王子の初仕事④
部屋の中はシンと冷え切っていたが爽やかな朝だった。鳥はさえずり澄んだ青空が窓の外に広がっている。バルコニーへと続く戸を開けて外へと出ようとするのを止めたのはセシルだった。
「病み上がりでどこに行こうってのさ」
「ずっと寝てばかりでは退屈で」
「退屈を感じられるようになったのはさっき起きてからの癖に」
「回復している証拠では?」
「まあ三日で起きられるようになって良かったのかもね。あちらさんもやきもきしてたから午前中にでも見舞いに来るんじゃない。そんなところにいないでこっちに来て薬飲んで」
雑に手招きされて窓辺から離れ寝台へと戻る。腰かけたアシュラムの前に突き出されたのは薬の入った陶器ではなく白いスープの中にパンが浸されたお皿だった。
「食欲ないかもしれないけど無理して食べないと元気でないから」
「ふふ。セシルはすっかり医者みたいだ」
「医者じゃなくてもそれくらい王城前広場で駆け回って遊んでる子供だって知ってることだよ」
片方の足に重心を置いて体を軽く傾けたセシルは不機嫌そうな顔でこちらを見下ろしている。さっさと食べろと目で促されてスプーンを手に掬って口に運ぶと野菜の出汁とミルクの他にチキンの味がスープに染み出してじんわりと優しい味がした。パンもスープを吸ってもちもちしていて腹持ちもよさそうだ。
「美味しい」
「そりゃどうも」
「え?」
「なに?」
眉を寄せて聞き返してきたセシルと手の中の皿を見比べる。
「セシルが作ってくれたの?」
「あんたね。毒を盛られた自覚ある?」
「あるよ。そうか。びっくりした。ありがとう」
「どういたしまして」
確かに何者かに毒を盛られて死にかけたのだから信用できない者に調理を任せるのは危険すぎる。だがまさかセシル自ら作ってくれたとは。
「セシルは器用だね。羨ましい」
「旅人は自分の口は自分で養うものだよ。なにも特別な技術じゃない」
首を竦めセシルは扉へ向かい居間にいる従者に体を清める準備をして運んでくれと頼んでいる。言われてみれば随分と汗をかいたようだしべたべたして気持ち悪い。髪ももつれているしとつまんでいるとセシルが大きく息を吐きながら寝台に乗り上げて後ろに回った。
「さすがにその長い髪を寝室では洗ってやれない」
「そんなつもりじゃ」
「あんたは黙って食事して」
「はい」
反論したところでセシルには敵わない。三日ぶりらしい食事をせっせと手を動かして食べた。半分ほど食べたあたりで苦しくなったので手を止めると、絡んだ髪を解いていたセシルが移動してサイドテーブルに乗せていた薬を渡してくれる。
「失礼いたします」
ノックの後で従者が二人入ってきた。片方は湯の入った大き目の桶を。もう片方はタオル数枚と小さな桶を持って。
「お手伝いは」
「いらないよ」
「それでは」
答えたのはセシルで全てを置いて従者が下がるとぴょんと寝台から下りてタオルを二枚湯に漬けて手早く絞っていく。薬を飲みながら眺めていると「さっさと済ませて服を脱ぎなよ」と急かされた。
「セシルは色んな男の体を見慣れているかもしれないけれど私は」
「つべこべ言わずに脱ぎなってば。それとも脱がしてもらいたい?なんなら隅々まで拭きあげてあげてもいいけど?」
「いいです。自分でやります」
「よろしい」
絞った一枚をアシュラムに放り投げ、もう一枚を手にもう一度背後に回ってくる。広げたタオルで頭全体を包んで指先と手のひらを使ってマッサージしてゆくのでその心地よさにうっとりと目を閉じていると耳元で「やはりお手伝いがいりますか?王子」と甘く囁かれて我に返り慌ててシャツを脱いで体を拭くことに専念した。
途中でタオルを二度洗い、髪を梳いてもらった所でセシルが一旦退出し、急いで残りの部分を清めて着替えるとすっかり気分が良くなって生きているのだと実感できた。
そうすると部屋の中の空気と匂いが気になってきてバルコニーの戸を開けてみると乾いた風が部屋に入ってきて心地がいい。
「三日」
ライカは三日も拘束されている。きっと心配しているだろう。それはこちらも同じでどんな扱いを受けているのか、怪我はしていないかとか、一緒に帰れるのだろうかとか考えてしまう。
マルランを信用してないわけではない。権力者の扱いや交渉の仕方は彼の方がずっと巧みで経験も豊富なのだから。
ただアシュラムにもできることがあるのではないかと思ってしまう。
「王子。お客様だよ」
ノックもそこそこに扉が開かれセシルが連れてきたのはコウサ王子だった。まだ片付けられていない大小の桶と着替えを見て王子は少したじろいだようだがすぐに笑顔を作って「起き上がれるようになったようでなによりだ」と回復を喜んでくれる。
