第29話 砂の地平
果てなき白を繋ぎ合わせる孤独の旅路。
転移の奇跡を求めて知識の海に潜る。
だがそれは気高き禁呪の拒絶であり。
男の渇望は砂塵の中へ霧散するのみ。
砂。空。地平線。
この世界は、まるで何かの書き損じのように、その三つの要素だけで構成されていた。
ザッ。
ザッ。
ブーツが純白の砂を踏みしめる。その乾いた音が、終わりのない静寂の中に溶けていく。タクミはただ、黙々と歩き続けていた。
どこまで行っても景色は変わらない。昨日も、一週間前も、そしておそらく明日も、この単調な風景が地平線まで支配している。
「マジで変わらんな。……風景が、ずっと同じだ」
小さくこぼした言葉は、誰に届くこともなく、白砂の海に吸い込まれて消えた。外套のフードの奥で、汗がゆっくりと額を伝い落ちる。
それでもタクミは歩みを緩めない。止まるという選択肢は、この広大な無の世界においては、静かな死を意味するからだ。
タクミは歩きながら、意識を深層へと沈めた。そこにある、異質な記憶の澱。サラディンの残滓。
(……ちょっと、借りるぞ)
意識を潜らせる。そこに広がるのは、見たこともない古の言葉や、意味をなさない記号の羅列、そして膨大な情報の濁流。
「……」
タクミは静かにその海を探った。魔法。この世界には魔法が存在する。ならば。
(俺にだって、使えるはずだろ)
知識に触れようとした、その瞬間だった。
視界がふいに暗転し、思考が塗り潰されるような圧迫感が襲う。
「……っ」
思わず足を止めた。脳の奥が鉛のように重い。何者かに外側から強く押し戻されるような、抗いがたい拒絶感。
「なんだ、今の……」
荒い呼吸で砂漠を見渡す。当然、周囲に人の気配などあるはずもない。だが、頭の奥底で、言葉というよりも意思に近い感覚が直接響いた。サラディンの声だ。
『……この知識を欲するということは、貴殿もまた追い詰められているということか』
タクミは眉間に深く皺を刻んだ。
『だが、留意されたい。私の有する魔法の知識には、人には扱えぬ禁呪が混入している。故に、これを安易に開示することはできない。……すまぬ』
静かな響きだった。しかし、タクミは小さく鼻で笑う。
『案ずることはない。貴殿の硬化兵装には、半端な魔法など効かぬと知ればよい』
そこで通信は途絶えた。沈黙が戻る。タクミは空を見上げ、呆れたように口を開いた。
「そういうことじゃないんだよな、分かってないな」
誰もいない荒野で、独り言を吐き出す。
「水を出したり、火を点けたり……そういう生活魔法が欲しいって言ってるんだ。分かるか?」
返事はない。風一つ吹かない。ただ静かな世界が、タクミを虚しく見下ろしている。再び歩き出す。ザッ、ザッ。リズムだけが、自分の命を刻んでいる証だ。
「……ていうかさ」
タクミは空に問いかけるように顔を上げた。
「転移魔法があるなら、さっさとオルデまで飛ばしてくれりゃ良かっただけの話じゃないのか?」
数秒の沈黙。やがて、頭の奥で再び声が微かに震えた。
『……理外の術。神言にのみ、為し得る』
それだけだった。
タクミは立ち止まり、地平線を指先でなぞった。
「そのうち……使えるようになるかな」
ぽつりと呟く。
肩を回し、サンドワームの皮で作ったバックパックの重みを確認する。中身にはロドスの干し肉と、サンドバラクーダの干し肉。水筒には僅かな水。腕には水色の光を宿すガントレット。
結局、持っているのはそれだけだ。
また歩く。休む。また歩く。
何も起きない。何も変わらない。ただ時間だけが、白砂の上を澱みながら流れていく。
砂。空。地平線。
タクミはそれを凝視しながら、ただ前へ進み続けた。
(経過日数:二百五十一日)
魔法なきまま地道な歩みは終わらない。
過酷な日々が男の意志を研ぎ澄ます。
二百五十一日目の星空を見上げながら。
彼はただ西へと向かう道を辿りゆく。





