第15話 〜最終章 陽人と蒼〜
放課後。
突然の豪雨だった。
「うわっ!」
「ちょ、待っ……!」
俺たちは慌てて部室棟の軒下へ駆け込む。
制服は、すでにびしょ濡れだった。
「やばいなこれ」
俺が笑う。
蒼は濡れた前髪を押さえながら苦笑した。
「僕、今日寝坊したから天気予報見てなかった……」
雨は激しさを増していく。
軒下は想像以上に狭かった。
バットケースやボールスタンドなどが置かれていて、二人並ぶだけで精一杯。
肩が触れる。
腕が当たる。
少し動けば身体ごとぶつかってしまう
近い。
近すぎる。
「わー!シャツもズボンもぐっしょりだよ。陽人は?」
蒼がそう聞いた。
けれど陽人は返事をしなかった。
代わりに部室棟のドアを端から順番にガチャガチャやり始める。
「前さー」
ガチャ。
「鍵当番だったやつが閉め忘れて帰ったことあってー」
ガチャ。
「監督ブチ切れ」
ガチャ。
「サッカー部全員集合」
ガチャ。
ガチャ。
「グラウンドのど真ん中で正座」
蒼が小さく吹き出す。
「それ、聞いたことない」
「マジ?」
陽人は振り返る。
「説教一時間だぞ?」
「長いな」
「しかも連帯責任」
ガチャ。
「グラウンド十周」
ガチャ。
「監督のヤロー絶対許さねえって全員で言いながら走った」
「走ったんだ」
「走るんだよ」
陽人は肩をすくめる。
「俺ら無駄に体力あるから」
蒼が少し笑った。
その笑顔を見て陽人の胸がきゅっとなる。
危ない。
かわいいと思った。
今、
完全に思った。
だから慌てて話を続ける。
「…でさ、誰かが軍歌みたいに『監督お前は解任だー』とか歌い始めて」
「最低だな」
「そしたらコーチが来て」
「うん」
「えっ、もう走ったんですか?って。
なんかコーチが監督を説得してくれてたみたいでー
走るの無しってなってたの、なんか言い忘れてたってー」
蒼が吹き出した。
陽人もつられて笑う。
でも。
笑いながら気付いてしまう。
自分が喋っている理由に。
別に鍵の掛かってない部屋なんか探していない。
雨宿りできる部屋なんか最初から開いていない。
分かっている。
ただ。
緊張しているだけだ。
蒼と二人きりで。
近すぎて。
意識しすぎて。
沈黙になるのが怖くて。
だからずっと喋っている。
「……あーだめだ」
陽人は最後のドアノブから手を離した。
「運動部全員、あの日の説教見てたからな」
苦笑する。
「戸締まりだけは完璧だわ」
そう言いながら蒼の隣へ戻る。
その瞬間、陽人の言葉が止まった。
蒼がじっとこちらを見ていた。
まっすぐに。
ただ、まっすぐに。
雨音だけが響く。
さっきまであれだけ饒舌だった陽人は、一言も続けられなくなった。
心臓だけがうるさかった。
沈黙になるのが怖かった。
蒼を意識している自分を認めるのが怖かった。
けれど……。
「……陽人」
蒼が名前を呼ぶ。
それだけで全部止まった。
視線がぶつかる。
雨音だけが響く。
蒼の睫毛に小さな水滴が乗っていた。
かわいい。
頬はほんのり赤い。
濡れた前髪が額に張り付いている。
綺麗だった。
息を呑むほど。
胸が苦しくなるほど。
綺麗だった。
陽人の心臓が大きく跳ねる。
近い。
近すぎる。
蒼の体温が伝わってくる。
柔らかい髪の匂い。
制服の柔軟剤の匂い。
頭がくらくらした。
触れたい。
抱きしめたい。
もう誤魔化せないくらい。
「……陽人」
蒼がもう一度呼ぶ。
陽人はそっと蒼の胸元に指先を触れた。
制服越しに伝わる鼓動。
速い。
