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提案

 目まぐるしい状況にどこか脱力してしまっている私に、ノアが静かな声で話しかける。


「アンナ」


「あ、は、はい!」


 勢いよく振り返る。一番重要な雇用主の意見をまだ聞けていない。ノアから一体どんな言葉が出てくるのか、想像もつかない。


 見てみると、彼の手元のお皿も、ほとんど料理が無くなっている。


 残っているスープをゆっくり飲みながらノアは言う。


「まず、料理を無事完成させたことに驚きました」


「え? そこ?」


「アレンを始め、精霊たちは人間を選びます。悪人には絶対に近寄りません。でもそんなアレンとあなたは協力して料理を完成させた……そういえば、唐辛子をぶち込んできたあの子に叱責していましたね。でもアレンはケロッとしていた。ずいぶんと心を許しているようです」


「はあ……」


「私のもとには精霊が集まってくるんです。彼らは気まぐれでやってきて、美味しい食べ物を要求してきたりします。今日は特に、あなたが初めて腕を振舞うということもあって大勢やってきましたね。皆満足したようです。こんな風に、私だけではなく精霊たちの舌に合うことと、彼らと上手く関係を築けられる人が必要だったんです」


「あ、そう言えば『ほかにもいろいろ問題がある』っておっしゃっていましたね……」


「特殊すぎる環境ですから、中々いい人が見つかりませんでした」


 なるほど。ノアという不思議な人にプラスして、味にうるさいアレンたちのような精霊とも上手くやらなければならないとすれば、確かに人を選ぶ環境だろう。


「料理を完成させることすら出来ないかもしれない、と思っていたのですが……」


「え、私試されていたってことですか?」


「考えてみてください。わざわざアレンを呼ばなくても、私が魔法でぱぱっと下ごしらえをしてしまえばいいだけの話でしょう?」


「確かに……」


 あえて私と精霊を接触させて、上手くやれるかどうか見ていたというわけなのか。


 ノアは無言でスープを飲み干し、一旦ふうと息を吐いた。


「そして……アレンも言っていたように、料理の腕は完璧。宮廷勤めだった父に教わり、あなたもレストランで働いていたというので、高級感のある物を出してくるのかと思いましたが、想像よりずっと優しい味付けです」


「それは……あなたが長い時間働き続けていたと聞いていたので、胃に負担にならないように、と」


 私が答えると、初めてノアは少しだけ微笑んだ。あっ、と小さく声を漏らしてしまう。


 微笑むと、思っていたよりずっと優しい顔になる。ずっと無表情でぼそぼそ話していたから、ギャップが凄いと思ってしまった。


「アンナ。できればあなたに来て頂きたい」


「え!? いいんですか!? 私、包丁を使えないからもう料理はできないのかと思っていて……アレンに手伝ってもらわないといけないと思うのですが」


「彼は楽しそうだったので大丈夫です。まあ精霊は気まぐれなのでさぼる可能性は非常に高いですが、そういう時は私が魔法で手伝います」


「あ、ありがとうございます……!」


 私は勢いよく頭を下げた。諦めていた料理の仕事に再び就けて、こんなにありがたいことはない。キッチンに立って何度も慣れていけば、いつかまた自分で包丁を使える日が来るかもしれないという希望も出てくる。


「では、雇用契約を」


 ノアがそう言うと、どこからともなく一枚の紙が飛んできた。ひらひらと舞いながらノアの手に収まり、同時にペンもどこからかやってくる。


「中身をよく読んで、気に入らない点は言ってください」


「は、はい」


 彼から手渡され、内容を読んでみる。仕事内容は買い出しと三食の料理、のみ。朝食は前の夜に作っておけばそれでいい、と……休みももちろんあるし、給料も思っていたよりずっといい。レストランにいた頃より、だいぶ時間の余裕もありそうな内容だ。下ごしらえは他の人に任せるというのに……


「こんなに頂いてよろしいんでしょうか……?」


「では減らします」


「え!?」


「と、言ってくる人間もいますから、素直に受け取っておけばいいんです。あ、書いていませんが、恐らくアレンなどの精霊たちがちょっかいを掛けてきますから、その対応も含まれます」


「ふふ、それくらい全然大丈夫です」


「ではサインを」


 私はお皿を少しどけてスペースを空け、そこでサインを書こうとしてふと手を止めた。


「住所……あの、私今叔父の家にお世話になっているんですが、住む場所をこれから探すんです。とりあえず叔父の住所を書いておけばいいでしょうか?」


「これから探す? ……そういえば昨晩来た、とか言っていましたっけ」


「はい、初めてこの街に来たばかりで。ゆっくり家探しをしようかと思っているんですが」


 そこまで言うと、ノアがこちらを見た。青い目がしっかり私を捉え、どきりとしてしまう。そんな私に、ノアは平然と言った。


「じゃあここに住めばいいのでは?」


「はい??」


 


 ノアたちとの不思議な生活は、こうして幕を開けた。







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