第348話。月にかかる虹…8…グレモリー・グリモワールの不可能予想。
【ルガー二】
【ドラゴニーア】第5の都市。
清涼な湖水をたたえる【ルガー二湖】のほとりに位置し、北には【ピアルス山脈】がそびえる。
比較的高緯度に位置するが、南からの温暖な風が【ピアルス山脈】にぶつかり下降する為、通年を通して温暖な気候。
主要産業は、金融と観光。
高級別荘地として知られ、ルフィナの家の別荘もある。
朝早く、私達は、旧都【ロムルス】を出発しました。
今日乗る飛空船は、航路ギルドが運営する定期運行都市間飛空船ではありません。
私達が乗るのは旅客飛空船。
人種によって造られ、人種によって運行されている船でした。
なので、安全性や速度や快適性の面で、定期運行都市間飛空船より、性能が劣ります。
私達は、業界最大手の半官半民企業【ドラゴニーア】航空の中型高速旅客船をチャーターしました。
料金は高いのですが、信頼性に勝るモノはありません。
今日の航路は比較的低空を飛びます。
定期運行都市間飛空船は、強力な【防御】で気流や減圧から守られていますが、旅客飛空船は、その性能が高くありませんので。
低空を飛行すれば魔物との遭遇率は上がり、また、一般の飛空船は、定期運行都市間飛空船とは違い、魔物に襲撃されれば船体が破壊されてしまうリスクもありました。
私達がチャーターした飛空船には、【避魔のランタン】と呼ばれる【神の遺物】のアイテムが装備されています。
このアイテムには、野良の魔物を寄せ付けない効果がありました。
このアイテムを装備している事も私達が、この船をチャーターした理由の一つ。
ルフィナの家の自家用飛空船にも、もちろん【避魔のランタン】は装備されていました。
けれども、【避魔のランタン】でも、攻撃性が強い好戦的な魔物の個体には効果がない事も知られています。
つまり、旅客飛空船は、魔物に襲撃されて墜落する危険がありました。
もちろん、セントラル大陸全域は、【ドラゴニーア】軍や竜騎士団によって守られているので、他の大陸より安全ですが、それでも魔物に襲撃されるリスクは0ではないのです。
なので、私達の旅客船の前方には、1隻の【砲艦】が飛び、護衛をしてくれていました。
私は、相変わらず、船内で勉強しています。
竜城で【神竜】様に、お祈りはしましたが……神は自ら助くる者を助く……努力を怠る者には神力の御利益もありません。
あ、ちょっとトイレに行きたいかも、でも、この問題を解いてから……ダメだ、膀胱炎になる。
私は、立ち上がってトイレに向かいました。
この飛空船は、中型なので、構造上、各船室にトイレはありません。
面倒ですが、仕方がありませんね。
私は、船内を歩き、トイレを目指しました。
通路の角を曲がると……。
なっ!
私は、思わず通路の角に身を隠しました。
今の何?
何か見てはいけないモノを見てしまったような……。
通路を曲がった先には、ペネロペとルフィナのお兄さんがいました。
ペネロペは腕組みして壁に寄りかかり、ルフィナのお兄さんはペネロペの寄りかかる壁を手で押さえるような格好だったのです。
か……壁ドン?
私は、そういった知識には疎いのですが、壁ドンの意味するところくらい知っています。
私は、通路の角から、そ〜、っと顔を出して2人の会話に聞き耳を立てました。
「ペネロペ。頼むよ」
ルフィナのお兄さんは、ペネロペに対して何かを一生懸命に懇願しています。
「悪いけど、アタシは、その手の話は、一律で断る事にしてるんだ。そういうのは面倒いからな」
ペネロペは言いました。
「僕は、今回の旅行も、ペネロペが一緒だって言うから無理をして付いて来たんだ。トンマーゾ学長が主催する通貨再膨張の特別ゼミを蹴って、こっちに来たんだよ」
ルフィナのお兄さんは言います。
「知るかよ。それは、ルカの勝手な都合だろ?アタシには関係ない」
ペネロペは、けんもほろろ、という態度であしらいました。
「ペネロペと僕との間柄じゃないか?幼馴染だろう?なっ、頼むよ。一回だけ、一回だけで良いから……」
ルフィナのお兄さんは言います。
えっ?
一回だけ……って何が?
ま、まさか、あんな事やこんな事?
ルフィナのお兄さんは、大学生。
ペネロペは、まだ13歳ですよ。
もしかして、これが噂に聞くロリコン?
