王子の初仕事⑤
「…………っ!」
目の下をピクピクさせていた王子が随分と時間をかけて瞼を下ろし、同じくらいゆっくりと目を開けた時にはすでに激しい憤りは消えていた。細く深く息を吸い込んで数秒止まり何事もなかったかのように腰を下ろす。
「侍女を厳しく問い詰めたが彼女らには身の覚えがないと。あの二人の働きぶりも為人もよく知っているがそんな大それたことを考えるような者たちではない。そこは私が保証しよう」
「お優しい」
「悪いか。アシュラム殿と違い私は傍にいる者をよく見てちゃんと評価をしている」
「私はまだ勉強中の身なのでこれからの成長に期待していただけると助かります」
アシュラムがふふふと笑うとコウサ王子は額に右手を当てて息を吐いて何事か呟いた。聞こえなかったが悪態だろうか。なんにせよ耳に届かなかった言葉など気にしても仕方がない。
「では侍女のお二人が毒を仕込んでいないという前提で話をしましょう。茶葉や湯、ポットには毒は入っていなかったのは先にコウサ殿が飲んでいて無事であることから明白です。ならば毒はおそらくカップに塗られていたと考えるのが妥当でしょう」
これくらいの推理なら誰でも簡単にできる。コウサ王子も「だろうな」と素直に頷いた。
「確認ですが二つのうちのどちらをコウサ殿が使うか決まっていたということはありますか?」
「ないな。あれはみな同じデザインだ。違いはない」
「指定もしていない?」
「当然だ」
「ならば侍女が関与していないというならば私かコウサ殿のどちらが毒を飲んで構わないと相手は思っていた可能性があります」
「……もし私が飲んでいたならば」
「ショーケイナは身内で命を狙い合う必要がないほど強い絆で結ばれているでしょうから、余所者である我々を疑ったでしょう」
証拠がなくても罪は作り出せるし、犯行に至った理由も都合がいいようにねじ曲げることができる。ライカの時のように。
「致死毒ではないですが声は失われるようなので適切な処置がなされない場合はコウサ殿にもその危険はあった。運が良くて良かったですね」
「声が、だと!?軽く言ってくれる」
顔をしかめて左手で喉を抑えたコウサ王子は呆れつつもアシュラムの声が奪われなくて良かったなと悪運を褒めてくれた。
「コウサ殿も調べてくださっているのでしょう?なにか有力な証拠や情報があるのでは」
「……その辺りのことは」
報告待ちだと意味ありげに笑って続けた王子の言葉が終るか終わらないかのところでノックの音が響いた。誰何する前に向こう側から「マルランでございます」と名乗ったのでセシルに視線を送り入室の許可を与えると胸に手を当てて一礼をしたマルランと深く頭を下げたまま一人の従者が入ってきた。
「おはようございます、殿下。今日は顔色もよさそうで安心いたしました。コウサ王子におかれましてはご機嫌麗しく」
「私の機嫌など伺う必要もなかろう。揃ったか?」
「はい」
まずはアシュラムに笑顔を向けて挨拶をした後で定番の文言を口にしたマルランへまるで自分が主であるかのような態度で問うコウサ王子の態度に内心首を捻る。分からない間は静観した方がいいだろうと成り行きを見守ることにした。
「まずはこちらを」
そう言って懐から布に包まれた丸いものを取り出しそっと布を取り除く。出てきたのは脚付きの香炉で居間の暖炉の上にあったものだった。
「見覚えはございますか?」
「いや。初めて見るな」
「左様でございますか。一応この部屋を準備をしてくださったこちらの屋敷の者にも確認いたしましたが誰も見たことがないと証言しております」
「……匂いには覚えがあるような気がするが」
香炉を手に取り顔を近づけた王子はさてどこで嗅いだのかと思案顔をする。黙っているつもりだったが記憶を思い出してもらうために発言することにした。
「私が毒を盛られて倒れた時もその香炉は暖炉の上にあったはず。恐らくその時に」
「おお。確かに。部屋に入った時になにやら不思議な香りがすると思ったな。そういえば」
