伊知地セイラは、異世界にて初恋に酔いしれる
愛とはパワー
なんかおかしいと、伊知地セイラは思う。
セイラは幼い頃から何でも出来た。家族からの愛情は得られなかったけれど、幼い頃に亡くなった母親の友人だという、ベビーシッターの須藤アイナがずっと一緒だったから寂しくはなかった。
友達も沢山いたし、教師からは信頼され、先輩からは可愛がれ、後輩からは慕われた。
習っていた乗馬やアーチェリーは楽しくて、毎日が充実していた。
部活のない貴重な休日には、友達や後輩たちと沢山遊んだ。部活の海外遠征にはアイナがついて来てくれて、競技後は観光も楽しんだ。
恋だけはただの一度もした事はなかったけれど。
本当に本当に毎日が楽しかったから、もう充分だと思っていた。
そして、高校を卒業した日、人生を終わりにしようと最期の場所を探していた時に、運命の人に出会ってしまった。
偶然出会った青山サキの瞳に、生まれて初めての一目惚れして、恋しくて、愛しくて、とうとう異世界まで追いかけてきたのに、なんだか上手く話せなくなってしまった。
そりゃ怒るよねと、正座しながらセイラは項垂れていた。
明後日から異世界で働く訓練の為に、異世界ゲートがある人工島に行く準備をしていたら、出て行ったはずのアイナが戻ってきた。
「セイラ、、、おどれはどういうつもりなんや」
母親と同級生だったはずだから、今年で30半ばは過ぎているはずなのに、20代前半にしか見えない黒髪の美女だ。
長い脚を組みソファに座り、腕を組んで、大きな瞳がセイラを睨んでいる。
「アイナ〜落ち着いてよ〜関西弁出てる〜」
アイナは普段はすごく優しいけれど、興奮すると生まれた地域の言葉が出てしまう。
数年前、暴走した車が歩道に突っ込んできた時には、車を正面から蹴り飛ばし、スクラップにした後に、運転手を引きずりだして、顔がパンパンになるまで平手をぶち込んでいた時も関西弁だった。
千年王城の須藤家。
出雲の宇部家、薩摩の竜胆家、奥州の陸奥家と並ぶ退魔の一族。その家出娘だと、アイナに聞いたことがあった。
「それで、この金はどういうつもりや」
テーブルの上には、アイナ名義の通帳が開かれていた。そこにはセイラが大学に入り、生活基盤を築く為のお金が全額振り込まれていた。
「アイナが〜わたしを育ててくれた退職金、、、みたいな〜、、、」
その言葉を聞いた、母親同然に思っている大切な人の顔が悲しそうに歪む。
「金なしで、どないするつもりやったんや」
最もらしい言い訳はいくらでも思いついた。
でも、アイナには通じない事も分かっていた。
だから、正直に話す。
人生に満足して終わりにしようとしていた事。
生まれて初めての一目惚れをして、その人を守るために異世界に行く事を、一生懸命話した。
アイナは黙って最後まで聞いてくれた。
人生を終わりにするつもりだったと言った時は、怒鳴られると思ったが、何も言わずに最後まで聞いてくれた。
話し終わると、しばらく黙っていたが、ふいに立ち上がった。
「気づいてあげられなくてごめんね」
近づいてきたアイナに優しくしっかりと抱きしめられた。
いつもの優しくて、大好きな母の香りに包まれて涙が出てきた。泣いた事なんか、ほぼなかった18年間だったのに、どんどん涙が出てきた。
「ごべんなざい〜嘘ついて〜だいずき〜おがあさん〜」
ずっとずっと言いたかった、お母さんとようやく言えて、もう感情が溢れ出して止まらなくなり、柔らかな胸に抱きつきながら泣いた。
思いっきり泣いたら、なんだかすっきりしたけれども、恥ずかしくなった。
「それで、お母さんにもう少し詳しく説明してちょうだい。そうお母さんに詳しく」
アイナがウザくなった。お母さんをやたら嬉しそうに強調してくる。
「ウザいんですけど〜」
拗ねて見せるが、嬉しそうにニコニコ笑っている顔に、セイラも嬉しくなってくる。
民間志願警備員に就くと言った時は、少し難しい顔をしていたが賛成してくれた。
住んでいたこのマンションは、父が契約を解除していて退去しなければならないので、荷物をまとめてホテルに移った。
お気に入りだった家具や本や服は、アイナが管理してくれるというので、倉庫を借りて放り込んだ。
あとの家具は業者に処分を依頼した。
2日間、ホテルでやっと母と呼べたアイナと楽しく過ごして、休暇には必ず会うと約束をして、セイラは訓練所がある人工島にやってきた。
島に移動する電車の中で、サキと再会した時は体中が痺れたようになるくらいに嬉しかった。