「それとこれとは話が別。面倒は、お断りなんだよ」
ペネロペは、拒絶して歩き出しました。
「ペネロペ。待ってくれ……」
ルフィナのお兄さんは、ペネロペの肩を掴みます。
くっ……も、漏れる……。
私は、咳払いをして、自分の存在をペネロペとルフィナのお兄さんに気付かせた上で通路に姿を現しました。
「あ、ペネロペ、お兄さん、いたの?私は、ちょっと、お手洗いに……オホホホ……」
私は、最高にワザとらしく、2人の脇を通り過ぎて、トイレに向かいます。
・・・
ふぅ〜、間に合った。
中等部生にもなって、お漏らしをするような羽目になったら洒落になりません。
けれども、ペネロペとルフィナのお兄さん……あれは、間違いなく、そういう話ですよね?
ルフィナのお兄さんは、見る人が見れば格好良いですし、天下のドラ大に通い、将来は財閥を継ぐ事が決まっている御曹司。
それを……面倒だから……と無下に断るペネロペ……。
いやいや、まだ未成年のペネロペに、あんな事を迫る、ルフィナのお兄さんの方も、ちょっと……という感じですね。
これは、どうやら男女の修羅場を見てしまいました。
さて、どうしたものやら……。
私は、この後、ペネロペやルフィナの前で、普通の顔をして過ごす事が出来そうにありませんよ。
・・・
お昼ご飯を食べて、午後。
ペネロペとルフィナが、私の家の船室にやって来ました。
私は2人に甲板に呼び出されます。
甲板には、ルフィナのお兄さんもいました。
これは、十中八九、さっきのアレ絡みの話でしょうね。
うわー、気まずい。
「キトリー。私とルカの事で何か誤解しているだろう?」
ペネロペは、笑いながら訊ねました。
誤解も何も見たままでしょう?
ルフィナのお兄さんは、ペネロペに……一回だけ、先っちょだけ……と、お願いしていたのです。
あ、いや、先っちょ、は、言っていませんでした。
いけない、いけない。
恋愛に疎い耳年増の思春期のガリ勉女子は、ついつい妄想が暴走してしまいがちになります。
「そうだよ。僕とペネロペは、そういう間柄ではないよ。僕は、婚約者もいるしね」
ルフィナのお兄さんは笑いながら言いました。
そういう間柄?
どういう?
はっ?私は、まだ何も言っていませんけど?
婚約者?
つまり、ペネロペを誘っていたのは浮気?
一夏のアバンチュール?
ふしだらで、ハレンチです。
「兄は、ペネロペに、グレモリー・グリモワールの不可能予想の解法の説明を頼んでいたのよ」
ルフィナが笑いながら言いました。
ん?
グレモリー・グリモワールの不可能予想?
あ……ペネロペが証明したという、魔法学の未解決命題の一つだった、あの……。
つまり、ルフィナのお兄さんは……一回だけで良いから、グレモリー・グリモワールの不可能予想の解法の説明をして欲しい……と頼み、ペネロペは……面倒だから……と断っていた、と?
……なるほど。
私の妄想が間違った方向に暴走していた訳ですね。
は、恥ずかしい。
ハレンチなのは、私の方でした。
「でも、キトリーちゃんのおかげで、ペネロペがグレモリー・グリモワールの不可能予想を解説してくれる事になったんだよ。ありがとう」
ルフィナのお兄さんは言います。
「仕方ないだろう。キトリーに変な誤解をされたままだと、困るからな。でも、ザックリとした説明だぞ。ルカは文系だから、応用数学の専門的な説明をしたって、どうせ理解出来ないからな」
ペネロペは言いました。
「それでも良いよ。何しろ、去年、学術の世界では、ペネロペの論文は最大のトピックだったんだからね。それを、論文著述者本人から解説してもらえるなんて、一生の自慢になるよ」
ルフィナのお兄さんは言います。
・・・
私達は、ルフィナの家の船室に集まって、ペネロペの解説を聴く事にしました。
私も参加します。
勉強より、こちらの方が面白そうですからね。
グレモリー・グリモワールの不可能予想……とは、約900年前にグレモリー・グリモワールという英雄が仮説を提起した魔法学の命題です。
グレモリー・グリモワールという英雄は、魔法学の発展に大きく貢献した歴史上極めて重要な人物でした。
彼女が書いた多くの魔導書の解説本は、世界中のどこでも買えます。
原書は、魔法ギルドが管理する禁書扱いになっているのだとか。
禁書といっても、別に悪い事が書いてある訳ではありません。
強力な攻撃魔法や呪詛魔法などが網羅されている内容なので……悪用されると危険だ……という判断なのだそうです。
グレモリー・グリモワールは、強大な魔法を駆使する【大魔導師】です。
