異世界温泉郷にて、謎のチャンピオンと闘う愚か者
終わらんのよいくら書いても終わらないんです
すごく気持ちの良い人たちばかりの都市だったなぁと、ドーリーの整備用ハッチから、鮮やかな朝焼けの空を見上げて、大山サトシは柔らかな空気を胸いっぱいに吸い込む。
エルフのお姫さまサーシャの故郷。沢山の観光客で賑わう異世界の温泉郷に滞在したのは約2週間である。
サトシはほぼ怪我からのリハビリ生活ではあったが、美味しい食事と温泉を堪能出来た。
友人となったリハビリを担当してくれたアルスをはじめ、沢山のスタッフの優しさを思い出すと笑顔になってしまう。
本当ならサトシが所属する部隊は、前日の朝に旅立つ予定だった。しかし、未明にエンジェル種と呼称されているエネミー群による襲撃があり、防衛戦に参加した為、自衛軍への報告と弾薬の補給が必要になり出発が1日延びてしまった。
たった1日なのに濃密な時間だったなと、サトシはため息を吐きそうになり、何とか堪えて思い返していた。
「皆さん、本日出発の予定でしたが、弾薬の補充に少し時間が掛かり、サーシャ様が負傷者の治療にあたるという事ですので、出発は明日の13時となりました。午前中に弾薬が補充された後、午後からは20時まで自由時間と致します。半日ですが、楽しんでくださいまし」
朝食後、部隊長の絵崎エリナの言葉に歓声があがる。
「嬉しいな〜お買い物とお風呂に行こ〜サキ〜」
「うむ、貸切風呂でハッスルするかセイラ」
「やだ〜サキってば〜お昼からはダメだよ〜」
「よいではないかよいではないか」
恋人同士の青山サキと伊知地セイラは、今日も朝からイチャイチャしていた。
百合をこよなく愛するサトシは、生暖かい目で2人を堪能する。
咲き誇る花は美しい。それが寄り添う2輪なら、さらに輝かしく素晴らしい。
「俺は温泉郷グルメを極めてみせるぜ!ミユキちゃんに土産も買わなきゃならねえしな!」
数日前、親友の柏原ユウキの元へ、婚約者の立花ミユキが会いにきたそうだ。
あの人そんな情熱的な人だったんだと、サトシは意外に思う。
欲望に負けたと少しだけ落ち込んでいたユウキだが、ひと晩寝たら元気になった。
「サトシよ、子供の名前は父親の責任……そうおもわねぇか?」
何だか分からないが、あれだけミユキとの結婚は嫌だ嫌だと言っていたのに、覚悟完了してしまっている友が、少しだけ怖かったのは秘密である。
ニヒルと本人が思い込んでいる、ニヤけた顔で出掛けて行くユウキに不安を覚えて、忠告した方がいいんじゃないかと思ったが、介護士のマリーが首を振って止めてきた。
「あの子はもう手遅れや」
その言葉に親友の今後の人生の幸せを祈る事しか、サトシには出来なかった。
「ボクは夕飯で唐揚げと海老フライ食べに行きたい!お風呂の近くにあったお店から、美味しそうな気配を感じたんだ!サトシ!エリナ!マリー!一緒に行こう!」
部隊で1番小さく細くわんぱくな宇部ジュリアが、星が煌めくような瞳を輝かせて、食事に誘ってくる。
「あら、ありがたいお誘いですが、わたしは少し打ち合わせがあるので、今回はご遠慮致します」
部隊長のエリナは、様々な部署への報告、交渉と打ち合わせを担ってくれているので、毎日とても忙しい。
「すまんなぁジュリアちゃん。ウチも斧を研ぎに出さんとあかんから、今回は遠慮しとくわ。サトシさんとデートしておいで」
マリーは今朝の防衛戦で獅子奮迅の活躍をしており、その時に酷使したメイン武器をメンテナンスするらしい。
「で、でーと?違うよ!師匠として……そう師匠として弟子にご馳走してあげるだけなんだから!サトシ!仕方なくそう仕方なくなんだからね!」
キッと睨みながらジュリアがこちらを向いてそう叫ぶが、いくらなんでも娘でもおかしくない年下の子に、夕飯をご馳走してもらうほどサトシは恥知らずではない。
「ジュリアさんは防衛戦ですごく強くてカッコよくて、戦闘の参考になったから、僕にご馳走させて欲しいな」
