最終話 二人が歩む未来への幕開け②
レティシアは鼻で笑いつつも、ほんの少し声を落として告げる。
「そう、じゃあわたしも退屈しないようにあなたを振り回すわ。結婚したあともきっと喧嘩ばかりでしょうけど、後悔しないの?」
「そんなもの、最初から覚悟してる。おまえがどんなにわがままで口が悪くても、俺が抑え込めばいいだけだ」
「抑え込まれるつもりはないわよ。けれど、まあ、一生付き合ってやるわ」
「上から目線だな。……だが、おまえ以外の相手に興味はない」
言ってから、カイルは少しだけ目を伏せる。今さら照れ臭いのだろう。レティシアはわざと冷たい笑みを浮かべ、彼の肩を軽く小突いた。
「ほんと、あなたらしいわ。せめてもう少し優しい言い方をしてくれたら、わたしも鼻で笑わずに済むのに」
「優しい言葉? なれないことを求めるな。おまえだってそんな様子、見たことないだろう」
「それもそうね。……いいわ、いまのままでも」
そうつぶやいたとき、遠くから使用人が声をかけてきた。「お二人とも、式の打ち合わせが残っていますので戻ってください!」という慌ただしい呼び声。二人はちらりと視線を交わし、相変わらず口元に棘を仕込んだまま「仕方ないわね」「まったく面倒だ」と言い合って歩き出す。
これからの結婚生活がどうなるのか、火を見るより明らかだろう。嫌味と毒舌を繰り返し、周囲を散々振り回しながら、それでも深く結びついている関係――それが彼らの形なのだ。従来の「相思相愛」とは違い、世間から見れば歪な夫婦かもしれない。だが、当人たちにとってはこの不器用さこそが生き甲斐でもある。
やがて二人は庭の中心に戻り、大勢の視線を受け止めながら業務的にテーブルへ向かう。カイルが「ほら、さっさとサインしろ」と言えば、レティシアは「一生ものなんだから慎重に見直すわよ」と返し、口調こそとげとげしいが息はぴったりだ。
両家の親族は「また始まった」と溜息をつきつつも、どこか嬉しそうに見守っている。使用人たちは「この先、どれだけ振り回されるのか」と覚悟を決めながらも、なんとなく微笑ましい空気を感じ取っていた。
最後に一通りの手続きを終えると、レティシアはドレスの裾を翻してカイルに向き直り、冷たく言い放つ。
「カイル、覚えておきなさいよ。わたしはこれからも遠慮しないから、あれこれ口出ししてあなたを面倒に巻き込むからね」
「望むところだ、レティシア。俺のほうこそ、好き勝手にさせてもらう。おまえが生意気を言うたび、さらに倍の嫌味で応酬してやるさ」
「やってみなさい。わたしが折れると思ったら大間違いよ」
「はは、俺が折れなければならない理由などないぞ」
二人は鋭い眼差しを交わし合い、次の瞬間にはそっぽを向く。だけど、その横顔にはどこか笑みが含まれていて、浅ましくも柔らかな気配が漂う。互いを挑発しながらも、もう離れられない運命なのを認め合っているのだ。
完成した婚約指輪と結婚式の準備が揃い、あとは式本番を迎えるだけ。果たしてどんな大騒動が待ち受けているのか、想像するだけで頭が痛くなるかもしれない。でも、それも含めて彼らの未来なのだろう。
「さ、行くわよ。あなたの馬車なんて乗りたくないけど、今日は仕方ないわね」
「勝手に言え。おまえが歩いて帰るより効率がいいから乗せてやるだけだ」
「ふん、そっちこそ文句ばかり言ってるくせに、本当はわたしが行かないと不安なんでしょう?」
「馬鹿か。……さっさと歩け、遅れるぞ」
こうして、騒がしく口論しながら二人は並んで邸内を後にした。あの日、馬車の中で見せたささやかな優しさを思い出しつつ、これからの人生を共にする決意を深めている――本人たち以外には伝わりにくいかもしれないが、確かにそんな雰囲気がある。
いつも通り互いを罵っていても、その隙間からにじむ何かがある。その何かは、周囲の誰にも止められない絆。世間からどう思われようと、彼らは当たり前のように寄り添い、口喧嘩を楽しみ、同じ道を歩んでいくことだろう。
夫婦になってからも、やがて子をもうけても、きっとあちこちで嵐のように振る舞うに違いない。けれど、そのたびごとに二人は協力し合い、どんな敵や困難でも蹴散らしてしまうだろう。どんなに険悪に見えても、お互いがいなければ退屈なのだから。
最後に屋敷の門をくぐりながら、レティシアが振り向いて言い放つ。
「ねえ、カイル。もしわたしがどこかへ逃げても、ちゃんと探しにきてよね」
「くだらないな、レティシア。そんな暇があるなら、先におまえを囲っておく。逃げ場なんか与えるか」
「相変わらず上から目線ね。でも、まあいいわ。覚悟しておきなさい、これからもずっと付き合ってもらうから」
「誰が付き合うと? ……まあ、他に相手がいるわけでもなし、おまえしかいないんだから仕方ない」
そう言いながら、二人はそろって門の外へ出る。口汚い言葉の裏には深い愛情が宿っていて、もはやそれを否定しようとも思わないらしい。多少の障害があっても、二人ならば笑い飛ばしながら越えていく――そんな確信が、どちらの足取りにも現れていた。
人生最大の相棒が、とびきり生意気な相手になってしまったという皮肉。しかし、それこそが二人には最上の幸せなのだろう。見る者を振り回し、困惑させる一方で、何ものにも揺るがない独特の道を歩み始める。
これが、性格の悪い二人が織り成す結末であり、同時に始まりでもある。罵り合いの先には優しさがあり、互いに歩み寄ろうとしない態度の奥にこそ、一途で純粋な想いが息づいている。いつかこの先、さらに大きな嵐が来ようとも、二人ならば乗り越えていくだろう。むしろ、人を散々振り回しながら、新たな騒動を起こしつつも笑い合っているに違いない。
彼らの未来はまだまだ長く、騒がしいものになる。けれど、それこそが二人にとっては何より幸せな形――そう信じさせるには十分な結末だった。毒舌にまみれた二人の絆は揺るぎなく、そして誰よりも自由な愛を謳歌しながら、堂々と新たな幕を上げるのだから。
(完)