訓練はそれなりに厳しかったが、何でも出来たセイラは、ここでもすぐに慣れた。
寮ではサキと隣の部屋なのが嬉しくて仕方なかったし、お風呂や食事が一緒なのも楽しくて堪らなかった。
同じ部隊の他の4人とは初日だけギクシャクしていたが、セイラは圧倒的コミュ力を発揮して、すぐに話せる仲になれた。
敷島教官は厳しかったけれど、生き残る為の方法を惜しみなく教えてくれる、優しい人だった。
狙撃を教えてくれた山田先生は、話の分かるすごい人だった。沢山の事を、分かりやすく丁寧に教えてくれて、セイラは夢中になって訓練を重ねた。
そして、半月が過ぎ、桜が満開の並木道を通り抜けて、大好きなサキと信頼出来る様になった4人と一緒に、セイラは異世界に来た。
能力測定を受けた後、面談の担当だった女性は何だか怯えているみたいだった。
魔女様の御身内なのですね。そう言われたのがよく分からなかったが、詳しく聞くとひとりだけ心当たりがあった。
「もしかして〜キーラちゃんかな〜?」
セイラの言葉に何度も頷く女性。キーラは小さい頃に、何度か遊んでくれたお姉さんだ。
煙草をいつも吸っていて、臭いというとこの世の終わりみたいにヘコんでいた。
祖母だと言われたけど、何か勘違いしているのだと思った。最後に会った時はどう見ても20代くらいにしか見えなかったからだ。
サキは難しい顔をしてエリナと話していた。
油断するなと言われたので、何があっても、サキだけは命に代えても守ろうと思った。
夕方になりサトシにご飯を奢ってもらい、お腹いっぱいになった後、部隊のドーリーに戻ってきた。
お風呂を済ませて、体のケアをした後、枕と毛布を抱えてサキの部屋に突撃した。
サキは仕方なさそうに勝手にしろというので、ベッドに潜り込んで、背後から抱きしめた。
子供のように体温が高い、サキを感じながら、幸せな暖かさに意識が無くなった。
何かいる。唐突に目が覚めたが、体が全く動かずに声が出ない。腕の中にサキがいる事を確認して少しだけ安心する。
「申し訳ありません。危害を加えるつもりはありません。あなたとお話ししたいという方がいます。明け方までには帰すので、大人しくついてきてください」
女性の声がした。日本語ではないのに日本語として聞こえてくる言葉。視界に耳の長い小柄な女が入ってきた。
サキを抱きしめたままの体がふわりと浮いた。
図々しい誘拐犯だなと思う。危害を加えないとはよく言えたものだ。もし、サキに毛ほどの傷でもつけたら許さないという意志を込めて睨む。
びくりと怯えたように一歩下がるが、空中に浮いたまま、宙を滑るように部屋から出される。
居住スペースから倉庫に移動した辺りで、ジュリアの声がした。
移動する速度が上がり、早く行けという言葉がする。視界の端で10人以上の警備部隊の制服を着た男たちが、ジュリアに襲いかかっていた。
倉庫のハッチは開いており、エルフが4人いた。
そのまま、待機場から連れ出されて、要塞内を抜けて、高い高い防壁を飛び越えて外に出た。
果ての見えない草原を高速で移動していく。
少しして、サキが目を覚ました。
不思議そうな顔をしていたから、安心するように声をかける。
サキだけは何があろうと守り抜く。こいつらは絶対に許さない。サキを傷つける奴らは絶対に許さないキーラちゃんが教えてくれたおまじないを思い出す。大事な人を守るおまじない。サキを守るためにこいつらを許さない。まだ空の上だから落ちたら危ないし、要塞から離れている。裸足だし危険だ下におりて安全を確認するべきだ。大丈夫だ石にしてしまえばいい一匹残らずこの耳長どもを石にして砕いて終えばいい何か声がする大事な人のうるさい体中に力が溢れて吹き出して
「セイラ、月が綺麗だぞ」
ほっぺを両手で挟まれ、腕の中にいた温かな何かと目があった。
思考がクリアになっていく、焼け付くような体から溢れそうになった何かが消える。
サキと目があっていた。
(月、月?月が綺麗、、、)
それがずっとずっと昔から伝わる告白だという事を思い出して、全身が沸騰するような喜びと恥ずかしさと、多幸感に包まれた。
優しく頭を撫でられ、綺麗だと言われたのが嬉しくて嬉しくて、どうしていいか分からなくなる。
夜空を楽しもうと言われて、上を見ると、巨大な2つの月と満天の星空があった。
すごく綺麗だったけれど、腕の中にいるサキの瞳の方がもっと綺麗だと思う。
夜空のデートを楽しんでいたら、後ろからドーリーのエンジン音が聞こえてきた。
