜しくない。
貴女が生きて笑っていてさえくれれば。
肌身離さずつけているロケット型のペンダントを胸元から取り出す。
やや大きめのペンダントは、スカタルランドで採れる紅玉、ルビーがあしらってある。
イワンはペンダントの裏側の、よく見なければ気がつかない小さな突起を器用に押し開いた。
そこにあるのは、美しい女性の姿である。
イワンが唯一愛している女性、リナリアの花のように白く可憐で健気な女性、リナリア・ディ・スカタルランド、すなわちイワンの兄であるアレクセイ王太子の妻の小さな絵姿であった。
イワンはアリスに会わねば、と思った。
彼女ならリナリアを助けられるかもしれない。いや、助け出さねばならないのだ。
*
スカタルランドという国は百年戦争とその後の混乱をうまく切り抜けてきた国家である。
四カ国で一番強大なヴェルランドと、預言者が降臨したエルグリンドは何かにつけて競い合うライバルのような間柄である一方、預言者という共通のワードによって結びついた結果、王族間での婚姻も続いて、いわばライバルであり親戚である双子国家といっても良かった。
しかしその関係も両国の先代当たりから雲行きが怪しくなっている。ヴェルランドとエルグリンドの間に生まれたその隙間風を利用して台頭してきたのが、スカタルランドなのである。
ヴェルランド同様、スカタルランドも豊富な鉱物資源に支えられた国である。
ヴェルランドは石炭などのエネルギー資源と、数々の宝石の産地であるが、スカタルランドは珍しい紅玉と呼ばれるルビーの一大産地であった。
現国王にはアレクセイとイワンの二人の王子がいる。
彼らは五歳違いで、アレクセイ王太子は現在25歳、頭脳明晰容姿端麗で非の打ちどころがなかった。あの女が現れるまでは。
5年前にスカタルランドとの交易を求めてやってきたのは、商人ではなく、ヴェルランドの王妃その人であった。
男なら振り向いて凝視してしまうだろう肉感的な体に、蠱惑的な赤い唇をした美しい王妃に、スカタルランドの国王と貴族達は心を奪われた。
王妃は自ら産地を訪れて買い付けをしたり、自国の鉱物との貿易契約をしたりと精力的に活動をした。傍には王妃の義兄ユディトー伯(当時は伯爵だった)が常に付き従っていた。ユディトーがイルミナ王妃のブレインであり、彼の指図によって王妃が動いているようにも見えたし、二人の関係はとても親密でまるで恋人同士のようでもあった。
イルミナ王妃には外交の才能があったようで、スカタルランド王も重臣たちは、王妃の語る『我等両国の明るい未来、いずれスカタルランドはエルグリンドより上に立つ』という計画に飛びついた。
既に二人の子供を出産していたが、まだまだ女盛りのイルミナ王妃は、自分の魅力の使い所を熟知しており、招かれたパーティにおいて、国王や有力貴族たちとの繋がりを深めていた。
スカタルランド王国の王妃は既に亡く、王は美しく魅惑的なヴェルランドの王妃の言いなりになっていた。
それに対して苦言を呈したのが、二十歳になったばかりの王太子アレクセイだった。
イルミナは、面白い、この青二才を落とす、とばかりに、アレクセイを籠絡することに全力を傾けた。
アレクセイ王太子には公爵令嬢のリナリアという婚約者がいたが、純情で純朴なアレクセイは王妃の仕掛けた恋の罠にあっさりと嵌ってしまった。
アレクセイの純情に付けいったイルミナは、自分は籠の中の鳥なのだ、ヴェルランド国王は亡くなった前王妃を未だ慕っているし、義兄には邪な感情を寄せられて困っているのだと、言葉巧みにアレクセイの感情を揺さぶった。
そして自分を慕う、十五も年下の若者に呪縛を残した。
『わたくしを愛すると誓って欲しい。たとえ婚約者であっても他の女に目を向けないと約束して欲しい、わたくしたちは心で繋がっている、来世では必ず結ばれる。』と。
三ヶ月後、王妃は予想以上の大収穫を得て意気揚々とヴェルランドへ帰国した。
