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不撓不屈のマリーは温泉郷より旅立つ 中編

マリーちゃんは何故か女性に好かれます(ライクではなくラヴ的な意味で)

 芳しい春の風が吹くエルフ温泉郷に、夜が訪れようとしていた。

 都市防壁周辺への立ち入りは禁止となり、厳重に封鎖されてしまうが、観光客が集まる場所は24時間営業の店が立ち並び、食事や娯楽を求める人々で賑わっている。

 この喧騒ともしばらくお別れかと、賑やかな通りを目に焼き付けるように、ゆっくりとマリーは歩いていた。


 温泉街と職人街の境目にある広場。

 屋台が立ち並ぶ賑やかな場所に、マリーのお目当ての店はある。


「こんばんは、ダリルのおっちゃん。ええ夜やねえ、斧は研ぎ終わっとる?」


 看板すらないが、入り口の無骨で大きなドアを開けると、広い店内の壁一杯に設置された棚には、磨き上げられた大量の武具が所狭しと並んでいる。


「おお!マリーちゃん!春の夜は賑やかで良いな!相変わらず美人だねえ!もちろん研ぎ終わっとるよ!ほら!」


 マリーの生まれ故郷である大樹付近の牛人族の村。その村周辺で最も優れた鍛治職人であり、幼馴染であるクリフの父親のダリルが、真っ黒で巨大な戦斧と、美しい銀色の少し小振りな戦斧をカウンターに出してくれた。


「おおきにやで。綺麗に研ぎ上がっとるなぁ」


 父親が遺してくれた、不壊の宝珠が埋め込まれた巨大で真っ黒な戦斧『不撓』


 母親が遺してくれた、再生の宝珠が埋め込まれた美しい銀色の戦斧『不屈』


 マリー愛用の武器は、輝くように美しく、恐ろしいほど鋭く研ぎ上げられていた。


「ほんまダリルのおっちゃんの研ぎは見事やなぁ。これならうちも命を預けられるわ」


「てやんでぇ!元々、その斧がすげぇだけさ!マリーちゃんは世辞がうめぇな……よし!代金はいらねぇ!マリーちゃんは俺の幼馴染たちの娘!しかも、俺たち家族の命を救ってくれたサーシャ様の護衛になるんだ!金なんかもらえねぇ!」


 顔を真っ赤にして照れながら、ダリルは腕を組み胸を張る。


「ダリルのおっちゃんはまたそないな事言うて……サリーに叱られるで」


「何言ってんだ!嫁にビビるようなヘナチョコ野郎には、鍛治職人はつとまらねえよ!文句言ったら叱りつけてやるさ!」


 得意げな顔をするが、ダリルが息子と結婚したサリーに頭が上がらない事は周知の事実だ。


「ただいまーお義父さん、何か呼んだ?」


 ちょうどいい所に、何処かに出掛けていたらしいその嫁が帰ってきた。


「ヒィ!?サ、サリーちゃん?クリフと義勇団の詰所に納品に行ったんじゃないのかい?ずいぶんと早いね?」


 いまの今まで踏ん反り返ってていた牛人族を代表する鍛治職人は、顔を真っ青にして狼狽え出した。


「納品は済みましたよ。クリフは1番隊の副長さんと飲みに行ったんで、あたしだけ帰ってきたんですよ。マリーよく来たね!ご飯食べてかないかい?明日、出発だろ?渡したいものもあるんだ」


