表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂漠転生  作者: たまりん
第3章 ラシェンテ編―探訪者の街―
66/75

第66話 名も無き継承


 第66話です。


 倒れる仲間たち。闇に浮かぶ“死”の残滓。

 逃げるが賢しと知りながら、タクミは走り出す。

 胸に灯るは、待つ者への想いと、諦めぬ心。

 今、冥根に囚われし王の魂が、解き放たれる。




 日は完全に暮れていた。


 断崖の岩戸前。

 三人が倒れている。

 そして青白い“何か”が、闇の中に浮かび、静かに明滅している。


 人の形を模してはいる。

 だが違う。

 輪郭だけが青白く透け、地に触れず揺らいでいる。

 存在が空間に溶け出しているかのようだった。


 (あの透明な身体……亜神……)


 タクミは息を呑む。


 だが何かが違う。

 サラディンのような神々しさはない。

 そこにあるのは純粋な禍々しさだ。


 光を放ちながら、光そのものが穢れている。

 見ているだけで、眼球の奥が冷たく痺れていく。


 近寄るだけで世界から色が抜け落ちる。

 音が遠のく。


 感情が根こそぎ剥がされ、恐怖すら手の届かない彼方へ消えていく。


 例えるなら――“死”そのもの。


(……サラディン……)


 意識が沈む。


 怨霊のような奴に出会ったら、どうすればいい――


『――冥の根に触れし者と遭へるは、

 すなはち世の理の一端に手をかけし者なり。


 軽んずるな。

 侮るな。


 立ち去れ。

 退くは臆病にあらず。命を守るは務めぞ。


 されど退く能はず、

 対せざるを得ぬ時は──


 生を、強く思へ。


 汝を待つ者を。

 愛しき者を。

 傍らに立つ友を。

 胸に燃ゆる勇を。

 そして、諦めぬ心を。


 闇は、乱れし心を喰らふ。


 心を乱すな。


 生を固く握る者のうちに、

 冥は根を下ろし得ぬ――』


(……逃げ推奨、と……)


 タクミは口元を歪めた。


 岩戸の前。

 倒れた三人を見る。


 ルナ。

 リシェル。

 ロイド。


 誰一人、動かない。


(……見捨てるわけにもいかないし、やるしかないよな……)


 隣を見る。


 ガウルがいた。

 銀の毛並みが月明かりを鈍く返している。

 瞳はただ静かに、主人を見上げていた。


(傍らに立つ友、か……)


 左手を見る。


 桃色のアミュレットがはめ込まれたガントレット。

 月光を受けて、仄かに光を帯びている。

 サラディンから託された遺物。


(……サラディン……)


 左手のガントレットは、どう使えばいい――


『触れ得よ、と願へ。

 さすれば虚ろなるものに触覚は宿らん。

 ただ、それだけのこと』


「簡単でいいな」


 タクミは短く呟いた。


「ガウル、もし俺がまた倒れたら引き剥がしてくれ」


 ガウルが一歩寄る。

 濡れた鼻先を、そっとタクミの拳に当てた。


 分かった、という合図。


「やるしかねえ!」


 覚悟が、腹の底に落ちる。


 重く。

 冷たく。

 しかし確かに。


 一拍置いて。


 タクミは走り出した。


 一歩。

 また一歩。


 徐々に速さが乗ってくる。

 足裏が地面を蹴る感覚。


 風が耳を裂く音。

 心臓の鼓動が、全身に血を送り込んでいく。


 暗闇の中。

 対象は青白く発光している。

 ただそこに在り、ただ揺らいでいる。

 それだけだ。


 目掛けて走る。


 対象は何もしてこない。

 腕を振り上げるでもない。

 魔法を紡ぐでもない。

 ただ浮かんでいる。


 約二十メートルほど。


 止まらない。


 景色が灰色へと変わる。

 世界から色が抜けていく。

 音が遠のいていく。


(汝を待つ者を)


 ルナの強がりな横顔。

 リシェルの驚く顔。

 ロイドの大きな声。


 彼らはまだ生きている。

 待っている。


 十五メートル。


 音が、完全に消えた。


(愛しき者を。傍らに立つ友を)


 銀の毛並み。

 静かな瞳。

 決して離れず、ただ隣に立つ白銀の狼。


 ガウル。


 十メートル。


 感情が剥ぎ取られる。

 恐怖が消える。

 怒りが消える。

 喜びも哀しみも、手の届かない場所へ追いやられていく。


(胸に燃ゆる勇を)


 数々の魔獣と対峙した思いがよぎる。

 そのすべてと向き合い、そのすべてを超えてきた。


 残り五メートル。


 死ぬ感覚。

 全身の細胞が停止を訴える。


 本能が叫ぶ。

 “止まれ”と。

 “逃げろ”と。


(そして、諦めぬ心を)


 砂漠と古代樹林を抜けた旅の思い出が、走馬灯のように流れる。


 目の前。

 存在そのものが死。


 輪郭が揺らぐ。

 青白い光が、視界のすべてを塗り潰す。


(闇は、乱れし心を喰らふ)


 「――貫けぇッ!!」


 両の手甲の宝石が、同時に輝く。


 二つの光が闇を裂き、螺旋を描いて腕へと収束していく。


――ドグンッ!!