ジュリアの戦闘は次元が違いすぎて、本当は意味すら分からなかった。
なんで、ジュリアが空中を殴ったら、エネミーが吹き飛んで砕け散るのか、全く意味不明だった。
「ボクかっこよかった?ほんと?そっか……えへへそっか!仕方ないね!弟子は師匠の背中を見て育つものだからね!」
顔を真っ赤にして、フンスッ!と鼻息荒く胸を張るジュリアからは、あのバーサーカーのような強さの片鱗すら伺えない。
朝食の後片付けをし、昼食用に作ってあったカツサンドをランチボックスに詰め込んで、それぞれがドーリーから出ていく。
「皆さん、行ってらっしゃいまし。あら?シアさん、ミアさん?どうされましたの?わたし、これから打ち合わせがあるのですが……何故、手を引きますの?あら?どこに行きますの?あら?」
見送ってくれていたエリナが、何処からともなく現れた、双子エルフのシアとミアに拘束されて、まぁまぁとりあえずとりあえずと、何処かに連れていかれる。
本当に頼りになる部隊長ではあるが、仕事以外でのあの押しの弱さは大丈夫かと心配になる。
「サトシ!エリナは双子に任せれば良いよ!あの2人なら大丈夫だからね!」
双子に対するジュリアの評価は極めて高い。サトシから見ても、2人はお酒好きで悪戯好きではあるものの、思考や行動は成熟した大人である。
「そうだね、2人とも優しい人だし。それじゃあ僕たちも行こうか。ジュリアさんはあのおっきな木に登ってみたいんだよね」
このエルフの温泉郷には木を利用した施設や住居が沢山あるが、その中でも一際巨大な木がある。
都市の西側に位置する場所に聳え立ち、内部には商業施設が並び、展望台から見える景色は、異世界36絶景のひとつに数えられているそうだ。
「うん!マリーがすごく綺麗だって言っていたんだ!お写真撮って、お家に帰った時に家族に見せたい!」
目を煌めかせるジュリアの笑顔が、あまりにも眩しすぎて見惚れてしまう。
サトシは気がついたら、手を差し出してしまっていた。
びっくりしたように目を見開くジュリアだが、恥ずかしそうにはにかみながら、恐る恐る手を握ってくる。
小さく暖かな手だった。ぎゅっと握りしめてくる感触に心も温かくなる。
サトシは湯煙が立ち昇る温泉街を、弾むような足取りになったジュリアと共に散策しだした。
少し前に温泉街を散策したけれど、そんなにゆっくりと見て回ってなかったので、サトシにとって見る景色全てが新鮮だった。
この都市は基本的に徒歩移動である。公共交通機関は3重の円を描くように、モノレールに酷似したものが走っている以外はほぼない。
幼児や老人、体が不自由な人の為に、簡易な転移魔法陣が、主要な施設に設置されていて、それを利用できるという事だ。
綺麗な石畳の大通りから小さな通りに入ると、食べ歩き用の軽食を売る店が軒を連ねて、至る所に屋台が立ち並ぶ広場がある。
テーブルや椅子も沢山置かれており、まるで休日のフードコートのようで、とても賑わっていた。
「えへへ、食べ歩きしたいから、朝ごはんは半分にしたんだ!あ!あれ美味しそう!買おう!」
ジュリアはとにかくよく食べる。
米の日の朝食は、丼にてんこ盛りにしたTKG with 納豆を5杯に具沢山お味噌汁も5杯。さらにおかずもモリモリよく食べる。
今朝、3杯ずつしか食べなかったのは、食べ歩きの為に控えていたようだ。
本人は成長期だと主張していて、もう少ししたらきっと背も伸びると熱く語っている。
「サトシ!これ美味しい!少し食べていいよ!」
串に刺さった巨大な焼き鳥を、モリモリとわんぱくしながら、口元に差し出してくる。
齧ると醤油と微かにワインの香りがして、甘辛いタレの後に鶏肉の旨味が口に広がる。
「すごく美味しいね。この味は、頑張ったら再現出来ると思うから、また食べたくなったら言ってね」
サトシの言葉に嬉しそうにはにかみ、次々と屋台を回り、美味しそうなものを買って爆食していくジュリアはご機嫌である。