「ご心配とご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「滞在中にアシュラム殿になにかあったらうちもタダではすまん。大事な王位継承者を守り切れなかった責任はどうやっても取れるものではない」
コウサ王子も王位継承権を持っているが順位はそう高くはない。兄が六人いる上に第一王位継承権を持つ長兄の嫡子がコウサ王子より歳が上なのだ。それでも戦で何事かあれば遠いと思っていた継承権が手に入ることもなくはないのだが。
「立ち話もなんですからどうぞ」
入り口近くに向かい合って置かれた一人がけ用の椅子を勧めるとコウサ王子はすとんと腰を下ろした。王子が扉の前から動いたことでいつ動こうかと構えていた従者がさっと寝室へ入ってきて音もなく桶と着替えを抱えて去っていく。窓を閉めていたセシルだけが残り興味なさそうにそっぽを向いて閉じた扉の前に立つ。
アシュラムが座ったのを見てコウサ王子が「不用心すぎやしないか」と不躾に切り込んできた。
「なぜもっと傍に人を置かん」
「ご存じかと思いますが私は庶民として育っておりますので身の回りの世話を誰かに焼かれるのが苦手なのです。でも、それ以上に誰を信じてよいか分からない不安の方が大きい。私の存在が邪魔だと思う者がいるのは今回の件から察していただけると思いますが」
「それは、いや、だからこそ必要なのではないか」
納得しかけたがコウサ王子は顔を引き締めて自分は間違っていないと身を乗り出してくる。彫りの深い顔立ちは近くで見ると迫力があり、整った顔立ちからかよくできた彫像のようにも見えた。
「そうですね。私も痛感いたしましたので少し改めなければと思っています」
「それならば、よいが」
「そこで早速なのですが」
「なんだ?」
しおらしく反省していると見せてからにこりと笑顔を作りアシュラムの方も上半身を前に傾ける。互いの体温が感じられるくらいに近い。
「ライカは私が心から信じられる数少ない人間なのです。なのでどうか私のもとへ帰していただきたい」
「しかし彼は王子である私を脅し、暴れて怪我人を多く出した。そして医者が診るのを妨げて自分が護るべきアシュラム殿の命をも脅かしたのだぞ」
当然渋い顔をしてコウサ王子が拘束の理由を挙げていく。アシュラムもすんなりと聞き入れてもらえるとは思っていない。
「だからこそです」
「なに?」
怪訝そうな顔を真っすぐに見うめたままアシュラムはゆっくりと頷く。
「私のために他国の王子にたてつくことも厭わない者などライカの他にはおりません。そちらの方に怪我を負わせたことはこの私がお詫びいたします。必要ならば治療に必要なものはこちらが用意いたします」
だから。
どうか。
「ライカを私のもとに」
「だが彼には一連の容疑がかかっている。他に怪しい人物も見つからない状況で無罪放免とはいかぬ」
「他でもないこの私が彼は無罪であると主張してもそちらは納得してくれないと」
なるほど。そう言い張るのならばこちらも考えねばならないだろう。
アシュラムは眉を下げ首を捻ってコウサ王子を見つめた。
「ではどうやってライカが私に毒を盛ったのか、その方法を教えていただけませんか?」
「方法などいくらでもあるだろう。彼は常にアシュラム殿の近くにいた。盛ろうと思えばいつだって盛れる」
王子は凛々しい眉を軽く寄せてゆったりとした動作で椅子に深く座りなおした。肘掛けに右腕を乗せて堂々とした態度だ。
「私が異変を感じたのはコウサ王子から勧められたお茶を口に含んだ時。であるならば毒はお茶あるいは茶器、茶葉、湯等に入っていたと考えられますよね」
「……妥当ではあるが、遅延性の毒であればそれ以前に盛られた可能性もあろう」
「セシル、私に使われた毒はどんなものだった?」
話を振られてセシルはこちらへと顔を向け「ヤング火山で取れる毒草で即効性の毒だ。麓で放牧されていた山羊や羊が迷い込んで食べて喉が焼けて餌を食べられずに衰弱死したり声が出なくなったことがきっかけで百四十年前くらいに発見されたらしい」とスラスラと説明した。
「となると割と簡単に手に入る毒ではあるのかな」
「素手で触ると火傷みたいに爛れるから普通なら近づかない。それに割と火口付近に生えてるらしいから採取するのはその利用価値を知っている人間くらいだろうね」
