不撓不屈のマリーは温泉郷より旅立つ 前編
マリーがまだ関西弁を知らない頃のお話
春も盛りの柔らかな優しい風が、掃除の為に開け放った窓から吹き込んでくる。住み慣れた小さな部屋を確認して、マリーは満足そうに頷いた。
「まあ、片付けはこないなとこかなぁ。あとは業者さんに頼んで処分してもらおか」
故郷である大樹の近くあった牛人族の村から、この居心地のいいエルフ温泉郷に介護士としてやって来て、どれくらいの時が過ぎたのかと、マリーは窓から美しい街並みを見渡し、懐かしい記憶を思い返した。
マリーは牛人族の大戦士だった父と、同じく大戦士だった母との間に産まれたひとりっ子だ。
微かな記憶の中にある父は、大きくて寡黙な人だった。
いつも、優しくマリーの頭を撫でてくれ、柔らかく微笑んでくれていた。
日の出と共に家の目の前にある広い畑に出掛け、日暮まで働く。たまに巨大な斧を担いで、2.3日出掛けてお土産を持って帰ってくる。
大好きなその父が亡くなったのはマリーが5歳の頃だった。巨大なデーモンの群れから、マリーと同い年の子供達を守る為に闘い、子供達は逃がせたものの力尽きたそうだ。
遺体すら残らなかったそうで、帰ってきたのは『不撓』という銘が付いた巨大な斧だけであった。
母はいつも朗らかに笑い、楽しげによく喋り、毎日美味しいご飯を食べさせてくれ、優しくマリーを抱きしめてくれる小柄な人だった。
父が亡くなった時も、泣きじゃくるマリーの前では涙ひとつ流さず、優しく抱きしめてくれた強い人だった。
そんな母もマリーが7歳の頃、村を襲ってきたデーモン群と闘い、全てを倒し切るも力尽きた。
息も絶え絶えの状態ですら優しく笑い、泣きじゃくるマリーの涙を拭い頬を撫でてくれた。
後日、村の人達が母の形見である『不屈』という銘が付いた美しい斧を、綺麗に研いで届けてくれた。
幼いマリーに残ったのは家と畑と、父母の形見である2丁の戦斧だけであった。
そんなマリーを引き取ってくれたのは村長夫妻である。村を守った恩人達が遺した子だと、実の娘のように大切に育ててくれた。
村長夫妻と夫妻の1人娘であるリリーとの4人での暮らしは、平凡で穏やかに過ぎて行った。
牛人族の族長が各地から戦士を募り、戦士団を組織して、定期的に村々を巡回する事により、エネミー群からの被害も減少しつつあった。
マリーは5つ歳下のリリーの面倒を見ながら、家事と畑の作業を手伝い、学校に通っていた。
まるで、陽だまりのような笑顔に溢れた毎日が過ぎていく。
しかし、そんな平和な生活の破綻は突然だった。
「マリーちゃん!おかえりなさい!今日は果物摘みに行きたい!」
強い日差しも少しはマシになり始めた、16歳の夏の終わりだった。
学校から戻ってきたマリーに、玄関から飛び出して来たリリーが抱きついてきて、近くの森へのお出かけをねだってきた。
「リリーちゃん、ただいま。お勉強済んだ?母さんに森に行っていいか聞いた?」
「お勉強した!マリーちゃんと一緒ならいいって言ってた!」
「じゃあ行こうね。森に入る準備しようね」
「うん!マリーちゃんとお出かけ嬉しい!」
2人で森に入る準備を済ませてから家を出て、村の門の横にある番所に出掛けると声を掛ける。
リリーはおしゃべりが大好きな子で、道中ずっとニコニコしながら楽しそうに色々な事を話していた。
すれ違う人たちも、そんなリリーを微笑ましそうに眺めている。近くにいるだけで、周囲が明るくなるような子だった。
村のすぐ近くにある小さな森は、しっかりと管理されていて、薪や木の実、果物や茸がふんだんに採取出来た。
森の入り口にある見張り小屋にも声をかける。
「こんにちは。少しだけ薪と薬草と桃を取りに入ります」
「こんにちは!桃大好きなので取りに行きます!」
「おう、マリーちゃんとリリーちゃんか。2人はいつも仲良しだねえ。ウチの坊主たちも中に行っとるから、一緒に採取しといで。それにしてもマリーちゃんはどんどん綺麗になるなぁ。お母さんそっくりになってきたねえ。ウチの坊主じゃあ釣り合い取れんなガハハ!」
マリーと同い年のクリフの父親である、鍛治職人のおじさんが大声で笑う。母の形見を研いでくれた人だ。
「おじさん!マリーちゃんはリリーの嫁なんだよ!誰にもあげないんだからね!」
