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怠惰な愚者は異世界にて平穏を夢見る 〜君も異世界で英雄になろう〜  作者: 世界一可愛い人に捧ぐ
プリンセスサーシャ ラヴライブ2077 全国ツアーにて
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武神と不撓不屈と愚か者の異世界探索行 千秋楽

お腹いっぱいだと大抵の事は許せる

 木造りの粗末な小屋の中で、弱ったなぁと大山サトシは困惑する。

 昨夜、深淵域種という恐ろしく不気味なエネミーの転移魔法により、歴代魔王が降臨するという危険な大陸に来てしまった。サトシ達は元いた港町に戻る為、転移装置があるという12種族連合の監視要塞に移動している途中だ。

 この大陸に来て2日目の夕刻。共に飛ばされた12種族連合の筆頭指南役アンジェリカや介護士のマリーと共に、魔人族の集落へと辿り着く事が出来た。

 岩だらけの斜面に横たわる巨石の裾に穴がある。そこは幅のある長い階段になっており、下まで降りると広大な地下空洞があった。昨夜、体を休めた歴代勇者の秘匿拠点とは比較にならないほど広い。

 魔人族の族長であるというシェリルはアンジェリカの知り合いらしく、彼女と娘のリズが住む家屋に案内された。

 それから約6時間ほどが過ぎたが、サトシは真っ白な肌と淡い金髪の魔人族の子どもたちにまとわりつかれ困惑していた。全員が痩せていてかなり華奢だ。顔色もあまりよくなかったが、今は安心したように寛いでいる。

 座ったまま抱きつかれたり、しがみつかれたりして身動きが取れない。怪我をさせてしまわないか心配になるくらい華奢な子ばかりだからだ。アンジェリカとマリーは別の場所にいるし、助けを求められる人もいない。先程までの出来事を思い返しながら、サトシは深くため息を吐いた。




 巨大な地下空洞の中心と思しき場所に族長であるシェリルの家はあった。木造りの平屋で頑丈そうではあるが、周囲にある建物と比べもそう大きくはない。玄関の引き戸を開けると三和土になっており、そこで靴を脱ぐようだ。

 邪魔になるので玄関先に戦闘用重装甲を置かせてもらう。アンジェリカとマリーの後に続き、サトシはブーツを脱いで家に上がる。生まれてから先月まで当たり前だった何気ない習慣が懐かしい。


「アンジェリカ様。粗末な場所で申し訳ありません。精一杯のおもてなしを致しますのでご容赦ください」


 3人が案内された部屋は中央に囲炉裏がある。炭で火を焚いており暖かい。地下なのに換気は大丈夫かとサトシは思うが、よく見ると天井には魔法陣が描かれており、煙はそこに吸い込まれている。座布団が敷かれた奥の上座にアンジェリカが座り、その左右にマリーとサトシは腰を下ろした。

 深々と頭を下げたシェリルにアンジェリカは困ったような顔になる。


「シェリルさん、横になる部屋と竈を使わせて頂ければ十分なのです。気遣いはしないでください。それより、ずいぶんと魔石を節約されているようですね?」


 地下空洞の階段や通路には魔石式の照明が取り付けられて、足元を明るく照らしていた。しかし、この家に来るまでに見た他の住居部分には、最低限の照明しか使われていないように見える。


「お恥ずかしい話ですが、3年前から隧道の奥に亜龍が居座っており通行が困難になりました。我らと唯一公平な取引をしてくださる12種族連合の要塞には地上の危険地域を抜けるしかなく、薬や最低限の物資しか入手出来ておりません。負傷者が多く派遣できる人数も少なくなっています。特に塩が不足していて東側の連中から買っているのですが、魔石を大量に要求されており、その対価の為に魔石が必要な魔道具の使用を制限しております」


