9 おかえり
タコス軍の士気は低かった。
真正面から押し寄せる敵に、こちらも真正面から押している。だが、押し負けてしまうのだ。予想以上に暗闇と疲弊による戦闘力の減少は大きかった。
たかがこちらの半分の兵力と侮っていた部分もある。だが、ベコ軍は万全の状態で挑んだのに対して、タコス軍は連戦の状態で攻め込んでいるのだ。勝てる要素がないことが側から見ていればわかったことだろう。
苦戦している中で余市率いる魔法部隊も、それぞれの思う通りに戦いをしていた。
暗闇でどこを狙えばいいのかわからないのである。狙撃などは敵がランプでも持っているなど、目印がなければとてもできない。
下手をすれば味方に攻撃をしかねない。
そのためほとんど機能していない魔法部隊であったが、そんな余市が急に空を見上げる。
「えっ!? でも、それは……ええ、ええ。はい、やってみます」
急に誰かと話しているそぶりを見せると、余市は周りにいる魔法部隊に通達する。
「全軍、敵中央部に向けて一斉射、準備!!」
「どうしましたか?」
参謀長からの連絡員がきた様子もない。様子がわからない周りの魔法部隊は余市に尋ねる。その余市の顔には久しぶりに笑顔が見えた。
「帰ってきたんだよ」
「え?…………ええっ!?」
最初は意味がわからなかった兵士も意味がわかって驚く。余市はそんな兵士に力強く頷いて見せる。その余市の顔には不安なんていうものはかけらも残っていなかった。
「聞こえたか!? 斉射、準備!!」
「はいっ!!」
魔法部隊は魔法の準備にとりかかった。彼らはそこに希望があると信じていた。
史郎は力強い敵の攻撃に苦戦していた。
「とあっ!!」
敵の位置をなんとなく読んで槍を突き出す。その槍で敵の兵士は死んだものの、苦戦していることには違いない。
タコス軍の兵士全てが史郎のように相手の位置を気配で読み取ることなどできないのだから。
史郎は顔を歪ませる。
戦争の流れは生き物のようなものだ。その流れをつかめるようになってきていた史郎は、味方がだいぶ押されていることに気づいていた。
もう戦っているものは7000名くらいであろうか。ベコ軍はまだ4000名近くも残っているのに。
「くそっ!!」
叫んで史郎は襲いかかってきた敵を前から後ろへ受け流す。
敵は明るい味方のエリアに押し出されるような形となり、史郎の後ろに待機していたタコス軍に刺し殺された。
明るい場所でならタコス軍はまだ戦えるのだ。
せめて敵が見えれば。
そこで史郎の足が止まる。
「えっ!? あ、はい! そう動きます!」
史郎は短いやり取りを宙空にした後、後ろに控えていた仲間に命令した。
「我が軍はここで一時粘る! 決して後ろに下がるな! ここが踏ん張りどころだぞ!!」
急な史郎の命令だったが、そこにはしっかりとした自信にあふれていた。兵士たちも明確な命令にやる気を出して奮闘する。
人というものは目の前に明確な方向性を持った指示を受けると集中できるものなのだ。
暗闇に苦戦しながらも兵士たちは動き出す。
「………帰って来たんですね」
史郎は上を見てそう呟くのだった。
「えっ!? 逃げるの? なんで!? 作戦? わかった、みんなにも伝えるね!!」
イワシ魚人のニコは敵と拳で戦っていた。槍はとうの昔に折れている。それほどまでの激戦だったのだ。ニコは周りのタコス軍の仲間たちに大声で触れ回った。
「撤収撤収!! みんな逃げるよ!! 私たち右翼組は敵に対して逃亡します!!! さあ、早く早く!! これは命令だよ!!」
手を大きく振ってニコは誘導を開始する。それに周りの者たちは不思議がるがニコの人柄に押される。ニコの言うことであるなら何か理由があるのだろうと。
「さあさあ、逃げた逃げた!!」
ニコは中央軍から離れるように味方を誘導していった。逃げると言う言葉は敵にも聞こえていたのだろう。ベコ軍はニコが率いる右翼組を猛追撃し始める。
「さあ逃げた逃げた!! 逃げるが勝ちだよ!!」
煽るニコはそんな状況ですら楽しんでいるようであった。
ムサシは大木刀を横薙ぎにふるって敵を吹き飛ばした。
普段は味方に配慮した攻撃しかできない大木刀だったが、もう横に振るっても大丈夫なくらいに敵が押して来ているのだ。
「もいっちょ!!!」
横薙ぎに振るわれた大木刀に、ベコ軍の兵士が槍を構えて防御に回る。
「そんなもん!!!! おおおおおりゃああああ!!!!!」
防御もろともまとめて吹き飛ばそうと力を加えるムサシだったが、同じように防御をするベコ軍の兵士が3人4人と一気に増える。
がしっという音と完全に止められてしまう大木刀。
「あ、ありゃあ。こりゃまずったかな?」
冷や汗を流しムサシは大きくその場を飛び退る。ベコ軍の攻撃が殺到していた。
「こなくそっ!!!」
ドンッ!!
