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魔女とガラスの靴

 結局、有耶無耶のうちに久木野くん宅まで連れてこられてしまった……。



     ★



 『久木野』という表札のついたイングランド風一軒家の前で、私はここまでの経緯を振り返って途方に暮れていた。

 なんでこうなってしまったんだろう。


 あれよあれよと言う間に、私は『昼食は友人の家で食べてくるから』と家に連絡を入れさせられ、久木野くんちの最寄駅までの切符を渡されて、返そうとしたけど『俺は定期ですから』と断られ、切符代を無駄にする訳にもいかず電車に乗り、とうとうお宅訪問するはめに……。


 いや、電車の中では意外と話が盛り上がったけどね!

 久木野くんと私の本の好みは本当によく似通っていて、本の話をするのがこれほど楽しかったのは初めてかもしれない。愛読書で意気投合して、知らなかった作家のおススメを聞いて。同じものを読んでいても受けた印象や感想が違う、その事がすごく新鮮で面白かった。ああ、そういう見方もあるんだなって。


 私も楽しかったんだけど、久木野くんが道中ずっと本当に嬉しそうにしているものだから、途中で『やっぱりやめた』とも言い辛く……。


 分からない。今日は図書当番の日、ただそれだけだったはずなのに。

 何がどうしてこうなった?




 「どうぞ、先輩」


 久木野くんが小洒落た玄関扉を開けてくれた。

 もうこうなったら、さっさとお呼ばれしてさっさと帰ろう。どうせ二度と来ることもないだろうし、"初訪問で食事まで御馳走になる図々しい先輩"というていでいくしかない。

 私は腹をくくった。


 「こんにちは、お邪魔します」


 気持ち大きめに声を張り上げて挨拶をする。


 「おかえり、けい。そしていらっしゃい、こんにちは」


 歓迎の言葉と共に現れたのは、エプロンをつけた綺麗なお姉さんだった。イタリアン系の美味しそうな匂いが漂ってくる。多分奥の方がキッチンダイニングなんだろう。

 久木野くんがお姉さんを私に紹介してくれる。


 「母です」


 うわ、お姉さんにしか見えなかった! そして美人! イケメンの母は美魔女だった!


 度肝を抜かれた私の両手を、久木野くんのお母さんはガシリと握って大きく上下に振った。


 「きゃあ可愛い、お客さんってあなた? よろしくね! ええと、京の彼女さん?」


 ……見掛けだけじゃなく中身も若いお母さんだった。


 「違いま……」

 「違うよ、母さん」


 誤解を否定しようとしたら久木野くんに遮られた。ここは彼に任せよう。よく考えたら今日一日、久木野くんに丸め込まれてばかりいる気がする。きっと口の上手さでは、私は久木野くんに敵わない。


 「同じ図書委員の先輩で、嘉村かむら那由他なゆたさん。まだ彼女じゃないけど、告白して返事を待っているところなんだ。今日は強引に連れてきちゃった」


 しょ、正直過ぎるよ、久木野くん!

 もう、少しは誤魔化してよ!


 「頼み込んで土壇場で図書当番を替わってもらった甲斐がありました」

 先に靴を脱いだ久木野くんが、私に向かって悪戯っぽく舌を出す。


 わざとか!

 道理でイケメンが当番なのに女の子が押し寄せて来ない訳だ!

 上りかまちで目を白黒させた私を、久木野くんのお母さんがダイニングに向かって軽く促した。


 「まあ、那由他ちゃんっていうの? それは、京が運命を感じて当然かも」


 あれ?

 一発で名前覚えられたの初めてだ。大抵初対面の人には聞き返されるんだけどな。



 扉の向こうは予想通りダイニングだった。部屋の中は、シンプルでセンスの良い家具で統一されている。強いて言うなら英国風。広々としたテーブルには、二人分の食器が並べられていた。


 「先輩」

 久木野くんが、まるでホテルのウェイターみたいに、私の椅子を引いてくれた。

 わあ、こういうの、さっと出来ちゃう人なんだなぁ。

 久木野くんのお母さんも、それが当然のように待っている。私は少し緊張しながら腰を下ろした。

 

 「さ、食事にしましょう。パスタにしたんだけど、食べられる? ミートソースは苦手じゃない?」

 久木野くんのお母さんに尋ねられて、私は大きく肯いた。

 「あ、はい、大好きです。いただきます」 

 「お腹すいた。いただきます」


 久木野くんと私、二人が食べる様子を、久木野くんのお母さんがにこにこと見守っている。気の所為かな、なんだか自分の全身を見られているようで落ち着かない。もしや、息子の彼女として相応しいか査定されているのだろうか。それにしては視線が好意的なんだけど。