 笑顔で話しかけてくる親友のサリーは、相変わらず見惚れるような美しさであった。

 小柄な者が多い牛人族の女性の中では、珍しく背が高い。しなやかな細身で胴が短く足が長いのに、胸と腰は大きく張り出している。

 真っ赤で艶やかな髪に、気の強そうな大きな目はキラキラと宝石のように輝いている。


「そ、そうかい。お疲れ様だったね!サリーちゃんが居てくれるおかげでウチの店は大繁盛だよ!俺はちょっと倉庫の確認をしてくるね」


 ダリルは大きな体を小さくして、不自由な足を引きずりながら、そそくさと奥のドアから倉庫へ、まるで逃げるように向かう。


「誰か!お義父さんを手伝って!あたしはマリーと話があるから奥に行く。閉店まであと1時間!皆んな店を頼んだよ!」


 はい、若奥さん!と、5人いる従業員が一斉に大きな声で返事をする。店を仕切っているのもサリーである。


「いっつもご飯食べさせてもらうの悪いしええよ。どっかで食べてから戻るし。それより、マーヤちゃんの様子はどうなん?」


 先日、夕飯をご馳走になった際、マリーが温泉郷をしばらく離れると知ったサリーの1人娘マーヤは、珍しく嫌だと駄々を捏ねて泣き喚いた。


「そんな事言ってまた食べないつもりだろ!いいから食べていきな!マーヤは部屋に閉じこもっているけど、ご飯は食べているし心配ないよ。マーヤ!いい加減に降りといで!マリーと一緒のご飯はこれが最後かもしれないんだよ!」


 サリーは怖い顔をした後、2階にいるらしい娘に大声で呼びかけた。


「そういえば、義勇団の1番隊と4番隊に口利きしてくれたのマリーだろ?今朝の防衛戦で消耗した盾の注文がどっさり来て、倉庫にあった在庫が全部売れたんだ。たった半日で半年分の売り上げになったよ。ほんとにありがとう」


 マリーが1番隊隊長のアルスと4番隊隊長のアイシャに、ダリルとクリフが作る盾を見せて、採用の検討をお願いしたのは事実だ。


「売れたんは盾がきちんと実戦に使えるもんやったからやで。アルス様とアイシャ様は、そこんとこ甘いお人らやないからなぁ。おっちゃんとクリフの腕がええからや」


 そう言うと、サリーは嬉しそうに目を細める。


「それでも、きっかけを作ってくれたのはマリーでしょう。ほんとにありがとうね。すぐにご飯作っちゃうから、お茶飲んでいて」


 熱いのが苦手なマリーが飲みやすいよう、少しだけ冷ました暖かなお茶が差し出される。


 ふわりと甘い香りに体から力が抜けた。

 故郷周辺で摘まれた、懐かしい新茶の香りがした。

 親友の柔らかな気遣いに涙が出そうだった。


 サリーがご機嫌に鼻歌を奏でながら、キビキビと動いてご飯を作る後ろ姿を眺める。

 こんな時間を過ごせるなんて、あの頃は想像すら出来なかった。

 壁にある武器収納棚に立てかけた、2丁の戦斧を見つめる。

 あの凄惨で孤独な戦いの日々を支えてくれた両親の形見。

 この武器があったから生き残れたんだと、マリーは過去を思い返す。





 マリーが16歳の夏の終わり。

 森に果物や薪を採取しに行った時、デーモンの襲撃を受けた。たまたま、運悪く遭遇したと思ったが、住んでいた村も襲撃を受けたようで何本もの黒煙が上がっており、家族を救うためにマリーは斧を握りしめて必死に駆けつけた。


