その歌姫はかつてエルフ温泉郷の殺戮人形姫と蔑まれていた
人形は夢を見ない
万雷の拍手が降り注ぐステージで、サーシャはスポットライトを浴びていた。今回のライブツアー最初の会場である、大陸最大の港町ポートピアード近くに設置された特設会場だ。今日はツアー初日を含む2daysの2日目という事もあり、観客の盛り上がりが素晴らしかった。サーシャのライブはアンコールを含めて3時間28曲で構成されている。長時間のプログラムを消化し、退場のアナウンスが流れてもサーシャコールが鳴り止まず、予定になかったダブルアンコールの曲を披露。歌い終わったサーシャは全身から吹き出す汗を拭いもせず、満面の笑みで客席に手を振る。遠くの席の観客にもしっかりと目を合わせ、会場に来てくれた事に感謝の気持ちを込めて手を振り続ける。
暴力的な歓声と熱を帯びた視線が全身に突き刺さる。サーシャのライブ衣装は担当であるミシャの趣味で、肌を晒し体のラインが丸見えになるものが多い。昔は視線を感じても何も思わなかったが、今では視線から感情すら読み取れるようになっていた。
「みなさまー!ありがとうございます!」
視線の大半は好意的なものだ。観客はサーシャの歌が好きで集まってくれているのだから当然ではあるが、やはり明るく楽しいという感情を全身に浴びると気分がアガる。それに煽られいつも以上に歌声が伸びたという実感もある。しかし、ごくごく僅かではあるが負の感情を帯びた視線も感じた。粘つくような肉欲や仄暗い感情を秘めたものだ。その視線が飛んできた場所に手を振ると、途端に消えてしまう程度のものが多い。
だが、今夜はひとつだけ見過ごせない視線があった。強烈な殺意を帯びた視線だ。アリーナ席の最前列の端にいた、エルフの外見をした少女だ。最初の3曲を歌い終わり、恒例となっている客席イジリをし会場を沸かせて、衣装を変える為に舞台の照明が暗転した瞬間、彼女の手元からサーシャに致死性の呪毒魔法が飛んできた。
それはエルフの大魔道の称号を得たサーシャから見ても、凄まじい技量だった。発動の速さ、最小限の魔力で最大限の威力を発揮する繊細で練り込まれた構成に、障壁貫通と隠蔽まで付与されたものだった。しかし、舞台の袖にいたメイドのナージャが軽く手刀を振るっただけで絶技の域まで達した呪毒魔法は消し飛ぶ。それまで魔法を放つ時ですら、自然な素振りだった暗殺者は目を見開き硬直する。その隙に、サーシャのメイド部隊が近づき騒ぎにならないように意識を奪い、会場から急病人として連れ出した。
「いつもながら、あの子のやる事には理がありませんね」
舞台袖の端で何事もなかったようにお茶を淹れているメイドを横目で見ながら、サーシャは衣装を着替えつつ呟くと、メイク直しに来たミシャが半笑いになる。
「ナージャですからね。あのアルス様ですら、あの子がどのように魔法を切っているか詳細は分からないと仰っていましたから」
魔法を『切る』剣士といえば、真っ先に名が上がるのが『光刃アルス』だ。エルフ温泉郷の古い貴族家の当主であり、温泉郷義勇団1番隊隊長でもあり、この大陸の3大剣聖の1人に数えられている。遠い昔に帝龍と交わった祖先から受け継がれし短剣に、高密度の魔力刃を形成しあらゆる魔法を切り裂く技は、温泉郷を襲うエネミーが放ついかなる魔法をも切り裂く。
「アルス卿によれば、先代の勇者パーティにいた異世界の剣聖アオイ様と似たような系統ではないかと推察されていました。魔法という概念を切っているのではないかと。神獣を孕みし黄金の魔女様から教わったのでしょう」
ナージャは正確にはサーシャのメイド隊には属していない。温泉郷の女王マリエールが黄金の魔女から預かった客人だ。しかし、本人の強い要望によりメイドとして働いている。
「サーシャ様!ステージ準備整いました!」
スタッフの声に我に返り、サーシャは意識して表情を作り直す。温泉郷の王女からアイドルへと気持ちを切り替える。
「ミシャ、暗殺者に対する尋問を任せます。背後を必ず吐かせなさい。メイク直しは他の者にさせます」
「かしこまりましたサーシャ姫さま。全てお任せください」