セシルが薄く笑ってアシュラムとコウサ王子をじっとりと眺める。普通に生きていれば必要のないものを危険を冒して入手してまで求めるのは一体なんなのかと嘲笑されて、それを使用された側だというのになんだかやり切れない思いがした。
「えらく詳しいな」
王子に振り返りざまに疑いの眼差しを向けられたセシルはそれを正面から受け止めにこりと微笑んだ。
「私の恩師は植物学者として名高いミシェル=ドライノスなので」
「なんと、かの高名なあの」
「弟子は取らないと言ってはばからない彼女が唯一認めたのがセシルなのです」
「おお」
魔法学園を卒業してからずっと全国各地を旅して植物という植物を調べ多くの知識を持つドライノスはその研究による論文を多く世に出し、珍しい植物の本を数多く出版もしている。それは海を越え大陸を渡って各国へ運ばれ稀代の学者であると名を馳せているのだ。
人付き合いをしたがらないので植物学会にはめったに顔を出さないし、講演の依頼も断っているのでどんな人物かまでは他国に広がっていないのは良いのか悪いのか。
「まさかアシュラム殿を治したのもあなたか?」
セシルへの興味からか思わず腰を浮かせたコウサ王子の様子に内心焦りながら務めて平静な顔で「今は誰が治したか、よりも誰が毒をどのような方法で盛ったのかの方が大事では」と呼びかける。
「すまない。だが、セシルと言ったか。ぜひ後でじっくりと話をしようじゃないか」
渇望すら滲ませた王子の視線を冷たい笑みで受け流し無言のままセシルが部屋の奥――ライカが寝泊まりするはずだった続き部屋の扉の方を見たのでアシュラムの胸がぎゅっと痛む。
「つまり即効性であったということはコウサ殿からのお茶にその毒は混入していたということになります」
そして。
「記憶が正しければあの場にはフィライト国の従者はおらず、ショーケイナの侍女が二人とコウサ殿、私、ライカの五人しかいなかった。毒入りの茶を用意したのはそちら側であるにもかかわらず」
「…………」
「状況証拠だけでライカを拘束し、犯人であると決めつけ私に会わせようともしないのは逆にそちらの罪を隠そうとしているようにしか思えません。さらに私とライカが深い仲であるなどと不名誉なことまで噂されてはさすがに私もいい気持ちはしませんし」
冷たくなった指先を擦り合わせて目を伏せ小さく頭を振る。ずっと寝込んでいたはずのアシュラムがこの屋敷内で面白おかしく語られている噂話を知っているとは思わなかったのか、コウサ王子はほんの少し体を強張らせて短く息を吸った。
「いくら私が王子として未熟であってもそのような侮辱を受けて黙っていることはできません。右も左も分からない身ではありますが真実のありかを求める方法もそれに応じていただけない場合に取る方法の一つや二つくらいは知っております」
育ちだけではなく儚げに見える容姿も侮られる一因となっているのは自覚している。コウサ王子のように凛々しい外見をしていればアシュラムとライカが道ならぬ仲だと邪推されたりしなかったかもしれないのに。
それでもアシュラムは胸を張らなければならない。
強くは見えなくても冷たい人物として映るように。
「なにもおっしゃらないということは肯定ととりますが?どう考えても落ち度はそちらにあるというのに謝罪すらないとは。それともしぶとく生き延びた私を獲物に見立てて次はどの方法で仕留めようかと熟考していらっしゃるのでしょうか?」
ちゃんと振舞えているだろうか。
せめて凛として見えていればいい。
「コウサ殿は狩りがとてもお上手ですから」
「っ!」
「次はこそは息の根を止めることができるかもしれませんよ」
「私が、アシュラム殿を暗殺しようと企んだと」
そう言いたいのかと眼光鋭く圧をかけられてもアシュラムは笑顔で小さく頷いた。途端に顔を赤く染めてコウサ王子が勢いよく立ち上がる。
「バカにするな!そんなことをして私にどんな得があるというのか!?」
握りしめられた拳が震えているのを眺めながらアシュラムは静かに「いいえ」と答えた。震えは収まるどころかどんどん激しくなり腕まで小刻みに揺れている。
「あなたが笑顔で歓迎してくれたこと、朝の散歩に誘ってくれたこと、心配して見舞ってくれたこと、その全てに下心など無かったと私は分かっています。ですがコウサ殿。さきほど私は言ったはずです。現在私が信を置いている者は少ないと。その数少ないライカを奪うというのなら」
磨きに磨いた美しい微笑みはアシュラムの持つ唯一の武器。剣も弓もろくに扱えない無力な自分にできること。
「そのお覚悟はおありなのでしょう?」
渾身の笑みで立ち向かう。これが己の戦い方だと毅然と顔を上げて。