「荷物を運びこみライカ殿が部屋の中の確認をした後で殿下と共に部屋に入った際にはすでに香炉は強く香っておりました。少量ならばリラックス効果があるものですが強く香らせ続けると情緒が不安定になるとか」
あの時
「ライカ殿が激しく抵抗した際に取り押さえる側であったそちらの方たちも冷静さを欠いておられたように感じられました。必要以上に場が混乱し被害が多くなってしまったのはこの香のせいであったのではないかと思われます」
「なるほど」
手の中の香炉を眺めまわしていた王子が興味を失ったように横を向いてマルランに差し出す。マルランは丁寧に受け取り、静かな微笑みで頷く。
「お互いに災難でございました」
「災難」
「はい」
「よかろう」
渋々コウサ王子が首肯したのを見てマルランは後ろで小さくなっている従者を促した。おずおずと進み出てきた従者の顔を認めてアシュラムはおやっと目を丸くする。
「この者はサミーと申します。さあご挨拶を」
「お目にかかれて光栄でございます。さ、サミーともうします」
膝をつき深く、深く礼を取る従者はまだ幼さの残るあの少年だった。あの時のように怯えて震えている。気の毒なほどに。
「ここへ連れてきたということは重要な証言をするためなのだろう?さっさと述べよ」
「は、はい。その香炉はわたしが、暖炉の上に、お、置きました」
「ならば全てはお前が計画し、実行したと」
「ちっ!ちがいます!そんな、こと」
哀れな少年従者は悲鳴のような声で否定し首を振る。
「ですが、それが悪いことなのではないかと、薄々気づきながら言われるがままに従ってしまったのは……事実です」
申し訳ありませんでしたと繰り返しながら額を床に着けて泣きじゃくる従者にアシュラムはかける言葉を持たない。彼の名前もさっき知ったくらいなのだから随分と薄情なものだ。
「お前はその香の効果を知っていたのか?」
「いいえっ!なにも」
「ならばなぜ悪いことかもしれぬと気づいたのだ」
「そ、それは」
言い淀んだ後で黙ってしまった少年の横に屈みマルランが優しく肩に手を置いて名を呼ぶ。大丈夫だと励ましてようやく口を開いた。
「先輩たちに残りの香はお前が持っていて香りが弱くなったら補充するようにって言われて。それを誰にもバレないようにしろって、見つかったら大変なことになるって」
少年従者はそんなやばそうな香を持ち歩くことが怖くて寝室のトランクに隠したのだと白状した。だからあの時あれほど怖がっていたのかと合点がいってアシュラムは深くため息を吐く。
「しかもあんなことがあって、怖くてたまらないのに、ぼ、僕に、ライカ様の部屋へ行って、ど、毒の入った容器を、荷物の中に隠してこいと」
しゃくりあげながらも拳を握りしめて必死に声を振り絞って同じ従者の罪を告白していく。今すぐにでもその従者を捕らえ締め上げたいと思う気持ちを抑え込むのはアシュラムにとって苦しく狂いだしそうなほどだった。
「だが部屋からはなにも出なかった。その容器とやらはどこへやったのだ。大事な証拠だぞ。勝手に処分したとなればお前の罪はさらに増す」
「できなかったのです。ライカ様は不器用で仕事の遅い僕をさりげなく助けてくれることもありましたし、お前の仕事は丁寧だとほめてくださったこともありました。そんなライカ様を陥れる恐ろしい企みになどに僕は手を染めたくはなかったのです」
涙にぬれた真っ赤な顔を上げて少年は強く握りしめていた手を差し出した。手のひらを上に向けて開こうとした瞬間ひどく顔を歪めてうめき声を漏らす。よくよく見れば指先の皮がめくれ上がり赤黒くなっていた。
「お前、その手」
「お、お許しください」
あまりの痛みに冷や汗をかきながら少年サミーはなんとか手を開ききった。その手のひらは焼け爛れ、血が滲み肉の部分が剥き出しになっていた。
「殿下は喉を焼かれたのです。苦しみや痛みはこれ以上のものだったでしょう。殿下のお声やお命が失われずに済んで本当によかった……加担することになってしまった僕が言っていいことではないのでしょうが」