 村の小さな防壁は焼けこげて、入り口にある番所は粉々に破壊されていた。

 いつも気さくに優しく声を掛けてくれる、元冒険者のおじさんが、斧を握りしめたまま倒れて動かなくなっている。

 必死に戦ったようで、辺りには10個以上のデーモンの魔石が転がっていた。


 10体以上倒しても、入り口を突破されたという事実にマリーの背筋が凍る。

 一体、どれだけの数のデーモンの襲撃を受けているのかと焦りが募る。

 戦闘音がする村の中心部へと、物陰に身を隠しながら慎重に向かう。


 避難所にもなっている集会所を中心に、村に駐在している戦士団と大人たちが陣形を組み、無数のデーモンと戦いを繰り広げていた。

 集会所からは女性や老人が、弓や石を放って牽制をしているが、デーモンは30体以上いる為、戦況は芳しく無いように見える。


 マリーは腰のポーチに入れていた小さな12個の魔石を取り出し、デーモンの頭に向けて次々と投げつける。

 粘度の高い水に頭を覆われて、暴れ回るデーモンの隙を付いて、戦士たちが斬り込み倒していく。


「マリー!助かった!だが、この数のデーモンは倒しきれん!女子供を脱出させる!おまえはその護衛に入ってくれ!」


 父母を亡くしたマリーを引き取り育ててくれた村長が、無念の表情で逃げるよう促してくる。


「父さん、リリーは?森で襲撃を受けた後、小さな子たちと村に戻したの!」


「何だって!?リリーが……いや、こちらには来ていない!だが、探している時間はない!お前だけでも逃げなさい!」


 唇を噛み締め、村長としての判断を下してそう叫ぶ育ての父に涙が溢れる。


「駄目!リリーは絶対に守る!探してくる!母さんたちと先に逃げて!」


 マリーは制止する声を振り切り、大切な妹を探して村の中を駆ける。

 あの子は頭がいい。何処かに隠れているはずだと探し続けていると、小さな声が聞こえた。


「リリー!良かった!ちゃんと隠れていたね!偉いよ!」


 中心部から外れた物置小屋の床下に、身を潜めていたリリーが飛び出し抱きついてきた。


「マリーちゃん!小さな子たちは隣村に走らせたの!リリーは父さんと母さんが心配で!2人は?」


「大丈夫!父さんが集会所から脱出するって言っていたから!わたし達も村を出るよ!走れる?」


「うん!走れる!ああ!?マリーちゃん!」


 マリーの後ろを驚愕の表情で見る妹の声に、抱きしめたまま横に跳ぶ。

 耳元を巨大な腕が掠めるのを避けて、全力で走り出す。いつの間にか巨大なデーモンの接近を許していた。

 気配がなかったことに違和感を感じたが、逃げるのが先だとリリーを抱き抱えたまま走り続ける。


 村の防壁まで走り続け、防衛施設がある隣村まで徒歩で半日近くかかる事を思い出す。

 食糧と水を持ち出すべきかと考えたが、早く逃げた方がいいと、マリーの頭の中で警告が鳴り響くような気がする。

 背負い袋に入った非常食と水筒、新鮮な桃を確認して大丈夫と判断し、そのまま防壁を飛び越えようとした時、凄まじい衝撃に襲われた。


 リリーを抱きしめたまま、何処かの家の壁をぶち抜いて屋内の床に叩きつけられる。

 妹を庇った為、上手く受け身を取れずに全身が痺れて呼吸が上手く出来ない。

 さっき撒いたはずの巨大なデーモンがふらふらと踊るような足取りで、こちらに近づいてくるのが破壊された壁の隙間から見える。


「リリー……逃げなさい逃げてはやく……」


 嫌々と頭を振るう妹の背中を必死に押す。

 なんとかしようと床を這いずるように移動していると、何かが指先に触れた。


 それは、美しい銀色の戦斧だった。実の母親が遺してくれた『不屈』という銘が付いた斧。

 よく見ると、そこは生まれ育った我が家だった。


 戦斧の柄に埋め込まれた綺麗な宝珠が光り、マリーの全身から痛みと痺れが消え呼吸が楽になる。

 何が起こったかわからないが、跳ね起きて左手で斧を掴む。

 まるで、手に吸い付くように馴染み羽の如く軽く持ち上がった。


 その近くに立てかけてあった、巨大な黒い戦斧を右手で掴む。

 父が遺してくれた『不撓』という銘が付いた斧は、ずっしりとした重さがあるのに、不思議なくらい軽々と持ち上がった。


 全身から力が吹き出してくるような感覚に包まれて、マリーは右手の不撓を担ぎデーモンに向けて踏み込んだ。

 巨大なデーモンはふらふらしながら避けようとするが、高速で叩きつけられた巨大な金属の塊を交わしきれずに両断する。

 何かを砕く感触があり、デーモンは大きな魔石を残して消えていった。


「リリー、背負い袋を持って隣村まで行きなさい。わたしはデーモンを足止めする」


「マリー……ちゃん?」


 心の奥底から熱く昏く重い何かが湧き出て、マリーの全身を駆け巡っていた。