 恥ずかしそうに項垂れるシェリル。サトシ達が使う予定だった隧道に亜龍とかいうのが居座っていて、安全な道を通るのが難しいらしい。


「塩ですか。わたしも多少は持ち合わせがありますが1キロ程度ですね。マリーはどうですか?」


「うちも1キロ程度や。5号は20キロは持っとるやろうけど、ここ300人はおるやろ?全く足りへんなあ」


「そうですか……まず、病人と怪我人の治療をしましょう。あら?サトシ、どうかしましたか?」


 塩が足りないと聞いて、サトシは恐る恐る手を上げる。


「あの、僕はお塩を沢山持っています。マリエールさんから頂いた収納魔道具の検証をしようってシアとミアに言われて、港町で物資補給の時に大量に収納させられたままです」


 生きる為に必要な塩は12種族連合全体で管理されており、利益を得る事は厳しく禁止されているらしい。いくつかある港町や岩塩が採掘出来る場所で莫大な量が作られており、どの街や村でさえ12種族連合の支配地域ならば1キログラム銅貨1枚で販売されていると聞いていた。


「ミアの知り合いの商会の方が、数年前から在庫を圧迫して保管料が嵩んで困っていたらしく、倉庫1つ分を安く譲って頂いたんです」


 港町では戦時中に大量に作った塩が余り過ぎて、新しく作っても置く場所がないそうだ。しかし、塩職人達の技術継承の為、大量に作られているのでどこの街でも塩は過剰に余っている。12種族連合支配地域以外へ輸出しているが、それでも消費しきれないらしい。

 シアとミアが面白がって収納の魔道具に塩を大量に詰め込み、大穀倉地帯から送られてきたという数年前の小麦や米まで詰め込み始めた。捨てるわけにもいかず、処分に困っていた狐人族の商人は、倉庫が丸々1棟空いたと狂喜乱舞していた。


「それでは宿泊の対価として、サトシは塩を倉庫に出してきてください。わたしは病人と負傷者の治療に薬の補充をします」


「ほなら、うちは亜龍狩ってくるわ。亜龍のお肉は久しぶりやなぁ楽しみや。ゴーレム0号、1号、3号は連れて行く。他の子はサトシに付けるから、離れたらあかんよ」


「え?亜龍ですよ!?アンジェリカ様のご息女といえどおひとりでは!」


 軽やかに立ち上がり出て行くアンジェリカとマリーの後を、慌てたようにシェリルが追いかける。室内にはサトシと眼光鋭く睨みつけてくるリズだけが残された。




「これから食糧庫に案内する!変な事はするなよ!あ!そこ段差があるから気をつけろ!」


 サトシはリズに連れられて食糧庫に向かっていた。言葉はキツいが、不安そうな目を向けてくる住人に客人だと説明したりと気遣ってくれている。少し歩いて階段をあがった場所に木の塀に囲まれ食糧庫はあった。入り口に詰め所があり、胴鎧を身につけて槍を持った警備が4人立っている。


「お嬢、どうされましたか?後ろの方は、、、まさかニンゲン?」


 声をかけてきた背の高い筋肉質の女性の言葉に、4人とも槍を構える。後ろにいるゴーレム5号と6号は何の反応もしない。それにしてもこの里で出会うのは女性ばかりだなとサトシは思う。男性はひとりも見かけていない。


「レベッカ、落ち着け!こいつは温泉郷から来られたアンジェリカ様のペットのサトシというニンゲンの雄だ。塩を沢山持っていて、殊勝にも宿泊の礼にと提供を申し出たんだ。収納魔道具に入れているらしいので、食糧庫に出してもらう為に連れてきた」


 リズが両手を広げて庇うようにサトシの前に立つ。やっぱり優しい子だなあと感心する。


「武神様の?お客人は武神様のお連れ様でしたか。サトシ殿、失礼した。この辺りではニンゲンに対してあまりよい印象を持つものはおりません。集落にいる間、屋外に出る時はお嬢かこのレベッカに声を掛けてください」


 構えられた槍が降ろされる。アンジェリカの名前はここでも鳴り響いているようだ。そして、サトシも薄々は気が付いていたが人間は嫌われているようである。

 温泉郷や港町での買い出しで、サトシは様々な種族の沢山の人に会ったが、こちらの世界の人間に会ったことはない。過去に何かあったらしく、数もかなり少ないようだ。親切な人ばかりだった温泉郷ですら、稀に悪感情を含んだ視線を感じることもあった。この魔人族の集落ではそれがより強いように感じる。

