第16話 一難去らずにまた一難?
郵便受けにメッセージカードが届いたのは、休日の朝のことだった。差出人はハルトで、美しい花型のカードにはレティシアと二人で話がしたいと書いてあった。
カードに記載されていた通り、午後の二時に西庭園のガゼボに到着すると、すでに木製のベンチに腰掛けるハルトの姿が。
「ごきげんよう、ハルト様」
声を掛けると、ふわふわの栗色の髪を揺らしてハルトがこちらを見る。色素の薄い瞳は大きく、男の子でありながらお人形みたいな容貌だ。
「今日は公爵令嬢にお願いがあって呼んだんだ」
向かいのベンチにレティシアが座ると、ハルトはそう切り出した。
「お願い、ですか?」
「このあいだ、ウィル様が泥まみれで帰ってきたんだ。公爵令嬢のせいだって聞いたけど、本当?」
レティシアは目を瞬かせた。
「そのお話は、どなたから?」
レティシアのせいといえばその通りだが、ウィリアムがそんな言い回しをするとは思えなかった。
「俺の友達。公爵令嬢が池に髪飾りを落として、それをウィル様に拾わせたって。本当の話?」
「概ね、事実かと」
その友達が誰なのか気にはなったが、レティシアはとりあえず頷いた。可愛らしい顔がさっと曇る。
「ウィル様ってさ、すげぇ優しいじゃん?」
「はい。殿下は大らかでとても優しい方ですわ」
「うん。だからさ、ウィル様自身は不満とか言わないかもしんないけど……。何も言わないのをいいことに、あんまり困らせないであげて欲しいというか」
「困らせる……ですか?」
ハルトが何に対して苦言を呈しているのか、イマイチよくわからない。大きく首を傾けたレティシアは、あっ、と思い至る。
「そうですね。生徒会室の前まで押し掛けたことは、殿下に多大なご迷惑をお掛けしてしまいました。以降、気をつけますね」
ハルトとの約束を後回しにさせてしまったことも申し訳ないし、耳目を集めてしまったのも反省すべき点だ。
「え、と? なんの話?」
「……違いましたか?」
微妙な沈黙が流れて、二人は暫し見つめ合う。焦ったそうにハルトが口を開いた。
「だからさ、このあいだ公爵令嬢がしたことだよ。池に落とした髪飾りをわざわざウィル様に拾わせるとか、する必要ないじゃん?」
「……そうですわね。殿下のお心遣いを嬉しく思ってしまいましたが、臣下として窘めるべきでした……」
「は?」
「はい?」
またも、顔を見合わせる。
「ウィル様が池に入ったのは、公爵令嬢がウィル様に頼んだんだよね?」
「いいえ? 殿下がご自分からお入りになりました」
「え? なんで?」
「え? ですから、わたくしが落としてしまった髪飾りを拾うために――」
「そうじゃなくて! ウィル様は王太子なんだよ? 王族だよ? それがなんで池に入るなんて品位を損なう行動を、自分からするのさっ」
それがウィリアムという人だからなのだけれど。言葉で説明するのはなかなか難しい。
「……先ほどハルト様が仰った通りかと。殿下は優しい方ですから。わたくしにとって大切な髪飾りでしたので、王太子として褒められた行いではないと自覚しながらも――」
「そんなの、嘘に決まってる」
「嘘?」
ハルトが強くかぶりを振る。
「ウィル様は優しいけど、そこまでしないって。あの人は王太子としての立場をよくわかってる。池の中に入るなんて下品な真似、率先してやるもんか。公爵令嬢がウィル様に無理強いしたんじゃないの?」
「……なぜ、嘘だと決めつけるのですか?」
「ウィル様をよく知ってるからだよ。王族の手本になろうと心掛けてるあの人が、品位に欠ける真似をするはずない。婚約者なのにウィル様を貶めるような作り話、最低だ」
憤りに燃える瞳を見たレティシアは、何を言っても堂々巡りになる予感がした。レティシアとハルトの間で、ウィリアムの人物像に差異があるのだ。