 怯えたように後ずさる妹に、少し心が痛んだけれど、そんな気持ちすらすぐに飲み込まれた。

 リリーが駆け出して防壁を越えたのを確認し、マリーは集まりつつあるデーモンの群れを見渡す。

 1匹たりとも逃がさないと睨みつけ、マリーの意識は赤黒い何かに塗りつぶされ、天に響くような咆哮をあげて吶喊した。

 はっきりとした記憶にあるのはそこまでだった。



 次の鮮明な記憶は病院で目覚めた時だ。この辺り一体にある唯一の入院設備がある病院で、村から2日は離れた場所にある街であることに気づく。

 小さな個室のベッドの上で意識が戻ったが、全身の痛みに身動きが取れなかった。

 何か暖かなものが腰のあたりに抱きついているのが分かる。

 視線を落とすとリリーが眠っている事が分かり、マリーは少しだけ安心するが、何故この場所にいるのかが理解出来ない。


 父母や友人、村の人たちがどうなったのかと、不安が押し寄せてくる。何とか体を起こそうとしていると、病室に誰かが入ってきた。


「リリーさん、そろそろお食事にしません……マリーさん!意識が戻ったの!?あなた1週間も眠っていたのよ!すぐに先生を呼んできますからね!」


 そう叫んで病室から飛び出して行ったのは、村によく行商に来ているエルフだった。



「アンジェさん、わたしはどうなったんですか?村の皆んなは避難できたんでしょうか?」


 医師に診てもらい、絶対安静を告げれられたマリーはエルフのアンジェリカに状況を尋ねた。

 村長夫妻からも信頼されている温泉郷の薬師であり、付与術師のエルフは顔を曇らせる。


「マリーさん、隠しても仕方がないのではっきりと申し上げます。村で生き残れたのは、あなた以外は、隣村に逃げたリリーさんと幼い子供4人。サーシャ姫様の部隊に救出された15名だけです。村長夫妻は村と運命を共にされました」


 600人を越えていた村人たちの中で、生き残れたのが20人程度という事実にマリーは呆然となる。


「マリーさん、わたしが救出部隊として到着した時、貴女は村から少し離れた森の入り口にある大きな樹の近くで、2丁の戦斧を構えて立ったまま気絶されていました。周辺には200を超えるデーモンの魔石が散乱していました。何か覚えていらっしゃいますか?」


 マリーにはあの巨大なデーモンを倒した後の記憶があまり無かった。焼けつくような怒りに支配されていた事だけを覚えている。

 ただ、サリーを探しに森に向かったような記憶が朧げにはあった。


「分からないんです……リリーを逃がそうとして斧を握ったところまでははっきりと覚えているんですけど……そうですか皆んな皆んなデーモンに……」


 信じられなかった。

 あれから1週間も過ぎているという事実に思考が固まる。マリーの記憶ではつい先程の出来事だった。


 実の娘のように優しく育ててくれた村長夫妻

 隣のいつも笑顔で体調を尋ねてくれるお姉さん

 口は悪いが心配してくれているのが丸分かりな向かいの家のお爺さん

 戦いが嫌いなら無理に戦わなくて良いと、優しく諭してくれた学校の先生

 幼馴染や学校の友達、戻ると約束したのに守れなかったサリーの綺麗な顔を思い出す

 優しく声をかけてくれた沢山の村人たち


 そんな素朴で優しい人々に、もう2度と会えないことが信じられない。


「マリーちゃん」


 腰に抱きついて眠っていたリリーが目を覚ましたようで声をかけてきた。

 そして、マリーはもうひとつ大切なものを失ってしまった事を知った。


「リリーさんは逃げる途中、ご両親が襲われるところを見てしまったようなんです。それがその……酷い有り様だったようで……お食事や生活はきちんとされるのですが、表情を出す事が難しいようなんです」


 リリーは表情を失っていた。

 あれだけ快活でいつもニコニコと笑顔だったのに、母親譲りの端正な顔は、無表情のままで動かせないとの事だ。

 四六時中、楽しそうにお喋りをしていたのに、必要な事以外、一切話さなくなっていた。

 アンジェリカはエルフの専門家の所にも連れて行ってくれて、診察してくれたようだが、穏やかな環境で時を過ごす以外、どうにもできないとの事だった。


 しばらくの入院生活の後、退院する事が出来るようになったマリーは困っていた。

 希少金属の指輪や、非常時用に服に縫い付けたり隠しポケットに入れていた金貨はあるが、生活基盤を築く程の財産はなかった。

 治療費や入院費用をどうしようか、アンジェリカに相談をする事にした。


「安心してくださいマリーさん。あなたが倒したデーモンの魔石を回収してあります。かなり大きなものもいくつかありましたし、100年は暮らせる額になるでしょう。治療費や入院費は必要ありませんよ。12種族連合によりエネミー災害認定されましたので、そちらから支払われます」