ホッペを膨らませたリリーが抱きついてきて、頭をぐりぐりと擦り付け、ムフーと得意げな顔をする。
「ガハハ!そうだったな!マリーちゃんはリリーちゃんの嫁だったな!おじさん間違えたよ!すまんすまん!」
その言葉にリリーもご機嫌になって、ニコニコと笑う。その笑顔につられて、小屋にいた普段は気難しい職人たちも笑顔になる。
頭を下げ2人は森の中を進んだ。しばらく歩くと少し開けた広場に出た。
「みんなー!お待たせー!」
そこには、村中の子供たちが集まり、武装した年長の子達が見張りをする中、一生懸命に採取をしていた。
リリーも走り出し、同い年の子と大好きな桃を取りに向かう。
「マリー、今日は暑さも落ち着いているね」
武装した立派な角を持つ牛人族の少年クリフが、マリーに優しく声をかけてきた。
「う、うん、少しだけ落ち着いてきたね」
小さな頃から、同い年のクリフがマリーに好意を持ってくれているのは知っていた。
最近はマリーの方もふとした瞬間に、何だか意識してしまう事が増えた。話をするだけで、顔が真っ赤になってしまう事が恥ずかしい。
この村では、秋の収穫祭に男性が女性に告白する習慣がある。
先週、16歳になり成人を迎えたマリーはひょっとしてクリフがと、微かな期待をしていた。
少し汗ばむ顔をハンカチで拭い、リリーにお水を飲ませないとと思った時にソレは来た。
むせかえるような腐臭が漂い、斧と盾を構えたクリフが叫ぶ。
「デーモンが受肉する!推定2体!年長組、陣形を組め!年中組は散開して森を抜けろ!マリー!サリー!リリーと年少組を連れて村に逃げろ!見張り小屋の親父たちに知らせてくれ!」
この場にいる中で最も速く走れるのがマリーで、次いで速いのが同い年のサリーだ。
武装して見張りをしていた年長の6人が素早く陣形を組んで、デーモンが出現しようとしている場所を囲む。
8人がいる年中組は1人でも生き残る確率を上げるために、訓練通りにバラバラに森に散って逃げ出した。
マリーはリリーを呼び寄せて、年少組を2人抱き上げて駆け出す。同じくサリーも2人を抱えて走り出した。
「リリーちゃん!絶対に離れたら駄目だよ!村まで走るからね!」
「うん!マリーちゃんについてく!」
リリーの声に怯えがなく、しっかりと走っている事に安心する。
「マリー!あたしが先行する!奇襲に警戒してくれ!」
「サリー!気をつけて!さっきのデーモンの受肉がおかしかった気がする!他にもいる可能性がある!」
サリーが走る速度を上げる。マリーは背後のリリーを気にしつつ、警戒しながら着いていく。
あっという間に森の出口が近付いてきたが、異変に気付く。敵襲の狼煙が上がる煙玉を使ったのに、見張り小屋から誰も出てきていない。
サリーが足を止めて、抱き上げていた小さな子たちを下ろし、耳元に囁いてきた。
「マリー、あたしが囮になる。5人を連れて村まで急げ。あんたの方があたしより強い。頼んだよ」
制止する間すらなく、美しい赤髪を靡かせ、サリーが見張り小屋に向かって走り出す。
サリーが小屋の近くを通り抜ける寸前、爆発するかのように扉が吹き飛んで、悍ましいデーモンが飛び出てきた。
背中には職人たちの斧や鉈が突き立っていて、口には腕らしきものを咥えている。
サリーが鮮やかな身のこなしで奇襲をかわして、爆裂魔法が仕込まれたナイフをデーモンの顔面に投げつける。
爆発によりデーモンの視界が遮られた隙に、マリーはリリーと4人を促して森から飛び出た。
「リリーちゃん!小さな子たちを連れて村まで逃げて!出来るよね?」
普段から村の住人全員で、避難訓練を重ねているおかげか、小さな子たちも一目散に村に走っていく。
リリーは離れたくなさそうな顔をしたが、すぐに頷いて走り出した。
マリーは腰のポーチに入れていた、デーモンの襲撃を知らせる煙玉を取り出して地面に叩きつける。
真っ赤な煙が上がり、村の方でも騒然とする気配が高まったのが分かる。
しばらくしたら、村の大人や駐在している戦士たちがやってくるはずだと、1人でデーモンの足止めしているサリーを案じて駆け出す。
マリーは森の見張り小屋から少し離れた位置で、距離を取りデーモンを牽制するサリーを見つけるが、動きが少しおかしい。よく見ると右足を痛めているようで、逃げられないようだ。
