第13話 星のまたたく夜
――――――――――――――――――――
過ぎゆく朝に古の法衣を翻し歩む。
八百年の神代の技術が肌を慈しむよ。
干し肉を噛みしめ遠き記憶を馳せる。
砂漠の風は故郷の気配を運ぶことはない。
――――――――――――――――――――
砂に埋もれた神殿を拠点としてから、いくつの朝が過ぎただろうか。
砂漠の夜明けは、冷徹なまでの静寂と共に訪れる。夜の残滓を纏った冷気が肌を刺すが、タクミは神殿の外へと歩み出た。
ボロボロになったスーツの上から纏った純白の法衣が朝日に淡く染まり、その胸元に刻まれた大樹と飛竜の銀刺繍が、微かな風に揺れて神々しい波紋を描く。
内側に秘められた「温度調整」の魔法陣は、八百年前の遺物とは思えぬほど精緻に機能を果たしていた。
外気温の容赦ない激変を遮断し、タクミの肉体を常に一定の安らぎの中に置いている。
「八百年経ってるのに、この性能か……」
零れたのは、感嘆と空虚が混じり合った苦笑だった。
旧サラトニア王国が誇った魔導技術は、すでに失われた遺産となっている。少なくとも現代の技術体系では再現できない――そうサラディンの知識は語っていた。
再現など夢のまた夢。タクミは肩をすくめ、神殿の傍らに並べた石板へと視線を移した。
そこには、切り刻まれたサンドワームの肉が整然と並べられていた。
解体は、昨日のうちに済ませていた。
肉は石板の上に並べ、皮と外殻は別に取り分けてある。
外殻の内側は滑らかで、乾燥すると適度な硬さを保つ。サラディンの知識が、それを教えていた。
タクミは外殻の縁をナイフで整え、大きな一枚を袋の胴体に仕立てた。肩紐は皮を細長く切り、端を結んで通す。入口部分も同じ皮を使い、巾着のように絞れるよう処理した。
不格好だが、機能する。
できあがったものを肩に担いでみる。干し肉と瓢箪を入れると、重心が背中に収まった。
「魔獣皮バックパックの完成だな」
営業バッグの代わりが、砂漠の怪物の皮とは。
思わず笑いが漏れた。誰に見せるわけでもないが、それでいい。
干し肉を手に取り、無造作に口へ運ぶ。乾燥した繊維が歯の間で鳴り、獣の脂気のない味が広がる。
日本での豊かな食卓を想えばあまりに味気ない。
腰に下げた瓢箪に触れる。刻まれた魔法陣が微かに明滅し、中に揺れる水の気配を伝えてきた。
貴重な生命線を一口だけ含み、乾いた喉を潤す。
見上げる先には、雲ひとつない蒼穹がどこまでも広がっていた。地平線の彼方まで続く、寄る辺なき砂の波。
「街に着いたら、最初の一杯は絶対にビールだ」
口をついて出たのは、砂漠の沈黙に似合わない、湿り気を帯びた渇望だった。
冷えたジョッキの縁を伝う結露。喉を駆け抜ける喉越しの刺激。
居酒屋の喧騒、誰かの笑い声、焼き鳥の焦げた匂い。
それらはもう、記憶という名の箱の奥底に封じ込めたはずの光景だった。
「ビール、この世界にあるのかな」
答えは砂に吸い込まれ、風に消える。誰の耳にも届かない問いかけ。だが、タクミは小さく笑った。
「なるようになる、か……」
もはや自身のアイデンティティの一部となった口癖を吐き出し、彼は立ち上がる。
昼間は狩猟の時間だ。地殻の振動を足の裏で感じ取り、サンドワームの死角を突く。
未だ脱ぎ捨てられぬスーツの袖をまくり、胸元の紋章が隠れぬよう法衣を翻しながら、硬化した拳でその頭部を砕く。
荒々しい戦いも、今ではただ淡々と肉を裂くための作業と化していた。
やがて太陽が沈み、世界が藍色へと沈みゆく。
砂漠の温度が急降下する中、タクミは神殿の石段に腰を下ろした。
法衣は魔法のヴェールを張り、彼の体温を守り続けている。やがて夜空に光の粒が零れ落ちると、世界は一変した。
息を呑むような銀河の奔流。日本で見たどんな星空よりも鋭く、そして残酷なほどに近い。
天の川が漆黒の空を切り裂き、タクミの視界を飲み込む。
砂の上に大の字に寝転ぶ。星の海が、彼を宇宙の塵に変えてしまいそうな錯覚。静寂だけが彼を抱きしめる夜。
「……サラディン」
胸元の紋章にそっと手を添え、名を呼ぶ。応える者はいない。
だが、空に向かって独りごちることで、彼はようやく自分という存在を砂に刻み込んでいるのだ。
「まぁ、なんとかやってるよ」
風が砂を撫で、地平線が微かな音を立てる。
孤独な旅路は、まだ始まったばかりだ。
だが、仰ぎ見る星々の眩しさに、タクミは少しだけ、この砂の海が居心地のいい場所のように思えた。
――――――――――――――――――――
星の海の下で男は独り名を呟いた。
過酷な孤独さえも今は日常へと溶け。
荒野の静寂を糧に明日を切り開くよ。
銀河を見上げ彼は砂の上で微笑んだ。
――――――――――――――――――――