自分と同じくらい。
蒼が小さく息を呑む。
「蒼」
陽人は優しく名前を呼ぶ。
蒼は目を伏せた。
「……僕、ちょっと寒い」
その耳は真っ赤だった。
陽人は思わず笑ってしまう。
嘘だ。
寒いわけない。
自分と同じ顔をしている。
だけど陽人は蒼を抱き寄せた。
細い身体だった。
思ったよりずっと。
腕の中に収まってしまうくらい。
蒼が小さく震える。
陽人はその髪に顔を埋めた。
落ち着く匂いがした。
ずっと探していた場所を見つけたような気がした。
蒼もゆっくり腕を回してくる。
背中に触れる指先が震えていた。
どれくらいそうしていただろう。
気付けば雨は弱くなっていた。
蒼が名残惜しそうに身体を離す。
陽人はそんな顔を見てしまった。
離したくない。
そう思った。
はっきりと。
初めて。
迷いなく。
「……蒼」
「ん?」
「俺さ」
心臓がうるさい。
でももう逃げたくなかった。
「いっぱい傷付けたよな」
蒼が首を振る。
「そんなこと……」
「ある!」
陽人は苦笑した。
「お前のこと好きなくせに」
蒼が息を呑む。
「ずっと逃げてた」
蒼の瞳が大きく揺れた。
陽人は一歩近づく。
そして蒼の頬に触れた。
冷たかった。
でも柔らかかった。
愛おしかった。
「ごめん」
小さく謝る。
「でも」
今度は笑う。
「もう我慢するの限界」
蒼の目から涙が零れた。
ぽろりと。
一粒。
それを見た瞬間、
陽人はたまらなくなった。
「蒼」
抱き締める。
今度は強く。
絶対に離さないように。
「好きだ」
蒼が息を止める。
「好き」
もう一度。
「俺、お前が好きだ」
蒼の顔がぐしゃぐしゃになった。
泣いていた。
なのに笑っていた。
今まで見たどんな顔より綺麗だった。
「……陽人」
「ん?」
「僕」
蒼は泣きながら笑う。
「今、夢を見てるみたい」
陽人は吹き出した。
「奇遇だな」
「え?」
「俺も」
二人で笑う。
涙混じりに。
馬鹿みたいに。
少しだけ沈黙。
陽人は頭を掻いた。
そして照れくさそうに言う。
「……なあ」
「ん?」
「もう俺たち付き合わない?」
蒼は一瞬固まった。
それから顔を真っ赤にする。
返事なんて決まっていた。
「うん」
即答だった。
陽人は笑った。
それから少しだけ緊張した顔になる。
「蒼」
「なに?」
「ちょっと聞いていい?」
「?」
陽人は視線を逸らした。
「……キスしてもいい?」
蒼が固まる。
本当に時間が止まったみたいに。
耳まで真っ赤になった。
「い、今聞く?」
「聞くだろ」
「普通聞かないだろ……」
「聞くだろ」
「聞かないよ!」
蒼が涙目で反論する。
陽人は思わず笑った。
その顔が可愛くて仕方なかった。
やがて蒼は観念したように目を伏せる。
「……いいよ」
小さな声。
「聞こえない」
「聞こえてるだろ」
「聞こえない」
蒼は泣きそうな顔で笑った。
そして。
「……して、いいよ」
と呟いた。
陽人はそっと蒼の頬に触れた。
濡れた髪を指で払う。
長い睫毛。
赤い耳。
震える唇。
全部が愛おしい。
蒼が静かに目を閉じる。
陽人はゆっくり顔を近づけた。
そして…
触れるだけのキスをした。
ほんの一瞬。
けれど、
長い片想いが終わるには十分だった。
唇が離れる。
蒼が泣きそうな顔で笑う。
陽人も笑った。
そしてもう一度抱き締める。
今度は恋人として。
雨上がりの夕陽が二人を優しく照らしていた。
長かった片想いは終わった。
こうして二人の両想いの物語が、ようやく始まった。
Fin




