第73話 護衛依頼――オルデへ②
第73話です。
白い吐息の朝に、旅立ちの車輪が軋む。
新たな同行者たちが、静かに街道へ並ぶ。
焚き火の灯を囲み、七日間の旅を越える。
潮の香る城壁都市が、彼らを迎え入れる。
出立の朝は、静かに明けた。
ラシェンテの石畳はまだ夜の冷気を孕んでいて、馬の息が白く立ち昇る。荷馬車が二台、食料車が一台。幌の色も、車輪の大きさも、それぞれ少しずつ違う。けれど並んで止まると、妙に絵になった。
タイフが段取りよく指示を出し、御者が手綱を確かめ、荷の固定を見届けた護衛たちが自分の持ち場へ散っていく。
そこへ、もう一組の姿があった。
三人。いずれも若い。
先頭に立つのは、長身の男だった。板金鎧は使い込まれ、傷と手入れの跡が等しく刻まれている。栗色の短髪に、剃り残したような無精髭。大盾を背負い、片手剣を腰に吊った立ち姿は、壁そのものだった。
その隣に、小柄な女。深緑のフードを目深にかぶり、猫目がちの瞳がこちらをさらりと流し見る。弓を背にした軽装は、森の獣のように馴染んでいた。
少し後ろには、金茶の髪を後ろで束ねた青年。年はロイドと大差なさそうだが、腰の薬嚢と携行具の多さが、只者ではないことを告げていた。
タクミは一歩前に出る。
「タクミだ。今回、同行させてもらう」
長身の男が、短く頷いた。
「ディラン。銀嶺の風、リーダーをやってる」
「シエラです」
フードの女が、静かに続ける。愛想があるというわけではないが、声に棘もない。
「カイルです。よろしくお願いします」
金茶の青年が、にこりと笑って言った。三人の中でいちばん表情が豊かだった。
タクミは軽く頷いて、後ろを振り返る。
「こっちはルナ、剣士だ。リシェルが魔法師。ロイドがバーサーカー。俺は武闘家をやってる」
そのとき、ガウルがのっそりと前へ出た。
白銀の毛並みが朝の光を受けて鈍く光る。肩高はディランの胸に届くかという巨躯。熊とも狼とも取れぬその姿に、銀嶺の風の三人がそれぞれ反応した。
ディランは眉一本動かさず、ただ目を細めた。カイルが「でかい……」と呟いて半歩引く。
シエラだけが、すっと前に出た。
「……触っても、いいですか」
タクミではなく、ガウルに向けて言った。
ガウルは鼻をひとつ鳴らし、動かなかった。シエラはそっと手を伸ばし、白銀の毛並みに指を沈める。
「……柔らかい」
ぽつりと言った。その声だけが、少し違った色を持っていた。
「名前は?」
「ガウルだ」
シエラはガウルの耳の後ろを、ゆっくりと撫でた。ガウルは動かなかった。ただ、わずかに目を細めた。
「……いい子ね、ガウル」
ディランがその様子を横目で見て、小さく息を吐いた。呆れているのか、安堵しているのか、どちらとも取れる顔だった。
「うちのシエラが世話をかけます」
「いや、構わない」
カイルがおずおずと横から手を伸ばしかけ、ガウルにじろりと見られて引っ込めた。
「……俺はまだ早いですかね」
「もう少し先だな」
タクミが言うと、カイルは「そうですか……」と神妙に頷いた。
◇
隊列は、街道を東から西へ折れ、オルデへ向かって進みはじめた。
先頭に銀嶺の風。中ほどにタイフと護衛の馬車、食料車。後衛にタクミたちの馬車。
出発してしばらくは、ガウルは馬車の脇をゆったりと歩いていた。その白銀の巨躯が街道を行く様は、なかなか絵になった。
だが、半刻も経たないうちに、ガウルの姿が馬車の外から消えた。
幌の内側を覗くと、いつの間にか荷台に収まっていた。どこをどう乗り込んだのか、タクミには見当もつかない。ルナとリシェルがその両脇を陣取り、白銀の毛並みをわしわしと撫でくり回している。ガウルは大きな頭をわずかに傾け、されるがままにしていた。
「……気持ちよさそうです」
リシェルがにこやかに言う。
「当然よ。この子は撫でられる気持ちよさをわかってるんだから」
ルナが満足げに頷く。
ロイドは荷台の隅に寝転び、すでに干し肉を齧っていた。出発して半刻も経っていない。
(……荷台、潰れないのか)
タクミは御者台から幌の内側を一瞥し、そっと視線を前へ戻した。
街道は整備されていた。ラシェンテとオルデを結ぶ幹線は、帝国の手が入って久しい。石畳ではないが、轍の深い泥道でもない。馬車の揺れは緩やかで、車輪の音が一定のリズムを刻んでいた。
旅は、静かに始まった。
◇
初日の夜だった。
野営地に火が灯り、テーブルが展開された。街道のど真ん中に、である。タクミは思わず目を細めた。
(……テーブル?)