彼女は、【ドラゴニーア】やノース大陸の【エルフヘイム】で国家最高功労賞を叙勲されていたり、イースト大陸の【イスタール帝国】では初代皇帝になっていたり、【ドラゴニーア】大学や、【スヴェティア】の魔法都市【エピカント】にある魔法学の殿堂【スヴェティア】国立魔法大学で、魔法学の主任教授を務めていたり、と、とにかく多岐に渡って多くの偉大な業績を遺す、魔法の寵児でした。
ペネロペは、紙にペンを走らせながら説明を始めます。
「もう、みんなは知っていると思うけど……グレモリー・グリモワールの不可能予想の概論をザックリと説明すると……【空間魔法】は、独立固有の魔法体系であり、実数空間において、【空間魔法】を構成する【魔法公式】を分解して個別に存在させる事は不可能に違いない……という予想仮説だな」
ペネロペは言いました。
一同は頷きます。
私も、さも常識かのように頷きましたが、知ったかぶりでした。
「どういう事か?これを説明するには、前提として、まず魔法と科学を完全に分離しなければならない」
ペネロペは説明します。
「どういう事?魔法と科学が別のモノなのは当たり前でしょう?」
ルフィナが疑問を呈しました。
そうです。
私も、それが聴きたかったところですよ。
グッジョブ、ルフィナ。
「うん、それが現代魔法学の基礎概念とされている。現代魔法学では、別々のモノである魔法と科学を融合しようという試みが研究の主流だからね。でも、その認識が、そもそも間違っているんだよ。本来、魔法と科学は同じモノだ……少なくともグレモリー・グリモワールは、そういう理論に立脚している。だから、900年、グレモリー・グリモワールの不可能予想を誰も解けなかった。魔法と科学が同一であるとする考え方は、森羅万象理論という魔法学の世界では異端とされる考え方なんだ。森羅万象理論に関しては、面倒いから、ここでは説明を省くけど。みんなも、とりあえず魔法と科学は同じモノとして丸ごと飲み込んでくれ。良いかな?」
ペネロペは、言いました。
一同は頷きます。
私も頷きましたが、森羅万象理論が何なのか、さっぱりわかりません。
まあ、理解しているらしいルフィナと、ルフィナのお兄さんの邪魔になるといけないので、それは後でペネロペに教えてもらいましょう。
「つまり魔法と科学は同一のモノ。その前提で魔法を科学から完全に分離する作業を頭の中でするんだ。これは現実ではあり得ない状況なんだ。何故なら、グレモリー・グリモワールが仮定する世界の法則では、魔法と科学は同一なんだから。その不自然な状況設定を無理矢理、頭の中に用意する訳。いわゆる思考実験というヤツだな」
ペネロペは言いました。
魔法と科学は同一のモノで、グレモリー・グリモワールの不可能予想を証明するには、それを分離して思考する必要があるけど、現代の魔法学では、魔法と科学は別モノとして結論付けられているから、齟齬が生じている、と。
大丈夫……まだ、何とか話に付いて行けています。
「光の速さは、おおよそ秒速30万kmで不変にして普遍。また、この世界には、光より速いモノは存在しない。これは、わかるね?」
ペネロペは言いました。
一同頷きます。
私も頷きますが、それは知らない常識でした。
まあ、今知ったので、もう知っています。
知ったかぶりをしましょう。
「しかし【転移魔法】では、見た目上、光速度より速く移動出来る。これが科学においては、長年大きな矛盾と考えられて来た。だから、魔法は科学とは違う法則によって支配されていると結論付けたのが現代魔法学と、現代科学なんだよ。でも、魔法と科学は同一……この原則が真理だとするなら、それは間違いだ。グレモリー・グリモワールは、まず、この矛盾を、こう解釈した」
ペネロペは、紙に図解して説明を始めました。
【転移魔法】は【空間魔法】の一部である。
A地点からB地点に瞬時に……つまり光速度より速く移動する為には亜空間を通る。
A地点で亜空間に入り、亜空間そのものを縮めてB地点を自分に近付けてB地点に出る、と、【転移】が完了する。
これは、光速度より速く移動した訳ではなく、亜空間……つまり空間そのものを縮めている。
なので、科学的に矛盾しない、と。
ペネロペは、論文の中で、この【転移】の矛盾(そう信じられて来た誤解)を幾何学的に説明し、特殊森羅万象理論と名付けているのだそうです。
これだけで、学会がひっくり返るくらいの業績らしいのですが、ペネロペの論文は、さらに深淵に迫って行きました。
グレモリー・グリモワールの予想では……。
虚数空間である亜空間では空間を縮めたり広げたり出来るが、実数空間である現実世界では空間を縮めたり広げたりは出来ない。
つまり、現実世界では光速度を超えて移動する事は不可能である。
……と、仮説されています。
ここから、わかる事は、【転移】のような【空間魔法】を構成する魔法を個別に抽出して、現実世界で発現させる事は不可能なのではないか?