「この街は安全への配慮がすごいね!見て!あんな風に広場には必ず詰所があるんだよ!」
香り高い紅茶を買って、ベンチに座って飲んでいると、ジュリアが広場の中央にある建物を指し示す。
円形の3階建になっており、2カ所ある出入り口の左右には2メートルぐらいの頑丈そうなゴーレムが、大きな盾を構えて立っており、白い外套を羽織ったエルフ達が広場を睥睨している。
「あの人達は、義勇団っていうんだよ!この街の警察みたいな存在だってマリーが教えてくれた!」
そういえば、犬を連れた白い外套の6人組が警邏をしているのをよく見る。
観光客らしき人に道を聞かれたら、にこやかに対応していたし、すごく治安の良い場所なんだなと思う。
「おくつろぎのところ申し訳ありません。少しよろしいでしょうか?」
しばらく前から、こちらを覗っていたエルフが近づいてきて、声をかけてきた。
義勇団の白い外套を羽織った、背の高い豪奢な金髪の女性である。
「はじめまして。わたしは温泉郷義勇団4番隊隊長のアイシャと申します」
柔らかな物腰ではあるが、サトシを見る視線は少しきつい。華やか美女だが、どこかで見たことがあるような顔だなとも思う。
「こんにちは!ボクは宇部ジュリアです!」
ジュリアは全く警戒していないようで、元気よく笑顔で挨拶をする。
「邪竜狩りの戦巫女様のご息女のジュリア様ですね。今朝の防衛戦でもお力を貸して下さったと伺っております。ありがとうございました」
腰を落とし優雅に礼をするアイシャ。
サトシはその礼法に貴族だと気がつくと、豪奢な金髪から連想し似ている人が誰か分かった。
「初めまして、僕は大山サトシです。あの、つかぬ事をお聞きしますが、アイシャさんはサーシャ王女のメイド長のミリアさんとお知り合いではないですか?」
「おまえが大山サトシですか……ミリアはわたしの姉です」
何だか物凄く不服そうな顔で、サトシを見つめてくるアイシャ。
腕を組み上から下まで、まるでスーパーの消費期限ギリギリの特売品を品定めをしているかのような、不躾な視線である。
しかも、何だかサトシに対する口調もキツい。
「まぁ……魂の色は澄んでいますね……姉様が認めているなら、それなりのモノは持っているのでしょう。それより、おまえが左腕に付けている腕輪です。それはどうしたのですか?」
そう言われて左腕を見ると、今朝の防衛戦前につけたアルスから貰った腕輪があった。
自然に腕に馴染んでいて、外すのを忘れてしまっていたようだ。
「これは、友人が煎餅だとプレゼントしてくれたんです。なんでも魔力攻撃を弾くとか」
「友人?その友人の名前を聞かせてもらえるか?」
「アルスという病院でリハビリを担当してくれた人です。すごく良くしてもらったんです」
サトシの言葉に呆気にとられたかのように、ぽかんと口を開き黙り込むアイシャ。
少し後ろに控えている、部下らしきエルフ達も驚いたような顔になっている。
何か変なことを言ったかなと、困惑していると、その友人の声が聞こえた。
「サトシ、ジュリア殿。おはよう。今朝は大活躍だったな」
ゆっくりとした足取りで、白い外套を羽織ったアルスが笑顔で近づいてくる。
「おはようアルス。そういえば、アルスは副業をしているって言っていたけど、義勇団の事だったんだね」
「ああ、使いっ走りのようなものだ。だが、悪くない仕事だと思っている。サトシ、今朝方の戦闘で凄まじい威力の滑空砲を扱っていたようだが、体は大丈夫なのか?左腕に違和感はないか?」
「うん、平気だよ。痛みもないし、何だか軽く動くんだ。この腕輪、貰ってよかったの?何だか馴染むけれど、すごく高価そうだよ?」
「気にするな。俺が持っていても意味はないんだ。魔力攻撃を弾くなら、そういう魔法があるからな」
数日ぶりに会ったが、やはりアルスとの会話は心地いいと感じる。
「おはよう!少しだけ見ていたけど、アルスはすごく強かったね!あんな綺麗な剣捌きはなかなか見れないよ!」
