第351話。月にかかる虹…11…騒動の顛末。
【ロムルス】
セントラル大陸南方国家【パダーナ】の中央都市。
旧都と呼ばれる主要都市で、主要産業は観光。
国家の中央都市でありながら、首都ではないという珍しいケース。
【創造主】が創ったままの形で都市景観を維持し、それを歴史資産として観光に役立てている。
【闘技場】では毎日【剣闘士】と呼ばれるプロがショーとしての戦いをして見世物としている。
私は目を覚ましました。
「キトリー。大丈夫?」
母が、取り乱した様子で、私の顔を覗き込んでいます。
えーと、何だったっけ。
あ、【ナープレ】の百貨店で、怪我したんだよね。
私は、脚の様子を見ます。
うえ〜っ、私ってば、血だらけじゃん。
スカートも脚も酷いね、こりゃ。
「大丈夫。傷は治したから。痕も残らないわよ……」
ルフィナが言いました。
ルフィナは、まだ歳若いですが、高度な【治癒】を行使出来る優秀な【魔法使い】なのです。
【神竜】様とのパスが構築されやすい【ドラゴニュート】に生まれていれば、まず間違いなく神竜神殿の【高位女神官】になれただろう……という逸材でした。
ペネロペもいます。
ペネロペは、壁にもたれかかって腕組みをしていましたが、私が目を開けたので、慌てて、私のベッドの元にやって来ました。
「キトリー。平気か?」
ペネロペは訊ねます。
「あ、うん、痛みはないし……脚も大丈夫みたい」
私は、脚を少し動かしてみました。
うん、脚は動く。
私は、どこか見慣れない場所の長椅子に寝かされていました。
長椅子の傍の床に揃えて置かれている自分の靴に目が止まります。
うわー、靴が真っ赤っかだ……血塗れ。
旅行先だから、お気に入りのローファーを履いて来たのに……。
服に染み込んだ血によって、冷んやりとした湿り気を脚に感じます。
まだ血液が凝固していないので、怪我をしてから、それほどの時間は経っていないのでしょう。
百貨店に来たメンバーは、この、どこかもわからない部屋に全員揃っていました。
「キトリー。幸運にも神経は無事だったわ。私、神経接合は、まだ経験がないから、もし神経が切れていたら、治療する自信がなかった……」
ルフィナは言います。
「動脈が切られていたから、実は重症だったのよ。出血性ショックも起こしていたみたいだし……ルフィナちゃんが、駆けつけてくれなかったら……出血多量で危なかったかも……」
母は少し言葉を詰まらせながら言いました。
えっ!
そんな状態に?
それは、幸運だったね……いや、運が悪いから、あんな事になったのかもしれない。
まあ、何はともあれ、不幸中の幸い、という事ですね。
母の格好も酷い有様でした。
母の衣服や両手は血塗れです。
多分、私の出血を止める為に、傷口を圧迫し続けて止血を試みてくれていたのでしょう。
それにしても、ここは病院……ではなさそうですが……。
「ここ、どこ?」
「百貨店の医務室よ」
母は教えてくれました。
医務室?
それにしては、医療機器などが何もありません。
ただ広いだけの部屋に長椅子が幾つか置いてあるだけ……。
まあ、この辺りは、きっと、いい加減な【ナープレ】クオリティですね。
はっ!
今の時間は?
