第12話 大樹司祭の法衣
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神殿の奥底、砂に埋もれた歴史の欠片。
八百年の時を超え、純白の衣が眠る。
過酷な夜を凌ぐ、神官の加護をその身に。
旅路を照らす銀の刺繍が、闇を裂く。
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砂漠の夜は、この世の果てのような静寂に包まれていた。
風が息を潜めれば、世界から一切の音が消失する。鼓膜を揺らすのは、ただ自身の微かな呼吸の音だけ。
タクミは、崩落した神殿の石壁に背を預け、虚空を見上げていた。天井の裂け目からこぼれ落ちる星屑は、あまりにも遠く、冷ややかで、そして息を呑むほどに美しい。
(——静かだな)
日本で耳にするいかなる静寂とも異質だ。エンジン音も、喧騒も、人の気配という名のノイズさえ存在しない。あるのは果てしなく広がる砂の海と、残酷なまでの孤独。タクミは無意識に腕を組み、冷え切った肩を抱いた。
「こういう時は、流れに身をまかせるに限るよな」
「なるようになるさ」
独り言が、乾いた空気に吸い込まれていく。砂漠を彷徨い始めてから、この癖は随分と板についてしまった。独り言は、自分がまだ確かにここに存在しているという、唯一の証明だった。
タクミは立ち上がった。昨日見つけたこの古跡は、かつての信仰の残骸だ。入口の柱は無残に折れ、礼拝堂の石床も砂の波に侵食されている。だが、神殿の深奥には、まだ八百年の時の流れを拒む部屋が残されていた。
「暗闇で見ただけじゃ、分からなかったからな」
石の廊下を歩く。砂を踏む乾いた足音を響かせ、壁の彫刻を指でなぞる。そこには巨木と竜が刻まれていた。脳裏に流れ込む異世界の知識——「サラディン」の記憶が、その紋章の正体を告げる。
『大樹教の正章。大地深く根を張り、天を衝く巨木。その幹を纏うのは、変革と試練を象徴するワイバーン。樹は叡智を、竜は災禍と慈愛を説く』
「ワイバーン……か」
旧サラトニア王国を支配した宗教の象徴。ならばここは教会だろう。お宝など期待するだけ野暮というものだ。そう思いながら、最奥の倉庫らしき部屋へ踏み込む。
壁際に並ぶ木箱。タクミは苦笑した。異世界という舞台において、古い箱はRPGの宝箱のように見える。だが現実は残酷だ。指先が触れた瞬間、八百年の孤独を湛えていた木箱は、音もなく砂となって崩れ去った。
当然の帰結だ。落胆しかけたその時、砂に埋もれた影が目に留まった。ひとつだけ、あり得ないほど完璧な形を保っている木箱。表面には、複雑怪奇な円形の紋様が刻印されている。
「これは……」
知識の奔流が意味を解き明かす。魔法陣。それも、貴族階級の特権であった「劣化防止」の魔術的処置。特権階級の富と権力を、石と木に封じ込めた遺物。タクミは指で紋様をなぞり、慎重に砂を払った。
蓋を開けると、中には一枚の布が静かに眠っていた。
月光が差し込み、純白のローブを照らし出す。広げたそれは驚くほどに軽く、絹のように滑らかで、袖には銀糸で巨木と飛竜が繊細に刺繍されていた。
「……司祭の正装か」
裏地に刻まれた魔法陣が、タクミの目を引く。さらに希少で、最高峰の魔術的加護。「温度調整」の魔法陣。灼熱と極寒を繰り返す砂漠において、これは金銀財宝以上の価値を持つ命綱だった。
タクミは、ボロボロになりつつも未だ身に纏うスーツの上から、そのローブを羽織った。軽い羽衣を纏ったような感覚だ。スーツとローブの奇妙な重なりは、この異界での今の自分を象徴しているようだった。
神殿の外へ出ると、夜風が吹き抜けた。だが、かつて肌を刺した冷気は、魔法の盾によって遮られていた。
「すごいな……」
思わず口元が緩む。純白の裾が月光を浴びて煌めく。くたびれた営業スーツの上に、歴史ある神官の衣を重ねたその姿は、荒野を旅する風来坊のようでもあった。
タクミは遠くを見やった。地平線の彼方には、百メートルを超す巨大な骨の塊——巨蟲の骸が、不気味に白く浮かび上がっている。あの怪物が蹂躙した大地を、自分は今、歩いているのだ。
「まだ先は長いか」
小さく息を吐く。砂漠は終わらない。明日にはまた、飢えと渇きと孤独が襲ってくるだろう。それでも、装備ひとつで心は少しだけ軽くなった。
「まあ、なるようになるか」
再びつぶやくと、タクミは星空の下、歩みを進めた。ローブが夜風になびき、銀の刺繍が月光を弾く。
静寂に包まれた砂の海に、彼の足音だけが、小さく、しかし確かに刻まれていた。
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営業スーツに纏うは、異世界の神官衣。
風を遮り、孤独を抱いて荒野を往く。
道標の巨大な骸を目指して。
男の足跡は、星空の下で確かに刻まれる。
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