第25話 死砂の大平原(入口)
無垢なる白に世界が塗り潰されていく。
音を吸い込む広大な砂の平原を行けば、
背負いし荷だけが命の証となり響くよ。
男は孤独を抱え未知なる境界へ歩む。
白い砂だった。
目に映る大地が、ことごとく同一の色に塗り潰されている。
乾ききった純白の砂が、水平線の向こう側まで途切れることなく続いていた。
これまでタクミが歩んできた砂漠は、常に色の主張があった。
鉄分を含んだ赤錆色の砂丘、鋭角な影を落とす岩の連なり、風に煽られて黒ずんだ礫の平原。
それらは生命の過酷さと、無機物の獰猛さを同時に突きつけてくる色彩だった。
しかし、ここは違う。
あまりにも端正で、あまりにも静かだ。
まるで誰かが世界から「色」を抜き取り、最後に白だけを塗り残したかのような、完璧な静止の世界。
タクミは歩みを止め、一度だけ深く息を吐いた。
白い息が陽炎に混じり、すぐに掻き消える。胸の奥に、得体の知れない違和感がしんと沈殿していくのを感じた。
「……砂の色が違うな」
呟きは、誰に届くこともなく、あっけなく砂に吸い込まれた。
地平線をなぞる。
砂。砂。そしてまた砂。
これまでの旅の道標となっていた奇岩も、崩れかけた塔の残骸も、天を突くような断崖も、ここには何もない。
ただ、果てしない白が続くばかりだ。
足元を見る。砂粒は驚くほど細かく、均一にふるいにかけられたかのようにさらさらとしている。ブーツを沈めれば、心地よい反発とともに足を受け止める。
締まりがあり、歩きやすい。しかし、その歩きやすさがかえって、この場所が「人を受け入れない何か」であるように感じさせた。
風すらも、ここには留まらない。
これまでの砂漠が、常に砂を擦る耳障りな音と、唸るような風の歌を響かせていたのに対し、ここは異常なまでに静かだ。
音という概念そのものが、この白い砂に吸収されているかのようだった。
ザッ。
一歩、踏み出す。
サラトニアフロッグの外皮でできた軍靴が、乾いた音を鳴らす。
その音は反響することなく、短く途切れ、再び無音へと帰っていく。
数分歩き、数十分歩く。しかし、景色は微塵も変わらない。
太陽だけが天空をゆっくりと移動し、青い空と白い大地の境界線を、ナイフで切り裂いたかのように明瞭に描き出している。
世界は二色しかない。
タクミは肩のバックパックを小さく揺らした。サンドワームの皮で作られた袋は軽く、中身にもまだ余裕がある。
ロドスの干し肉、ナイフ、そして折りたたまれた大樹司祭の法衣。この背中の重みだけが、自分という存在がまだ現実の中にいることを証明する唯一の錨だった。
喉が渇き、水筒の口を傾ける。ぬるい水が喉の奥を滑り落ちる。たったそれだけのことが、この白の世界ではとてつもなく贅沢で、そして切実な行為に思えた。
「……ふう」
小さく息を吐き、再び歩く。
背後を振り返れば、自分だけが刻んだ一筋の足跡が、白の中に線となって伸びている。
魔獣の気配はない。あまりにも孤独で、あまりにも無垢な空間。
ふと、城塞遺跡を出てから何日が経過したのかを考える。
記憶の中の赤い砂漠は、もはや夢の中の出来事のように遠い。
境界線を越えたのだ、と本能が警告を発している。戻る場所はない。
その事実は、タクミにとって恐怖ではなく、むしろ歩き続けるための純粋な動機となっていた。
干し肉を小さく削り取り、口に運ぶ。硬い。だが、噛めば噛むほどに、それがかつて生きていたものの味であると教えられる。
この白の世界において、唯一の「命」の味だ。
(ここで干し肉が切れたら、終わりだな)
補給など望めない。水場も、影も、障害物一つないこの大平原は、強者と弱者を分かつような甘い場所ではない。
ただ淡々と、歩く者を飲み込むだけだ。
少しだけ背筋に冷たいものが走るが、彼はバックパックを叩いて自分を律した。まだある。まだ進める。
太陽が傾き始めると、白い砂の大地は淡い、透き通った赤色に染まり始めた。
それは血のような生々しい赤ではなく、冷えた氷の上を光が滑るような、儚い色合いだった。
昼間の無機質な白が、夕陽を受けて切ない表情を見せる。だが、どれほど表情が変わろうとも、そこに逃げ場はない。
タクミは進む。
止まることはできない。
止まってしまえば、この広大すぎる白に、自分の存在そのものが溶かされてしまうような気がしたからだ。
自分がどれほど小さく、脆弱な存在であるかを突きつけられることに耐えられそうになかったからだ。
砂を踏む音だけが、今の自分の命の鼓動だった。
どこまでも続く白の大平原。
その向こう側にあるものを求めて、タクミは影を長く引きながら、ひたむきに足を動かし続ける。
(経過日数:百七十五日)
夕陽が染める氷のような淡い赤色に。
終わりの見えぬ白き世界を突き進むよ。
百七十五日目の足跡を砂に刻み込み、
彼は果て無き明日を求めて進むのみ。