 少し安心するが、生き残れた村人たちも財産がない事を思い出す。


「アンジェさん、その魔石を売って生き残った村人たちで等分する事は出来ますか?」


「それは……可能ですが21人で等分となると手元に残るのは数年分の金額になりますよ?」


 生き残った子の中には幼い子もいる。何処に引き取られるにせよ、財産のあるなしで待遇が変わってしまうはずだ。

 マリーがそう話すと、悩ましげな表情になるアンジェリカ。


「マリーさん、あなたの優しさは得難い美徳です。ですが、それを利用しようとする輩には気をつけてください。あの村のように優しい人ばかりの場所は極めて少ないのです。今回はこのアンジェリカが温泉郷筆頭付与術師の名にかけて、魔石を適正な額で販売して、等分し生き残った村人に渡す事を約束しましょう」


 そう力強く言ってくれたエルフに、マリーは深く頭を下げる。

 腰に抱きついているリリーも、よくしてくれている事を理解したようで、しっかりと頭を下げていた。


 その後、マリーは手元に入ったお金を使い、小さなアパートの部屋を借りた。

 アンジェリカの紹介で決めた部屋で、エルフ氏族が集まる街の一角にあり、極めて治安がよい場所であった。

 そこを拠点とし、マリーは冒険者稼業を始める事にした。多少の財産はあるが、自分の生活費を稼ぎリリーを養う為に、マリーが出来る唯一の職業だったからだ。


「マリーさん、わたしは温泉郷から半年に1度この街に来ますが、困った事があれば渡した住所に電報を打ってください。緊急の場合は、家主か隣人に相談してくださいね。どちらもわたしの古い友人です。あなたとリリーさんの事をお願いしてありますから、きっと力になってくれます」


 温泉郷に一緒に行こうと誘ってくれたアンジェリカの提案は本当に嬉しかった。

 だが、慣れないエルフの都市にリリーを連れて行くのは少し怖かった。

 この牛人族の街でリリーと懸命に生きようと、マリーは決意する


「アンジェさん……他人のわたしたちにこんなに良くしてもらって、ほんとにありがとうございます。返せるものが無くて、ほんとに心苦しいです……」


 頭を下げようとすると、優しく抱きしめられた。


「マリーさん、わたしはあなたの実のご両親と古い友人なのです。あなたが生まれた時から知っているのですよ。わたしにとって、あなたは娘同然なのです。もちろんリリーさんも。だから、何かあったら必ず頼ってくださいね」


 そう言い残し、何度も何度も心配そうに振り返り、優しいエルフは街から去って行った。


 そこからしばらくは、マリーは冒険者として生きていけた。

 朝から夕方までは2丁の斧を使いデーモン駆除の依頼を受けて駆除をし報酬を貰い、目の前にあるエルフの経営する養護施設に預けたリリーを迎えに行き、手を繋ぎ小さな部屋に戻り、一緒にご飯を食べて一緒に眠る。