捧げられるようにしてアシュラムの前へと伸ばされた手の中に小瓶が収まっている。少量だが液体が入っているのを見て思わず腕を上げたのを「危険でございます。素手で触れられませんように」とマルランに止められた。サミーも慌ててアシュラムから遠ざけるように下ろし自分の浅慮を謝罪して縮こまる。
証拠となりえる物が示されたのに満足したのかコウサ王子が再び冷静な裁判官のように口を開く。
「で、その者たちの名は」
サミーはさっと顔を青くしてぶるりと体を震わせたあとで少年は二人の名を挙げた。マルランがそれを聞いて振り返り、セシルがその意を酌んで部屋を出ようと扉を開けると騒がしい気配と足音が居間の方へなだれこんできた。覗き込んでなにが起きているか確認したセシルはすぐにニヤニヤしてこちらを向く。
「かわいそうに。逃げ損ねたみたいだよ」
「そもそも警備は強化していた。そう簡単に逃げられはせん」
ふんっと鼻で笑う王子が立ち上がり居間の方へと歩いて行く。アシュラムも腰を上げ続こうとするとどうしてもサミーの前を通ることになる。マルランはすでに立ち、一歩引いて視線を下げていた。
これは任せるということか。
だとしたらどう行動するのが正しいのか。一瞬迷ってアシュラムは決めた。
「お前の罪はお前が一番知っているだろう」
「……はい」
「だがお前が証言と告発をしてくれたお陰でライカの無罪が証明され、犯人を捕らえることもできたようだから私としては感謝こそすれ責める道理もない」
「……殿下?」
ぽかんと見上げてくる少年の造形がはっきりと輪郭をもってアシュラムの中に刻まれていく。その他大勢の中のぼやけた従者の姿ではなく意思を持つ個の人物として。
「サミー」
名を呼ぶと彼の瞳の中にぽっと光が瞬いた。喜びを表すように強く明るく。
「ライカを守ってくれたこと礼をいう」
肩に触れて「これからもよろしく頼む」と乞うとサミーは上ずった声で「そんな!僕は」と首を左右に振り逃げ腰になった。
「あとはマルランに任せるから文句も要望も全部マルランに言え。私は間抜けな従者たちの顔を拝みに行ってくる」
「かしこまりました」
「手の治療も怠るな」
「かしこまりました」
どこか嬉しそうなマルランの返答にどうやら正解に近い行動ができたらしいと安堵する。憂い少なく居間へと向かうとそこには騎士たちに取り押さえられた二人の従者の姿。一人はライカが舌打ちをした時にいた従者でもう一人は今朝桶を抱えて入ってきた片方の男だった。
サミーがマルランに連れられてアシュラムの部屋へと入っていったことから犯行がバレたに違いないと慌てて逃げ出そうとしたところを不審に思った騎士に捕まったらしい。
お粗末なことだ。
「これでライカの疑いは晴れました。すぐに返していただけますね?」
「最初から返さないとは言っておらんだろうに」
苦笑いしながら近くにいた自国の騎士に直ちに開放するようにと命じてくれた。敬礼をして騎士が足早に出て行ったので拘束が解かれればライカは飛んで戻ってくるだろう。
「アシュラム殿は見た目は美しいが存外底意地が悪い」
「そうでなければこれから先を生き残れませんでしょうから」
「意外と胆も据わっているし、できれば敵に回したくはない」
「私たちは友好国同士でしょう。ですが」
ふとロッテローザ王女の顔を思い出した。ローム王の面影が色濃く残る優し気で温かな面立ちを。
「ロッテローザ王女のことを大事にできぬとおっしゃるのなら容赦はいたしません」
「ろくに会話もしたこともないのにか」
「ええ。彼女は我々フィライト国民にとって敬愛する大切な王女でしたし、それはこれからも変わらない」
「あいわかった」
「それから血なまぐさいお話はできれば王女の前ではしないでいただけますか」
「くくっ。善処しよう」
「……なんですか」
「いや。ちゃんと兄の顔をしているなと思ってな」
「して、ますか?」
どんな顔をしているのかと右手で頬を押さえてみるが分かるはずもない。コウサ王子がしきりに笑うのでだんだんどうでもよくなってきた。小さく息をもらして無事に終わらせることができてよかったと笑みを浮かべかけたアシュラムを再び激しく動揺させる報せが飛び込んできたのだった。