草むらに隠れながらデーモンの頭に石を投げつける。命中するがダメージがないようで、こちらを振り向いて鼻で笑うような仕草をし、サリーに襲い掛かろうとする。その隙に、懐から出した小さな魔石を取り出して投げつける。
デーモンが頭を抱えて暴れ回る。知り合いのエルフに込めて貰った水魔法が付与された魔石だ。ぶつけると粘度の高い水が、ぶつけた場所に一定時間漂うというものだが、頭部にぶつければ呼吸が阻害される。
受肉して肉体を得て呼吸を必要とする下位デーモンには、極めて有効な武器である。
しばらく暴れていたが、体内の酸素を全て消費したらしく倒れ込み動かなくなった。
しばらく観察して動かない事を確認し、サリーの元へ向かい、右足に回復魔法が込められた魔石を押し当てる。
「どうして戻ってきた!?」
痛みに耐えていたサリーが、マリーの胸ぐらを掴み怒鳴りつけてくる。綺麗な顔を怒りに染めて睨みつけてくる。
サリーとは5歳ごろまでは、朝から夕方まで、毎日仲良く遊んでいた記憶がある。
だけど、マリーの父が亡くなった辺りから少しずつ疎遠になり、話すらしなくなった。
少しだけ早生まれのサリーがお姉さんぶって、いつもマリーに優しくかまっていてくれたのに。
今では避難訓練の時くらいしか、会話すらない関係である。どうして、そんなに嫌われているのかマリーには心当たりすらなかった。
「……サリーお願いだから大人しくして。折れてはいないけど、酷く捻っているから、回復まで時間がかかる」
舌打ちして手を離すサリーにため息が出そうになる。そんなに嫌いなのかと、マリーは少しだけ泣きたくなってくる。
涙が溢れそうになるのを悟られないように俯きながら、黙って魔石を押し当てていると、急に強い力で突き飛ばされる。
混乱しながらも、押し殺したような呻き声に顔をあげると、サリーの左足を満身創痍のデーモンが握りつぶそうとしていた。
マリーは慌てて跳ね起きて、腰に吊ってあった斧をデーモンの頭に何度も叩きつけた。
悍ましい断末魔をあげて、デーモンの肉体が消滅していき、小さな魔石だけが残る。
「サリー!どうして……どうして庇ったの!?私のことが嫌いなんでしょ!?どうして……ああ、酷い……」
サリーの左足は潰れていた。
祭りにて豊穣の大神に踊りを奉納する舞踏巫女に選ばれ、艶かしく美しいステップを踏み、人々に感嘆をため息をつかせていた、長くしなやかな足が無惨に潰されていた。
「マリー……怪我……怪我してない?」
酷い痛みに襲われているようで、息も絶え絶えなサリーが、微かな声で必死に聞いてくる。
止血の為に細い紐で太ももを強く縛り、回復の魔石を結びつけて、回復ポーションを振りかける。何とか出血は止まったが危険な状態だった。
「サリー!わたしは怪我してないから!サリーが庇ってくれたから!ああ、どうして……神経ブロックの麻酔薬を打つからね!」
村の医者から持たされている、重傷時に痛みを麻痺させる注射を懐から出して打とうとする。
「そう、無事ならそれでいい……マリーだけは絶対に守るんだ……わたしの命はおじさんに助けて貰った命だから……だからマリーだけは絶対に守る……ずっとず…っと謝りたかったのに謝れなくて……ごめんねマリー……」
辛そうに話すサリーの表情に、マリーの頬を涙が伝う。
「守るって……そんなそんな……」
ずっとずっと嫌われていると思っていた。
サリーがたまに何かを話したそうにして、諦め辛そうな顔で俯いていた事には気づいていたのに。
マリーから話しかけなかった原因は醜い嫉妬だ。
サリーは美形が多いと言われている牛人族の女性の中でも、飛び抜けて美しい上に、身長も高くスタイルも際立って発達している。
部族全体どころか、他種族からも多数の求婚を受けている。もちろん、村中の男の子も皆んなサリーに夢中だ。
マリーが想いを寄せているクリフが、祭りで煌びやかな衣装をまとい、汗をほとばしらせ、艶やかに踊るサリーを眩しそうに見つめていた事に密かに嫉妬していた。
「ごめんねごめんなさい気付かなくてごめんなさい」
涙が溢れて止まらない。