 「とても美味しいです! あの……」

 「私はもう食べちゃったの、待ちきれなくて。無遠慮に眺めたりしてごめんなさいね」


 久木野くんのお母さんは一旦キッチンに引っ込んで、紅茶を淹れてきてくれた。


 「那由他ちゃんのご両親はさすがねぇ。うちもそこまで思い切れば良かったんだけど、無難っていうか、つい中途半端なところで手を打っちゃって。まあこれはこれで気に入ってはいるんだけど」

 「え、思い切るって、あの」


 久木野くんって、まさか。


 「"不可思議"とか、"無量大数"って名前にしておけばよかったって事」


 くすくすと笑う久木野くんのお母さん。

 久木野くんの名前、『京』って、そうなの――!? もしかして彼はそれで最初、私の名前に興味を引かれたんだろうか。

 おお、なんだか他人とは思えない。共通点があると知ると、途端に親しみが湧くのは何故だろう。


 「ねえねえ、ところで那由他ちゃんって、服のサイズ7号?」


 久木野くんのお母さんから唐突に、それまでと全く関係無い質問をされた。それで私は思わず正直に答えてしまう。


 「え? えっと、はい」

 「あ、やっぱり! ちなみに那由他ちゃん、今週末って暇?」

 「ええ、特に用事はありませんけど」

 「母さん!」


 久木野くんの咎めるような声を聞いてから気付く。この二人、やっぱり親子だ。罠の張り方が同じ。そして同じトラップに引っ掛かる私、情けないほどチョロ過ぎる……!



 ――食事の後、私は久木野くんのお母さんの着せ替え人形と化した。



     ★



 週末、東京ビッ○サイト。

 噂には聞いていたこの一大イベントに、まさか自分が参加する日が来ようとは夢にも思わなかった。



 しかも売り手側で。



 「新刊はこちらになります!」

 「はい、三冊ですね。有難うございます、お釣りです!」

 「あ、すみません、それはもう完売しました!」


 購買意欲に燃える怒涛の人波を何とか捌き切って、一息つく。同じ趣味の人間ってこんなにいるんだなあ。人いきれで、広大な会場内の上部に薄く靄がかかって見えるのが恐ろしい。


 「疲れませんか、先輩?」


 隣から久木野くんが声を掛けてきてくれた。

 お客さんの相手をするのに精一杯で、同じブースに座っていながらこの数時間、お互いに顔も見ていなかった。数日前の図書当番の時とはえらい違いだわ。

 搬入口から久木野くんのお母さんが顔を出した。


 「どうやらピークは過ぎたわね。助かったわ、那由他ちゃん。予定していたが来れなくなった時は、衣装も無駄になるし、ホントどうしようかと」


 なんと、久木野くんのお母さんは作家だった。しかも年季の入った同人作家。その界隈では知る人ぞ知る有名人らしい。オタクの聖祭・夏コミで、場所は壁際、主力商品が数時間で完売という実績から、そのサークルの盛況ぶりは推して知るべし。

 私は病欠したスタッフの女の子の代わりに急遽駆り出された、助っ人要員という訳。

 売り子、兼、客寄せコスプレイヤーとして。


 ……そう、私は今、人生初のコスプレをしているのだ。

 まさかこんな日が来ようとは夢にも(以下略)。


 「でも、那由他ちゃんは思った以上に化粧映えするわねぇ。肌がきめ細かいのが良いのね。ちっさいけどスタイルもいいし、やっぱり可愛いわ!」


 私は早朝から久木野くんのお母さんに仕込まれた。

 普段の生活では絶対に着ないであろうフワフワでヒラヒラの衣装を身に纏い、眼鏡はコンタクトに、おさげ髪はおろしてコテで巻いてツインテールに、地味で平凡な顔はお化粧とつけ睫毛で、自分で鏡を見てもほとんど別人になっている。

 まるで魔法を掛けられたような気分だ。


 「俺達、もうノルマ果たしたよね。休憩行ってきていい?」

 「そうね、有難う。直帰してもいいわよ」


 売り子の交代要員が到着したので、私と久木野くんは休憩に入ることにした。


 ちなみに久木野くんもコスプレさせられている。なんでも、久木野くんのお母さんの新刊本に出てくる男キャラだとか。私の扮しているのも同様に、その女キャラだ。二人で並んで歩くと注目を浴びるので、何回か写真撮影を頼まれた後、私達は人の少ない方に向かった。



