第八話 はじめての王都
朝食を終えたあと、一行は王都の街へ出た。
前日の騒ぎが嘘のように、王都グランセルはいつもの賑わいを取り戻していた。
石畳の大通り。
行き交う馬車。
店先に並ぶ果物や焼き菓子。
広場では吟遊詩人が歌い、子供たちが笑いながら駆け回っている。
アストレア王国の王都。
透にとっては、すでに見慣れ始めた街並みだった。
だが、結衣たちにとっては違う。
「わあ……!」
結衣が目を輝かせた。
「すごい! 本当に異世界の街だ!」
その横で、真白も尻尾を揺らしている。
「甘い匂いがするのじゃ!」
「真白、最初からそれですか」
明日華が小さくため息をつく。
その隣には蒼姫がいた。
今日は巨大な八咫烏の姿ではない。
人の姿を取っている。
黒髪。
明日華に似た面差し。
落ち着いた表情。
どこか神秘的な雰囲気をまといながらも、王都の服を着ているせいか、いつもより少し柔らかく見えた。
明日華と並んで歩くと、まるで年の離れた姉妹のようだった。
◇◇◇
今日の案内役は、透とセリナだった。
王都を見て回りたいという結衣の希望に、セリナが快く応じたのである。
王城の護衛騎士も数名、少し離れて同行していた。
もっとも。
透たちの顔ぶれを見て、護衛たちはどこか仕事を失ったような顔をしている。
同行しているのは、結衣、明日華、真白、蒼姫、ノア。
さらに、ハイエルフのリーファとフェアリーのリリアも一緒だった。
かなりの大所帯である。
しかも、ただの一行ではない。
狐耳と白い三尾を持つ真白。
小さな羽で飛ぶフェアリーのリリア。
ハイエルフのリーファ。
人化した八咫烏の蒼姫。
そして王女セリナと、異界の勇者として名を知られ始めた神代透。
目立たないはずがなかった。
「あっ、聖女様だ!」
「英雄様もいるぞ!」
「あの子たちは?」
「エルフ様……?」
「狐耳の子もいる!」
街の人々が驚いたように視線を向ける。
だが、その目に恐れはなかった。
セリナが微笑みながら手を振ると、人々は安心したように頭を下げる。
透に気づいた者たちも、笑顔で声を掛けてきた。
「トオル様!」
「王都を守ってくれてありがとう!」
透は照れたように頭を下げる。
「いえ、そんな……」
その様子を、結衣がにやにやしながら見ていた。
「おにい、すっかり有名人だね」
「やめてくれ」
「英雄様だもんね」
「本当にやめてくれ」
透は本気で困った顔をした。
◇◇◇
ノアは透のすぐ横を歩いていた。
小さな手で、透の服の裾を握っている。
北方都市から王都へ戻る道中もそうだった。
眠る時も。
起きている時も。
ノアは透の近くから離れようとしない。
「ノア」
透が声を掛ける。
ノアが顔を上げた。
「歩きにくくないか?」
ノアは首を横に振る。
表情は変わらない。
だが、裾を握る手は離さなかった。
透は少し考えたあと、そっと手を差し出す。
「こっちの方が歩きやすいぞ」
ノアは、その手を見た。
しばらく見つめる。
そして、小さく指を伸ばした。
透の手を握る。
その手は細く、まだ少し冷たかった。
透はノアの歩幅に合わせて、ゆっくり歩き出す。
その様子を、セリナが隣で見ていた。
胸の奥が、きゅっと温かくなる。
「……本当に優しい方ですね」
「え?」
透が振り向く。
セリナは小さく微笑んだ。
「何でもありません」
◇◇◇
一方。
真白とリリアは、開始早々自由だった。
「あっちに甘味があるのじゃ!」
「行こう!」
白狐とフェアリーが同時に飛び出す。
「ちょっと、真白!」
結衣が慌てて追いかける。
「リリア!」
リーファもため息をつきながら続いた。
真白とリリアは屋台から屋台へと走り回る。
焼き菓子。
果物の蜜漬け。
薄い生地に甘いクリームを挟んだ菓子。
目に入るものすべてに反応していた。
「これも食べたいのじゃ!」
「リリアも!」
「待ちなさい!」
結衣が後ろから叫ぶ。
リーファは額に手を当てた。
「なぜ私まで保護者のようなことを……」
