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KKK  作者: てこ/ひかり
第一幕
4/11

二回表 怪物

「ここが……」


 校舎に辿り着くなり、千紘は思わず膝から崩れ落ちた。肩を上下させながら、ゼェゼェと荒い息を吐き出す。山頂まで600m弱といったところだろうか。山を登ることおよそ1時間。足が石のように重い。ここまで長時間運動したのは高校のバレー部以来だった。

「ようこそ。緑茂校へ」

 千紘は尻餅をついたまま、滴る汗を拭い、森の中に浮かぶ瀟洒(ようしゃ)な洋館を望んだ。赤煉瓦で築かれた洒落た建築物は、およそ想像していた校舎とは全くかけ離れた外見で、彼女は驚いた。


「元々はどこかの大企業が、宿泊施設として開発してたんですよ」

 千紘の表情を読み取って、隣で野坊が笑って解説した。

 なるほど、確かに造りは学校というよりホテルに近い。正面の、一番大きな3階建の煉瓦館の他に、左右にも軒を連ねていて、かなり奥行きがありそうだった。そういえば学生時代、彼女も同じような山中の施設に合宿に行ったことがある。合宿所がそのまま学校になったような感じだ。


「数百人が泊まれる寝室に、食堂、露天風呂やサウナもあります。あっちにはグラウンド、もちろん教室も。一応共学ですが、生徒250人中、245人が野球部員ですね」

「えっ……」

 千紘は目を丸くした。まさに野球に特化した高校と言った感じである。むしろ野球部以外の5人は、何者なのだろうか?


「生徒や教師含め、常時300〜400人程度はここで暮らしていると思います。多少の停電や断水があっても、数日程度なら籠城も可能ですよ。敷地内に畑もあります」

「停電や断水は多いのでしょうか?」

「そりゃあ、まぁ、山の上ですし」

 監督が野球帽を取り、汗を拭った。

「天気は変わりやすいですが、安心してください。裏手に立派な体育館があります。最先端の設備が整ってますから、選手は気兼ねなく練習できますよ」


 気がかりだったのは練習のことではなかったが。千紘は不安げに空を見上げた。雲の流れが早い。さっきまで晴れていたのに、上空は次第に不穏な灰色に染め上げられようとしていた。


「ちょうど1年生が練習しているところです。見に行ってみましょう」

「まだ授業中では?」時計を見ると、ちょうど15時を過ぎたところだった。

「我々は体育の時間に、トレーニングをやるんですよ」

 野坊は笑った。


 北側のグラウンドに向かうと、なるほどユニフォーム姿の数十人がランニング中だった。遠く向こうの方で蠢く集団に目を細め、千紘は(事前にAIにまとめてもらった)質問を打つけた。


「走り込みやランニングは、効果を疑問視する選手も少なくないと聞きました。効率が良くないと」

「そりゃどんなトレーニングも、闇雲にやったら効率は良くないですよ」


 野坊は苦笑して顎を撫でた。


「効率ね……コスパとかタイパとか、最近良く使われる言葉ですな。しかしデータ重視の、いわゆる科学的トレーニングを取り入れると、練習量はむしろ毎年増え続けるものなんです」

「え?」

「たとえば人間の肉体の全盛期(ピーク)が20代だとしましょう。それ以降は、()()()()()衰える一方だ」

 野坊の目尻に深い皺が寄った。

「若手の頃の筋肉量を維持しようと思ったら、ベテランほどトレーニングを積まなくてはならない」

「……なるほど」

「本来、科学が、データが示してくれるのは効率なんかじゃありませんよ。自分の限界はここまで。そ()()()()()()()()()、後は下り坂だと言う、残酷なまでの現実です。この選手はこれ以上伸びない、今の時代、データでそれがはっきりと分かってしまうのです」

「…………」

「もちろん高校生は伸び盛りだから、今の話は全く当てはまりませんがね。とにかく、野球の世界は数字の世界です。3ストライク、27イニング、()()と、3の倍数で出来ていて……おっと。最後は口が過ぎましたな。ハハハ!」


 最後に監督は笑い飛ばしたが、千紘の頭には一抹の不安がよぎった。データ全盛の時代。だけど、もしデータでこれ以上伸び代がないと判断された選手は、どのような扱いを受けるのだろう? それ以上やると壊れる……という言葉が、何となく、いつまでも千紘の耳の奥に残って離れなかった。


 やがてグラウンドを一周してきた集団が、腕組みしながら見つめる監督の横を通り過ぎていく。一年生ということもあってか、その顔は硬く初々しく、心なしか緊張しているようでもあった。


 それから2人は西側の体育館に移動した。一見して普通の体育館だったが、野坊の言葉通り、中はコテコテの筋トレマシーンを始め、ナントカ解析など、よく分からない装置が板張りの床にずらりと並んでいた。ここでバレーボールはできないだろうな、と千紘は思った。中では数名の生徒たちが(まだ授業は終わってないはずだが)器具に群がり、必死にトレーニングに励んでいた。


「高校生が160km投げるような時代ですよ。考えてから動いていては、はっきり言って遅い。考える前に動けるようになる。体にその動きを覚えさせるための筋トレ、反復練習です」

