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砂漠転生  作者: たまりん
第3章 ラシェンテ編―探訪者の街―
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第68話 空白の帰路


 第68話です。


 旅の終わりに待っていたのは、空白と、涙と、沈黙と。

 誰も悪くない。だからこそ、救いがなかった。

 西門の吊橋が、ただ静かに揺れている。

 その手前で、ひとつの夢が音もなく崩れた。



 焚き火の爆ぜる音だけが、岩戸の中に響いていた。


 タクミは炎を見つめながら、自分の鼓動がやけに静かなことに気づいていた。揺れる橙が岩壁に歪んだ影を描き、その影がルナとリシェルの横顔を交互に照らしていく。


 二人は黙って座っている。膝を抱えているわけでもない。うつむいているわけでもない。ただ静かに、タクミの言葉を待っている。


 ロイドは少し離れたところに横になり、干し肉を無造作に噛んでいた。眠っているのか起きているのか、判然としない。だが、聞いていることだけは確かだった。


 タクミはゆっくりと口を開いた。


 あの青白い何かの話を。


 炎が揺れるたびに影が伸び縮みする。タクミは言葉を選びながら、しかし感情を削ぎ落とすようにして語った。あの怨霊じみた気配。脳裏に焼きついた声。そして最後に告げられた名。


「……か、カルディアの王、ですか……」


 リシェルの声は、ほとんど吐息だった。


「サラトニア西方の森林地帯を治めし王。それも“千の王”というおとぎ話の中の人物だわ……」


 ルナがぽつりと呟く。


 遠い昔、子どもの頃に聞いた物語。暖炉の前で語られた英雄譚。その中の一人が、怨霊として目の前に現れたなどと、誰が信じられるだろう。


 二人の顔に浮かんでいるのは困惑だった。言葉は耳に届いている。だが、意味が胸の底まで落ちていかない。現実と伝承が噛み合わず、浮いたまま揺れている。


「名前はレグルス・イグナシウス・カルディア。それが、あの青白い怨霊の正体だ」


 タクミはそう言い、傍らの本をちらりと見せた。


 分厚く、黒ずんだ装丁。革はひび割れ、角は擦り切れている。表紙には意味をなさない記号のような文字が刻まれ、長い時の沈黙をまとっていた。


「禁術で封印されてたってわけだ。これはその禁術が書かれている禁術書だ」


 さらりと言ってのける。まるで今日の天気でも告げるように。


 ルナとリシェルは思わず顔を見合わせた。ロイドは相変わらず、干し肉を噛んでいる。


 二人は恐る恐る本へと手を伸ばした。ページをめくる。隙間なく並ぶ文字列。だが。


「……こ、これは……読めません」


 リシェルが眉をひそめる。


「あ、あなたこれが読めると言うの……!」


 ルナが思わず声を上げた。


 タクミは小さく頷き、本を手元に引き寄せる。そして読み始めた。


 声は静かだった。抑揚も少ない。だが、その内容は冷えきった刃のようだった。


 肉体には傷ひとつつけず、精神だけを引き剥がし、冥根の底へ沈める術。


 呼び戻す方法は存在しない。


 生でもなく、死でもない。


 救いもなく、消滅も許されない。


 呪いそのものと化し、永遠に彷徨い続ける。


 その果てが――声なき声。理そのものが擦れるように滲み出た、冥界主の定めの顕現。


『終われ……終われ……』


 読み終えた瞬間、岩戸の中は深い水底のように静まり返った。


 ルナは何も言わない。唇をわずかに引き結び、ただ炎を見つめている。炎の揺らぎが、その瞳の奥で小さく震えていた。


「……そ、そんな……」


 リシェルの声が震える。


 それだけだった。それだけの言葉だった。


 次の瞬間、涙が零れ落ちた。堰を切るようではない。静かに、静かに、頬を伝う。拭おうともせず、俯いたまま、小さな嗚咽を噛み殺す。


 遠い時代の王の話だ。会ったこともない。触れたこともない。


 それでも、あまりにも酷い。


 タクミはその様子を真正面からは見なかった。だが、胸の奥に重い石が沈むのを感じていた。


「で、これを書いたやつはサラトニアの初代国王マグナルだ。マグナル・アウレリウス・サラトニア」


 淡々と続ける。


 この禁術には代償がある。


 術者自身の感情の一部が、冥根の闇へ引き裂かれ、二度と戻らない。


 愛した者の名も、声も、面影も。


 すべてが虚無の底へ沈む。


 それでも、書の末尾にはこう記されていた。