アレクセイはイルミナにのめり込み、リナリアと婚儀を上げた後も、イルミナとの呪いのような言葉に縛られて、アレクセイがリナリアを顧みることはなかった。
リナリアはお飾りの王太子妃であり、二人の間には愛情は生まれなかった。後継をと急かされるが、リナリアとの間に子どもを儲けたくないアレクセイは、リナリアを無視し続けている。
イルミナは帰国間際に、アレクセイの弟イワンと自分の娘を婚約させようと思う、と告げた。
『親戚になればいつでも会えるわ。』と。
愚かなアレクセイは、自分がエトワール王女を娶りたいと申し出たが、年齢が離れている上に、既に王太子妃がいるので諦めることになった。一国の王女を側妃には出来ない。
実のところ、リナリアと離婚してエトワールを妻にすると宣言したのだが、さすがにそれは認められないと国王、重臣達から大反対された。
その結果、弟であるイワンがエトワールと婚約することになったが、イワンは、幼馴染でもある王太子妃リナリアを、子どもの頃からずっと慕っていたのである。
けばけばしい魔女のようなイルミナに激しい嫌悪感を抱いていたイワンにとって、イルミナの娘との婚約は屈辱だった。
兄のアレクセイが、エトワールの輿入れを心待ちにしているのも気持ちが悪くてイワンは耐えられなかった。アレクセイは、エトワールは名前のみのイワンの妻で、実質は自分の愛人にしようと考えていたのである。
やがてイワン18歳エトワール12歳の年に、二人の婚約が成立してしまった。
第二王子のイワンが今の状態を打破しリナリアを救い出すためには、反アレクセイ勢力という力が必要になる。
毒婦のようなイルミナは定期的にスカタルランドというよりも、アレクセイを訪れて、病に臥せる国王の見舞いにも訪れていた。父王は、イルミナの帰国後、謎の病を発症しているのだった。
何かがおかしい。何なのだ、この違和感は?あの女は、兄と父に、一体何をしたのだ?
その謎の鍵はイルミナにあると確信しているイワンは、婚約者との仲を深めるいう名目でヴェルランドへ遊学することにした。そこでイルミナ王妃に反抗する同志を見つけるつもりだった。
ヴェルランドにも必ず同志がいる。味方を見つけ共闘して、王妃の秘密を暴いて兄と父を元に戻すのだ。
*
イワンは早速ボールドウィンのタウンハウスを尋ねた。
本当はアリスと二人きりで話したかったのだが、面会打診の手紙の返事に、ブライアン、レオナルドと共に、貴方の話を聞きましょう、とあったのである。
イワンは覚悟を決めた。
出迎えたのはブライアンの侍従のエドワードだった。
「殿下は今、アリス様をお迎えに行っておられます。ええ、ミドルトン公爵家まで。いっそのこと、こちらに住んでいただけるとありがたいのですが、ミドルトン公爵婦人がアリス様を手放そうとしないので。」
「形だけの養女ではなかったのか?」
「そう思いますねよ。ところが、ミドルトン公爵のご婦人もご子息達もアリス様に懐いていましてね。ブライアン殿下が訪問される時など、ご子息達は敵意剥き出しですよ。
『姉上に馴れ馴れしくしないでいただきたい』って八歳の少年がこの国の第一王子に向かってライバル宣言するのですから。」
陽気なエドワードは、スカタルランドの第二王子にも臆することなく喋った。
しばらく待っていると、ブライアンとアリスが現れ、レオナルドも戻ってきて、四人はレオナルドの執務室へと移動した。
そこでイワンは、イルミナ王妃がスカタルランドへやってきてから起こった事を語ったのである。
*
「それはまた。毒花はイワン殿下のお国でも随分とやらかしたようで。」
話を聞き終わったレオナルドは疲れた顔をしている。
アリスとブライアンは口を挟まず聴いていたが、イワンには尋ねるべき事があった。
「イワン殿下の望みは?」
ブライアンが尋ねた。
「俺はリナリア王太子妃を助けたい。それが望みだ。」
「国に未練はないと?」
「母上は既に鬼籍だし、父の国王は兄とあの女の言いなり。それも自業自得。守りたいものはただ一つだ。」