深々と頭を下げるメイド隊戦闘部隊長ミシャに見送られ、冷徹な温泉郷の王女からアイドルへと変貌したサーシャは、観客が待つステージへと向かった。熱狂する観客の前で歌う時は、全ての煩わしい事から開放される時間だ。ああ、でもこの場所にあの方がいないのは寂しいなと思う。沢山の人から声援を受ける自分の姿を見せつけたら、あの異世界人は嫉妬してくれるかな。そう思う自分が可笑しくてサーシャは少しだけ口元を綻ばせる。
あの人には自分の可愛いところだけを見てほしいと思う。けれど、そうじゃないところを見せつけたらどんな顔をするのか知りたいとも思う。かつて温泉郷の殺戮人形と蔑まれていた過去を知ったら、あの優しい異世界人はどんな風に反応するのだろうか。知りたいような知りたくないような。複雑な気持ちを押し込め、サーシャは切ない気持ちを歌声に込めて、喉から高々と解き放った。
「お疲れ様ですサーシャ姫さま。お見事な戦ぶりでございました。姫さまのおかげで犠牲者もわずかで済みました。深く感謝いたします」
サーシャの護衛団の様子は酷いものだった。かすり傷ひとつすらないサーシャとは違い、装備は焼けこげてボロボロだし、怪我を負っているものもかなりいる。温泉郷に襲来したわずか100体のエンジェル種を撃退するのにこの様である。あの化け物どもとは攻撃射程が違いすぎからだ。城壁とゴーレムを盾にして戦ってはいるが、こちらの魔法や魔道砲が届く範囲外から高速の火炎魔法を放ってくる。サーシャのように極めて高い魔法技術を持つ者か、アルスのように魔法を切り裂く者以外は一方的に攻撃を受けてしまう。
「ご苦労様でした。次の襲来まで傷を癒しておくように。わたくしは森に入り狩りをして参ります。アルス卿には少し休むようにて伝えてください」
何の感情も込めず、無表情にそう言い捨てて城壁から飛び降りるサーシャを止める者は誰もない。陛下と武神様が居られればという、意味のない事を呟く護衛団を振り返る事すらしない。母である女王マリエールは深淵大陸に開いた異世界ゲート前に陣取り、深淵域種という世界を滅ぼしかねない悍ましい化け物どもの侵入を防いでいる。武神と称えられるアンジェリカは、異世界ゲートの先にて深淵域種の首魁と戦っているという。
確かにあの2人がいればエンジェル種など敵ではない。母の操る3千体もの巨大ゴーレムがあれば火炎魔法は無力化出来るし、武神アンジェリカならば拳を振るうだけで羽虫のように消し飛ばす。しかし、あの2人に頼り切り、貧弱な防衛部隊しか構築しなかった事が、今の温泉郷の惨状を作ったのだとサーシャは思う。
温泉郷に居る王族はもはやサーシャ唯1人である。王配である父は巨大なアークエンジェルと相討ちになり、遺体を世界樹に還す事すら出来ず消し飛んだ。叔母や従姉妹たちは、全身を炎に焼かれながらもエンジェル種の大群の中心で自爆魔法を使い相討ちとなった。勇猛な貴族たちもその義務を果たすべく戦い続けたが、湧いて出てくるエンジェル種との果てなき戦いの中で散っていった。
もう温泉郷は保たないとサーシャは思う。若い世代を中心に住民の約7割は既に郷から脱出している。若い頃に冒険者をしていたという父が私財を処分し、生活を構築するだけの資産を持たせて他のエルフの都市に移住させたのだ。残っているのは郷を離れたくない者達と、もはや数少ない防衛の義務がある特権階級だけだ。
「サーシャ姫さま、護衛団はどうなされました」
針のように研磨させた魔力と、可視化するほどの濃密な闘気で全身を覆ったエルフが近付いてくる。温泉郷設立当初からの貴族である家の当主アルスだ。
「負傷者が多く、魔力が尽きたようなので置いてきました。郷にきた集団は殲滅しましたが、遊撃部隊や偵察部隊はいるでしょうから狩りにきたのです」
「姫さまがお強いのは存じております。ですが、単独行動はお控えください。護衛団の立場がございません」
苦い顔をするアルスを不思議に思う。もはや立場どうこうの状況ではないと、最前線に立ち続けるアルスこそがよく知っているはずなのに。
