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王子の初仕事③


 ゆらゆら、ヒリヒリ。


 ゆらゆら。


 ヒリヒリ。


 白い世界からゆっくりと目が覚める。瞼を開けようとしたのにまつ毛が絡んでいるかのようにうまく動かない。熱い塊が喉を塞いでいるかのような違和感とひり付く痛みにだんだん記憶が蘇ってきた。


「起きた?」


 聞こえたのはセシルの声。甘いような低いような、不思議な響き。


 ゆらゆらと揺れているのは彼女が寝台を揺らしているのだろうか。


「ぇ、い……ぅ」

「だめだよ。ヘレーネ。喉が焼けてて喋れないんだから」

「ぁー、えて」


 確かに言葉を発しようとした喉が激しく痛むし、唾液を飲み込もうとしても口の中はカラカラに乾いていてそれすら叶わない。せめて視界だけでもと目を擦り、必死でこじ開けた。部屋は明るく天蓋の薄い布越しに弱い光が差し込んでいる。


「あの狂犬はあんたのことになると途端に取り乱すね。もっと冷静に判断して行動できるように躾けなおす必要があるよ」


 セシルはベッドの端に腰かけてゴリゴリとなにかを磨り潰しながらこちらをちらりと見た。その琥珀の瞳には呆れだけでなく面白がっている色が浮かんでいる。ライカが聞いたら目を剥いて怒り狂いそうだがどうやら傍にはいないらしい。

 気管すら押しつぶすくらいに腫れているのか呼吸すら苦しくて喉元に手をやるとじっとりと汗ばんでいて熱かった。


「致死毒じゃなかったのは幸いだったね」

「あ、えぇが」

「うん?毒の種類?それとも盛った相手?なに言ってるか分からない。ちょっと待ってなよ。薬作ってあげてるから」


 ひょいっと肩を竦めてセシルは乳棒を置き、白い小さな容器の上に手のひらをかざして深く息を吸った。すると魔力が動いて彼女の柔らな髪の先をふわりと浮き上がらせ、緑の光の粒が周りをキラキラと輝かせた。それらは誘うようにセシルが指先を動かすと次から次へと器の中へと飛び込んでいく。風が吹き爽やかな香りとどこまでも広がる草原が見えた気がしてアシュラムは目を瞬いた。

 セシルが左目を細めて口元を緩めるとゆっくりと光が集束して消えていく。ふうっと息を吐いて「どうぞ」とそれをこちらへと差し出してくる。上半身を起こして受け取り覗き込むとドロリとした緑色の液体が入っていた。


「…………」

「なに?不満なの?見た目や味が悪くても効果は変わらないよ。嫌なら飲まなくてもいいけど、声の出ない王子が王位に就けるほど世の中甘くはないと思うけど」

「!?」


 まさかこのまま一生喋れなくなるとは思っていなかったアシュラムは青くなってセシルを見つめる。にっこりと微笑んであとはご自由にと言わんばかりにベッドから下りて片付けを始めたので少し迷ったが息を止めて口に含んだ。土臭くはあるが苦味は無いので素直に飲み下すと患部全体を覆うように薬はゆっくりと時間をかけて下りていく。体温に近い温度だったのに不思議と冷たく感じられ痛みが和らいだ。

 飲み込んだ味に既視感がありアシュラムを抱え上げてこれを飲ませてくれたのはセシルだったのかと感謝した。


「ドライノスのお節介が役に立って良かったね。これに懲りたら優秀な医者か薬剤師を近くに侍らせておくんだね。後はライカ以外に護衛を任せられる手練れを数人見つけるべきだ」

「ラァ、ィカは?」

「ちょっと。勝手に喋らないでくれる?無理してぶり返したらもう作ってやらないよ」


 魔法学校で薬学講師だったドライノスから色々と手解きを――望んでもいないのに――してもらったセシルは薬草と魔法を組み合わせて使うことで効き目が高い薬を作り出すことができるとは聞いていた。

 セシルの薬の世話になったことはこれまで無かったが、さっきまで喋れなかったことを考えると意味ある言葉を紡げたことに驚愕する。


「あんたの大事なライカはコウサ王子の命で拘束されてる」

「!?」


 なぜという叫び声をなんとか堪えて詳しい説明をするようにと目で訴えた。セシルはもう一度ベッドに腰を下ろすとアシュラムの頬を左右から軽く押さえて小首を傾げる。


「ライカがコウサ王子が呼んだ医者には絶対に診せない、触らせないとごねて暴れたもんだから取り押さえられた。相当な騒ぎだった上に怪我人も多数出たけど死者が出なかったことは幸運だったかもね」