「大変だ。百貨店の次はモールに行かなくちゃ。タイムセールの時間だよ」
「はぁ〜。もう、この子ったら……。さすがに、今日のスケジュールは、全部キャンセルよ。これから、お父さん達と合流して、念の為に神竜神殿附属病院に行って診てもらうわよ」
母は、少し安心したように溜息を吐いて言いました。
「私のせいで、何か、ごめん……」
「あなたのせいで、あるもんですか。あなたは、ちっとも悪くないわ。良識ある人種として立派な振る舞いをしたわよ。自慢の娘だわ」
母は、私を抱きしめて頭を撫でてくれます。
「そうよ、キトリー。あなたを傷付けた犯人は、孫子の代までミレニア財閥が必ず思い知らせてあげるからね」
ルフィナは言いました。
ミレニア財閥とは、ルフィナの実家の社名。
ルフィナ(ミレニア財団)が、その気になれば、きっと一般市民の1人や2人を合法的に社会から抹殺するくらい簡単なのでしょうね。
なるべく孫子の代は、関係ないから許してあげて欲しいな。
「もう、良いよ。あんな人に関わりたくもないし、ルフィナにも関わらせたくもないもん」
あの太ったオバちゃんの顔を思い出すだけで虫唾が走ります。
「あの、くそババア。キトリーに大怪我をさせるなんて、絶対に許せねぇ……。都市外だったら、アタシが問答無用で叩っ斬ってやったのに……」
ペネロペが苦虫を噛み潰したような表情で言いました。
叩っ斬る、だなんて、そんな物騒な……。
けれども、ペネロペの言った事は、大袈裟でも何でもありません。
ペネロペが言うように、あの太ったオバちゃんのした事は、仮に、各国が定める都市領域の外で起きていたなら……即、応戦されて斬り捨てられていても……文句が言えない行為でした。
国際法上、都市内においては司法機関、または、当該国正規軍、または、戦時国際法に則って宣戦布告した外国正規軍以外による戦闘行為は全て違法と見做されます。
けれども、都市城壁の外では……目には目を……という前近代的な、報復律、という考え方が完全に認められていました。
つまり、もしも都市城壁の外で誰かから故意に傷付けられたり、攻撃されたら、その場で相手に応戦・迎撃して、最悪の場合、相手を殺害しても原則として罪には問われません。
もちろん、事後に管轄の司法機関に必ず届け出て、正当防衛や規定に基づく適正な報復措置であった事を【アンサリング・ストーン】という真実を見抜く石によって証明しなければ、単なる殺人罪になるのですが……。
規定上……都市外で相手が剣を鞘から抜いたら、その瞬間に斬り捨てても良い……とも、されていました。
なので、都市城壁の外で、他人と何かトラブルが起きた時には、双方、絶対に武器などに手をかけず、両手を広げて手の平を空に向け、相手に攻撃する意思がない事を明示して、話し合ったり示談交渉をするモノなのです。
手の平を空に向けるのは、攻撃魔法の多くが手の平を向けた指向線上に放つモノだからでした。
「よっこらせ……おっと、あれ、何かクラクラするかも……」
私は、身体を起こそうとして、少し貧血の症状を呈します。
「傷は治したけれど、かなり血が失われているから、しばらくは貧血の症状が続くと思うわよ。栄養のある食べ物を、たくさん食べて……2週間くらいは、回復に時間がかかるかしら」
ルフィナが言いました。
「え〜……困ったなぁ〜。旅先で、みんなに迷惑がかかるね」
「何を言っているの。旅行なんか中止。帰るわよ」
ルフィナが言います。
「え〜。私のせいで、旅行を中止にしたくないよ。みんなは、旅行を続けてよ。お願いだよ〜」
私は、急に悲しくなって来て、自然と涙が溢れて来ました。
みんなは、困り果てたように、私を慰めてくれましたが、私の涙は止まりません。
私は、自分のせいで、みんなが楽しみにしていた旅行を台無しにしたくなかったのです。
「もちろん、キトリーのせいなんかじゃないわよ。悪いのは、あの女。絶対に、後悔させてあげるわ」
ルフィナは言いました。
ルフィナの顔は、鬼のような形相です。
ルフィナの隣にいるペネロペの表情も同じ。
「あの、オバちゃんの事は、もう本当に、どうでも良いんだよ。私は、みんなに笑顔で旅行を楽しんで欲しいだけなの」
私は、嗚咽しながら懇願しました。
で、母とルフィナとペネロペは、相談して……もしも、神竜神殿で診察してもらい、旅行の継続が許可されたら、旅行を継続しても良い。許可がおりなければ、即時、旅行を中止して【ミレニア】に帰る……という事になりました。
しばらくして、別行動をしていた男性チームが合流します。
その時、一緒に、百貨店の従業員の人達が複数、入室して来ました。
