第83話 祈る人の列
お読みいただき、ありがとうございます。
どうぞ、今回の旅もお楽しみください。
船を降りて三日目、街道の両側へ白い花が増え始めた。
畑の端にも、橋の欄干にも、小さな花束が結ばれている。エドガーが道端の女へ何の祝いか尋ねると、女は剪定した枝を籠へ入れながら、もうすぐ帰還祭なのだと答えた。
「どなたが帰ってくる」
「アリアーノ様ですよ。今年も、おいでくださるんです」
フレイアは荷台から顔を上げた。
勇者レイドスと旅をした僧侶。その名は、人間界マニュアルの戦争史にもあった。最後に確かめた項目では、魔王討伐後、故国へ戻ったとだけ書かれていた。
「まだ生きておるのか」
「もちろんですとも」
女は、妙なことを聞く旅人だという顔をした。白い花を一本、馬車の轅へ結んでくれる。
エドガーが受け取りの紙を待つように手を止め、何も出てこないのを見て礼を言った。
フレイアは花と彼の手を見比べたが、黙っていた。
聖霊国家セインセルアの城壁は、丘の中腹に沿って続いていた。
門をくぐると、広い坂道の先に大聖堂が見える。尖塔の周囲を白い鳥が回り、窓の色硝子が午後の陽を道へ落としていた。人々は色のついた石畳を踏まぬよう歩いている。
馬車を預けた宿には、柔らかな丸パンがあった。フレイアは夕食を待たずに一つ食べた。中へ蜂蜜を練り込んであるらしく、噛むと歯へ甘さが残った。
「何個までだ」
「飯の前だから、一個」
「小さいぞ」
「見りゃ分かる」
もう一つを取る前に、外で鐘が鳴った。
宿の女が手を止め、窓の方へ頭を下げた。通りでも、荷運びの男や買い物帰りの老女が同じことをしている。
「お祈りか」
「帰ってきた方がいるのよ」
女は笑った。
「今日は、皮なめし職人の奥さん。熱で亡くなったんだけどね」
フレイアの指が、パンの上で止まった。
大聖堂の脇に、屋根の低い建物があった。
人を待つ列が、そこから中庭を曲がって伸びている。白い服の者と、普段着の者が向かい合い、互いに持ってきた物を見せていた。
エドガーが近づくと、袖をまくった男が道を空けた。手には、小さな女物の靴を持っている。
「うちの妻です。もう歩いていいそうで。裸足で戻すわけにいかないから」
男が見た先で、看護の服を着た女が戸を押さえていた。
内側から、若い女が出てくる。歩くたび男が靴を持ち上げ、先に履けと言おうとして、結局抱き締めた。
女は最初、腕を上げなかった。やがて男の背へ指を置いた。
「ごめんなさい」
「何がだよ」
「お姉さんが」
男の手が、女の背中で止まった。
戸口には、誰も続いてこなかった。
エドガーは靴の片方が地面へ落ちるのを見た。拾って男へ渡すと、男は妻を離さないまま礼を言った。
白い服の女が、二人へ声を掛けた。
首に細い銀の輪を提げている。神官というには袖が短く、指先には薬草の染みがあった。
「蘇生を、お尋ねですか」
「死んだ者を戻せるのか」
フレイアが聞くと、女は頷いた。
「身体と魂の繋がりが失われきる前なら。ただし、一人を戻すには、一人が命を終えなければなりません」
「今の女には、姉がいたのだな」
「姉君が、申し出られました」
中庭の奥へ、数人が白い布を運んでいた。看護の女はそちらへ一礼した。
「リエッタと申します。こちらの救護棟を預かっています」
「レイだ。こちらはエドガー」
「裁定は、何を決めるんだ」
エドガーの問いに、女は一度、戸口へ目を戻した。若い夫婦はまだそこにいた。
「戻れる方と、命を差し出す方。申し出を受け、状況を確かめます。魂が戻る道を持っていなければ、供物だけを失うことになりますから」
「差し出す者が、いなければ?」
「蘇生は行えません」
フレイアは、向かい側の列を見た。
白い服の若者が、針を持った老人へ袖を差し出している。ほつれを直してもらっているらしい。若者は何度か笑い、そのたび老人の針が止まった。
少し先では、女が家族へ包みを渡していた。荷を軽くするような仕草だった。
「あちらが、命を差し出す者か」
「はい」
「誰かに、命じられた?」
「自ら来た方々です。撤回を申し出ることもできます」
女は答え、すぐには歩き出さなかった。
フレイアがその場を動かないので、列の向こうを一緒に見た。
木の札を返す窓口があった。
札には一人ずつ、名が刻まれている。受け取った神官は、白い服の若者に何か尋ねた。若者が頷く。札が銀の器へ入れられ、短い祈りの後、文字だけが消えた。
「何をした」
「終祷です。還り名を閉じました」
「生きておるのに?」
「供物となった方を、別の供物で戻すことはいたしません。終祷を受ければ、もう蘇生では呼び戻せなくなります」
若者が空になった札を持ち上げ、陽へ透かした。
その向こうを、皮なめし職人の夫婦が歩いていった。男はようやく妻に靴を履かせていた。
日が暮れる頃、大聖堂の正面に灯りがついた。
階段の下へ人々が集まり始める。フレイアも足を止めた。
高い扉が開き、輿が運び出された。金の飾りを縫った白布の中に、痩せた老人が座っている。白い髪は肩へ揃えられ、杖を握る両手だけが布から出ていた。
隣に立つ神官が、広場へ声を届ける。
「皆様。アリアーノ様に、再びお会いできました」
人々が膝をついた。
フレイアは立ったまま、老人を見た。口元は穏やかに上げられていた。だが、椅子の肘掛けをつかんだ指は白かった。
その目が、一瞬、こちらへ向いた。
「何度目だ」
自分でも思ったより小さな声になった。
近くで祈っていた女が、嬉しそうに顔を上げた。
「百八回目だそうです」
エドガーは、大聖堂の脇を見た。
正面の灯りが届かない戸口から、小さな棺が運び出されていた。担いだ二人は、広場の祈りが終わるまで、戸の陰で待っていた。
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