 アンジェリカが自分をペット呼ばわりしたのも、そういう背景があるこの場所で、サトシを自分の所有物と宣言して守る為なのだろうと推察出来た。


「こ、ここに出して頂けますでしょうか?」


 食糧庫は3棟が並び、それぞれ2階建になっていた。真ん中にある建物に招き入れられる。ひんやりとした冷気が満ちていたが、食糧はあまりない。中に居た管理人が塩を出す場所を指し示す。住人は300人以上いるとマリーは言っていたが、塩の袋は10キロ入りのものが2つしか残っていない。しかも、1つは半分以上使い切っている。


「12種族連合は小さな魔石1つで海水塩を30キロは売ってくれていたんだ。東の奴らは戦士団や狩人が命懸けで1年かけて集めた魔石の大半を要求して、粗悪な岩塩を200キロも売ってくれないんだ」


 リズは悔しそうに唇を噛み締める。目尻には少し涙も滲んでいた。


「戦士団は体を動かさなければならないから、塩を多く必要とします。その他の者は体を動かさないようにこもっています。病人や怪我人も増えてきて……あっ!申し訳ありません!お客様になんてことを!」


 リサと名乗った管理人が顔を真っ赤にして俯く。不足した塩を得る為に必死にやり繰りをしてきたのだろう。一生懸命生きる人の足元を見る者がいることに、サトシは怒りより悲しみを覚える。袋を開けてみると不純物が混じった岩塩の塊が入っていた。

 こんなものを小さな子や親しい人たちに食べさせなければならないことに、調達をした人や調理をする人はどんな思いをしたのだろう。族長であるシェリルや跡取りであろうリズは忸怩たる思いだっただろうし、やり繰りをしていたであろう管理人のリサの苦労を考えると悲しくなる。


「これからは大丈夫です。亜龍とかいうのはマリーが倒しに行きましたし、道が通れるようになればまた12種族連合と取引出来るんですよね?だから大丈夫ですよ。あ、お塩出しますね」


「そうか……気持ちだけは受け取っておくよサトシ、ありがとう」


 リズは言いたいことがありそうだったが、堪えて柔らかく微笑む。本当に良い子だと思う。サトシは戦闘用補助服の内側に手を入れた。防水加工が施された頑丈な隠しポケットから収納魔道具である指輪を取り出し、左手薬指に付ける。まるで新緑の森を思わせる美しい魔石が付いた指輪だ。

 温泉郷の女王マリエールから使い方を教わった時に、左手薬指以外では作動しないと言われていた。


「サ、サトシ?おまえはアンジェリカ様のペットではないのか?そ、そんな物を左手につけるなんて破廉恥だぞ!」


 耳の先まで真っ赤になったリズがよく分からない理由でサトシを非難してくる。リサは顔を赤らめながらも嗜める。


「リズお嬢様、いけません。お客様は他の大陸の方です。風習が異なりますから」


「む?そうだな、失礼したなサトシ。忘れてくれ」


 よく分からないが解決したみたいなので、収納魔道具を下に向けて、塩出てこいと念じる。12種族連合謹製『ヒカタの塩』とプリントされた30キロ入りの袋が出てくる。ヒカタはこちらの世界のお塩の名産地らしい。なんか自分達の世界と商品名が似てるんだよなと思いながらも、サトシは次々とお塩を出していく。


「お、おい!サトシ!その収納魔道具おかしくないか?どうしてそんなに入る?それに塩も多過ぎないか?」


 そんな事を言われてもサトシは困る。収納魔道具はつい数日前に貰ったこれしか知らないので。30キロのお塩の袋を大量に出して壁際に積み上げた。とりあえずこれだけあれば数年は大丈夫だろうと思う。ついでだとシアとミアが詰め込んだ、莫大な量の玄米や小麦もどんどん出していく。