その音がどんどん近づいてくる。4人の仲間たちが追ってきてくれた事が、嬉しくて顔が綻ぶ。
「お待たせ!遅くなってごめんね!」
月を背にして目の前に跳んできたジュリアは、まるで日曜日の朝のヒーローみたいで、サキと笑い合ってしまった。
エルフ達が何かを言っていたが、近づいてきた瞬間に、ジュリアが地上に叩き落とした。
「サキ!セイラ!ボク達は今から下に落ちる!ボクが2人を抱き抱えて、地上に落ちる少し前に、ドーリーの中にいるサトシに向かって、2人を投げるからね!セイラ!サトシをクッションにして、勢いを消すんだ!できる?」
そんなの簡単だと思う。
「平気だよ〜ジュリアお願いね〜」
満面の笑みのジュリアがくっついてくる。安心感に包まれながら、下に落ちていく。恐怖はまるでなかった。腕の中のサキも平然としていた。
「いくよ!今!」
セイラの目を全てを見ていた。
停止したドーリーの操縦室で心配そうなユウキと厳しい表情のエレナ。
主砲が収納されている、収納庫の開いたハッチからこちらを見ているサトシ。
下に向かって落ちていた感覚が、横に変わる。
一瞬でサトシの姿が大きくなり、その腹に両足をつけて、全身の筋肉をバネのよう使い速度を消す。
腕の中にいるサキにダメージが行かないように調整したから、サトシにはかなり強くダメージがあったはずだが、しっかりと受け止めてくれた。
転がったサトシの上に、サキと2人で跨る格好で止まっていた。やっと帰ってきたと安心できた。
それにしても、男の体ってこんなに硬いんだと驚く。サキも感心したように、腹筋をペチペチと叩いていた。
心配そうなサトシの問いかけに、無事だと答えると嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「夜空のデートとは洒落た事してんな」
ユウキのいつもの軽口に返せなくて、顔が赤くなるのが分かる。
エリナは落ち着いていて、ジュリアの居場所を聞いてくる。
すぐにハッチからジュリアが戻ってきたけど、餌をとられた猫みたいに不機嫌になって、サトシの上から降ろされた。
要塞に戻る前に少し揉めた。
エルフ達を放置して行こうとセイラは熱く主張した。両手両足も縛っておくべきだとも付け加えた。
5人がかりで説得され、渋々ながら倉庫内でジュリアが見張る事を条件に、連れ帰る事を納得した。
両手両足を縛り、口を塞ぐ事は譲らなかったけれど。
要塞に戻ると警備部隊に囲まれて、連行されて、明け方まで事情聴取されたのは、こっちは被害者だぞと納得出来なかったけれど、巨大な穴が空いた5層の防壁を見せられて、流石にこれはマズイのではとは思った。
ジュリアはやっぱりとんでもない子だったが、それに平然と付き合う3人もとんでもない。
エリナとサキが交渉を担当して、要塞内の自衛軍駐屯地での友軍による誘拐と、警備部隊の襲撃を当て擦り、エリナが出撃許可を得ている事を根拠に司法取引を引き出した。
そして徹夜明けのセイラと仲間たちは、懲罰としてドーリー待機場を清掃していた。
流石に防壁を5層ぶち抜いて御咎めなしは、示しがつかんと司令官のおじさんが引き攣った顔をしていた。
誘拐事件に関しては、今日中に報告をしてくれるらしいけど、あまり興味はない。
そんな事より。要塞に戻ってきてから、サキとうまく話せないのが問題だった。
話せないどころか、つい数時間前まであんなにくっついていたのに、恥ずかしくなってしまい近寄れなくなった。
サトシと仲良く話をしているサキに、それは浮気じゃないのかと恨めしくなる。
思考がうまくまとまらず、エリナにしっかりなさい!と叱られ、ユウキにからかわれる。
「セイラ、お昼食べに行こう。何が食べたい?」
気がついたらお昼だった。サキに誘われて嬉しさが込み上げてくる。
「そ、そうだね〜お昼楽しみだね〜」
キュッと手を繋がれた。サキの方から手を繋いで来たのは初めてだ。
さらに、指が絡んできて、しっかりと握られる恋人繋ぎをしてきた。
その感触と暖かさに、背筋をあまい痺れが走り吐息が漏れた。
「沢山食べよう。今日は副司令のツケでいいそうだぞ。腹一杯食べよう」
サキの笑顔にセイラは真っ赤になり見惚れる。
いつものように返事が出来ず、はいと呟くのが精一杯だった。
愛しい人に手を引かれ、まるで酔っぱらいのようにふらふらと、セイラは食堂街に向かった。
これが、恋なのかと、空も飛べそうな気分だった
キーラちゃんは孫LOVE過ぎて、煙草臭いと言われて涙目になり禁煙しました。