瓶詰食品売り場で、私達のトラブルの間に入ってくれた百貨店の偉い人もいます。
どうやら、彼が、この百貨店の支配人さんみたいでした。
「この度は、私共が至らないばかりに、お客様に、お怪我をさせてしまい、誠に申し訳のしようも、ございません」
百貨店の支配人さんと、従業員さん達は、跪いて謝罪をします。
「え〜、お店のせいじゃないでしょう?」
私は商売人の娘。
日頃、店番を手伝ったり、お客さんに商品説明をしたりする事もありました。
なので、お店側の立場も多少は理解出来ます。
件のアレが、お店の責任になるのだとしたら、アホらしくて商売なんかしていられません。
「あなた!そもそも、あなたが、あの女の不正を咎めて、即座に注意をしていれば、こんな大きな事件にならなかったのよっ!あなたが、曖昧な態度で、あの女の不正を看過するような素振りを見せたから、あの女の不法行為を助長したのよ。わかっているの?!」
母が跪いている1人の男性に向かって、烈火の如く叱責しました。
こんなに感情的に怒る母の姿は、生まれて初めて見ます。
この男性は、瓶詰食品売り場で、あの太ったオバちゃんの横入りを知りながら、オロオロして何も言わずにいた従業員さんでした。
いかにも気の弱そうな人です。
「仰る通りでございます。この者は、即時、解雇致します」
支配人さんは、言いました。
「ちょっと待ってよ。この人の態度も優柔不断だったけど、いきなり解雇は可哀想だよ。あれは、あの女の人が異常なだけだと思うよ。あの女の人が情緒に異常を来たしているとしても、それは、この従業員さんの責任ではない。解雇なんかしないで、もしも、次に、ああいう事が起きたら、どういうふうに対応したら良いか、キチンと指導してあげてくれない?そもそも、この、お店には、お客同士のトラブルに対応するマニュアルとかがあるの?平素から、そういう指導を徹底していたの?」
私は、支配人さんに言います。
私のせいで、従業員さんが解雇になるなんて気分が良くありません。
【ナープレ】を含む【パダーナ】は、【ドラゴニーア】と比べて失業率も高いのです。
きっと、この従業員さんは……トラブルを起こして解雇された……という扱いにされたら、次の仕事を見つけられないのではないでしょうか。
それでは、あまりにも気の毒です。
一番悪いのは、どう考えても、あの太ったオバちゃんの方なのですから。
「マニュアルは、ございます。しかしながら指導は不徹底でございました。今後は、指導を徹底致しまして、再発防止に努めて参ります」
支配人さんは、言いました。
「うん。なら、従業員さんは継続雇用してあげてね。私は、この従業員さんの解雇なんか望みません」
「し、しかし……」
支配人さんは、言います。
「従業員さんを解雇するって事は、トカゲの尻尾切りみたいで、むしろ不愉快だよ。こちらの、お店として私に誠意を見せたいのなら、この従業員さんに、キチンと指導してあげて継続雇用して下さい」
「か、畏まりました」
支配人さんは、言いました。
「お、お嬢様、ありがとうございます……」
瓶詰食品売り場の従業員さんは、床に頭を擦り付けて、お礼を言います。
こんな気の弱そうな人に、ペナルティなんか科せません。
こういう押し出しが弱いようなタイプの人でも問題なく接客・応対が出来るように、マニュアルというモノはあるはずなのです。
店舗側の責任云々は問題にしない……と、私は被害者として宣言しました。
ペネロペとルフィナは……それでは気が収まらない……という様子でしたが、母は、納得してくれます。
「この子は、小さな頃から、そういう……筋を通す……みたいな事に拘る性質なのよ。職人の血筋なのかしら」
母は、笑って言いました。
職人の血筋とは……つまり、父と父方の祖父の遺伝子。
母は、会計士一族の血筋なので、そういう職人気質の義理人情みたいなモノは、あまり理解出来ないみたいです。
祖父は、私のヒーローでした。
祖父なら、きっと……悪気なく失敗した者を責めるのは筋が通らねえ……って、いつもの、べらんめえ口調で言うと思います。
「ところで、ですが……。当店と致しましても、お客様に怪我をさせた当該の人物に対して法的措置を講じたいと存じます。お客様に対する暴行傷害、詐欺、侮辱行為、名誉毀損……そして、当店に対する営業妨害、器物破損、脅迫です。つきましては、お客様が記録しておられる、映像と音声のコピーを頂けないか、と」
支配人さんは、言いました。
暴行傷害、詐欺、侮辱行為、名誉毀損、営業妨害、器物破損、脅迫……。
これ、学校の刑法や民法の授業で習ったね。
これが全部有罪になったら、あの太ったオバちゃんは、実刑になるんじゃないかな?