「レベッカ!誰かに母様を呼びに行かせてくれ!アンジェリカ様のご息女のマリー様を隧道に案内しているはずだ!対価を母様に決めてもらう必要がある!」


 視界の端で呆然としていたレベッカが飛び出ていった。固まっていたリサが目を輝かせて、玄米や小麦の置き場所を指定してくる。やはり食べ物の力は偉大である。お腹いっぱいなら大抵のことは許せるしとサトシは思う。




 魔人族の里の中央には広場がある。薄暗かった地下空洞の至る所に備え付けられてあった魔石式照明が灯された。淡い光が広場を照らし幻想的に美しい。そして、集まって食事を取る住人達の表情と声も弾けるように明るい。

 地面に鮮やかな色彩の絨毯を敷き、座卓が並べられていた。その上に沢山の料理が並べられている。

 サトシは厨房を借りて、ゴーレム5号が出してくれた巨大な鍋を使い大量のお粥を作った。集落の住人はあまり量を食べていなかったそうなので消化が良いものをと思ったからだ。干し椎茸と干し貝柱で出汁を取り、白菜の芯を入れクタクタになるまで煮込む。米を入れ柔らかくなるまで炊き、叩いた鶏肉に生姜と卵を混ぜて肉団子を作り投入した。

 仕上げに細かく砕いたナッツと白胡麻をふりかける。各家庭からも料理が持ち寄られた。


「サトシ殿、感謝いたします。分けていただいた塩と穀物のおかげで、東側の連中との取引を辞められます。魔石を魔道具の使用に回せました。本当にありがとうございます」


 肌が透けるような桜色の薄い着物を着たシェリルが深々と頭を下げる。

 塩を得る為、節約していた魔石を使い、置物になっていたゴーレムを起動させ、防衛や索敵、重労働に従事させた事により、住民は数年ぶりに命を削るような仕事から解放されたという。湯を沸かし久しぶりに大浴場も住民に解放され、皆と一緒に湯を浴びたというシェリルは柔らかな甘い香りを放っている。髪をまとめており、ピンク色に染まる首元は匂い立つような美しさだ。

 あまりの艶めかしさにサトシの鼓動は速くなり、うまく返答出来ずに愛想笑いで誤魔化す。


「ほんまサトシはしゃーない子やなぁ。マリエール様に指輪貰っとるなんて……贈り物を気軽にもろたらあかんてあんだけゆうたのになぁ」


 サトシの隣で、リズに注がれた木のカップのワインをグイッとひと息で飲み干したマリーが絡んでくる。完全に座った眼をしていて怖い。サトシは視線を逸らして背後を見上げれば、設置された祭壇には巨大な角と魔石が飾られていた。マリーが狩ってきた亜龍のものだ。


「マリーはすごいね。あんなおっきなのを倒してくるなんて、やっぱりマリーは強いなあ」


「そないなお世辞ゆうてもあかんからね!リズちゃんは可愛いなぁ。今夜はうちのお布団くる?」


 プイッと横を向くが口元は緩んでいる。マリーは褒められるのに弱い。特に強さについて褒めると分かりやすくデレる。嬉しかったのを誤魔化す為か、お酌をしているリズの胸元に手を差し込み始めた。


「あっ!いけませんマリー様……竜殺しの勇者様の寝所に、わたしの様な貧相な者は相応しくないです。他の者をいかせますからお許しください」


「ほんま可愛いなぁ。連れて帰りたいわぁ」


 リズは浴衣のようなものを着ていた。

 鮮やかな群青色をしており、軽そうで着心地は良さそうだが、肌が透けて見えるくらい薄い。マリーの悪戯に顔を真っ赤にして恥じらっている。

 そのやり取りに百合を愛するサトシは良いものを見たと頷く。窮地に陥った種族を救う勇者と族長の娘。運命の2人の百合の花咲く絶景を特等席で見れるとは。まるで、サトシが敬愛する小説家の円城寺レイカ様が描写する世界観だ。素晴らしい日だと思う。


 病人と怪我人の治療を終えたアンジェリカは、薬や医療に必要な物資を収納魔道具から大量に出して補充したらしく、住人たちからは聖女認定されていた。

 宴が始まり食事をとった後、医師や薬師と大浴場に向かって帰ってこない。明日の出発は朝9時と、アンジェリカからの伝言を知らせてくれた魔人族の少女は顔が真っ赤だった。何があったのかサトシにはよく分からないが、触れない方がいい気がした。