 気を失う前のライカの様子を思い出すと分かる気もする。アシュラムを守るためなら持てる技術を使うことも躊躇わない彼を拘束するのは至難の業だったに違いない。


「だけど状況はまだ悪い。ショーケイナ側は今回の一件ライカが犯人だと疑ってる」

「そ、んな」


 ばかな。

 どうしてそうなるのか。


「毒が入ったカップを叩き落としたことで証拠隠滅を図り、医者に診せないと騒いで毒が回る時間を稼いだんじゃないかって。ショーケイナは自分たちが出したお茶が原因だと言われれば都合が悪い。こちらの非ではないと主張したいんだろうね」


 大概な言い分にアシュラムの怒りは目の前の人物に向けられた。ライカがそんなことをするわけがないと知っているだろうに。なぜ庇わないのかと。


 肩を竦めてセシルは蠱惑的に微笑むとそっと顔を近づけてきた。耳朶に温かな吐息がかかる。産毛がぞわりと総毛立ちアシュラムは一瞬思考が止まる。


「ライカがあんたをヘレーネと女性名で呼んだのも悪かった。あんたら二人ができてて痴話喧嘩から犯行に及んだんじゃないかって。ライカがあんたに舌打ちしたところを従者に見られたんだって?ほんとタイミング悪い」

「あ――」

「相手の狙いはあんたとライカを引き離すこと。そうすれば無防備な王子を簡単に消すことができるからね」


 だからライカ以外の信用できる護衛を傍に置くようにしろという忠告になったのか。

 分かってはいるのだ。ライカだけでは限界があると。


「ライカの弟はまだ修業が足りないみたいだし、任せられるようになるまではあと数年はかかるだろうからやっぱり他を当たるべきだよ。そもそもライカたちは裏で暗躍する技術を得意としてるんだから土台無理な話なんじゃないの?」


 使い方を間違っていると指摘されてアシュラムは苦笑いした。向き不向きで考えれば騎士の中から素性のしっかりとした者を選んだ方がいいことも分かっている。それでもライカを護衛として傍に置くのは自分の我がままであることも自覚していたから。


「ちゃんと人を適材適所で使うことを覚えないと――ってあたしがあんたに説教垂れる義理もないか。ほら、これ」

「?」


 アシュラムの手に乗せられたのは暖炉の上に置いてあった丸い香炉だった。微かに香りがしているが中に香はないのか煙は出ていない。


「リラックス効果がある香の一種だけど長時間しかも強く香らせたら逆効果になるんだ。イライラしやすくなったり、気分が落ち込みやすかったり精神的に不安定になりやすい」


 自覚はあるかと聞かれてアシュラムは青くなる。フェアビアンカ王妃の言葉を何度も思い返したり、王子としてちゃんと振舞えているのかと不安になったり。

 それはいつものことだったけれど、いつもよりひどく塞ぎ込んでいなかっただろうか。

 ライカがいつも以上に神経を尖らせて舌打ちをしてしまったのもこれが原因だったのかもしれない。


「まるで今すぐに死んでしまいそうなほど派手な演出効果がある毒を選んでライカの失態を上手く誘導して思惑通りにいった相手が次はどうするか」


 見ものだね。


「あとはマルラン老がショーケイナの王子を説得できるといいけど。もしできなかったらライカを連れてディアモンドには帰れない」

「かえ、れ、ない」

「そう。一緒に帰れない。さよならだね」

「そんなの」


 できるわけがない。

 ライカとここでさよならだなんて。


「ヘレーネ。あんたはもうちょっと人を信用した方がいい。マルラン老はリディのおじい様の推薦なんでしょ?優秀なのは間違いないんだからここは信じて待てばいい」


 それから。


「あんたはあたしのことを頭数に入れてるみたいだけど、あたしはヘレーネを守る気はさらさらない。いつディアモンドを去るか分からないんだから。もちろんいる間に必要なら手ぐらいは貸すけど」


 あてにはするな――その言葉はアシュラムの頭の芯を真っ白にした。そしてライカを焦らせ逸らせる喪失感はきっとこれなのだと理解した。咄嗟に指がセシルの袖を掴んでしまう。


「セシル」

「しーっ。まだ喋れるだけの回復はしてない」


 唇にセシルの指が当てられ瞳を覗き込まれる。黄色と金色が混ざった独特の色合いは光の乏しい部屋の中では金茶色に見え、間近で目が合うと瞳孔がくっきりと見えその中へと吸い込まれるような気がするのだ。

 アシュラムはぎゅっと目を閉じてセシルの瞳から逃げる。人々を虜にする魔の瞳。時には誘うように、時に冷たく、またある時は愁いをたたえて惹きつけるのだといわれていた。

 くすりと笑ったあとで「よくなるには眠ることだよ。おやすみヘレーネ」とセシルに耳元で囁かれる。目を開けるのが怖くて固まっているとゆっくりとベッドに寝かしつけられた。心は動揺しているのに体は休息を求めているからか、布団を首元までかけてもらっている間にうつらうつらと夢うつつの世界に引きずり込まれていく。