タイフが護衛に何かを指示すると、手慣れた様子で折り畳み式の天板が広げられ、調理道具が並んでいく。煮込みの香りが漂いはじめたのは、ほんの少し後のことだった。
「……護衛兼調理人か」
「長旅でございますから。腹が減っては、護衛もままなりません」
タイフが涼しい顔で言った。
タクミは感心しながらも、街道の真ん中に展開された宴の光景に、どこか釈然としないものを感じた。旅人が通ったらどうするんだ、と思ったが、周囲にはラシェンテへ向かう探訪者たちの野営がすでに広がっており、この街道はそういう場所らしかった。火と人の気配が、ゆるやかな集落のように連なっている。
「俺は後でいい。先に見張りをする」
タクミが言うと、ルナがすぐに立ち上がった。
「わたしも後で」
迷いのない声だった。タイフが二人を見て、静かに頭を下げる。
「では、頼みましたよ。タクミ様、ルナ様」
そう言い残し、馬車へ戻っていった。
夜の街道は、遠くに火がいくつも見えた。風は生ぬるく、草の匂いがした。タクミは街道の端に立ち、闇の向こうをぼんやりと眺めた。
「静かな夜だな」
「そうね」
ルナが隣に並ぶ。気配が近い。触れてはいない。けれど、肩の距離が近かった。
しばらく、言葉はなかった。
悪くない沈黙だった。
ディランとカイルが食事を終え、交代に来たのは半刻ほど後のことだった。
「食べてきてください。なかなか旨いですよ」
カイルが気軽に言う。
「悪いな」
タクミは短く言い、ルナと並んで火のそばへ戻った。
煮込みは、予想以上に旨かった。スープの底に沈んだ芋が、ほろりと崩れる。ルナは最初の一口で目を細め、それから黙って食べ続けた。
タクミも無言で匙を動かしながら、ふと気になっていたことを口にした。
「ラシェンテにいる間、他の種族をほとんど見なかったな。ドワーフみたいな亜人って、この大陸にはいないのか?」
ルナは少し考えてから答えた。
「昔……ずっと昔に、帝国と亜人の間で大きな戦があったの」
ルナは匙を止め、焚き火を見つめながら続けた。
「その後、亜人たちは北方大陸東部にバラハ共和国を築いたわ。いくつもの小国家や部族を、共和制という形でまとめた国よ。今は帝国とも不可侵条約を結んでいて、大きな争いは起きていないわね」
「じゃあ、そこへ行けばゴントみたいなドワーフ族に会えるわけか」
ルナはわずかに首を傾けた。
「……多分、無理よ。ドワーフは元々人間が嫌いだから」
あっさりと言った。タクミは少しだけ残念そうに「そうか」と呟いた。
火が揺れた。遠くで誰かが笑う声がした。夜の街道は、意外なほど賑やかだった。
◇
旅の間、銀嶺の風とは少しずつ言葉を交わすようになった。
きっかけは、二日目の休憩だった。
御者が馬に水をやっている間、カイルがタクミのそばへやってきた。
「タクミさんって、武闘家なんですよね。素手で戦うんですか?」
「まあ、そうだな」
「へえ……。前衛は盾か剣がほとんどだから、素手ってあまり見たことなくて」
カイルは純粋に興味があるらしく、目が輝いていた。
「強いんですか?」
「さあな」
「謙遜ですか、それ」
ロイドが横から割り込む。
「謙遜じゃねえぞ。兄貴の拳、岩より硬えんだ。それに俺の竜骨刃も弾き返されたからな」
ロイドは腰の短剣を抜き、指先でくるりと回した。陽光を受けた刃が、鈍く金色に光る。
「……は?」
カイルの顔が止まった。
「剣が、弾き返された? 素手に?」
「ああ」
タクミが短く答えると、カイルはしばらく沈黙し、それから「……それは、すごいですね」とだけ言った。言葉が追いついていない顔だった。
ディランはその会話を少し離れたところで聞いていた。何も言わなかったが、タクミへ向ける目の色が、わずかに変わった気がした。
◇
四日目の深夜。
ガウルが、立ち止まった。
歩みを止め、鼻先を闇へ向ける。毛並みが、わずかに逆立つ。唸り声はない。ただ、その静止が全てを語っていた。
タクミは即座に目を覚ます。手の甲に熱が集まるのを感じながら、外へ出た。
暗い。月は雲に隠れている。
街道の端から、人影が湧いた。
一人、二人――数えるうちに、二十は超えた。手に手に得物を持ち、足音を殺して近づいてくる。その殺気は隠せていない。長くこの仕事をしてきた者たちの、荒んだ目つきだった。
銀嶺の風がすでに動いていた。ディランが大盾を構え、シエラが矢をつがえ、カイルが細剣に手をかける。無言の連携が、暗がりの中で静かに整う。息が合っている。場数を踏んできた者たちの、迷いのない動きだった。
盗賊の一人が、前へ出た。
「金目のものを置いていけ。そうすりゃ、命までは取らない」
低い、脅しに慣れた声だった。何度も使ってきた台詞だとわかる。
タクミは盗賊を一瞥した。それから、ゆっくりと街道脇の木へ歩いていった。
誰も止めなかった。
タクミは木の前に立ち、腰を落とす。息を吐く。
拳が木を穿つ。
――ドォバゴォオオオッ!!