ジュリアと楽しげに戦闘について話し始めたアルスを見て、アイシャは絶句している。
後ろに控えているエルフ達も信じられないものを見たかのように、呆然としていた。
「アイシャさん、大丈夫ですか?」
少し心配になり声をかけると、ようやく再起動できたようで、アルスに詰め寄る。
「に、兄様?本当に兄様ですか?え?あれ?」
「アイシャ、おまえは何を言っている?4番隊は重点警邏の途中ではないのか?」
「は、はい。そのそちらのお二方にご挨拶をと思いまして」
よく見ると、アルスとアイシャはよく似ていた。端正な顔立ちもそっくりだ。
「アルスの妹さんだったんだね。心配して声をかけてくれたみたいなんだよ」
「そうだったのか。2人は何処かに行くのか?俺は自宅に帰る途中だが、よければ案内するぞ。今日は戦勝記念の闘技大会もあるしな」
「闘技大会!?見たい!すごく見てみたい!」
闘技という言葉に、ジュリアのテンションは最大限にまで高まったようで、目をキラキラさせながら行きたいと鼻息荒く主張する。
「それじゃあ、お願いしようかな。アルスは疲れていないの?」
「何でもない。俺は睡眠が短い体質なんだ。仮眠を取ったし、体調は万全だ。ではな、アイシャ。4番隊の皆も励むように」
「は、はい、兄様もお気をつけて」
最後まで口が開いたままのアイシャが、サトシは気になったが、はやくはやくと興奮したジュリアに手を引かれたので、アルスの後について歩き出した。
闘技場は都市の北側にあった。
アルスの説明によれば、1万人の観客が収容出来る円形の巨大な闘技場で、普段は兵士や義勇団の訓練施設になっているそうだ。
「すごく綺麗な部屋だね。闘技場も見やすいし」
アルスに先導され、闘技場にジュリアと来たサトシは3階にある豪華な部屋に通された。
大きなソファやテーブルにバーカウンターまで備え付けられている。お手洗いやシャワールームまであった。
「すごいすごい!こんな場所、ボク初めて入る!」
前面がガラス張りになっていて、ジュリアはその窓にへばりついている。
どう見ても貴賓席にしか思えない。こんな場所に入っていいのだろうかとも思うが、アルスが気にするなと言ってくれたので、ありがたく楽しもうと思う。
「すまんな、待たせた」
挨拶に行くと部屋から出て行ったアルスが、ワゴンを押して戻ってきた。
様々な料理やお菓子が乗っており、美味しそうな香りが漂っている。
「まだ、試合まで少しあるから、食事にしよう」
「うわぁ!すごい!ありがとう!サトシ!お腹空いてきた!カツサンドも一緒に食べよう!」
「そうだね、少し早いけどお昼にちょうどいいね。アルスありがとう」
闘技場に来る途中、ジュリアは10品以上買い食いをしていたのだが、お昼は別腹らしい。
本人曰く、成長期らしいので仕方ない。なにせ成長期はお腹が空くものだから。
「美味しい!美味しすぎる!もういっこ!」
ジュリアは小さな口を一生懸命動かし、うっすらと額に汗をかき、豚ヒレ肉のカツサンドを嬉しそうに食べていく。
「これは、信じられんくらい美味いな。サトシが作ったのか?たいしたものだ」
アルスは海老フライ3本とキャベツの千切りに、たっぷりのタルタルソースを挟んだ、海老フライサンドを味わっている。
「それ、僕たちの世界にある有名な喫茶店のメニューなんだ。口にあって良かった」
お世話になったアルスに、返せるものが何もなかったのが心苦しかったが、簡単なお弁当でも喜んで食べて貰えるのは嬉しかった。
「そろそろ始まるな。エルフと冒険者や傭兵団の者が戦う形式が多い。今日はついているな。好カードが多い日だ。初戦は謎のメイド仮面と爆炎ジュドーの対戦だな」
食事を済ませて、ソファで甘いものを摘みながらコーヒーを飲んでいると、闘技大会開始のアナウンスが流れた。
円形の巨大な石のリングに出てきたのは、2メートルを超える赤髪の偉丈夫だった。