 お腹いっぱい食べるとサトシは急激に眠気に襲われた。体は疲れていないが、安全な場所で精神的な緊張から解放されたおかげか酷く眠い。マリーに声をかけて先に休ませてもらう事にした。


「マリー、僕は先に眠るね。今日はお疲れ様でした」


「おやすみサトシ。うちはリズちゃんと朝までお話しするさかい。ゴーレムたちから離れたらあかんよ」


 力を抜いて完全に体を預けているリズのお尻を撫でまわしているマリー。2人のパヤパヤをもっと見ていたかったが、流石に眠気が限界である。


「ラナ、サトシ様を寝所に案内してさしあげなさい」


「はい、族長。サトシ様、こちらです」


「シェリルさん、お先に失礼します。おやすみなさい」


「はい、おやすみなさいサトシ様。良い夢をご覧ください」


 ラナと呼ばれた背の高い魔人族の少女の後に続いて、サトシは立ち上がる。歩き出すと後ろからはゴーレム4号と5号と6号がついてきていた。目の前を歩くラナは華奢に見えるのにお尻が大きい。くびれた腰との対比に目が吸い寄せられ息を呑む。いかんいかんと視線を地面に向ける。案内されたのは族長の家の裏にある小屋だった。外見は粗末だが、中に入ると三和土の玄関があり、板張りの清潔な部屋があった。


「サトシ様、痒いところはありませんか?」


 玄関にはお湯を張った大きなタライがあり、足を洗わせて貰おうとしたら、ラナが屈んでブーツを脱がせてくれる。慌てて自分ですると言ったが、にっこりと笑顔でダメですと言われてしまう。渋々任せて、サトシがタライに足を入れると、ラナは細く長い指でサトシの足を擦り始めた。


「ラナさん!朝から歩き詰めで汚いですから!自分で洗います!」


「なりません。里の恩人のお世話を怠れば、私が族長に叱られます。大人しくなさってください」


 めっ!と美しい少女に叱られて、サトシは何の反論も出来なくなってしまう。昨夜もお風呂でしっかりと汚れは落としたが、道なき荒野を半日歩き続けたサトシの足は汗と垢に塗れていた。その汚れた足をラナは丁寧に優しく洗ってくれる。指の間を優しく擦られてあまりの心地よさにうっとりしてしまう。

 綺麗になった足を清潔な布で拭われる。ラナの大きく張った胸元の裾が緩み、肌が覗いたので視線を逸らす。靴下は洗っておきますと、別の少女が汚れた湯と一緒に持って行ってしまう。ゴーレム4号は土間に立ち、5号と6号は板の間に上がってきて、サトシの側にいてくれるようだ。ゴーレム達が何だかピリピリと緊張しているように見えるのが不思議だ。

 板の間には大きく分厚い敷布団が敷かれていた。柔らかで軽い毛布と羽毛らしき掛け布団まである。ありがたいなぁと思い横になろうとしたら、土間にある水場で手を洗っていたラナも上がってくる。


「サトシ様、お気に召すか分かりませんが、精一杯努めさせていただきます。よろしくお願いします」


 三つ指をついて深々と頭を下げる。何のことだろうと思い5号を見ると、やれやれという仕草で避妊具を差し出していた。それを見てサトシもようやく意味を理解する。


「いやいやいやいやいや!ダメですよ!僕はアンジェリカさんとマリーにくっついているだけの、ただのオッサンなんですよ!ラナさんのような若い方がそんな事をする必要はないんです!」


 サトシが慌てて拒否すると、ラナは申し訳なさそうな顔で涙ぐむ。


「お気に召しませんでしたか?代わりの者を呼びますね」


 そう言って深々と頭を下げ、立ち去ろうとする。

 突然、べチィ!とすごい勢いで、サトシは頬を張り飛ばされ壁際まで吹き飛ぶ。混乱していると、手を振り抜いた5号が凄んでいるように感じる。6号は腰に手を当てて、怒っているように見える。4号からはゴミを見るような視線を感じた。