「諦めてください」
明日華が静かに言う。
「真白とリリアさんを止めるには、人数が必要です」
蒼姫も頷いた。
「その通りです」
どこか達観した声だった。
◇◇◇
やがて一行は、王都中心部の商店街へ入った。
色とりどりの布。
革靴。
装飾品。
香油。
旅道具。
食器。
店先には、さまざまな商品が並んでいる。
結衣の目が輝いた。
「服屋さん!」
セリナが微笑む。
「この辺りは、王都でも評判の良い店が多いのです」
「入ろう!」
結衣は即決だった。
明日華も少し興味があるようで、店先の衣服を眺めている。
リーファも、見慣れない人族の服に視線を向けた。
「アストレアの服は、森の衣装とは随分違いますね」
「せっかくだし、みんなで見よう」
透が言う。
「好きなのを選んでいいぞ」
結衣が、ぱっと振り向いた。
「いいの!?」
「ああ」
「おにい、お金あるの?」
「一応な」
透は苦笑した。
グランドワイズ関門の戦い。
深淵の森での戦い。
北方都市での救出。
その功績により、王国から報奨金が支払われていた。
透自身は、あまり使う気がなかった。
だが、妹たちのためなら話は別である。
「遠慮するな」
透がそう言うと、結衣は満面の笑みを浮かべた。
「やった!」
明日華は少し困ったように言う。
「あにさま、あまり甘やかすのは……」
「いいんだよ」
透は穏やかに笑った。
「せっかく来たんだし」
セリナは、その横顔を見て静かに微笑んだ。
◇◇◇
服屋の中は、しばらく大騒ぎになった。
まず結衣が、あちこちの服を手に取る。
「これ可愛い!」
「こっちもいい!」
明日華は落ち着いて選んでいるように見えるが、意外と真剣だった。
蒼姫は淡い色の衣服を手に取り、首を傾げている。
「この国の服は、動きやすさと装飾を両立しているのですね」
リーファも興味深そうに布地を見ていた。
そして。
ノアは完全に着せ替え人形になっていた。
ノアには、まだ自分の服がほとんどない。
今着ているものも、真白の予備を借りたものだった。
「ノアちゃん、これ!」
結衣が服を合わせる。
「こちらも似合うと思います」
セリナが別の服を持ってくる。
「色は薄い方が合いますね」
明日華も真剣に参加していた。
ノアは無表情のまま立っている。
逃げない。
拒まない。
ただ、されるがままだった。
だが、時々透の方を見る。
透は小さく笑って頷いた。
「似合ってるぞ」
ノアは少しだけ目を瞬かせた。
それが照れているのか、驚いているのかは分からない。
ただ。
透の言葉を聞いたあと、ほんのわずかに視線を落とした。
◇◇◇
店を出る頃には、いくつもの包みができていた。
透がそれを抱えようとしたところで、セリナが小さな革鞄を差し出す。
「トオル様、こちらを使ってください」
「これは?」
「魔導収納鞄です。見た目より少し多く荷物を入れられます」
透は驚いて鞄を見る。
「そんな便利なものがあるんですか」
「はい。ただし、入る量は大きな背負い袋ひとつ分ほどです。生き物は入れられませんし、重さも完全になくなるわけではありません」
「それでも十分便利ですね」
「旅人や商人には重宝されています。ただ、高価なので誰でも持てるものではありません」
それを聞いた結衣の目が輝いた。
「異世界っぽい!」
「結衣、そこなんだな」
透は苦笑しながら、買った服の包みを収納鞄へ入れていった。
「良い買い物だったのじゃ」
「真白、食べ物じゃなくても満足するんですね」
明日華が言う。
「わらわにも美意識はあるのじゃ!」
「そうでしたか」
「疑っておるな!?」
リリアがその横で笑っている。
◇◇◇
日が高くなった頃。
予想通り、その声が響いた。
「おなかがすいたのじゃー!」
真白である。
結衣が呆れたように振り返る。
「まったく、真白は」
「仕方ないのじゃ」
真白は胸を張った。
「尻尾が三本になったから、余計におなかが空くのじゃ!」