「爆炎ジュドーは炎帝傭兵団の副団長の1人だ。勝率5割を超える闘技大会の常連だな」
巨大な棍棒に炎を纏わせて、鮮やかな型を披露して観客から大歓声を浴びている。
次に出てきたのはメイドさんである。美しい姿勢で銀髪を靡かせており、小さな鉄仮面を被っている。
「対する謎のメイド仮面は、闘技大会49戦49勝無敗の猛者だ。何処の誰だか誰も知らない、謎のメイド剣士だ」
アルスが解説してくれているが、謎のメイド仮面はどう見てもサーシャのメイドであるナージャだ。
サトシはメイドに関してなかなか詳しい。中学時代に隣席だった杉畑君のご両親がメイド喫茶を経営しており、3年間休み時間の度にメイドについて熱く語られていたから、自然と詳しくなった。
足首まで隠れているクラシカルなメイド服は、サーシャのメイド隊のものだし、あの美しい銀髪は間違いなくナージャだと思う。
「アルス、あのメイド仮面ってナージャさんなんじゃないかな?」
「サトシ、バカな事を言うな。サーシャ様のメイドが闘技大会に出るわけないだろう。あれは謎のメイド仮面だ。そういう事になっている。だが、本人は気づかれていないと思っているので、絶対に言ってはならない」
そういう事になっているらしい。つまり、みんな知っているけれど、あのメイドさんは謎のメイド仮面だという事なのだろう。
対戦はまず爆炎ジュドーの愛の告白から始まった。おまえの戦う姿に一目惚れ云々を高らかに叫び、俺が勝ったら動物園に一緒に行って、帰りに俺が作ったスイーツを養護院の子供達と食べてもらうと宣言する。
ものすごく荒々しい容姿なのに、動物園とスイーツが好きらしい。
「炎帝傭兵団は酒が飲めない傭兵の集まりだからな。副業として菓子店をいくつか経営して、養護施設も設立しているのだ。ジュドーが焼く菓子はこの温泉郷でも人気があるんだ」
酒と肉以外は絶対に食わねえ!と言いそうな外見だが、中身は大人気パティシエらしい。
メイドさんとパティシエの戦いは白熱していた。
正直、サトシには残像くらいしか見えないような高次元の高速戦闘であったが、全部見えているらしいジュリアとアルスの解説があったので、なんとか状況は理解できていた。
メイドさんが両手に持った木刀で切り掛かり、パティシエが防ぐという展開が続き、防戦一方だったパティシエが口上を告げながら、棍棒から天を衝くような炎が吹き出す奥義を使った時は、古のオサレな漫画を思い出し、サトシも思わず立ち上がるくらいテンションがあがった。
しかし、メイドさんは木刀で炎の壁を切り裂き霧散させて、パティシエの棍棒を叩き落とし、地面にたたき伏せる。
パティシエは素早く立ち上がるも、喉元に木刀を突きつけられて負けを認めた。
「あなたとお付き合いは出来ませんが、わたしの代わりにナージャというメイドが、幼児達の為にお茶を淹れに行きましょう。後で連絡を入れますので」
そう言ってメイドさんは闘技場から去って行く。
自分から名前をバラしてしまっている事に、気がついていないのだろうか。
かなりの天然具合に、爆炎パティシエも複雑そうな表情で頷いて見送っていた。
その後、豪奢な金髪の謎のマスクメイド長とやらが、3メートル近くあるフルプレートメイルを着込んだ熊族の戦士を高笑いしながら素手で殴り倒し、倒れた所に喧嘩キックを打ち込み審判に注意され、その審判にチョークスリーパーをかけ無効試合となり、アルスは頭を抱え、ジュリアは笑い転げていた。
そして、本日のメインイベントが司会者から告げられた。
「本日のメインイベントはもちろんチャンピオンの登場だ!1999試合全勝!未だ負けなし温泉郷不敗伝説の体現者!その正体は誰も知らない闘技場の謎の女王!ママ・クイーン!もはや闘う相手すらいない絶対王者!挑戦者募集中!」
観客席の最上階から飛び降りて、マントを翻し登場したのは、美麗なピンクのレオタードに、成熟した肢体を押し込めた長身の美女だった。
