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怪しい密会

  

 厨房には下ごしらえを始めている料理人達が行ったり来たりと忙しそうに働いていた。


「……いませんね、孝文」


「そうですね……」


 壁の陰に隠れつつ、厨房の中を覗くが、先日見た竈の前に孝文の姿はなかった。


「殿下の昼食はいつも通りに作られるはずです。今日、ご実家に帰られていることは、秘密なので」


「……どこかに行っている、とか」


「その可能性はありますね。見張りを頼んでいた者に話を聞いてきます」


「あ、それなら私も厨房に知り合いがいるので、そちらにも話を聞いてきますね」


「……まぁ、こちらに居た方が、人目があるので大丈夫だとは思いますが……。無茶はなさらないで下さいね」


「はい。桃仙さんもお気をつけて」


 桃仙は頷き、足音を消しつつその場からあっという間にいなくなってしまう。


「……私も、探さないと」


 桃仙には悪いが、自分で思うように行動させてもらおうと夕明はその場から離れた。

 ただ孝文が休憩で離れているだけなら、こちらの勘違いで済むが、可能性としては毒を提供している人物と密会しているのではないかと疑いを持っていた。


 もし、自分が孝文の立場で、誰かと密会するならば、出来るだけ目立たないが、料理人の自分がそこにいても怪しまれない場所に行くだろう。


「……食糧庫?」


 厨房から少し離れた場所に木々が壁のように並び、日陰を作っている場所に食糧庫があるのを知っている。


「……桃仙さんに見つかるかな」


 もしかすると、すでに見張りの人が現場を押さえているかもしれない。行けば、鉢合わせするかもしれないが、行かずにはいられなかった。

 出来るだけ人に気付かれないように厨房を離れ、外へと続く裏口の扉をそっと開いて、小走りで食糧庫へと向かった。


 料理に使われる食材を日に当てて悪くさせないようにと木がたくさん植えられているが、ずらりと並んでいるおかげで、自分の姿も上手くその中に隠すことが出来た。


「えっと、確か……こっちだったよね」


 こちらまで来るのは初めてだ。迷うような道ではないが、やはり少々薄暗いため、肌寒く感じる。


 前方を見ると、建て替えられたのか、他の建物よりも真新しい食糧庫の小屋が見え始める。入口の鍵は錠が外されているままだ。……中に人がいるのだ。


 夕明は辺りを気にしつつ、背を低くしながら、食糧庫のすぐ傍まで走っていった。

 その位置は、木のおかげで夕明の姿がさらに見えないような場所になっていた。盗み聞きするには打って付けの場所だろう。


 見上げると空気を入れ替えるためのものなのか、木製の小窓が夕明の手がぎりぎりに届く位置にあった。

 その壁側の下には捨てられる予定なのか、木箱が置いてある。それの上に音を立てないように足を掛けて、小窓から食糧庫の中へと耳を傾けた。


 誰かが中で作業しているのか、何かが擦れる音も聞こえる。話し声までは聞こえないので、一人なのだろう。


「……」


 この中に孝文がいるのかは分からない。しばらく様子を見てみる必要があるだろうと夕明が息を潜めて暫く立っていると、遠くからこちらへ向かってくる足音が聞こえ始めた。

 だが、誰が来ているのかは確認が出来ないので、そのまま音を立てないように微動せずにいた。


 すぐに食糧庫の戸が開く音が聞こえ、何かにぶつかったのか金属のような音が軽く響く。これで、来たのがただの料理人なら、当てが外れたことになる。

 だが、もしこの中へ入ってきたのが、孝文に毒を渡している者だとすれば──。


 夕明が静かに会話を待っていると、絞り出すような声が中から聞こえ始める。


「──まだ、やるのですか。私は十分にそちらの意向に従いました。もう、宜しいでしょう。許してください」


 泣きそうな程、震える声が響いていた。


「駄目だ」


 答えたのは孝文と思われる震えた声の持ち主とは別の低く、鋭い声だった。


「まだ、……あの殿下は生きている。それどころか毒見役を雇ったと聞いた」