雷鳴じみた炸裂音が、夜を裂いた。
幹の中ほどが、根こそぎはじけ飛んだ。木片と土と葉が夜の空へ舞い上がり、闇の中に白い破面が浮かぶ。余韻が、街道に染み渡る。
タクミは振り返り、盗賊たちを見た。
「さて、やろうか」
静かな声だった。
盗賊たちは、もう走っていた。誰が最初に動いたのかもわからない。二十を超えた人影が、来た方向へ散り散りに消えていく。悲鳴に近い声が遠ざかり、夜の静けさが戻ってきた。
銀嶺の風の三人が、呆然と立ち尽くしていた。ディランは大盾を構えたまま動かず、シエラはつがえた矢を放す機会を失い、カイルは口を半開きにしていた。
ややあって、カイルが言った。
「……剣が弾き返されるって、そういうことですか」
誰も答えなかった。
ディランがゆっくりと大盾を下ろし、タクミを見た。値踏みでも警戒でもない。ただ、確かめるような目だった。
「……凄いな」
短く、それだけ言った。
馬車の幌が持ち上がり、タイフが顔を出した。整った顔に、満足の色が浮かんでいる。
「お見事にございます、タクミ様」
静かな夜に、その一言だけが落ちた。
◇
七日目の朝。
タクミはタイフの馬車に乗っていた。御者台ではなく、荷台の内側。向かいにタイフが座り、街道の揺れに合わせてゆるやかに体を傾けながら、話していた。
「オルデは、もとは漁村でございました」
タイフの声は穏やかだった。商人の顔でも、当主の顔でもなく、ただ知っていることを語る、素直な声だった。
「旧サラトニア王国の滅亡から八百年。今でこそ大港として栄えておりますが、かつては荒廃した小さな漁村に過ぎませんでした。現在の姿となったのは、五百年前に帝国がこの地を直轄領へ編入してからにございます。長い年月と、多額の投資があってこそです」
「城壁もそのときか」
「左様にございます。バリスタは対ワイバーン用として備えられたものだとか……もっとも、この五百年、実戦で用いられたことはないそうです」
「街章は狼と剣の紋章だそうですが……本当の由来は、もっと古いのです」
タイフが、少し声を落として続ける。
「二千年前――この地が、まだカルディア領であった頃にまで遡ります」
タイフは一度、幌の外へ視線を向けた。
「もっとも、今のオルデにその由来を知る者はおりません。街の者たちも、帝国直轄領となった際に定められた紋章だと思っております」
「知られていない歴史か」
「この世には、そういうものが多うございます」
タイフは静かに微笑んだ。その目の奥に、何かが揺れていた。商会の当主として、この街に戻ってくる感慨か。あるいは、もっと個人的な何かか。
タクミは幌の隙間から外へ目を向けた。
見えた。
高い。
城壁が、地平から切り立つように立っている。灰白色の石積みが、朝の光を横から受けて影と光を交互に刻んでいた。城壁の上に、バリスタの輪郭が見える。大きい。
海の匂いがした。
ラシェンテとは違う。塩と魚と、潮風の混ざった重い空気。それが幌の隙間から流れ込んできた瞬間、タクミは思わず目を閉じた。
城門の手前には旅人の列ができていて、帝国兵が一人ずつ確認を取っている。城壁の上では、風に旗が揺れていた。狼と剣の紋章。二千年の眠りの上に立つ街の、今の顔。
馬車が列の最後尾についた。
後ろの馬車から、ルナの声がした。リシェルの穏やかな相槌。ロイドの呑気な笑い声。ガウルの、静かな息遣い。
タクミは幌の外へ目を戻した。
城壁が、近づいてくる。
どこか遠い場所から運ばれてきたような、じわりとあたたかなものが、胸の奥に満ちてくる。感動とも安堵とも違う。ただ、長い道のりの果てに、ようやく次の扉の前に立ったという、静かな実感だった。
城門が、開いた。
タクミを乗せた馬車が、ゆっくりとオルデへ入っていった。
(旅路457日目――オルデ到着)
砂漠転生をお読みいただき誠にありがとうございます。
第73話「護衛依頼――オルデへ②」でした。
長き旅路は海の街へ辿り着く。
乾いた風はもう後ろへ消えていた。
狼と剣の旗が高く揺れている。
新たな物語が静かに始まっていく。
これにて第3章「ラシェンテ編 ―探訪者の街―」は完結です。
独りだった彼の旅に、仲間が加わった。
街道の先には緑あふれる城塞都市オルデ。
その港からは、北方レミア、南方ゴルゴルへと航路が延びている。
彼らは新たな地を目指す。
次回より第4章「オルデ編―迷宮都市への旅路―」が始まります。
次回、第74話「帝国直轄領オルデ」