 ゴーレムたちを見て、このままラナを返した場合、どうなるかをサトシはようやく悟る。族長を頂点とする村社会において、役目を果たせない者がどういう扱いになるか、少し考えればわかる事だ。シェリルはそんな酷いことをしないだろうけど、仲間内でのラナの立場がなくなってしまうだろう。


「すみません、ラナさん。1人は心細いので、今夜は同じ部屋で居てくれませんか?」


 ゴーレムの蛮行に呆気にとられていたラナは、花が咲くような笑顔になってくれた。



 ラナはこの集落で幼い子供たちの面倒を見ているという。魔人族は種族全体で子供を育てているそうだ。


「サトシ様が提供してくださった穀物とお塩に沢山の食材。子供たちには久しぶりにお腹いっぱい食べさせてあげられました。あんな嬉しそうな顔はいつ以来か……本当に感謝しているんですよ」


 ラナは子供のお世話をしているからか、若い人にありがちな性急さや尖ったところがなかった。恐ろしく会話が上手い。口下手なサトシでも仲良くおしゃべりをしてしまっていた。

 ラナは読者が好きなようなので、バックパックに入れていた文庫本を取り出す。円城寺レイカ様の大ベストセラー『皇国撫子探偵事務所』シリーズの1巻だ。異世界の言葉で翻訳されたものが、自衛軍の要塞にある書店で販売されていたので、読み書きの勉強の為に買ったものだ。


「なんて美しい本なんでしょう。挿絵も繊細でとても美麗ですね」


 うっとりと本を愛でるラナ。本を触る手つきでわかる。彼女は相当の読書狂だ。今も早くページを開きたいのを必死に我慢している。何故ならサトシも同じだからだ。


「ラナさん、それは差し上げます。僕は同じのを何冊も持っているのでどうぞ」


 読書用、保管用、布教用を揃えるのはマニアとしての嗜みである。ラナは遠慮していたが、本を両手で大切に持ち抱きしめるようにしていた。

 お互いの世界の物語を話すうちに夜はふけていく。しばらくするとゴーレムたちが扉に目を向ける。何だか揉めているような気配がある。


「姉様!大丈夫!?」「ラナ姉様!」「ニンゲンめ!ラナ姉様に酷いことするな!」「ハーレムキングめ!姉様から離れろ!」「姉様にひどいことしないで!」


 わらわらと小さな子供たちが入ってくる。淡い金髪の魔人族の幼児たちだ。なんだかサトシには聞き覚えのある罵倒が混じっていたような気がする。


「こら!あなた達!サトシ様は沢山のお塩とご飯を譲ってくださった恩人なのよ!失礼は姉様が許しませんからね!」


 素早く土間に降りたラナが叱りつける。幼児たちはラナに抱きつき必死に訴える。


「でもでも3日前に来た竜の姉ちゃんが温泉郷に悪いハーレムキングがいるって言ってた!」

「バカな竜のお姉ちゃんが似顔絵描いてくれた!このニンゲンそっくりなの!」

「竜のアホの姉ちゃんがハーレムキングは手を繋いでだけで赤ちゃんできるって!」

「姉様!危ないのよ!すぐにお腹おっきくされちゃうの!」


 竜のバカでアホな姉ちゃんとやらは、邪悪に笑うサトシの似顔絵を子供たちに見せて、ある事ない事を吹き込んだらしい。多分、温泉郷に居たんだろうなとサトシは思う。


「あなた達!竜の姫様には近づいたらダメって言ったでしょう!あの方は貴方達みたいな幼い子が大好きな変態なんですからね!」


 ラナもなかなかキツいことを言う。子供たちは必死にしがみついてラナを守ろうとしていた。

 こんな遠い大陸までハーレムキングの悪評が届いているなんて、世界は広いようで狭いなぁとサトシはため息をつく。



 竜の姫様とやらは竜人族という種族で、たまに物資を運んできては小さな子に悪戯をしようとして、追い払われているとの事だ。竜人族は男でも女でもハーレムを築こうという性質があるらしく、警戒しているとの事だ。