 確かな手応え。


 拳が、胸を貫いている。

 霊体の冷たさが腕を包み、そして少しずつ、温もりへと変わっていく。


 死の感覚が消えていく。


 青白い霊体に、色が戻っていく。

 ほんのわずか。


 土の色。

 肌の色。

 髪の色。


 かつて人であった頃の名残が、淡く滲み出るように蘇る。


 口が、動く。


 「……我が魂を……解き放ちし……剛の者よ……礼を言う……」


 声は掠れていた。

 だが確かに、人間の言葉だった。


 青白い身体は粒子となり、闇へ溶けていく。


 「…………(けい)に……王の座を……任す……」


 最後に見せた顔は、晴れやかだった。

 苦しみから解き放たれた者の、安らかな笑み。


 カランッ……


 何かが落ちた。


 金属が跳ねる音。


 そして完全に消える。

 闇だけが残った。


 「……や……やったのか……」


 タクミはその場に座り込む。


 膝から力が抜けた。

 肩で息をする。

 冷や汗が背中を伝っていた。


 ガウルが横にいた。

 いつの間にか、すぐ隣に立っている。


 タクミは手を伸ばし、銀の毛並みをゆっくりと撫でた。


 「……助かった……」


 ガウルは何も言わない。

 ただ静かに、その手を受け入れていた。


 落ちた物を拾う。


 指輪だった。


 青白い霊体が消え去った後も、それは形を保っていた。

 銀製だろうか。

 古びてはいるが、錆ひとつない。


 刻印が入っている。

 狼と剣の刻印。

 狼は月に向かい吠え、剣はその背後で垂直に立っている。


 (……サラディン……)


 狼と剣の刻印――


 『狼と剣の刻印――それは、サラトニア西方の深き森林を治めし王国カルディアの紋章なり。狼は群れを率いる誇りを示し、剣は王権と戦の責を示す。されどカルディアは、サラトニア統一戦争においてアルトランドに敗れ、その名は地図より消えた』


 「カルディア……?」


 タクミは指輪を見つめ、眉をひそめる。


 「なぜこの怨霊が、そんな物を持ってたんだ……?」


 あたりを見渡す。


 三人が、まだ倒れている。

 ルナは横向きに、リシェルはうつ伏せに、ロイドは大の字に。


 誰も動かない。

 だが胸は上下している。生きてはいる。


 「ガウル、三人を中に運んでくれ」


 ガウルはすぐに動いた。


 岩戸の中に入る。

 ひんやりとした空気が肌を撫でた。


 ガウルが三人を次々と運んでくる。

 ルナの襟を優しく咥え、リシェルの袖を引き、ロイドの足首を引き摺る。

 丁寧に、静かに、三人を壁際へ寄せた。


 「見張っててくれ」


 タクミが頼む。


 ガウルは鼻先で、こつん、とタクミの腿を突いた。

 承知した、という返答。


 岩戸の奥を見る。


 広くはない。

 奥行きは十メートルほど。

 壁全体が淡く発光している。

 光源はわからない。

 ただ岩そのものが、青白い燐光を帯びていた。


 既視感。


 どこかで見たことがある。

 そう思いかけて、思い出せない。


 奥に進む。


――ブォン。


 何かを通過した。

 膜のような、水のような、それでいて形のない抵抗。

 肌が一瞬粟立つ。


 「まただ……」


 呟いて、振り返らない。


 明るい。


 そこは小部屋になっていた。

 壁の発光が、ここだけは少し強い。

 木製の机が一脚。

 古びてはいるが、腐食の跡はない。


 その上に、閉じられた本が一冊。


 近づき、表紙を見る。


 黒革の装丁。

 角には真鍮の金具。

 紙は黄ばみ、ところどころに染みがある。


 "冥根送(めいこんそう)禁呪(きんじゅ)ノ法書"


 そう、記されていた。

 墨の色は褪せず、はっきりと。


 タクミは頁をめくる。


 『――― 序 ―――


 此の者の名はレグルス・イグナシウス・カルディア。

 カルディアの王にして、決して屈することなき男なり。


 その心意気、実に見事と謂ふべし。

 されど運命は無情、彼は既に因果の渦中に在り。


 冥根の理を書き換える術、未だ見つからず。

 故に我はこの者に一つの禁呪を試みんとす。


 理不尽なる死の定めを覆すため、冥根そのものに抗ふ一手を――』


 「レグルス・イグナシウス・カルディア……カルディアの王……」


 タクミは声に出して読んだ。


 指輪を持つ手に、わずかに力が入る。


 頁が、めくられていく。


(経過日数:432日)



 ◇

 

【補足:冥根送禁呪ノ法書――現代文訳】


『――― はじめに ―――


 この男の名はレグルス・イグナシウス・カルディア。

 カルディアの王であり、決して屈することのない人物である。


 その心意気は、まこと見事と言わねばならない。

 しかし運命は無情であり、彼はすでに因果の渦中にある。


 冥根の理を書き換える術は、いまだ見つかっていない。だから私は、この者に一つの禁呪を試みようと思う。


 理不尽な死の定めを覆すため、冥根そのものに抗う一手として』



 砂漠転生をお読みいただきありがとうございます


 第66話「名も無き継承」でした。


 狼と剣の刻印――カルディアの紋章。

 滅びし国の王は、なぜ封印されていたのか。

 禁呪法書が開かれるとき、新たな謎は動き出す。

 マグナル――彼はなぜ、禁呪を編んだのか。


 次回、第67話「灰の法書――冥根送禁呪ノ法書」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リシェルとガウル
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