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始まった生活



 わざわざ他の家から通うより、ここに住み込んでしまった方が通勤が楽。屋敷はかなり大きいので部屋も余っており、私が一人住んでも何ら問題はない。別に家賃もとるつもりはない。そうノアは淡々と説明してくれた。


 もちろん、初めは首を強く首を横に振って拒否した。今日初めて出会ったばかりの男性と同じ家に住むなんてありえない。


 が、彼はきょとんとして、『世のメイドや料理人は住み込みで仕事をすることも多い』と正論を言った。確かに、と私も思った。


 でもたくさんの人たちと同居するのと、二人きりで住むのとはわけが違うと言うと、『精霊たちも出入りするから二人きりというわけではない』と言われ、またもや確かに、と思った。


 ノア曰く、彼は仕事のために部屋に籠りきりのことも多いので、その間自由にしていて構わないと言ってくれた。そこまで言われれば、こちらの気持ちも揺らぐ。


 確かに住み込みで働く仕事なんて山ほどある。家賃もいらないらしいし、こちらとしてもメリットが大きい。


 ただ不安要素があるとすれば、ノアという人がイマイチよく掴めないということだ。自分でも根暗だと言っていたけれど、確かにあまり目も合わないし無表情でぼそぼそ話す感じだし、顔色が悪くクマも酷い。この人と生活を共にするのは大丈夫だろうか、と心配になる。


 でも魔法使いというのは間違いないし、精霊と意思疎通がとれるなら恐らく凄い腕なのだろう。あと、彼の『精霊は悪人を嫌う』というのが本当なら、精霊に笑いながらいたずらされているノアはそんなに悪い人じゃないはず。


 悩んだ末、私は彼の提案を受け入れた。


 一旦叔父さんの家に帰り採用されたこと、住み込みで働くことになったことを告げると、皆に凄く驚かれ祝われた。ノアはこの街を守ってくれる凄い魔法使いだから、きっと信頼できるよ、そう言って。


 荷物をまとめ、名残惜しそうにしてくれるパウルにまたパンケーキを焼きに来る約束をすると、私はすぐにノアの家へ戻っていった。


 荷物はさほど多くないのだが、なにせノアの家までは険しい道を通らなくてはならないので、私は息を乱しながら必死に進む。足場が悪くて何度か転びそうになりつつ、何とか屋敷を目指す。


「買い出しも仕事の一部だったけど……思えば結構大変な仕事かもしれない……」


 ぜえぜえ言いながら一人で呟いた頃、ようやく屋敷が見えてきた。やはり、どこからどう見ても幽霊屋敷が建っている。でも中には、可愛らしいビジュアルをした精霊たちがいるだなんて、想像もつかないだろう。


「もう少し……!」


 そう自分を励ましたとき、突然持っていた荷物がふわりと浮いたのでぎょっとした。一瞬頭が真っ白になるも、ノアの力に違いない、と冷静に思う。


 トランクは浮きながら屋敷へと飛んでいく。それをゆっくり追いつつ屋敷へ近づくと、玄関にノアが立っていることに気が付いた。


 外の明るい日の下で見るノアは、やっぱり顔色が悪い。


「ノア! ありがとうございます」


 ノアは無言でトランクを手に持つと、私に言う。


「いえ。思えばあなたの家からここまで荷物を持ってくるのは大変でしたよね。初めから魔法で送ってあげればよかったです」


「いえ、そんな」


「と、あなたが家を出て行った後、精霊に叱られました。すみません」


 素直にそう言ったので、なんだか面白くなって笑ってしまった。ノアが精霊に叱られている姿を想像してしまったのだ。


 彼は私の荷物を持ったまま中へ入って行く。そのまま長い廊下を二人進む。


「あなたに使ってもらう部屋を考えていたんですが……恐らく一階奥の部屋が使いやすいかと思って、さっき簡単に整理しておきました」


「わざわざありがとうございます……!」


「いえ、部屋をどうするんだ、と精霊に叱られたので」


 ……なんで人間じゃない精霊の方が常識を持っているんだろう……?


 ノアってやっぱり、かなり変わった人だ。


「シーツも魔法で洗って乾かしてありますから、ご心配なく」


「さっきアレンに唐辛子を食べさせられた時も思いましたが、魔法ってほんと便利ですね」


「そうですね」


 そこで会話が途切れ、沈黙が流れる。それを気まずく思い、新しい話題を探している最中、部屋へたどり着いた。


「ここを使ってください。私は二階の階段すぐ横の部屋にいます」


 ノアが部屋の扉を開けると、それなりに広い部屋が待ち構えていた。


 綺麗に磨かれた窓から光が差し込んでいる。ベッドは洗われた白いシーツが敷いてあり、部屋の隅にはクローゼットもある。暮らすのに申し分ない部屋だった。


「素敵なお部屋です……」


「そうですか? 普通だと思います。バスルームは一階と二階、両方にあります。私は上を使いますから、あなたは一階のものを。どこの部屋に入ってもらっても構いません。私は寝ます。今日はもう起きられないと思うので夕飯はいりません。あなたは初日ですからゆっくりしてください」


 ノアはそう言って部屋の中に私のトランクを置くと、あくびをしながらすぐに出て行ってしまった。まだまだ彼は寝不足らしい。


 ノアがいなくなった後、しばらく部屋の中を見回した。外はお化け屋敷でも、中は十分素敵だし、ここにただで住めるなんて幸運としか言えない。


 荷物はあまり多くないので、すぐに片付いた。一旦一息ついたあと、少し屋敷の中を探索してみようか、と思い立つ。


 どこに入っても構わないと彼は言っていた。ここに住むのだから、いろいろと把握しておきたい。私はそう決意し、そっと自分の部屋から廊下に出てみた。


 とりあえず職場となるキッチンをもう一度見ておこうかと、廊下を進んでいく。そこで突然、自分の足元に大きな衝撃を受けた。


「きゃ!」


「アンナー! やっと来たんだね!」


 見下ろしてみると、いつの間に現れたのかアレンが笑顔で私の腰に抱き着いている。相変わらず可愛らしい笑顔だ。


「アレン。えっと、正式に採用が決まりました、よろしくお願いします。あ、そういえばノアは今日は食事はいらないと言ってたけど、アレンは……」


「んーいいよ、今日はアンナ来たばっかりだしね。精霊は食べなくても生きていけるからさ。時々美味しい物を食べたくなったら、知り合いの人間の所に行くんだ」


「それがノア?」


「基本的には、僕らは上級魔法使いとしか意思疎通とれないからね。アンナが僕とこうして話せているのはノアの魔法のおかげだよ。だからほら、他の精霊たちの姿は見えなかったんじゃない? 僕は料理の手伝いのためにノアに呼ばれたからー……あ、でも凄い魔法使いだとしても、性格悪い人間は近寄りたくない。ノアはその辺をクリアしてる珍しい人だよ」


 ということは、彼は変わった人だけど善人、ということになる。


 確かに悪人ではないと思うが、かといって善人というのは今の私にはわからない。掃除もしないままソファで寝て、表情も乏しいしあまり気遣いも出来なそうな人だけれど……。

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