――この書を開いた者とは、いずれ相見える日も来るだろう。私は時を縫い合わせ、静かにその到来を待つ。


 つまり、マグナルは生きているかもしれない。


 感情を削がれながら、数千年もの時を超えて。


 ルナとリシェルは黙って聞いていた。岩戸の外では、風が細く鳴っている。夜は静かに深まっていた。


「……生きていたとしても、私たちにはどうすることもできないわ。それに、禁術書は持ち帰れないの」


 ルナの声は、怒りでも悲しみでもなく、ただ疲れていた。


「……禁術書は、街に持ち込んだ時点で捕縛対象になります。内容次第ですが……これは、極めて危険です」


 涙の痕を残しながらも、リシェルの声は冷静だった。


「……まじか。逮捕、か」


 タクミは苦く呟く。


 もう一冊、懐に持っていることは言わなかった。


 タイフに預けるか――。


 その考えだけを胸の奥に沈め、視線を炎へ落とす。


 薪が崩れ、火の粉が舞い上がった。



 翌朝。


 四人は岩戸の中をくまなく探した。


 石の裂け目。岩壁の凹み。土の盛り上がり。


 何度も、何度も。


 だが何もなかった。


 遺物も、手がかりも、続きを示す痕跡も。


 あるのは冷えた石の感触と、遠い昔に誰かがここにいたという微かな気配だけ。


 空白。


 それが、この場所の答えだった。


 四人は無言のまま荷物をまとめ、岩戸を後にした。



 帰路は、拍子抜けするほど穏やかだった。


 行きに散々手こずった獣道も、今日は何事もなく通り抜けられる。空は高く晴れ、木漏れ日が足元に斑模様を描く。


 ロイドは肩紐を引き直し、満足げに息を吐いた。旅で消耗した分だけ大荷物は軽い。重さが抜けたぶん、足取りもどこか弾んでいる。


 ガウルはときおり音もなく消え、しばらくして血の匂いをまとわせて戻ってくる。その口には小型の魔獣がぶら下がっていた。一行は歩みを止め、素早く解体し、必要な分だけを確保して再び進む。狩りは道中の営みの一部だった。


 リシェルはタクミの少し後ろを歩き、時折地図を確認する。


 ルナは、ずっと黙っていた。


 先頭でも最後尾でもない。隊列の中ほどで、ただ足を動かしている。誰とも目を合わせない。その横顔は、感情を閉ざした仮面のようだった。


 昨夜の話を反芻しているのか。


 タクミは振り返らなかった。


 今は言葉を投げるべきではないと、直感していた。



 ラシェンテの西門が見えてきた頃、日は傾き始めていた。


 街を囲む堀が夕空を映し、静かな水面が赤く染まっている。その上に架かる長い吊橋が、橙色の光の中に浮かんでいた。石壁は金を帯び、城壁の稜線が夕空に鋭く浮かび上がっている。


 遠くで鐘が鳴った。


 タクミは吊橋の手前で足を止める。


「依頼はこれで終わりだな。何もなかったが、まあこんなこともあるだろ。報酬の受け取りはどうしたらいい?」


 仕事としての声音だった。


 ルナは足を止める。夕日を正面から受けながら。


「……何もかも、終わりよ。探訪者も、これで終わり……」


 声は、あまりにも小さい。


 そして、力が抜けるようにその場へ座り込んだ。踏み固められた土の上に膝を折り、崩れるように。


「そんなことはないだろ。遺跡はまだあるんだろ? 別のやつを雇えばいいだけだ」


 ルナが顔を上げる。


「……もう、期限がないのよ!」


 叫びが夕暮れを裂いた。


 怒りでもない。


 泣き声でもない。


 両方が混じり、張り裂ける寸前の声。


 言葉の続きは出てこない。肩が震える。土に落ちた涙が、夕日に照らされて淡く光る。


 タクミは動かなかった。


 何も言えなかった。


 理屈は、今は刃になる。


 西門が赤く燃えている。吊橋がわずかに軋み、堀の水面が静かに揺れる。


 ルナの嗚咽が、その風に混じり、ゆっくりと溶けていった。


 空は、美しいほどに穏やかだった。


 その静けさが、やけに残酷だった。


(経過日数:439日)



 砂漠転生をお読みいただきありがとうございます。


 第68話「空白の帰路」でした。


 泣きやんだ肩に、するりと落ちる厚手の布。

 大樹司祭の法衣が、夕闇のなかで白く浮かぶ。

 誰が、誰に、何を託したのか。

 門をくぐる足音だけが、その答えを知っている。


 第69話「ルナ・フォン・ラシェンテ」


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リシェルとガウル
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