リリアが感心したように頷く。
「なるほど!」
「納得しないでください」
リーファが即座に突っ込む。
透も思わず笑った。
「じゃあ、昼にするか」
セリナが案内したのは、広場に面した開放的な店だった。
オープンテラスには花が飾られ、風通しも良い。
王都でも評判の料理店らしい。
◇◇◇
昼食は賑やかだった。
焼きたてのパン。
香草を使った肉料理。
野菜のスープ。
果物のジュース。
真白は目を輝かせていた。
「うまいのじゃ!」
リリアも隣で同じように食べている。
「おいしい!」
「二人とも、少し落ち着いて」
リーファが困ったように言う。
結衣は楽しそうに笑った。
明日華は静かにスープを飲みながら、蒼姫と何かを話している。
セリナはノアの皿をそっと見た。
「食べられますか?」
ノアは、こくりと頷く。
小さくパンをちぎり、口へ運ぶ。
少しずつ。
ゆっくり。
まるで味を確かめるように。
「おいしいか?」
透が尋ねる。
ノアは少し考えたあと。
こくり。
小さく頷いた。
それだけだった。
だが、透には十分だった。
◇◇◇
昼食後。
一行は王城へ向かった。
目的は、国王への目通りである。
神代家の正式な紹介。
そして、ノアの処遇についての確認。
結衣は少し緊張していた。
「王様に会うんだよね?」
「ああ」
「大丈夫かな」
「普通にしていればいい」
透が言う。
「それが一番難しいんだけど」
結衣は小さく唸った。
明日華は落ち着いている。
真白は、なぜか胸を張っていた。
「王であろうと、わらわは真白なのじゃ」
「真白は少し緊張してください」
明日華が静かに言う。
蒼姫は人化したまま、王城を見上げていた。
「この国の中心ですか」
その声には、どこか感慨があった。
◇◇◇
王城では、簡易な謁見が行われた。
国王は厳格な雰囲気の中にも、温かさを持つ人物だった。
セリナから紹介を受け、結衣たちはそれぞれ頭を下げる。
真白だけは、少し遅れて頭を下げた。
国王はそれを見て、わずかに笑う。
「なるほど。トオル殿の家族か」
その視線は優しかった。
「よく来てくれた」
結衣は少し背筋を伸ばす。
「はい!」
明日華は丁寧に礼をした。
「お世話になります」
蒼姫も静かに頭を下げる。
「明日華様と共に、この地へ参りました」
国王の目が蒼姫へ向く。
「貴殿が蒼姫殿か」
「はい」
「王国として、貴殿らの助力に感謝する」
蒼姫は静かに頭を下げた。
◇◇◇
そして。
ノアについても、改めて正式な確認が行われた。
国王はノアへ視線を向ける。
「ノア」
少女は透の手を握ったまま、わずかに顔を上げた。
「この国は、そなたを守る。日々の暮らしはトオル殿たちと共にある。安心してよい」
ノアは答えなかった。
ただ、透の手を少しだけ強く握った。
神代家預かり。
王国が生活面を支援する。
必要な衣類。
食料。
教育。
治療。
そのすべてを王国が後ろ盾となって支える。
だが、日々の暮らしは神代家のもとで。
透は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
国王は静かに言う。
「その子を頼む」
透はノアを見る。
ノアは、まだ透の手を握ったままだった。
「はい。任せてください」
◇◇◇
屋敷へ戻る頃には、日が傾き始めていた。
真白は、昼に食べた料理の話をまだしている。
リリアも楽しそうにそれに付き合っていた。
結衣は買った服のことを話しながら、満足そうに歩いている。
明日華と蒼姫は、王都の建物について何か話していた。
ノアは透の手を握ったまま、静かに歩いている。
セリナはそんな一行を見ながら、柔らかく微笑んだ。
◇◇◇
王都での一日は、穏やかに終わろうとしていた。
明日は、それぞれの時間を過ごすことになる。
束の間の休息。
次の旅へ向かう前の、短い平穏。
だが、今はまだ。
誰も急がない。
神代家と仲間たちは、ゆっくりと屋敷への道を歩いていった。