「竜の姫様は乱暴はされませんし、性根は悪い方ではないのですが、子供たちばかりに手を出そうとするので追い払っているんです」


 困ったような顔をするラナ。

 そしてサトシは魔人族の幼児たちにまとわりつかれていた。お茶を入れてバックパックに入っていた発酵バターのクッキーを出すと、幼児たちはそれは美味しそうに食べ尽くし、サトシは懐かれてしまったのだ。

 それにしても暖かい。小さな子たちの体温が心地よくてふわふわする。ラナと沢山お話をしながら、だんだんと眠気が襲ってきて抗いきれない。サトシは座ったまま眠りの世界に旅立った。





「ハーレムキング行っちゃやだー!」「あたしがお嫁さんになったげるからここに居て!」「ずっとここにいよ?」「ボクのお嫁さんにしてあげるから!」「帰ったらだめー!」


 翌朝、サトシが目を覚ますと布団の中だった。ラナが抱きついており、その柔らかな感触に一気に目が覚める。幼児たちも一緒の布団に潜り込んで爆睡していた。布団から出るとラナが手を伸ばしてくるので、幼児を抱きつかせると落ち着いたように眠った。

 ゴーレム達からはヘタレと言われているような気がしたが、小さな子たちがいるのにそんな事出来るわけがない。いなかったとしても、サトシには無理だっただろうけれど。


 その後、族長の家で朝ごはんをご馳走になった。アンジェリカとマリーは髪や肌が艶々で元気いっぱいだ。リズは酔いしれたように頬を染めて、甲斐甲斐しくマリーのお世話をしている。

 お弁当とお土産だという魔石を持たせてもらい、当初の予定通りに出発しようとしていたら、幼児たちが走り寄ってきてサトシにしがみつく。


「なんやサトシは小さい子にモテモテやなぁ」


 リズとラナが何とか引き離してくれ、ようやく出発する事になる。


「シェリルさん、お世話になりました。魔人族の繁栄を心より願っております」


「とんでもないです。アンジェリカ様、マリー様、サトシ様。御三方から受けた大恩は忘れません。我が種族全ての身命を賭して、お返しをいたします。何かあれば必ず命じてください」


 見送りに来てくれていた住人がシェリルの言葉に深々と頭を下げる。


「わたしはそうそう困り事はありませんが、マリーやサトシに何かあればよろしくお願いします。それでは失礼します」


 こういう日常なのだろう。アンジェリカは軽やかに頭を下げて踵を返す。マリーは切なそうに視線を送るリズに笑いかけて後に続く。


「サトシ様、いつかまたおいでください。来てくださらないなら、こちらから押しかけますからね」


 背伸びをしたラナが、サトシの首に何かを巻き付けてくれた。美しい赤い宝玉が埋め込まれた金のペンダントだった。

 遠い遠いこの大陸にサトシがまた来れる可能性は低い。これが今生の別れとなるだろうと思う。それでも、またと言ってくれることが嬉しかった。


「はい、またいつか。ラナさんの為に自衛軍の監視要塞に本を取り寄せておきます。気が向いたら取りに行ってください」


 サトシの言葉に、ラナは満面の笑みを見せてくれた。この笑顔を見れただけで、こんな恐ろしい大陸に来た甲斐があったと思う。

 何度も何度も振り返って、いつまでも手を振って見送ってくれる人たちに、サトシも手を振り返す。


「ほんまサトシは仕方ない子やなぁ。そないなプレゼントまでもろて。しかも赤い宝玉付きやないの」


 マリーは呆れたような目をしている。


「サトシ、今生の別れと思っているようですが、集落を建て直したらあの子は追ってきますよ」


 アンジェリカは確信しているかのようだ。とても楽し気である。


「魔人族にとって金の装飾品は親しい人の安全を願うものです」


 別におかしなものではない。よくあるお守りとして渡してくれたものじゃないかとサトシは思う。なにせとても優しい子だったし。


「それに赤い宝玉が付くと話は別や」


 マリーはため息をつき、2人は振り返って声を合わせる。


「「我が最愛の夫に手を出すな」」


 まさかそんなと思う。

 だってラナはとても奥ゆかしくて優しかった。

 口下手なサトシとも沢山お喋りをしてくれた。

 会話も生まれた場所や家族、収入や現在の状況なんかも全部話して……あれ?なんで初めてあった子に、あんな詳しく話してしまったんだろうと思い、ブワッと全身から冷や汗が吹き出る。