地面に大木刀を叩きつけて振動と衝撃、それに砂煙を巻き上げるムサシ。その動きに一瞬ムサシを見失ったベコ軍であったが、すぐにその姿を見つけることになる。
「そりゃああああ!!!!!」
ムサシの掛け声とともに煙を切り裂いて大木刀がベコ軍の兵士を吹っ飛ばす。質量のある大木刀の直撃で、顔に当たれば顔が吹き飛び、胴体に当たれば体がちぎれていった。
荒い息をつくムサシは自分の頬を強く叩いて気合いを入れ直す。
「かぁーーー!!! きついぜ!!」
ムサシが殺しても殺してもベコ軍は湧いてくるように感じた。数の上ではタコス軍の方が有利であるにもかかわらず、だ。見えない暗闇から姿をあらわすベコ軍は尽きることのない軍団のように思えて、ムサシの体に疲労が一気に襲いかかって来た。
「ちっ。くそが!! って、えっ!? 逃げろって……まあ、バカな俺は考えるだけ無駄か」
ムサシは攻め込もうとしていた体を、くるりと後ろに向けると一気に逃げ出した。逃げながら周りに声を張り上げた。
「こっち側にいる左翼組は俺に続け!!! トンズラだ!!」
ムサシが走る姿に呆然としていた敵味方両軍であったが、ムサシが逃げ出しては戦線が維持しづらい。ムサシに合わせてタコス軍の兵士は逃げ出した。
もちろんそれを黙って見ているほど愚かではないベコ軍は、ムサシを追いかけた。
「ほらほらのろまども!! ここまで来れるか!!?」
逃げながら挑発するムサシに腹が立っていたのもその要因の1つであっただろうが。
「こ、これは」
ベコは目の前の光景を信じられないような顔で見つめていた。憎きタコス軍が、それでもこちらの倍の兵力を持ったタコス軍が撤退していくのである。
先の舌戦でぐったりしていたベコではあったが、中央軍からほんの少し後ろに下がり丘の中腹から戦場の流れを眺めていたのだ。
ベコはその動きをすでに死んだ姉の手助けだと思った。
「お姉様。ありがとうございます。
……全軍、逃すな!!」
ベコの指示のもと一気に攻勢にかかるベコ軍。戦場の流れが変わっていた。
その流れの変化に気付いたものがいた。
「これは?」
だが、なぜその変化が起きたのかわからなかった。参謀長である一二三は戦場全体の指揮をしている。だが、右翼も左翼も一二三の指示した動きではない動きをして撤退を始めているのだ。
その結果、ベコ軍の右翼も左翼も中央軍から離れてしまっている。深追いしすぎているのだ。
明らかになにかがこの戦場に干渉して来ていた。
「一体なにが、!?」
一二三の脳内に語りかける者の声が聞こえる。その声に驚いた一二三ではあったが、すぐに安心した顔になる。大きく何度か頷くと一二三はタコスに向き直った。
「タコス様」
「ああ。こんな面白いことをする奴は、俺様は1人しか知らん」
タコスは悪そうなニヤニヤ笑いをしていた。
タコスの心の興奮を物語るように赤い髪が燃え盛るように逆立ち、金色の瞳は獰猛な輝きをたたえて横に裂ける。
「随分と遅かったな。待ちくたびれたぞ」
そういったタコスの弾むような言葉を聞いて一二三も頷く。一二三と同じようにタコスも喜んでいるのだろう。
一二三が上を見上げると、そこには淡い緑色の光が1つだけ、星のようにきらめいて見えた。まるで暗い夜道を照らす月明かりのように、優しく温かく、ほんの少し頼りなく。
一二三は報告する。
「兄さんが、テル兄さんが帰ってきました」
戦場の上の方。
暗い海中の真っ只中にプランクトンランプを掲げてテルはただよっていた。テルは目をつぶって強く願っていた。
(ニコ、その調子でもっと離れてくれ)
(ムサシ、離れすぎだ。もっと敵を引きつけて、ゆっくり逃げろ)
(一二三、敵を引き付ける。そのあとはこちらが勝手に部隊を借りるぞ)
(余市、まだ打つな。敵に気取られる)
(史郎、俺がいくまで粘れ。俺が行ったら、それが合図だ)
(サイコ、そこから前に見える敵を攻撃だ。やれるか?)
