協調性ないから
頭の片隅にあった記憶が戻ってくる。
「―――あー…そういえばあったわねそんなものが」
「ちょっと意外。全然嬉しそうじゃないのね」
乗り気じゃないのが顔にでていたのだろう。覗き込んでくる未来の顔が怪訝な表情をしている。
「あったり前じゃない。何が悲しくて体育祭ごときで喜ばなくちゃいけないのよ」
私はすっかり忘れていたのだ。この体育祭という行事を。
いや忘れていたという言い方には語弊があるか。どっちかというと思い出したくないから記憶から抹消しているが正しい言い方だろう。
「どうしてよ?」
「…ものっすごい応援なのよ」
「は? どういうこと?」
「……家族。とういうよりお父さんね。応援が強烈過ぎて単純に恥ずかしいのよ」
「あー……思い出した。あのごっついお父さんね」
中学の体育祭を思い出したのか未来が私と同じような顔つきになる。気持ちはわかるけど人様の親を思い出してゲンナリするだなんてちょっと失礼なんじゃないか。
「アナタが恥ずかしいっていうから同調してあげたのよ。それとも良いお父さんで羨ましいとかって言えばいい?」
「それはそれでムカつくからやめて」
「なんなのよ…。そんなに嫌なら呼ばなければ良いんじゃない? 大体高校の体育祭なんて普通親なんて呼ばないし」
「あ、そっか! なーんだ心配して損した。知ってたなら早く言いなさいよ元ヤン」
「元ヤン言うなっ! …もういい。で、一緒にやってくれるわけ?」
「そうそれも聞きたいのよ。なによ一緒にやるって。体育祭の実行委員とか?」
体育祭は学校行事としての〝健康安全・体育的行事〟に位置づけられ、児童生徒の自主的参加により催される行事である。
その中身としては個人競技や団体でクラス代表として出る競技がほとんどであるが、それらを決めるにはクラス間で管理する必要があるため各クラスに実行委員が存在する。
一緒にやるというなら普通、実行委員の方を思い浮かべるが未来の様子を見るやどうやら違うらしい。
「ホント話し聞いてないのね。呆れるを通り越して昔なら殴ってる」
「それでよく元ヤン否定出来るわね…」
「如月にだけは呆れられたくないから。いい? わたしが一緒にやろうって言ったのはペア競技よ」
「ああ…そっちね」
「そうそっち。ね? 一緒にでましょ」
「そうだなあ…」
何故だかちょっぴり頬を染める未来に思考を彷徨わせる。
きっとそれなりに勇気を出して誘って来たに違いない。本当に友達が少ないようだ。まあ人の事は言えないが。
にしてもこういった学校行事は連帯感や調和、団結力などを養う点にあるとされる。
なればこそ、こういった誘いに乗ってこそ体育祭に参加する意義と意味があるんじゃなかろうか。まさに調和や連帯感といった感じで実に分かりやすいじゃないか。
「個人競技に出るわ。わたし協調性ないから」
「バカなのっ!!?」
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