第一話 脱走王女
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
春の日差しが差し込む王城の一室。
「王女殿下」
アリアは机に向かいながら顔を上げた。
目の前には家庭教師。
今日も政治学の授業だった。
「東部領の税制度についてですが」
教師は淡々と続ける。
アリアもきちんと聞いていた。
聞いてはいたが。
「この場合、関税を緩和すれば物流が活発になり、結果として税収は」
「なりません」
アリアは即答した。
教師が目を見開く。
「なぜですか?」
「街道整備が済んでいないからです」
地図を指差す。
「荷が運べなければ税を下げても意味がありません」
教師は言葉に詰まった。
アリアは続ける。
「まず街道を整備して、その後に関税を下げるべきです」
「ですが」
教師は咳払いした。
「王女殿下」
嫌な予感がした。
「政治は男達の仕事です」
やっぱり。
アリアは表情を消した。
教師は優しく諭すように言う。
「王女殿下は未来の王妃として教養を学べばよろしいのです」
「……そうですか」
授業はそのまま終了した。
◇
授業が終わった後。
アリアは一人で城の窓辺に立っていた。
窓の外には城下町が見える。
人々が行き交う。
商人が声を張り上げる。
子供達が走り回る。
楽しそうだった。
自由そうだった。
少なくとも。
自分よりは。
「いいなぁ」
ぽつりと零れた言葉。
侍女が驚いて振り返る。
「殿下?」
「なんでもないわ」
アリアは微笑む。
だが心の中では思っていた。
どうしてだろう。
王女である自分より。
あの人達の方がずっと楽しそうに見える。
◇
夕食。
今日も政治の話だった。
正確には。
自分のいない政治の話だ。
王も。
大臣達も。
兄達も。
皆当然のように話を進める。
アリアは黙って聞いていた。
「それと」
国王が言った。
「北方伯爵家から縁談が来ている」
アリアの動きが止まる。
「年齢もちょうど良い」
「一度会ってみるのも悪くないだろう」
アリアは静かにナイフとフォークを置いた。
「お父様」
「なんだ」
「私に拒否権は」
国王は首を傾げた。
まるで不思議そうに。
「あるわけがないだろう」
その言葉に。
何かが切れた。
◇
夜。
王女の私室。
アリアはベッドの上に寝転がった。
「あるわけがないだろう、じゃないわよ」
枕を殴る。
ぽすっ。
「私の人生でしょう!?」
ぽすっ。
「私は誰と結婚するかも選べないの!?」
ぽすっ。
枕が少し潰れた。
しばらく暴れた後。
天井を見上げる。
そして思う。
城下町の人々は。
自分で働いている。
自分で生きている。
自分で選んでいる。
それなのに。
王女である自分は。
何一つ選べない。
静寂。
ふと。
視線が衣装棚へ向く。
そこには以前祭りで使った侍女服があった。
アリアは起き上がる。
侍女服を見る。
再び座る。
また立つ。
また見る。
そして。
満面の笑みを浮かべた。
「……少しくらい」
◇
翌日の早朝。
侍女姿の少女が窓からロープを垂らしていた。
「私は悪くないわ」
するすると降りる。
「少し街を見るだけだもの」
地面へ着地。
「そう」
まだ誰もいない早朝の庭。
「少しだけ」
そして王女アリアは。
人生で初めて王城を脱走した。
◇
その頃。
護衛隊長レオンは見張り台からその様子を見ていた。
「……何をしているのですか」
頭痛を堪えるように額を押さえる。
「殿下」
そう呟いて。
静かに後を追った。
◇
王城を抜け出したアリアは城下町を歩いていた。
「すごい……」
思わず声が漏れる。
窓から見るのとはまるで違う。
露店から漂う香ばしい匂い。
職人の金槌の音。
行き交う人々の笑い声。
全てが輝いて見えた。
「これが城下町……」
アリアは目を輝かせながら歩く。
あちらの店を覗き。
こちらの露店を覗き。
気付けば朝から昼を過ぎていた。
そんな時だった。
「あらあら……」
前方で老婦人が蹲った。
買い物袋が地面へ散らばる。
野菜や魚が転がった。
アリアは慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「ああ、ごめんねぇ」
老婦人は困ったように笑う。
「少し腰を痛めてしまってね」
アリアは散らばった荷物を拾い集めた。
予想以上に重い。
思わず顔が引きつる。
(平民の人はいつもこんな重いものを……?)