 だってそんなことを話す必要なんてない。最初はずっとお互いの世界の物語について語っていたはずだ。いったいいつの間にああいう話になったのか。

 そうだ子供たちが入ってきて、ラナがお茶を淹れてくれた後だ。なんだかふわふわして物凄くリラックスしていたように思う。まさかそんなと思う。あんないい子を疑うなんて恥知らずもいいところだ。


「あの子は怖い子やで。うちにも威圧をかけて探り入れてきたしなあ。あの集落でいちばん強いのはあの子やろなあ」


「容姿に面影がありますね。『国崩しラクス』の子孫でしょう。傾国の美貌と隔絶した戦闘能力で当時の魔王を蹴散らし、4つの国を滅ぼした怪物の血脈ですよ」


 サトシはずっと感じていた違和感の正体にようやく気づいた。サトシが食糧庫を警護していたレベッカ達に槍を突きつけられても、ゴーレム達は平然としていた。だけど、ラナが近くにいる時は常に警戒体制を敷いていた。サトシも最初はラナに近づきすぎないようにしていたはずだ。それなのに、いつの間にか警戒心すら溶かされていた。


「ずっと守っていてくれたの?」


 ゴーレム達に聞くと、ようやく気がついたのかと呆れたような雰囲気を感じる。


「ありがとうね皆んな。これからは気をつけるから」


 そう言って頭を下げると、どんまい!とでもいう風に親指をビッ!と立てるゴーレム達。ほんとに人間みたいだなあと思う。

 だけど、ラナの事は悪く思いたくない。よくしてくれたのは事実だし、何よりプレゼントした円城寺レイカ様の作品を大切にすると言ってくれたのだ。本好きに悪い人はいない。サトシはそう信じたいのだ。


 広大な地下空間から、警備がいる扉をいくつか潜ると大きな地下隧道に出た。ここを通っていけば、安全に12種族連合の監視要塞にたどり着けるらしい。


「さあ、あとは真っ直ぐ80キロ程度です。足元が悪いですから、しっかりと確認しながら進みましょう。夜までにたどり着けるでしょう」


 所々が明るく光る奇妙な壁に覆われた隧道をアンジェリカは軽やかに駆け出す。サトシは慌てて追いかけて、マリーとゴーレム達もついてくる。たった2日しか過ぎていないのに、仲間たちと随分会っていないような気がする。早く会いたいなと思い体に力が満ちてくる。サトシは足元をしっかり踏み締めながら、アンジェリカの背中を目印に駆け出した。

円城寺レイカ


 2040年代に彗星の如く現れた正体不明の作家。

 探偵ものや異世界落ち人譚を得意とし、ティーン世代を中心に熱烈な支持を受けた。『皇国撫子探偵事務所』シリーズ全17巻は電子書籍全盛時代に書籍として全世界7000万部を売り上げ、異世界でも圧倒的な支持を受けている。

『異世界転生したあたしがチートでざまぁな悪役令嬢と追放女勇者に愛され過ぎて、腹黒聖女から異端認定され処刑されそうになった国から帰ってきてくれと懇願されたがもう遅い』シリーズが88巻まで刊行中。あまりの速筆ぶりと内容の濃さに個人ではなく、複数のクリエーター集団の共同ペンネームだという噂がある。



『国崩し』ラクス


 魔人族のかつての大英雄。魔王の奴隷として使役されていた魔人族に生まれた突然変異の特異体。幼い頃から美貌で知られ、彼女を求めて幾万もの男女が決闘を行った。ついには魔王に召し上げられるが、謁見の場で顔がタイプではないと言い放ち、魔王城ごと消し飛ばす。

 旧魔王領を植民地にしようとした4つの人間の国を滅ぼした。

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