「なるほど……」


 千紘もスポーツの経験が無いわけじゃないので、言わんとしていることは分かる。彼女はなんとなしに、壁に貼ってある表を覗き込んだ。一覧表に、学年別に生徒の名前がずらりと並んでいる。


「笑顔率……ランキング?」

 見慣れない言葉に、千紘は眉をひそめた。

「ええ」野坊が頷いた。

「打率、出塁率、防御率……野球では全てのデータが数値化されます。笑顔も数値化出来るのです」

「はぁ」


 あまり聞いたことのない話である。先ほどの『笑顔』と『感謝』、その二つの目標から来ているのだろう。しかし、笑顔を無理やり数値化したとして、それをどう野球に活かすのだろうか? 監督を見ても、それ以上何の説明もない。なんとなく奇妙な感じがしたが、それ以上尋ねるのも(はばか)られて、千紘はそそくさとその場を離れた。


「ぜひ上野さんに合わせたい選手がいましてね。ちょっと待っててください」


 一通り施設を見学して、練習が始まるまで応接室で待機していると、野坊はそう言って部屋を出て行った。千紘は持ってきたペットボトルに口をつけ、それから小さくため息を落とした。スマホの電波も、山の中なのでどこか不安定である。おまけに写真撮影も不可なので、特にやることもない。


 窓ガラスを、ポツポツと雨粒が叩き始めた。

 

 1人取り残された千紘は、手持ち無沙汰で壁際に並べられた光り輝くトロフィーの群れを眺めた。ナントカ大会出場、ナントカ優勝記念……関係ないが、学校側が誇示したがる賞状やトロフィーは、どうしてこうも『部活動』のものばかりなのだろう? 1人でも大きな大会に出場すれば、大きな横断幕や垂れ幕がこれみよがしに校舎に掲げられるが、どんなに学業の成績が良くても、賞状もトロフィーももらえない。もちろん『上野千紘、国語の点数、100点!』なんて、そんな垂れ幕を掲げられても困るが。


 いつの間にか学校は、勉強ではなく、スポーツを、『部活動』を頑張るところになっているようだった。もっともその気持ちは、最近まで学生だった千紘にも、よぉく分かるのだが。


「……いします!」


 その時だった。応接室の向こう側から、切羽詰まった叫び声が聞こえてきて、千紘はソファの上で飛び上がった。


「お願いします! お願いしますったら!」

 恐る恐る扉から顔を覗かせると、30代か40代くらいの見知らぬ女性が、何やら廊下で揉めているところだった。職員室に無理やり入ろうとして、複数の先生から押し留められている。


「お願いします! 先生! 教祖様に、いえ、あの子に会わせてください!」

 一体何事だろうか? あれは、生徒の保護者?

 千紘が眉をひそめていると、

「失礼。お見苦しいところをお見せしました」

「わっ!?」

 どこからともなく、不意に現れた野坊が、視界を覆い隠すように千紘の前に立ちはだかった。彼女は危うく尻餅をつくところだった。


 野坊が部屋に入ってきて、急いで後ろ手で扉を閉めた。中庭に響き渡っていた保護者の悲鳴にも近い叫び声が遮断される。重々しい静寂の中、千紘はごくりと生唾を飲み込んで、監督の次の言葉を待った。


「練習中に部員の1人が()()をしましてね。あれはその親御さんなんですよ」

「怪我……ですか」

「親も心配性なんでしょうな。気持ちは分かりますが、ハハハ。吉常は校内の施設で療養中で、医師の判断でしばらく面会禁止で……あぁ、そんな顔をしないでください。大丈夫。()()()()()()()()()()()()

「はぁ……」

「それより、上野さん。我が校のエースを連れてきました。ほら、入ってきなさい」

「はい!」


 何処で待機していたのだろうか、扉の向こうから溌剌とした声が聞こえ、やがて1人の青年が応接室に入ってきた。すらっとした長身の好青年。それが千紘の第一印象だった。


「緑茂高校3年、真堂英輔です!」


 ユニフォーム姿の青年は、野球帽を取り、深々と頭を下げた。今時というのか、丸刈りではなく、モデルのような長髪で、軽くブラウンに染めている。


「ぜひ記事にしてあげてください」

 その隣で、野坊がニコニコと笑った。


 英輔がゆっくりと顔を上げ、澄み切った大きな瞳で千紘を見つめた。顔もまるでモデルのようで、女子生徒がいたら、きっと放っておかなかっただろう。

「よろしくお願いします!」

「よ……よろしく……」

 千紘はおずおずと、差し出された手を握り返した。身長は、180cmくらいはあるだろうか。細身に見えたが、近くで見るとやはり筋肉の盛り上がりが凄い。


「彼はね、この高校始まって以来の()()ですよ」


 監督が胸を張った。なるほど高校生ながら、全身から放たれるオーラというか、色気みたいなものに、千紘は既に気圧されそうだった。まさか『怪物』というのが、文字通り『怪物』という意味だったとは、その時千紘には知る由もなかったのだが。


 それが千紘と真堂英輔との、最初の出会いだった。


 放課後。雨は弱まるどころか、強くなる一方だった。その日のうちに下山する予定だったが、千紘はお言葉に甘え、空いている客室に泊めてもらうことになった。

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