これが、グレモリー・グリモワールの予想の根幹。
もしも、それが可能だとするなら、【転移】を構成する空間を縮める働きを司る【魔法公式】を【転移】の中から分解抽出すれば、現実世界で【転移】を使わなくても、空間を縮めて移動すれば、光速度を超えて自由に移動出来てしまうはずだからです。
これが、グレモリー・グリモワールの不可能予想と呼ばれるモノの全容。
難解ですが、何となく、わかったような……わからないような……。
ペネロペは、昨年の夏休みの宿題のテーマとして、グレモリー・グリモワールの不可能予想を選び、その証明を、複雑怪奇な幾何学を用いて行い、論文にまとめました。
論文の表題は、グレモリー・グリモワールの不可能予想の、一般森羅万象理論を用いた証明。
初等部の児童が、高度な魔法学の証明を、夏休みの宿題に選ぶとか……ペネロペの頭脳の異常さが良くわかります。
ペネロペは、この論文を、森羅万象理論の提唱者として有名な【スヴェティア】国立魔法大学のエニグマ・エクリプス教授に送り、査読を依頼しました。
エニグマ・エクリプス教授は、グレモリー・グリモワールの学派を継承する人物。
エニグマ・エクリプス教授は、すぐに、ペネロペの論文の革新性に気付き、ペネロペと連絡を取り合い、多少アラのあったペネロペの論文を修正して、共同著作という形で学会に提出したのです。
つまり、ペネロペが閃いた画期的なアイデアを、エニグマ・エクリプス教授が補完して書かれた論文が、グレモリー・グリモワールの不可能予想の証明。
昨年の学術界で、最大のトピックと呼ばれた偉業だったのです。
ペネロペの解説は終わりました。
ルフィナとルフィナのお兄さんは、興奮気味。
私は、イマイチ凄さがわかりませんでした。
「ペネロペ。さっきの森羅万象理論について教えてくれない?」
私は、ペネロペに、お願いしました。
「あー、まあ、キトリーになら良いよ。森羅万象理論ていうのはね……」
ペネロペは、私にもわかるように、丁寧に森羅万象理論を教えてくれました。
森羅万象理論とは……ザックリというと、この世界を支配する、あらゆる法則は、たった一つの数式に帰結するに違いない、とする研究分野なのだそうです。
【創造主】様が創った、神の数式。
この世界の森羅万象は、この、たった一つの神の数式の応用で全てが成り立っている。
この考え方が、つまり森羅万象理論なのだそうです。
ペネロペも、その森羅万象理論を支持する立場なのだ、とか。
森羅万象理論に立脚すれば……魔法と科学は同一……と考えるのが自然。
「例えば、魔法で物質を生み出す事が出来るだろう?【礫】で石を生み出したり、【錬金術】で石を金属に変えたりさ?あれも、森羅万象理論で説明出来る。森羅万象理論では、物質とエネルギーは、同じモノなんだよ。だから、魔力を収束して反応させれば、純粋なエネルギーである魔力を、石や金属などの物質に変換出来る。これを、グレモリー・グリモワールは、相対性理論、と呼んでいたらしい。また、森羅万象理論そのものの事も、グレモリー・グリモワールは、物理学、と呼んでいた。とにかく、グレモリー・グリモワールは、偉大な知の巨人だよ。時間旅行が出来るなら、900年前に飛んで、グレモリー・グリモワールと話してみたいなぁ〜」
ペネロペは、何かに魅入られたように饒舌に語ります。
私達が乗る旅客飛空船は、夜、【パダーナ】の首都【ナープレ】に到着しました。
お読み頂き、ありがとうございます。
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