目元は小さな黒い仮面で隠しているが、小さな特徴的な2つの泣き黒子もあり、何処からどう見ても温泉郷の女王マリエールだ。
そもそも、ママ・クイーンという名前で丸わかりである。
「あの、アルスあの人って」
「サトシ、この都市には議会もあるが、基本的には絶対君主制なのだ。あれは謎のチャンピオンなんだ。理解してくれ」
慚愧に堪えないという風に、苦悩の表情を浮かべるアルス。
自分たちの女王が派手なレオタード姿で闘技場に現れ、女性たちからキャーキャーと歓声を浴びて、男性たちから野太い声の応援を受け、嬉しそうに手を振って愛想を振りまいているのだ。
サトシは謎のチャンピオンの正体の追求を諦めることにした。人には触れて欲しくないことがあるものなのだ。
「今回のチャンピオンとの戦いに勝利すれば報酬があるぞ!異世界からやって来た美少女絵崎エリナ嬢だ!」
司会者の言葉に、飲んでいたコーヒーを吹き出すサトシ。巨大モニターには、古の運動着を着込み両手にポンポンを持たされたエリナが、双子エルフに促されるまま、カメラに向かって楽しげにポンポンを振り笑顔を見せている。
マニアックにも胸元には平仮名で「えりな」と書かれたゼッケンが縫い付けられている。
この都市に文化を伝えている人の中に、絶対にオタクがいるとサトシは確信を得た。
「大変だよ!エリナさんが賞品になってるよ!」
「サトシ!ボクが行ってエリナを取り戻してくるよ!」
フンスッと鼻息荒く挑戦すると、ジュリアが主張する。
「なお、エルフの血を引くものとは戦えないというチャンピオンの意向で、エルフ氏族の参戦は認められない事をご了承ください」
しかし、司会者の話す参加条件に、しょんぼりと項垂れてしまう。
「ボクのお母ちゃまはダークエルフだから、参加出来ないよ……マリエールと戦ってみたかったな」
ジュリアのお母さんがエルフだという事にも驚くが、エリナを取り戻さないとと慌ててしまう。
あと、あのチャンピオンはママ・クイーンであって、女王マリエールではない。
「サトシが行くしかないよ!エリナを取り戻せるのはサトシだけだよ!」
ジュリアが目を煌めかせながら煽ってくる。
「う、うん、行ってくるよ。エリナさんが居なくなったら、僕たちの部隊は終わりだよ。エリナさん以外、誰もちゃんと交渉出来ないんだから」
部隊長のエリナによる、様々な部署との交渉や打ち合わせにより、サトシ達の部隊はこの危険な異世界で生存確率を上げていけている。
それに、大切な仲間を残していけるはずもない。慌てながら、サトシは挑戦者エントリーの為に部屋から駆け出す。
背後からアルスのすまんという声が聞こえた気がしたが、慌てていたので聞き返す事はしなかった。
サトシが1階にある挑戦者受付ブースで申請をすると、すぐにリングまで誘導される。
サトシ以外にも11人の挑戦者が既に来ていて、リングの上で腕組みをして立つママ・クイーンと対峙していた。
「本日、最後のスペシャルマッチ!最強の王者ママ・クイーンへの挑戦者は勇敢なる12名!異世界からやってきた美少女エリナ嬢からの祝福を得られる勇者は誕生するのか!?それでは、スペシャルマッチ始め!」
試合開始のゴングと共に、挑戦者10名の男たちが吹き飛んで行ってしまう。
ママ・クイーンが左手を振るっただけで、リング上に残っているのはサトシと長身で猫背の女の子だけになっていた。
「異世界の美少女異世界の美少女あたしの言うことをなんでも聞いてくれる異世界の美少女とお友達になってお家デートするんだ……チャンピオンがなんぼのもんじゃい!タマとったらぁ!」
ヤバい内容をブツブツと呟いていたと思ったら、奇声を上げ、何処からか取り出した短剣を両手で握ったまま、腰のあたりで構えて突っ込んでいく女の子。
しかし、ママ・クイーンにペシっと短剣を叩き落とされ、小脇に抱えられてしまう。
「な、なにすんじゃい!われぇ!わしは異世界美少女とイチャイチャするんじゃ!離せ!離せ!」