 考えなくてはならないことがたくさんあるのに、今すぐにでも動いてライカを救いたいと思うのにままならなくて。結局覚悟だけではなにもできないのだと胸が苦しくなるけれど思考は千々に千切れて霧散した。





 次に目が覚めたのは夜中だった。ベッドサイドに置かれた魔法の明かりが柔らかく辺りを照らしていて一瞬ディアモンドの王城にある自室なのかと勘違いしてしまったが、傍に小さな体をさらに小さくして座っているマルランの姿を見てさすがに心配させすぎたと反省する。


「マルラン」

「殿下!」


 呼びかけるとマルランは飛び上がって床に膝をつき、両腕を伸ばして布団をぎゅっと掴んだ。瞳を潤ませなにか言おうとして口を開いたが結局なにも言えずにすぐに閉じて何度も頷いた。


「心配を、かけた」

「本当に。このマルラン生きた心地がしませんでした。殿下のためならこの命惜しくはありませんが、このような思いはできればもうしたくはありません」

「すまない」


 王子としての教育と補佐をするためにつけられたマルランとの付き合いはまだひと月を少し過ぎたくらいしかないのに、こうして涙を浮かべ命すら惜しくはないと本気で心配してくれている。


 ライカと二人になりたいと時に邪険に扱い、体よく遠ざけていたアシュラムに不満は山ほどあるはずなのに。


「マルラン、ほんとに」

「いいのです。殿下がこうして生きていてくれることがフィライト国にとっての希望となるのですから」


 そうではない。


 首を振ってそうではないのだと謝罪の本意を伝えようとしたのにマルランは分かっておりますよと言わんばかりに微笑んで止めさせる。


「王子たるもの簡単に謝罪などしてはなりません。殿下の控えめでお優しい性質は美徳ではありますが、悪心を持つ者にとっては付け入る隙となりますので。さあ、セシル殿が準備してくれているお薬をどうぞお飲みください」


 いそいそと立ち上がり器を手に戻ってくるのでおとなしく受け取り、そのままぐいっと飲み干した。


「彼女の薬は本当に良く効きますでしょう?」


 確かにあんなに焼け付くように痛んでいた喉も息苦しさも初期の風邪の症状くらいに治まっているのは本当にすごいと思う。

 思うがやけに実感がこもっていないだろうか。


「マルランもセシルの薬に助けられたことが?」


 まさかと思い尋ねてみると頬をじわじわと赤く染めて小さく頷かれた。他に誰もいないのに周りをきょろきょろと伺ってからマルランは身を乗り出してアシュラムの耳に手を添える。


「実は私は長年痔を患っておりまして」

「え」

「見かねたセシル殿が薬を作ってくださました」

「それは、よかったね」


 セシルとマルランが顔を合わせたのはつい数日前なのではなかったか。


 ローム王は準備期間として五日しか与えず、王族としての勉学や重臣たちへの挨拶、各部署への見学などを一時棚上げして、誰を供に連れて行くのか、工程はどうするのか、どれほどの護衛が必要か、とアシュラムだけでなく様々な役職の者たちが寝食を惜しんで動いていたはず。

 その僅かな間にセシルはマルランの病を見抜き薬を煎じて快癒させたのか。


「はい。このような快適な日常を送れるのはどれくらいぶりなのか私にはもう思い出せないほどですから」

「なるほど、それで」


 セシルが自由気ままに行動することにそれほどやかましく言わないのか。


 もちろんフォルビア侯爵からもセシルの行動をできるだけ妨げないように好きにさせてやって欲しいと頼まれているのだろうけれど。

 王子より偉そうな態度を諫めないのは少々問題ある気がするのだが、アシュラム自身セシルを御せないと思っているので目を瞑るべきなのだろう。


「戻ったらライカ以外にも近くに護衛を置こうと思っている。誰かいい者をマルランが探してはくれないか」

「おや。わたしの方から進言せねばと思っておりましたのにいかがなさいましたか」


 かたくなにライカの他に傍に寄せようとしなかったのだから当然なのだが、マルランは目を丸くして「本当によろしいのですか?」とまで念を押してくる。


「セシルがもう少し人を信用した方がいいと。それから人の使い方も」

「左様でございますか」


 マルランは嬉しそうに微笑んで温かな眼差しをアシュラムに注ぐ。


「かの”レイン”と聞いておりましたので大変危惧しておりましたが、セシル殿はまことに得難い人物のようですな」

「ほんとうにね」

「夜明けまではまだ数刻あります。もう少しお休みくださいませ」


 促されて横になると天蓋のカーテンをマルランが引いてくれる。魔法の明かりが遮られて真っ暗になった。目が慣れてぼんやりと輪郭が見えるようになる前にアシュラムはまた深い眠りへと落ちて行く。ほんの少しだけ軽くなった心に自然と口元が緩ませているの気づかぬままに。



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