城では侍女が運んでくれる。
当然のように思っていた。
だが違う。
本来は自分で運ぶものなのだ。
「お家は近いですか?」
「すぐそこだよ」
「お持ちします」
「悪いねぇ」
アリアは両手いっぱいの荷物を抱えた。
数分後。
たどり着いた先を見て目を丸くする。
「料理屋……」
木造の小さな建物。
看板には店名が書かれている。
昼時を過ぎているにも関わらず客の姿が見えた。
「うちの店さ」
老婦人は笑う。
その瞬間。
店の扉が開いた。
「おいおい、どこ行ってたんだ」
老人が飛び出す。
「心配したんだぞ」
「ごめんごめん」
「全く……」
老人はそこで初めてアリアへ気付いた。
「おや?」
「この子が助けてくれたんだよ」
老婦人が説明する。
老人は慌てて頭を下げた。
「それはありがとうございます」
「いえ!」
アリアも慌てて頭を下げる。
だが視線は店内へ向いていた。
店の中から漂ってくる香り。
賑やかな客達の声。
忙しく動く店員。
どれも新鮮だった。
「入るかい?」
老婦人が笑う。
アリアは即答した。
「はい!」
◇
店の料理は驚くほど美味しかった。
魚介の旨味が口いっぱいに広がる。
思わず笑顔になる。
「美味しいです!」
「そうかい」
老夫婦も嬉しそうだ。
アリアは周囲を見渡した。
客達は笑いながら食事をしている。
世間話をしている。
店員も忙しそうだ。
だが皆楽しそうだった。
その光景を見て。
アリアの中にひとつの考えが浮かぶ。
そして。
そのまま口から飛び出した。
「私をここで働かせてください!」
沈黙。
店内が静まり返る。
老夫婦は固まった。
「……え?」
「働きたいんです」
「いやいやいや」
老人が慌てる。
綺麗な侍女服。
明らかにどこか良いところのお嬢様を、街の料理屋で働かせたら何が起こるかわからない。
「お嬢さん、どこか良いところのお嬢様だろう?」
「違います!」
即答だった。
王女である。
だが今は違う。
侍女だ。
少なくとも本人はそう思っている。
「お願いです!」
「うーん……」
老夫婦は困った顔を見合わせた。
働きたい気持ちは本物らしい。
だがどう見ても育ちが良すぎる。
そんな時だった。
「失礼」
聞き覚えのある声。
アリアの背筋が凍った。
入口に立っていたのは一人の男。
護衛隊長レオンだった。
(な、ななななななぜ!?)
アリアは必死に平静を装う。
レオンはアリアを一瞥した。
次に老夫婦を見る。
「少しお話を」
「ん?」
「よろしいですか」
そう言って店の外へ出ていく。
老人も困惑しながらついて行った。
アリアは腕を組む。
待つ。
待つ。
待つ。
五分。
十分。
(何なのあの人は……)
王女を差し置いて勝手に話し込んでいる。
腹が立った。
さらに数分後。
老人が戻ってくる。
「よし」
「はい?」
「お嬢さんに給仕をやってもらおう」
アリアは目を輝かせた。
「本当ですか!?」
「ああ」
老人は苦笑する。
「ただし無理はするなよ」
「はい!」
アリアは飛び上がらんばかりに喜んだ。
そんな彼女を。
店の外からレオンが眺めている。
◇
「隊長殿、本当に大丈夫なんですか?」
老人が小声で問う。
レオンはため息を吐いた。
「大丈夫ではありません」
「え?」
「ですが」
視線の先では。
アリアが満面の笑みを浮かべていた。
「どうしてもやるでしょうから」
老人は困ったように笑う。
レオンは額に手を当てる。
頭が痛い。
王女が城を脱走した。
発見してみれば料理屋で働くと言い出していた。
報告すべきだ。
常識的に考えればそうだ。
だが。
レオンはもう一度店内を見る。
楽しそうに笑うアリア。
今まで城では見たことのない顔だった。
「……少しだけですよ」
誰に向けた言葉なのか。
自分でも分からなかった。
こうしてアリアの平民生活は始まった。
お読み頂き、ありがとうございます。




