寺田と隠密
俺は隠密のうちの一人。
忍者と言ったほうが分かりやすいか。江戸幕府の公儀御庭番を源流としている。伊賀甲賀など有名どころの老舗は衰退し、もはや技術体系すら残っていない中で、政府諜報機関として取り込まれた我々は人知れず御国の為に忍者としての役割を果たし続けている。
政府隠密は現在全20人居る。
多少前後することはあるが、概ねそのあたり。
この20人の中で、俺は戦闘能力という点でトップクラスと位置付けられている。トップアスリートを凌駕する身体能力、ありとあらゆる格闘技の技術体系を納め自らのものにしており、戦闘経験も豊富。羆や獅子を素手かつ単独で狩ったこともある。およそ現存する人類の中で五指に入るであろう自覚がある。
当然、武器の扱いにも自信がある。刀、ナイフ、鞭、杖、銃、弓、棍、それこそ忍者らしく苦無、ありとあらゆる武器を使いこなしている。
要は武芸百班が俺の強み。
それらは全て俺が隠密として生きるための手段であり、それを活かすことで日本国の利益になるのであればそれが望外の喜びなのだ。
そんな俺の今の役目は監視かつ護衛。
対象は寺田という某商社の役職者。
日本国が秘密裏に調査・研究している「異世界」について、政府依頼での初の民間関係者なのだ。他にもメンバーはいるが、彼は責任者とのことなので俺および他の2人で監視することになっている。
彼は極めて善良な人間だ。
仕事に熱意を持って取り組むものの、家族を蔑ろにすることはない。普段の行いも模範的であり遵法精神の高さが伺える。部下にとっては理想的な上司であり、上司にとっては理想的な部下。
監視の必要性は、彼が何かやらかさないかというより、彼の周囲で何か不測の事態が起こらないかというところにある。
実際、俺が動いたのはただ一度きり。
だが、それが大問題だった。
中年男と、その娘。
どうやら昔の同窓生のようだが、明らかに様子がおかしい。「死んだ筈」という不穏な言葉が出てくる。
松本五郎というその男は中肉中背で、凡俗の中の凡俗という印象を受ける外見。だが、俺の勘は今までに無いアラートを上げている。まるで、これまで経験してきた修羅場が飯事に感じられるかのような。
松本とその娘は異世界について語っている。最初は妄想の類かと思ったが、そんなことはないと悟った。松本に秘めた危険性と、異世界という我々が強く必要としている情報を開示していることで、何としても彼を無力化して拘束しなければならない焦燥に駆られてしまった。
部下の隠密にハンドサインを送り、麻酔針を撃たせる。撃たせると言っても投擲だ。
銃を使わないのは、サイレンサーを使っても僅かな音で察知される可能性があるからと、投げるほうがブレがなく相手に命中させられ、そもそも我々の技量であれば撃つより投擲の速度の方が速い。
松本視点では左右から4本の針が襲ってくることにはる。だが、あっさり叩き落とされた。しかも、片手を一振りさせただけで。
瞬間。
今度は俺が襲いかかる。
体格差、特に筋量では俺が負ける筈はない。ベンチプレスはノーギアで350kg、握力は200kgと世界記録を上回る。100m走も9秒台であらゆる敏捷性や反応速度も世界トップクラス。
対して見た目は普通。どう見積もってもフィジカルで負ける筈はない。しかし洞察力をいくら高めようと、人には見た目ではわからない力を持っていることがある。それを警戒しつつも、最速で間合いを詰める。
その俺が、全く反応できずに気絶させられた。
何をされたかも分からずに。
俺がやられるところを見た目の良い部下は、辛うじて顎に掠るような打撃を受け、強い脳震盪が起こったのだろうと後に教えてくれた。もし脳震盪が起こっても常時と変わらず活動できるよう特殊な訓練をしていたにもかかわらず。
残りの部下2人も松本を拘束するため続けて襲いかかっていたが、俺がやられたことで本来は撤退すべきところを、その間すらなく尋常でないスピードで気絶させられた。これは、公園に備え付けてある監視カメラで分かったことだが、荒いフレームレートとはいえコマ送りにしてさえその動きが分からないほどの速さだった。
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俺たちが意識を取り戻した時、松本と子供はいなくなっていた。
寺田は俺たちを公園端の芝生に移動させて、目覚めを待っていたようだ。
諸々の説明、情報交換を済ませた後、俺たちは今までどおり監視を続けることを告げ、互いに同意した。
寺田も状況を飲み込みきっておらず、俺たちも今後どうするべきか決めかねており、そのための暫定的な同意だ。
異世界とやらに積極的な興味を持っているわけではないが、任務そのものはこなさなければならない。とはいえ、どう報告したものかは迷っており、とりあえず隠密の統領に伝えはしたものの、そこから更に上への報告には至っていない。
数日経ち。
寺田の執務室に部下が郵送物を持ってくる。
A4のレターパックと、四方20cmほどのダンボール。
宛先は書いてあるが、差出人は個人名。ご丁寧に松本五郎と書いてあるが、郵送会社から送られたものではなく、会社の部署のレターボックスにいつの間にか置かれていたものだ。
松本五郎。
あれから調べたが、確かに彼は数年前に亡くなっている。もはや戸籍もなく、幽霊であるか、本当に異世界からやってきたか。
寺田はレターパックを開き、その中に入っていた数枚のレポートに目を通す。
「居ますかね?」
呼ばれたので、隠形の型を解き姿を現す。
本当に居るとは思わなかったのか、少し目を丸くさせたあと、寺田は溜め息をつく。
「依頼をさせてください。あなたの雇い主、恐らく政府高官になるのでしょうが、会談の場を設けてください。私も私の上役に報告のうえ打診します」
「承知したが、要件は?」
「このレポート用紙に書かれている内容が真実であれば、我々の研究は飛躍的に進むことになるので、その検討を上を交えて行いたい。私と・・・あとあなたも異世界人と接触した者として同席していただきます」
端的に伝えつつ、寺田は頭を抱えている。
その後、ダンボールの中身の正体についても驚愕することになるが、そもそもこれは松本と一緒にいた子供の置き土産らしい。
そして、翌日に都内某所で秘密裏に行われた会談。
それは、ファンタジーで語られる異世界が、政府高官およびそれに近しい者たちの中で明確な現実となった日であり、
俺が隠密ではなく寺田の専属ボディーガードとなる日でもあった。
この「隠密の男」はカタログスペックでは現人類最強の単独戦力です。
特殊な血統、比類なき身体能力、常人を上回る反射速度、豊富かつ深掘りされた知識、また幾つもの修羅場を潜り抜けた経験値に裏付けられる判断力と胆力は、単独で他国家の軍事師団を壊滅させるほどの破壊力を持ちます。
ただ、もし異世界で魔力を身体能力に還元させる能力に目覚めたとして、聖王国騎士団長と同等以下に留まります。特殊な血筋と常軌を逸した訓練の果ての力を持っていますが、それでもまだ常識的な範疇です。
要職に就いたばかりか、突如世界にとっての重要人物に据えられてしまった寺田を守るために、部下とともにその力が今後振るわれることになります。
とはいえ、異世界に関する研究が結実を結ぶのは最低でも2、3世代先の話ではありますが、彼らの存在は停滞していた研究を何段階も押し進めることになりました。