 「那由他先輩。前、俺がオタクでも腐でも気にしないって言った意味、分かりました? 産まれる前からあんな母親ですから自然と慣れちゃって」

 「凄い人気だったね、お母さん」

 「おかげさまで。本当は客寄せレイヤーとかいらないんですけどね。もうこれは母の道楽なんですよ。先輩まで付きあわせることになってすみません」


 久木野くんのコスプレは、仮装とは思えない程似合っている。本物の王子様のようだった。

 そんな彼が私を見て頬を染めて言う。


 「だけど見れて良かった……先輩、凄く可愛いです」


 「ありがとう」


 慣れない褒め言葉に面映ゆくなる。久木野くんが本気で言ってくれているのが分かったから。

 

 「でも、多分もうすぐ目が限界。コンタクトにまだ慣れなくて」


 私の目はすぐに充血して痛くなってしまうのだ。

 いつもの眼鏡に戻ったら、私に掛かっているこの魔法はあっけなく消えてしまう気がする。十二時の鐘で元の姿に戻る、童話の主人公のように。


 「点眼するといいですよ。してあげましょうか」


 自身もコンタクトだという久木野くんは、乾燥予防の目薬を携帯しているらしい。私は有難く申し出を受けることにした。

 通路の壁に背中を預け、彼が目薬を差しやすいように上を向く。久木野くんは私の前に立って目薬を持ち、左手を頬に添えた。ひんやりとした雫が降ってくる。


 「うわ、至近距離で涙目とか、凶悪……」


 点眼後、久木野くんの溜息が聞こえた。

 私は壁に背中を付けたまま、両脇を久木野くんの両手で囲われる。

 ……身動きがとれない。

 

 「このまま閉じ込めてしまおうかな。――複雑です。可愛い先輩を見せびらかしたい気もするし、可愛過ぎて誰にも見せずにずっと独占してしまいたい気もします」



 私は、ほだされているのだろうか。

 久木野くんの言う事が、ちっとも不快に思えないなんて。


 甘い言葉も熱っぽい視線も……少しだけ恥ずかしいけれど、でも、嫌じゃない。



 「それにしても意外でした。こういう目立つの、先輩苦手そうなのに」


 うん、私も、あと少しでも露出度が高かったら尻込みしていたと思う。ゴスロリ系だったのが救いだった。


 「一体母はどんな手で先輩を籠絡したんですか?」

 「……お母さんの漫画コレクションから、○○シリーズ第一部の初版本を見せてくれるって」


 久木野くんのおうちには、八畳間を一部屋丸々使った空調完備の書庫があり、そこにはファン垂涎の貴重な漫画や小説がたくさん保管されていた。最初見た時には腰を抜かしそうになったっけ。


 ○○シリーズは、もう三十年近く連載の続いている、私の大好きな漫画の一つだ。

 あの漫画、とある台詞が初版だけ落丁しているので有名なんだよね。二版目からはキチンと手直しされているから、ある意味伝説になっている名台詞だ。


 「ああ、成程。母の趣味なんですよね、貴重な本を集めるのが。……で、俺にも連綿とその血が受け継がれている訳なんです」


 顔が!

 久木野くん、顔が近い……!


 心中の私の悲鳴を知ってか知らずか、久木野くんは唇を私の耳の傍に寄せて囁いた。


 「知ってました? あのシリーズ、一時期愛蔵版が出版された事があって、カラーページが本誌掲載時と同じ仕様で印刷されてたんです。すぐ絶版になりましたけど。俺の部屋に置いてあるんですが、それ見たくないですか、先輩?」


 う、わ。

 駄目だ。

 私の好みにぴったり過ぎて、久木野くんの誘惑を振り切れる気がしない。

 ガラスの靴を履いてしまったお姫様のようだ。


 「み、見たい……」


 罠の中に飛び込むつもりで恐る恐る上を向くと、触れ合うほど近くに久木野くんの綺麗な顔があった。視線が合って、久木野くんは一層微笑みを深くした。



 「――今度来ますか? 俺の部屋」


   

 王子直々の招待状。これはもう、舞踏会に行くしかない。

 私は、覚悟を決めてこくりと肯いた。


 こんな、こじらせてしまったシンデレラでいいのなら。 



 



 




ここまで読んで下さってありがとうございました!


※このお話はフィクションです。

 同人界に詳しい方が見たらおかしな点があるかもしれませんが、

 寛大な御心でスルーしてくださると嬉しいです。

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