まあ、どうでも良いけど。
「コピーね。わかった」
私は、支配人さんが用意した、記録装置に、コピーをしてあげました。
「ありがとうございます。それで、お客様に対する、お詫びでございますが……。お客様の治療費の全額の保障、及び、慰謝料や諸々の損害賠償をと、考えております。お客様ご一行様は、ご旅行中だとか。誠に失礼ながら、当店から、ご旅行中の宿泊代など、ご旅行の経費を負担させて頂けないか、と」
支配人さんは言います。
「私達は、お金には、困っておりません」
母は、キッパリとはねつけました。
「もちろん存じております。当店と致しましては、お詫びの気持ちを、こういう形でしか、お示し出来ない事を、ただただ恥じ入るばかりでございます」
支配人さんは言います。
「支配人さん。お金はいらないよ。その代わり、一つ注文があります。今後は、先着何人、みたいな目玉商品を特売する場合は、その売り場に、行列捌きの担当人員を張り付けて下さい。この瓶詰食品売り場の従業員さんは、1人で行列を捌きながら、売り子さんもしながら、で、大変だったんだよ。手が回らなくて、事故も起きるよ。だから、売り子さんとは他に、行列の整理をする人員を付ける。お願い出来ますか?」
「はい、もちろん。お約束致します」
支配人さんは言いました。
「キトリー。そもそも、早い者勝ちみたいな売り方が危険なんじゃないかな?我先にと争ってさ。だから、整理券を配布すれば良いんじゃない?」
ペネロペがアイデアを出します。
「それは、問題解決にはならないわ。だって、今度は整理券を争奪して混乱が起こるもの。例えば、事前に抽選を行って、当選者に購入権を与えるようにしたらどうかしら?」
ルフィナが言いました。
話が、よくわからない方向に進んでいますね。
まあ、良いですけど。
「ルフィナの方法なら、確かに売り場の混乱は少なくなるけど。それじゃあ、意味がないんだよ。お店からしたら、多少の混雑と喧騒は販売促進効果を高めるからね。行列や賑わいっていうのは、商店にとっては、群衆心理で購買意欲を高める効果があるんだよ。行列が行列を生むって言うかね。たぶん、事前抽選なんかにしたら、この、お店の意図する効果は期待出来ない」
「なら、抽選会みたいなイベントを開催するとか?」
ルフィナが言いました。
「それも一長一短だね。コストがかかるから。たぶん……何月何日に先着何名様に限り、この商品を幾ら……っていう告知をチラシでして、店の前や、店内に行列を作らせるのが、一番費用対効果が高い販売促進の方法なんだと思うよ」
「なるほど。キトリーって、案外、賢いのな?」
ペネロペが言います。
まあ、魔法とか微分幾何学とかでは、ペネロペとルフィナには敵わないけど、商売のツボなら、私だって負けませんよ。
「ペネロペ。案外は一言余計だよ」
私は、言いました。
「あ、ごめん」
ペネロペは謝ります。
一同は、笑いました。
私と百貨店さんの間での話し合いの結果……。
私や母などの血で汚れた服や靴などを、百貨店さんが一揃え新しい物を用意する。
今後は売り場での事故防止の為に警備の人員を増員して対応する。
従業員の教育を徹底する。
太ったオバちゃんに対しては、百貨店側が責任を持って法的措置を取る。
……という事が決まりました。
これを【契約】してトラブルは解決です。
そして、私は、神竜神殿での診察の結果……無理をしなければ旅行を継続しても良い……という判断をもらいました。
みんなの旅行を台無しにしなくて、良かったです。
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