女の子はジタバタと暴れるが、チャンピオンはびくともせずに逃げられないようだ。
ゆっくりとリング上を歩きながら、口元にある小さなマイクのようなものに、何かを囁くチャンピオン。
「ああっと!ここで運営から訂正が入ったぞ!賞品は異世界美少女エリナちゃんではなく、エリナちゃんはプレゼンターとの事だ!さらに、頑張れ♡頑張れ♡と応援してくれる追加特典ありだ!」
エリナがただのプレゼンターなら、サトシが参加する意味がなくなる。
応援とやらに興味がないわけではないが、棄権しようと思う。なにせリングを歩きながら、泣き喚く女の子の尻を引っ叩き続けるチャンピオン怖いし。
「めっ!ですよ!めっ!」
「ごべんなざいごべんなざい!お友達がほしかっただけなんでず〜」
30発以上引っ叩かれて、ようやく解放された女の子はお尻をさすりながら、係員に付き添われて退場して行く。
「おぼえとれよ!次は必ずタマとったるからな!あほー!ぼけー!ぎゃん!?痛い〜お母ちゃん痛いよ〜」
女の子は出口付近で捨て台詞を吐くが、ママ・クイーンが魔法を使ったようで、お尻を抑えながら泣き喚いて逃げ出して行った。
「待たせましたね。異世界より来たりしアークデーモンスレイヤー大山サトシ!わたくしにその武威を示してみせなさい!」
ビシッと指差し後に、掌を上に向けてクイックイッと指を動かし挑発してくるママ・クイーン。
しかし、サトシは動かなかった。
「あの、ママ・クイーンさん。エリナさんがただのプレゼンターなら、僕が闘う理由はありませんので、棄権したいと思います」
会場中から凄まじいブーイングが巻き起こる。
何故かモニターに映るエリナまで、親指を下に向けてブーイングをしている。
「何と!あの異世界に伝わる伝説の衣装を装備した美少女エリナ様に、頑張れ♡頑張れ♡をしてもらいたくないと?仕方ありませんね……貴方がわたくしに勝利すれば、わたくしは貴方のものとなりましょう!」
頭の上で腕を組み、完璧なプロポーションの肢体をアピールしつつ、バチコーンとウインクをキメるママ・クイーン。
しかし、サトシは動かなかった。そもそも、彼女のレオタードが際どすぎて、男特有の事情でまともに動けない。
「あの、無理です。ごめんなさい」
頭を深く下げて謝ると、びっくりしたような表情になるママ・クイーン。断られるなんて、一切思っていなかったようである。
「え?うそ?え?わたくし、サーシャちゃんのママなのに?サトシ様はサーシャちゃんの事が好きなんだから、ママの事も好きよね?ね?あれ?おかしいな?」
その理屈はおかしい。確かにママ・クイーンもういいや本人が隠す気ないしマリエールは魅力的だけど、戦う理由などないのだ。
サトシが一切動かないのを見て、ホッペを膨らまして涙目になるマリエールは、拗ねた時のサーシャそっくりである可愛い。
「このへなちょこ童貞!ばーか!ばーか!貴方なんかにサーシャちゃんはあげないんですからね!」
涙目になり捨て台詞を吐いて、駆け出していくマリエールに困惑する。
会場中から凄まじいブーイングがあがるが、そこまで言わんでもと同情するような視線も感じる。
特に女性からの罵声が凄まじい。
「お静かに!観客の皆様は冷静になってください!不戦敗!無敗のチャンピオンがまさかの試合放棄!伝説の王者に始めて土がつきました!勝者大山サトシ!あ!物を投げないでください!皆様冷静に!物を投げんなつってんだろ!警備!警備!暴徒を鎮圧しろ!」
ブーイングと罵声はますます高まり、食べ物や飲み物がリングに投げ込まれる。サトシの体にも唐揚げや唐揚げがぶつかってくる。唐揚げは投げないで欲しい。なにせもったいないし。
リングに降りてくる観客までいて、サトシは頭を抱え、慌てて選手用出入り口から逃げ出す。
何とかアルスとジュリアが待つ部屋まで辿り着くと、全部知っていたらしいアルスに平謝りされて、ジュリアは腹を抱えて笑い転げていた。