戦場にテルの思念が行き渡る。
正確には打てば響く鐘のように、それぞれの兄弟たちも思念を飛ばしているのだが、残念ながらテルにはその思念を受け取る機能が欠けている。
『共感能力』
テルたちイワシが持つと言われている能力である。魚人になってから種族固有の能力として持っている能力でもある。
その共感能力のおかげでイワシは一糸乱れぬ団体行動ができると言われていた。
今テルが使っているのがその共感能力であった。
今までテルはその力を積極的に使って来なかった。なぜならテルの共感能力には発信は備わっていても受信が機能していないからである。
受信できなければ相手に伝わっているかどうかもわからない。伝わっているのかわからなければ、能力の存在自体が怪しく思えてしまう。
結果として、機能しているかどうかもわからない能力を、テルは使いたくなかったのであった。
だが、テルは今共感能力を躊躇なく使っていた。
相手に伝わっているかどうかはわからない。
だが、信頼している兄弟たちが共感能力はあると言っていた。
テルは感じられない能力よりも仲間の言葉を信じたのだ。兄弟があると言っているのならばそれはテルにとって十分に信頼できる。
聴いているものとして、テルはみんなに語りかけるのみであったのだ。
(みんな、逃げ出して悪かった。俺には色々あってもう受け入れてもらえなくても恨まない)
テルは集中を解く。目を開けるとタコス軍の動きがよく見えた。
タコス軍のプランクトンランプの淡い緑の灯りが両翼とも大きく後退している。
テルの指示通りに両翼とも逃げ出してくれていた。それはテルの言葉を信じて動いてくれたということだった。
それがテルを信頼しているという動きだった。
言葉や思念ではなく命がけの行動で答えてくれた仲間に、兄弟に、テルはここで宣言する。
(俺はもう、迷わない!!!)
その思念は強い力となって海域を覆った。
力強く優しい思いは兄弟たちに広がっていく。
テルは自覚していないが、受信機能の壊れたテルは自分の思いを知らず知らずに強く伝えるようになっていた。
聞こえないと思っている独り言が思ったより大きくなってしまっているように、届かないという思いが強くなっていくのと同じように。
テルの強い思念は戦場を包み込み、そして、それ以上の思念を反射して帰ってきていた。
(((((おかえり)))))
思わず聞こえてきたみんなの声に驚いて周りを見渡すテル。
だが、周りには誰もいない。それでも確かに聞こえたのだ。
響くような優しいような、だれとも取れない声ではあったけれどそれは確かに帰ってきたことを祝福する言葉。
兄弟の言葉はそれ以上聞こえることはなかったけど、それは紛れもなく兄弟の言葉であった。
それは奇跡。
テルの機能していない受信機能を、それでも振るわせるような強い思念が起こしたほんのひと時の、戦術的にはなんの意味もない、言葉を伝えただけで終わった奇跡であった。
テルは槍をつかみ直すと急降下する。
海底ギリギリまで、仲間たちの元へと降りていったテルは思念を飛ばす。
(斉射)
「斉射!!」
テルの思念に合わせて余市率いる魔法部隊から一斉に魔法が放たれる。威力が集中された魔法は大砲のようにベコ軍めがけて浴びせかけられる。
テルたちには暗闇のために敵の正確な位置はわからない。
だが、大体の位置はわかる。それはランプのない場所である。
タコス軍の中央軍の前にいるのが、ベコ軍の中央軍。主力の前にいるのが主力ということだ。
そして主力ということは最も激しい戦いをする場所であると同時に、最も安全な場所であるということだ。
そこに総大将がいる可能性が最も高かった。
テルたちはよく見えないが、そこめがけて突き進めばいいだけなのだ。
海底ギリギリまで勢いをつけたテルは、その勢いのままベコ軍に向かって味方の中をつっきる。
魔法が着弾していくのを尻目にテルはさらに思念を飛ばす。
(突撃)
「突撃だ!!」
思念を受け取るとそれまで防衛に専念していた史郎が攻撃に転じる。
その声を聞きながらテルは史郎の横を通り抜ける。史郎も嬉しそうにテルの後を泳ぎ始める。
ベコ軍は両翼とも中央軍と離れてしまい、中央軍が手薄となっている。元々数ではタコス軍の方が上回っているのだ。
いかに暗闇とはいえランプに移る目の前の敵を倒すだけであれば、タコス軍でもどうにかなるのである。
疲れた体に鞭を打ち、これが最後とばかりに攻め立てる。
ランプを掲げる1人の男に導かれるように。