いつもそうだとマリーは後悔する。いつも感情に振り回されて、言わなければいけない事や、話さなければいけない事があるのに、黙り込んでしまい、頭の中で妄想して自分勝手な結論を出してしまう。
神経ブロックの痛み止めのおかげか、サリーの呼吸は整いつつある。それでも、まだ危険な状態なのは変わらない。小さな癒しの魔石では治しきれない。
早くお医者さんのところへと思い、羽織っていた大きなカーディガンでサリーを包み、抱き上げようとした時、村の方から爆発音がいくつも響き黒煙が上がった。
デーモンが出たという煙玉を使ったのに、村からの救援がない事に気づく。あまりにも遅すぎる。
村も襲撃を受けている事に気づき血の気が引く。どうしようと混乱する中、サリーの手が頬に当てられた。
「マリー、あたしは大丈夫……樹のそばに寝かせて……痛みもなくなった……だから、村へ……」
痛みが無くなったのは危険な証拠だ。早くお医者さんに見せないとと、マリーは焦燥感に駆られる。
「家族を……リリーを……守るんでしょ?はやく早くいって……いきなさい……」
意識を失ったサリーの言葉に叫び出したくなる。頭の中がぐちゃぐちゃになりながらも、リリーを妹を守らないといけないと思う。
「ごめん、絶対に迎えに来るから!少しだけ我慢して!ごめんなさいサリー」
父の形見である癒しのペンダントをサリーの首にかけて、大きな木の陰に寝かせる。
そして、マリーは斧を掴み村に向けて駆け出した
家族と友を絶対に守ると誓いながら、全力で走り出した。
「マリーちゃん!いますか!?迎えに来ましたよー!」
ドアをノックの音と共に元気な声が響いて、マリーの意識は過去から戻ってきた。
「おるでー入ってきてええでマーヤちゃん」
「お邪魔します!マリーちゃんはマーヤの嫁!」
小さな女の子が真っ赤な髪を靡かせて、マリーに抱きついてくる。
胸元に顔を埋めてぐりぐりと擦り付けてきた。
「どないしたん?もうすぐ夕飯の時間やろ?」
「あのね!お母ちゃんがマリーちゃんはご飯きちんと食べないから連れて来なさいって!一緒に食べよ!」
母親そっくりの綺麗な顔を満面の笑みにして、夕飯に誘ってくるマーヤ。
「そんでも悪いしなぁ」
「悪くない!マリーちゃんは家族だよ!マーヤの嫁だもん!」
あの時、村は壊滅してしまい、探しに戻っても姿は見えず、もう会えないと思っていたサリーとは温泉郷で再会出来た。
サーシャ姫の部隊が救援にきて、温泉郷に運ばれて治療を受けたらしい。
サリーは足も再生させてもらって、必死にリハビリをしたようで、祭りでは艶やかに踊って、沢山の人々を魅了している。
そして、同じく治療の為に温泉郷に運ばれたクリフと結ばれて娘がいる。
その娘のマーヤは、何故かマリーに会った瞬間から懐いてきて、仕事終わりや休みの日は、ずっとくっついてくる。
「そっか、ほなご馳走になろか。お土産に食後のデザート買ってこかなぁ」
「ケーキ!マーヤはケーキがいい!爆炎ジュドーのケーキが食べたい!」
「そやなあジュドーさんとこで買っていこか」
手を差し出すと、嬉しそうに握りしめてくる。
小さくて暖かな手に喜びが溢れてくる。
襲撃を受けた後の、あの焦燥感しかなかった日々とは違い、マリーは温泉郷にてのんびりと幸せな日々を過ごしている。
ここから旅立つのは少し寂しい。
けれど、あの気の良い異世界人たちやサーシャ姫と旅をするのは、なんだかワクワクしている。
「マリーちゃん!マリーちゃんを狙っているハーレムキングってどんなやつ!?マーヤがやっつけてやるんだ!お母ちゃんも蹴り飛ばしてやるって言ってた!」
何故か、あの優しい異世界人は温泉郷でハーレムキングと呼ばれている。
夜な夜な「イケ逝け!嘶け!ハーレムキング」という謎の歌を、入浴施設にて美しい声で歌う女性がいるそうだ。
温泉郷中の子供の中で大ブームとなっていると聞いて、マリーは腹筋が攣るほど笑い転げた。
少し不安ではあるけれど、きっとまた楽しい日々が待っているのだろうと思う。
あの痛みと苦しみしかなかった日々は消えないけれど、少しずつ上書きしていこう。
そう思い、マリーは親友の娘と共に、暮れなずむ温泉郷を愛おしげに見渡した。
「イケ逝け!嘶け!ハーレムキング」
作詞 青山サキ
作曲 青山サキ
編曲 青山サキ
歌唱 青山サキと温泉郷少年少女合唱団