笑い事ではないんだけど、楽しそうなジュリアはほんとに可愛くて、まあいいかと思う。
その後、隣の部屋で着替えたらしい女王マリエールからお褒めの言葉を頂く事になった。
シャワーを浴び着替え、指定された部屋に向かうとホッペを膨らませたマリエールが涙目で睨んでくる。
サトシに近づいてきて、ポカポカと胸を辺りを叩いた後に、プイッと横を向いてしまう仕草が可愛い。
あざとい流石エロフの女王あざといというジュリアの呟きに、サトシもひそかに同意してしまうくらいあざと可愛かった。
さらに、顔を真っ赤に染めたエリナがポンポンを振りながら、これからも頑張れ♡頑張れ♡と応援をしてくれたのは、なかなかに嬉しかった。
ちなみに賞品は緑色の不思議な金属のカードで、温泉郷の城の中に入るフリーパスポートらしい。
その後、マリエールに城の中庭まで連れて行かれて、そこに用意されていた夕飯をご馳走になった。
軽いお酒を飲んだら、何故か意識がなくなりそうになり、とても柔らかいいい匂いに包まれてたかと思ったら、凄まじい衝撃音に目が覚める。
「お母様!お戯れはおやめくださいと、わたくし、何度も申し上げました!」
「ママも遊びじゃないもん!亡くなったダーリン以外で、初めてキュンキュンしたんだもん!サーシャちゃんの弟か妹欲しいもん!」
部屋が半壊するような、凄まじい親子喧嘩に隅っこでサトシが震えていると、金髪のメイド長に引きずられて、何とか別の部屋に避難できた。
「よし、ダンナ様も準備万端みたいだし、1発キメるか」
豪奢な金髪をかきあげて、舌舐めずりしながら、ミリアはサトシの下半身を凝視してくる。
変な味がしたお酒の影響なのか、体の一部がホットになってしまっていた。
体も動かないし、遂に卒業してしまうのかとぶるぶる震えていたら、ミリアそっくりの女性が飛び込んでくる。
「姉様!なんとはしたない事をされているんですか!お家を出たとはいえ、我が家の恥となる事は許せません!」
「お黙りなさいアイシャ!温泉郷蹴られたい女5年連続No.1などという、恥晒しな称号を得たおまえに言われる筋合いはありません!」
「姉様こそ10年連続No.1になって、永世称号を得たではありませんか!」
アイシャとミリアの姉妹喧嘩が始まってしまう。
なんとか這って外に出ると、大きなヤカンを持った銀髪のメイドがいた。
「ナージャさん、助けてください」
「すみません、わたしは謎のメイド仮面の代わりに、養護院にお茶を入れに行かなければなりませんので、これで失礼します」
そう言って、何事もなかったかのように立ち去っていく。
この城の中は、尋常ならざるエルフ達の魔境だと恐れ慄く。
メイド隊が駆け回る中、サトシは動けるようになるまで物陰に隠れてすごし、痺れる足を引きずりながらジュリアとエリナと合流し、何とか城から脱出する事が出来た。
昨日は本当に濃密な1日だったなと、サトシはまたため息を吐きそうになる。
ドーリーに戻ったあとも、旦那様は警戒心が足りません!と、サーシャにお説教されたりしたので、眠ったのは夜半を過ぎていた。
目覚め後も、何だか疲労が抜けていない感じがある。
ほんとに優しくて楽しい人達ばかりだったけど、しばらくここに近付くのは遠慮しようと、鮮やかな朝日を見つつそう決意し、朝ごはんを作るべくドーリーのキッチンへと向かった。
「決めました!サトシ様は温泉郷で囲います!」
「しかし、サーシャ姫さまが反対なさるのでは?」
「無理強いは良くないです陛下」
「サーシャちゃんは、頑固だけどチョロいから大丈夫です。無理矢理ではなく、自ら来るようにするのです!ミリア、ナージャ、サトシ様をツアー中に堕としてくるのですよ!」
「ウチも子供は3人ぐらい欲しいので頑張りますが」
「何とかしてみます。母上から男性の堕とし方は学んでいますので」
「頼みましたよ!わたくしも防衛用ゴーレムを量産した後に参りますからね!」