 戦うのは好きでは無かったが、生きて行く為には仕方がない。冒険者以外、何の経験もない若い女がつける仕事は限られているし、今はそれをするつもりはなかった。


 少しずつ財産が貯まり始め、表情を変えることは出来ないままだが、お話をするようになってきたリリーとの生活は、ささやかだが幸せを感じるものだった。

 しかし、その生活は街の有力者に目をつけられた事で綻び始めた。

 大きな商店を経営するその牛人族の有力者は、マリーの圧倒的な戦闘力と美しい容姿に目をつけ、妾になれと言ってきたのだ。

 マリーは断ったのだが、執拗にまとわりつき、小悪党を雇い嫌がらせまでしてきた。


 アンジェリカの古い友人だと言うエルフの家主や、隣人のヴァンパイアが守ってくれたので大事には至らなかったが、村とは違うのだとマリーは痛感した。


 そして、街で暮らし始めて1年。

 マリーが冒険者として確固たる地位を築き始めた時、その事件は起こった。

 300体近いデーモンの襲撃があり、その防衛戦にマリーも参加した。

 人口10万人の街であり、戦士団や傭兵団も沢山あって300体程度のデーモン相手ではびくともしない戦力があった。

 その中で最前線に配属されたマリーは、2丁の戦斧を暴風のように振り回し、憎きデーモンに叩きつけて行く。

あまりの破壊的な強さに、味方すら近づけないマリーの戦いは友軍を鼓舞して、防衛戦は大勝利で終わる事になった。


 その後、シャワーを浴びての祝勝会での出来事だった。普段、マリーはこういった集まりには参加しない。

 リリーの元へすぐに帰るが、この日は早くに終わり冒険者ギルドの担当から懇願された事もあり、少しだけならと参加する事にした。


 祝勝会は町長とギルドの奢りで、沢山の料理とお酒が振る舞われた。

 マリーは少しだけ食べて、普段は1人だがたまに組んだりする冒険者たちと生き残れた事を讃えあい、美味しい食事をリリーの為に折に詰めて帰ろうとした。

 しかし、体が熱く何だか足元がふらつくような気がする。お酒は飲んでいないし、疲れかなとは椅子に座るとギルドの受付嬢が心配そうに近づいてきた。

 少し肌の露出が激しい人だが、普段から優しく公正な態度だったのでマリーは信頼していた。


 だが、おかしいと頭の中で警告がなる。

 このふらつきは明らかに薬物によるものだと判断する。そして、皆んなが食べている食事以外、マリーが口にしたのは、この受付嬢から手渡された味の濃い葡萄ジュースだけだ。

 優しく促されるまま、ギルドの3階にある宿泊施設の部屋に案内される。


 そして、その場所にいたのは妾になれとマリーに迫っていた牛人族の有力者であった。

 醜く肥え太った老人は、ニタニタと笑いマリーを舐め回すように見てくる。

 受付嬢に乱暴に突き飛ばされ、ベッドの上に倒れ込んでしまう。


「よくやってくれた。これは約束の金だ。口止め料も含んでいる事を忘れるな」


「もちろんですわ。マリーさん、良かったですね。立派な旦那様に『庇護』して貰えて。リリーちゃんも安心ですね。あ、せっかくだから姉妹同時に可愛がっていただいたらどうですかぁ?ざまぁみろ!英雄気取りの小娘が!あんたには肉便器の方がお似合いだよ!」


 綺麗な顔を醜く歪ませ、金貨が詰まった袋を持ち受付嬢は出ていく。


「マリー!よくもワシの誘いを断りコケにしてくれたな!親なしの小娘を養ってやると言ってやったのに!今日からおまえはワシのものだ!リリーもついでに可愛がってやる!女としての作法をしっかり仕込んでやるからな!毎日たっぷり楽しませてもらうぞ!」


 色欲に支配された表情でそう叫び、醜い脂肪まみれの体を晒す老人を冷静に見ながら、マリーは先程含んだ薬が効いてくるのを待った。

 アンジェリカが作って持たせてくれた解毒薬は、劇的な効果を示し痺れと酩酊感が消える。

 ベッドから素早く立ち上がり、老人から距離を取る。


「バカな……鯨でも半日は動けん痺れ薬と、どんな貞淑な人妻でも娼婦に変える媚薬の配合薬だぞ……何故動ける!?ええい!メスは黙ってオスに従え!」


 そう叫び掴みかかってくる老人を、マリーは冷静に交わして足を引っ掛けて転ばせる。


「キサマァ!ワシが誰か分かっているのか!?この街の支配者だぞ!キサマもリリーも悲惨な目に合わせてやるからな!それを録画をして世界中にばら撒いてやる!絶対に許さん!」


 醜く喚く老人の言葉は、マリーの触れてはならないものに触れた。


「そうか、なら仕方ないですね」


 リリーを傷つけようとする者はマリーの敵だ。

 敵に容赦をする必要などない。

 マリーは見苦しく命乞いをする敵を、丁寧に時間をかけて壊していった。

 