誤解を正すことは諦めて、気になっていたことを訊ねた。
「殿下が髪飾りを拾うために池に入った――ハルト様はこのお話をどなたから聞いたのでしょう?」
「公爵令嬢がウィル様に拾わせた、だよ」
「そちらの解釈でも構いませんが。お友達というのは?」
「君の級友だよ。ラドフォード君。正確には彼じゃなくてその恋人だけど」
ラドフォード君。大人しい伯爵令息の顔がパッと浮かんだ。その彼に親しげな様子で話し掛ける女子生徒の姿も。
なるほど。つまり、ルーシーか。
教室で二人が仲睦まじく語り合っているのを目にしたことがあるし、髪飾りを池に落としたことを知っているのはルーシーだけ。そう考えると辻褄が合う。ルーシーはハルトにあの日のことを、悪意を持って語ったのかもしれない。
ウィリアムが可愛がっている後輩をけしかけてくるだなんて、迷惑極まりなかった。
「俺が答えたんだから公爵令嬢も正直に答えてよ。普段から我儘放題な態度でウィル様を困らせてるの?」
軽蔑と疑惑の入り混じった眼差し。
正直に答えてと言われても。ハルトにとって都合のいい話しか、信じてくれなそうなのに。最近はこんなことばっかりで、億劫な気持ちでいっぱいになる。
もうなんか、面倒くさい。それが本音だった。
ウィリアムが親しくしている後輩と事を荒立てるのは、本意じゃない。本意じゃないのだが。
一つだけ、言いたかった。
「勘違いを、正しておきますね」
レティシアはにっこりと微笑んだ。
「殿下は婚約者の我儘を窘めることもできない甲斐性なしではありません。ハルト様の殿下を慕うお気持ちが真のものであるなら、殿下に対する認識を正しくお持ちになってくださいな。現状では、話になりませんわ」
「……っ、なんだよ、それっ」
かちんときたようで、大きな瞳がつり上がった。
「俺がウィル様のことをわかってないみたいな……っ!」
「みたいではなく、理解されていないかと」
「ウィル様のことならよく知ってるよ! 政略結婚でしかない公爵令嬢よりも、一緒に居る時間はずっとずっと長いんだ。わかってないのはそっちじゃないかっ」
レティシアなりにウィリアムを慮って、側に居たい気持ちをぐっと堪えて距離を取っているのに。こんな風に軽視されるのは、我慢ならない。
ムキになって声を荒げるハルトに、淡々と言う。
「わたくしはルクシーレの薔薇と讃えられる、殿下の正式な婚約者です。ハルト様は殿下にとって出逢って半年足らずのただの後輩。そんな方がわたくしに優位性を主張しても、説得力に欠けますわ」
「何がルクシーレの薔薇だよ、要するに顔だけの令嬢ってことだろっ?」
「頭もいいです」
大事なことなので、しっかりと訂正を加える。
「……っ、頭がいいならウィル様の足を引っ張るような振る舞いするなよ!」
「そのような振る舞いはしておりません」
ごく偶にしか。たぶん。
「じゃあなんでずぶ濡れの泥まみれになるんだよっ!?」
「ですからそれは――」
案の定、話が戻って嘆息してしまう。
「婚約者のいらっしゃらないハルト様には、理解の及ばないお話かと」
立ち上がったレティシアを、ハルトが鋭く制した。
「話はまだ終わってないよ」
剣呑な瞳を意に介さず、おっとりと首を傾げる。
「これ以上お話ししても、時間の無駄に終わるのは目に見えております。ハルト様はそれほどまでにお暇なのですか?」
「君、本当にあのウィル様の婚約者?」
そういうあなたは本当にウィル様の可愛い後輩なのですか、と言い返したくなるのをぐっと堪えて。
「はい。殿下曰く、自慢の婚約者だそうです」
優雅な微笑みと共にそう告げて、レティシアはガゼボから立ち去った。
 