「アルス卿、ミリアとアイシャは容姿の優れた者を集め自らを含めて身売りをし、その対価として傭兵を集めようとしています。もうこの郷は持ちません。あなた方の家は義務を果たしました。別の都市に移住してください」
アルスの家族はもうミリアとアイシャしかいない。あの陽気な両親や沢山いた優しい兄弟姉妹。そして勇敢なる家臣団は手足をもぎ取られ全身を焼かれようと、最後の最後まで獰猛に笑いエンジェル種と戦い続けて散って逝った。貴族の義務とはいえ、もう十分だと思う。
「姫さまはどうなさるのですか。姫さまがいる限りこの温泉郷はあり続けます。世界が滅びぬように戦い続けておられる陛下に面目が立ちませぬ。我らが逃げるなど出来ようはずもない。姉と妹も同じ想いです」
本当にこの人は頑固で立派な人だとサーシャは思う。アルスの姉で温泉郷の大華と称えられているミリアの提案を聞いた際、家臣団の大半は止める素振りをしつつ内心では安堵していたように見えたし、下卑た目をする者までいたというのに。民からの信頼も厚いこの人がいれば、皆見知らぬ土地でも安心して暮らしていくだろうとサーシャは思う。感情が薄く表情を変える事すら出来ず、政略結婚の道具にすらなれず、得意の魔法でエネミーを狩るくらいしか出来る事がなく、殺戮人形などと蔑まれている自分とは大違いだ。
「もう温泉郷は持ちません。母には申し訳ありませんがこの郷は滅びます。王家に残る資産を処分し、民は移住させます。アルス卿には母が深淵域種との戦を終えるまで、移住した民を率いて頂きたいのです。エンジェル種どもは何故かわたくしに執着しております。民を脱出させた後、わたくしは奴らをできる限りおびき寄せ、殺せる限り殺し尽くし、最後は雷竜の魔石を触媒として極大魔法で消し飛ばします。殺戮人形に相応しい最期でしょう」
「姫さま、そのような事はこのアルスが許しません。姫さまがお生まれになった時から側仕えをしている姉も絶対に許さないでしょう。戯言を漏らす愚か者どもの言葉など気になさいますな。姫さまがどれほど献身的にこの郷を守っているか、多くの家臣や民は理解しております。御身を大切になさいませ」
深々と頭を下げアルスは森の奥へと去っていく。もう3日は戦い続けているはずなのに、眠らない貴族と言われる彼は、休むこともせずにまだ戦うようだ。
あの家の者は皆サーシャに優しい。アルスの両親が生きていた時は、毎日のようにサーシャに会いに来て、家族のように暖かく接してくれたし、兄弟姉妹はいつも柔らかく笑いかけ飽きることなくお話をしてくれた。あの人たちが亡くなった時、感情の薄い人形のはずのサーシャは何だか立っていられなくなり、よく分からないがしばらく座り込んでしまった。
民に慕われ、臣下に慕われ、他の都市のエルフに慕われ、他種族にも慕われていたあの人たちは亡くなってしまった。
なのに、民に眉を顰められ、臣下に顔を歪められ、他の都市のエルフに嘲笑われ、多種族に侮られるサーシャは生き残っている。理不尽なことだと思う。そういえば、幼い頃に何度かお見合いした際、殆どの相手が不気味そうにサーシャを見てくる中、真っ直ぐに美しいと笑顔で誉めてくれた子が1人だけいた。牛人族の英雄の血脈だという、あのバランという少年は元気だろうかと思う。そんな事を考えながら森を歩き、襲ってくるエンジェル種を魔法で切り刻み、氷漬けにし、焼き尽くし、串刺しにし駆逐していく。
サーシャに出来ることはこれだけだ。襲ってくるエネミーを尽く殺し尽くすだけ。やはり、自分は殺戮人形であり、力尽きるその時までこのままなのだろう。体の奥底から無尽蔵に湧いてくる魔力と森に豊富にある魔力を使い、精密なからくりのようにサーシャは殺戮を続ける。
ここしばらく会っていない側仕えのミリアと、最後にゆっくりとお茶を飲みたかった。それだけがサーシャの心残りであった。
『殺戮人形姫サーシャ』
戦闘狂のエルフたちばかりが棲む温泉郷の王女。温泉郷の長い歴史の中で、歴代最強とまで讃えられる女王マリエールの唯一の子。人形のように美しく、人形のように表情を変えず、エネミーを殺し尽くす殺戮人形。