 そして、部屋から出て1階に降りてマリーを売った受付嬢を探す。

 若い有力な冒険者に媚びている姿を発見して近づいて行く。

 血まみれの拳のマリーを見て、受付嬢は顔を真っ青にして逃げようとするが、髪を掴み壁に叩きつける。

 床に落ちて悲鳴すらあげられずに痛みに呻く受付嬢に迫り、さらに蹴り飛ばす。


「マリー!どうしたんだ!?やめろ!それ以上は死んでしまう!」


 マリーを気にかけてくれて、冒険者としての作法を教えてくれた白狼族のダンカンが肩を掴んで制止してくる。

 この街で最強の冒険者パーティーのリーダーの言葉に、マリーは振り返る。


「ダンカンさん、この人は大金と引き換えに、わたしに痺れ薬が入ったジュースを飲ませてあの豚野郎に売りました。3階の部屋であの豚野郎は転がっています。証拠は懐に金貨が詰まった袋を持っているはずです。次はこの人です」


 再び蹴ろうとするマリーに、ダンカンの仲間がしがみついてくる。


「マリーちゃん!駄目だ!司法に委ねないと、マリーちゃんが法で捌かれてしまう!それ以上はいけない!お願いだからわたし達に任せて欲しい!頼む!」


 マリーを背後から強く抱きしめてきて、必死に懇願するシェラは虎人族の戦士だ。

 リリーのことも気にかけてくれ、会いにきて優しく話しかけてくれて妹も懐いている人だ。


「分かりました。皆様にお任せします」


 そう言ってマリーはようやく、力を抜いて殺意をおさめた。張り詰めていたギルドの空気も緩む。



 ダンカンやシェラは頑張ってくれた。

 受付嬢の懐からは金貨が詰まった袋が発見され、ギルドの不祥事にギルドマスターも謝罪に訪れ、あらゆる手を尽くしてくれたのだろう。

 家主のエルフや隣人のヴィンパイアのリサ、ご近所のエルフや顔見知りとなった牛人族や冒険者は、皆んなマリーの味方をして、証言をしてくれ、嘆願書を出してくれた。

 しかし、街1番の大商人を再起不能になるまで壊してしまった事を、無罪にするのは不可能だった。


「すまないマリー」


 項垂れて謝罪するダンカンにマリーは首を振る。


「ダンカンさんが必死になって庇ってくれたのは知っています。感情を制御出来ず、司法に委ねなかったわたしが悪かったんです」


 いつもそうだとマリーは思う。

 感情を制御出来ずに後悔ばかりしてしまう。


「すみませんがリリーの事を気にかけてくださいませんか?謝礼は依頼として出します」


 マリーに課せられた罰則は、街への出入り制限と寝泊まりの禁止であった。

 街に入る事が出来るのは5日に1度。

 滞在が許されるの時間は、朝の開門から閉門までとなり、夕方には出て行かなくてはならない。


「そんなもんはもらえねえよ……大口を叩いたのに本当にすまねえ。リリーは俺たちのギルドハウスで面倒を見る。隣のヴィンパイアの姐さんも来てくれんだ。マリーの部屋も用意してあるから、昼間は絶対に来てくれ」