「イワン殿、国を捨てたら貴殿は何の後ろ盾もない、ただの平民のイワンになるが、それでも構わぬのだな。」
「構わぬ。こう見えて剣の鍛錬だけは続けてきた。どこかの傭兵になれば、食い繋いでいけるだろう。
ただ、リナリアだけはヴェルランドで守ってやって欲しい。今まであまりに不幸だったんだ。せめてこれからの人生は笑って過ごして欲しい。
エトワール殿下にも申し訳ないことをした。嫌われるように振舞ってきたが、傷付けることは望んではいない。」
「リナリア様を愛してらっしゃるのですね。」
アリスの問いかけに、イワンは頷いた。
「彼女とは幼馴染で、元々俺の婚約者になるはずだったのを、王太子妃にさせたいリナリアの父が、兄と婚約させたのだ。
その頃の兄はまともだったし、とても優秀で俺は太刀打ち出来ないから、リナリアが幸せになるならこんなに目出度い事はないと思ったんだ。」
レオナルドは、どうする?と言う目つきでアリスの方を見た。ブライアンはアリスの思うようにすれば良いとばかりに、アリスに微笑む。
「お力になりたいと思います。ただしリナリア妃殿下の。」
アリスは言う。
「イワン殿下のお気持ちはわかりましたが、貴方はエトワール王女を傷つけています。好きな人の為なら、他の誰かを傷つけいいとは思いません。」
「エトワール王女には、真摯に謝罪したいと思っている。
その機会が得られれば良いのだが。
万が一にでも結婚して、王女をスカタルランドに連れて行くことだけは避けたかった。兄があのように狂っている限り、エトワール王女にとっては地獄でしかない。」
「ええ、その点ではイワン殿下に心を残すようなことが無くて幸いでした、と言いたいところですが、それでもやり方があったでしょう?エトワール様には幸せになっていただかなくてはなりませんね。」
「では、話を進めて良いか?」
レオナルドが声をかけた。
「運は我々に向いてきた。これはまたとない絶好の機会だ。
イルミナ王妃を糾弾の上排除し、エドマンド王、ブライアン王子の復権を図り、我が国をあるべき姿にする。
そしてイルミナによって攪乱されたスカタルランド王国を糺す。スカタルランド国王の病と、アレクセイ王太子の呪縛からの解放を目指す。
イワン・ディ・スカタルランド第二王子、貴方は国を捨てる覚悟はおありか?」
「勿論。今日から俺はただの個人としてのイワンだ。
ブライアン殿下、ボールドウィン卿、貴方方とともに闘うと誓う。」
イワンは跪き騎士の礼をした。
「その覚悟承った。」
男たち三人は共に手を取り合った。
*
パーティから程なくして、エトワール王女とイワン殿下の婚約が解消される事となった。
エトワールの叔父、ユーディスがイルミナ王妃を説得したのである。
浮気症で軽薄な男はエトワールに相応しくないと、珍しく荒げた声で王妃に詰め寄るユーディスの姿を、王妃の側近たちは目にした。
その後、婚約者でなくなったスカタルランド第二王子イワンは、国へ戻る事となったが、彼の乗る馬車は転落事故に遭遇した。
それは豪雨の翌日であった。
イワンと護衛騎士達、御者を含む一行は、全員崖下にある大河の濁流に馬車ごと呑み込まれ、捜索した結果、誰かわからないほど傷ついた遺体が数体見つかった。
知らせを聞いたアレクセイ王太子は、眉ひとつ動かさず、そうかと言ったが、リナリア王太子妃は顔面蒼白になり倒れてしまった。
リナリアは、密かに慕う義弟であり幼馴染であるイワンの死に絶望したのであった。
閉じ込められている後宮の妃の部屋で、虚ろな表情で過ごすリナリアに届けられたのは、事故前にイワンから送られたという手紙だった。
人払いをして震える手で手紙を読むリナリアの瞳には大粒の涙が浮かび、嗚咽が止まらない。
手紙はアレクセイの元へと運ばれたが、何ら変わったところはなく、
『エトワール王女との婚約が解消されたので帰国いたします。』と書かれてあるのみだった。
お読みいただきありがとうございます。