 毒見役と彼は言った。自分が成蓮側にいると知っているならば、間違いない。この刃のように冷たい声が孝文に毒を仕込むように命令している者だ。


「それならば、私の役目は意味がないはずです」


「だから、今度は遅効性の毒を持ってきた。これならば、毒見役がすぐに症状を訴えることはない。……一口でも食べれば、あの愚図な殿下はころりと逝っちまうだろうよ」


 思わず、拳に力が入った。この冷たい声を持った男が誰に仕えているかを見つけることが出来れば、成蓮が不穏な日々を送ることはなくなるはずだ。


 だが、立場上、自分がこの男をどうこうする力を持っていないのが現実なのだと、悔しさで唇を噛んだ。


「ですが……」


「やらなければ、どうなるか分かっているだろう」


 男の声がさらに低いものとなる。その言葉は脅しのように思えた。

 もしかすると、孝文は何か弱みを握られているのか、もしくは誰かを人質にとられて、仕方なく命令に従うしかない状況にいるのではないかと考える。


「……分かり、ました……」


 力ない声が弱々しく響いていた。


「もうすぐ、帝位争いにも決着が付く。少しでも芽は取り除いておいた方が安泰だからな。なぁに、それまでの辛抱だ。無事に我が殿下が帝位にお就きになった際には、お前にたっぷりと褒美をやるだろうよ」


 笑い声さえも醜く聞こえた。自分に武術が扱えたならば、この男を一発殴って、すぐにでも蒼信達に引き渡せるのに、と思っていた時だった。


「っ……!」


 木箱の上に乗っていた身体が急にぐらりと揺れたのだ。それと同時に木箱には大きな穴が開く。元々、脆くなってしまっていた上に、自分の体重が載せられたのだから、耐えきれなかったのだろう。

 

 しまった、と思ったが遅かった。


「誰だ!」


 怒鳴り声が中から聞こえる。だが、考えるよりも身体がいち早く反応していた。


 倒れてしまった身体をすぐに抱え起こし、そのまま全速力でその場から離れる。幸いにも木々が逃げる自分の姿を隠してくれたのだろう。走りつつも後ろを振り返ったが、追っ手はなかった。


「……はぁっ……。っ……」


 息を整えつつ、厨房近くの裏口の戸まで戻り、周りを見渡す。耳を澄ましても足音は聞こえない。上手く逃げ切れたようだ。


 何事もなかったかのように戸の内側へと入るとそこには腰に手を当てて眉間に皺を寄せている桃仙の姿があった。

 むしろ、こっちの方に驚いた夕明は思わず引き攣った声を上げる。


「夕明様……。どこへ行っていらしたんです?」


 睨まれていないはずなのに、迫力のある無表情の桃仙に夕明は目をそっと逸らした。


「えっと、あの……」


「とりあえず、お話は水蓮宮でお聞きします」


「あ、それなら、先に大事なお話が。……今日、殿下の食事に毒が仕込まれる可能性があります。どうか、誰も食べないようにお伝えください」


 夕明のその言葉に桃仙は眉をさらに寄せて、周りをさっと窺いつつ、頷いた。


「分かりました。見張りの者と小雪殿の者にもそのように伝えておきます」


「宜しくお願いします」


「でも、それはそれです。今から小言を言わせて頂きますので、とりあえず先に水蓮宮へと行きますよ」


「……はい」


 怒られることは間違いないだろう。自ら危険を冒しに行ったようなものだ。


「あの、桃仙さん。……私が少しだけ関わった事は殿下には伝えないで貰えませんか?」


 隣を歩く桃仙に対して上目遣いでこっそりと頼んでみる。これ以上、成蓮に心配はかけられない。


「……もう、危ないことは二度としないで下さいね」


「っ……! はいっ!」


 どうやら、秘密にしておいてくれるようだ。そっと胸を撫でおろしつつ、歩いている廊下を振り返る。

視線は感じられないはずなのに、誰かが自分を見ているのではと気になってしまう。


 あのまま、食糧庫の中の様子を盗み聞き出来たならば、もう少し情報が得られたかもしれない。ただ、身の安全が脅かされる可能性もあるが、成蓮のためならいとわない覚悟だ。

  

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