 その言葉にマリーは深く頭を下げる。

 血のつながりさえない他種族に、こんな事までしてくれる人もいる。


「よろしくお願いします。わたしは野宿をしながら、依頼を受けます」


 ギルドマスターが防壁の外のすぐ側にある、整備された小さな広場にキャンプを張る許可を取ってくれた。

 マリーは温泉郷から売り出されている防犯用ゴーレムを3体購入した。

 依頼を受けている間のキャンプの守りや、夜間眠る間の安全を確保する為に、高価ではあったが仕方なかった。


「マリーちゃん、困った事があったら必ず言ってちょうだい。あたしが出来るだけの事をするから!」


 シェラは街中を駆け回り、野宿生活に必要なものをかき集めて、広場に立派で頑丈なキャンプを張ってくれた。

 家主のエルフは大工に依頼をして、竈を作り屋根と囲いを建てて、雨避けの整地魔法を使える魔導師まで呼んでくれた。

 どうしてそこまでしてくれるか、マリーにはわからなかった。


「ありがとうシェラさん、リリーの事をお願いします。リリー、ごめんなさい。わたしが未熟なせいであなたに寂しい思いをさせてごめんなさい」


 腰にしがみついている大切な妹を抱きしめる。


「マリーちゃん、リリーは大丈夫だから……体壊さないでね大好きだよお姉ちゃん」


 表情は変わらなくても、必死に抱き締めてくれる妹に堪えていた涙が溢れた。


「うん、5日1度必ず会いにくるから。愛してるよリリー」


 名残惜しかったが体を離し、マリーの新たな孤独で辛い戦いの日々が始まった。





「マリーちゃん……」


 小さな呼びかける声に、マリーの意識が過去から戻ってきた。


「どないしたん?マーヤちゃん。ほら、こっちきて」


 閉じこもっていたはずのマーヤが、リビングの入り口から覗き込んでいたので手招きをする。


「マリーちゃんはマーヤの嫁!」


 勢いよく抱きついてきて、強くしがみついてくる。

 その暖かさと柔らかさに妹を思い出す。


「ごめんなぁ、サーシャ姫さまの護衛は光栄なお仕事やさかい。3ヶ月もしたら戻ってくるさかいに堪忍なぁ」


 マーヤはぐりぐりと頭を擦り付けてから、顔を上げて真剣な表情で見つめてくる。


「マリーちゃん!ハーレムキングは手を繋ぐだけで赤ちゃん出来るんだよ!でも、マーヤはマリーちゃんを幸せにするし、マリーちゃんの子供なら何人でも大切に育てるからね!生きて帰ってきてね!」


 フンスーと鼻息荒く宣言するマーヤに笑顔が溢れる。


「そうかハーレムキングは悪いお人やねえ。でも大丈夫やで。あのハーレムキングは意外とええ人やからなぁ……そんでもありがとうなマーヤちゃん」


 そう言うと、母親そっくりの顔を笑顔にする小さな命が愛おしくてたまらない。


「マーヤ!やっと出てきたのかい?マリーを嫁にすんなら、沢山お金稼がないと駄目だよ!マリーは牛人族の英雄なんだからね!さあ、ご飯出来たよ!ふたりとも沢山食べな!」


 サリーの手により、テーブルの上には故郷の料理が満載となる。

 懐かしい香りに幸せな記憶が思い起こされ、鼻の奥かツンとなりまた目が潤んでしまう。


「ああ!?マリーちゃん泣いてるの?ハーレムキングが嫌なの?おのれハーレムキングめ!マーヤが倒してやる!」


「何だって!?あたしの親友を泣かすなんて、とんでもないヤツだね!あたしが蹴り飛ばしてやる!」


 そっくりな顔で憤る親子を見ながら、マリーは吹き出してしまう。


「サリーとマーヤちゃんにかかったら、ハーレムキングもイチコロやろなぁ。大変やなぁ」


 辛い日々を忘れる事はない。でも、暖かなで優しい人も沢山いた。

 そして、今も優しい人たちに囲まれている事が、マリーは嬉しくてならない。

 この時間を大切に過ごそうと、懐かしい大好物の料理を口にしながら、マリーは幸せを噛み締めた。

「はぁマリーちゃん、あたしの嫁になってくれないかなぁ苦労させないのに」


「シェラ、おまえまだそんな事言ってんのか。マリーは同性に興味ねえみてえだから諦めろ」


「うるさいダンカン!コノヤロウ!バカヤロウ!そんなの分かんないじゃん!マリーちゃんが振り向いてくれるかもしれないじゃん!」


「そうだ!そうだ!男なんかにマリーはやらん!」


「リサさん、あなたまで何を仰っているんですか。12種族連合の吸血族代表のあなたまで悪ノリしないでください」


「ふざけんなダンカン!コノヤローバカヤロー!マリーはわたしが幸せにするんだい!」


「はぁ!?リサさんお年を考えてくださいよ!マリーちゃんは若すぎるでしょうよ!」


「黙れチビ猫娘!マリーはわたしみたいな包容力のある大人の女と結ばれるべきなのだ!」


「誰がチビ猫だ!2000歳越えの血吸い蛭ババアのくせに!」


「なんだと!?」

「なんですか!?」


「リサちゃん、シェラちゃん。マリーちゃんはリリーの嫁です。これは決まっています」


「そうだったなリリーの嫁だな」

「ごめんねリリーちゃんの嫁だったね」

「リリー、こんな大人にならないようにな」

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