愚か者、異世界を駆け床を磨く
司令官は予算を絞り出すのに悩む
とんでもないことになっちゃったなぁと、水に濡らし固く絞った雑巾をモップの先につけながら、少しだけため息をつく。
異世界に来た翌日、サトシ達6人は広大なドーリー待機場の端から端までの清掃を命じられていた。
3層からなる巨大な装甲車ドーリーは、自衛軍及び民間志願警備員の基本移動手段となっている。物資運搬や拠点警備、砲台にまでなる万能の兵器だ。
基本、6人で運用されており、長期間の作戦行動が出来る様に居住スペースもある。
2層目中央付近に、ダイニングキッチンと入浴設備やトイレに洗濯ができる水回りがあり、それを囲むように8つの個室が備えられていた。
5畳程度の部屋にはベッドと収納、小さな机しかないが、プライベートを確保するには充分だった。
その1室で眠りについていたサトシは、喉の渇きを覚えて目を覚ました。枕元の小さなサイドボードに置いてあったペットボトルの水を少しだけ飲む。
備え付けの時計を見るとまだ深夜2時である。眠りについてから4時間しか経っていない。
今日から初仕事なのに、変な時間に目が覚めてしまったとため息が出そうになるが、ため息をつくなと女性陣に言われ続けているのを思い出し堪える。
空気が妙に張り詰めているような感じがして、トイレにでも行こうかと、ベッドサイドに揃えてある戦闘用ブーツに足を通し、しっかりと紐を結び固定をする。
何故か自然と、壁に吊ってあるボディアーマーに手が伸びた。素早く身につけて、緩みがないかをチェックをしてから、トイレに行くのになんでこんなの付けたんだろうと、自分の行動に苦笑する。
部屋を出た瞬間、腹に何度か軽い衝撃を感じた。
薄暗い照明の中、サトシの胸あたりまでの体格の女性が拳を突き出した姿勢のまま、目を見開き固まっていた。
敷島教官に尻を蹴り回されながら教わり、必死に訓練した通りに、その襲撃者の顎の先あたりを掠めるように掌でそっと打ち抜く。
クルンと女性の瞳孔が上をむき、くたりと倒れ込むのを支えて床に寝かせる。
サキとジュリアの部屋の扉は既に開いていて、出てくる気配がない。少しして、ユウキとエリナが、身をかがめて特殊警棒を構えながら部屋から出てきた。
エリナはサトシの足元に倒れている襲撃者を確認すると、すぐさま警報装置のボタンを叩くように押す。
鳴り響くはずの警報音が鳴らない事に、エリナの表情が厳しくなる。
サキとジュリア、セイラの部屋に誰もいない事を確認して、ドーリー内全体を把握できる唯一の場所である操縦室に、エリナとユウキは駆け出した。
サトシは姿の見えない3人を探す為に、慎重に移動を開始する。
居住スペースから出て、すぐ後ろにある倉庫を確認しようとしたら声がした。
「もう!しつこいよ!邪魔だからどいて!」
ジュリアの声だった。
広い倉庫内に、10人以上の体格のいい男たちが転がっていた。サトシの姿を確認したジュリアが焦ったように叫ぶ。
「サトシ!サキとセイラがエルフに連れてかれた!こいつら警備部隊の制服を着ている!早く追わないと!もう!邪魔!」
3人の襲撃者の攻撃を捌くジュリアの声に、サトシは操縦室へデバイスで報告をする。
「追います。ユウキさん。ドーリーを動かしてくださいな。管制室、こちら民間志願警備員の絵崎エリナです。部隊員の青山サキと伊知地セイラがエルフ族の集団により拐われました。我々は奪還に参ります。緊急の出撃許可を願います」
エリナの通信の声がドーリー内に響く。サトシとジュリアに聞こえるようにスピーカーを使っていてくれている。
「何だと?エルフ達による誘拐?馬鹿な、友軍だぞ、、、発進許可は出せない。警備から確認の人員を送り、上に判断を委ねるそのまま待機だ!」
「襲撃者の中に、警備部隊の制服を確認しております。その指示には従えません。ユウキさん、出してくださいな、お願いします」
おう!と応えるユウキの声とともに、ドーリーのエンジンが唸り始める。
「馬鹿な真似はよせ!民間志願とはいえ、命令無視は重罪になるぞ!なんだ!?隔壁が勝手に、、、どうなっている!」
ジュリアが制圧した襲撃者たちを、倉庫のハッチから外に捨てていたので、サトシも手伝う。
「民間志願警備員緊急事態条項14条の付帯要項。部隊員に危険がある場合、部隊長の判断により行動の自由を保証するとなっています。これを根拠に、絵崎隊部隊長として絵崎エリナが、再度出撃を願います。」
ジュリアがハッチから出て、ドーリーの天井に昇っていく。
「南東に逃げていってる!速い!ユウキ!」
応!とユウキの声が響き、ゆっくりとドーリーが動き始める。
「、、、管理システムが絵崎部隊長の申請の妥当性を認めた。仕方ない、南東だな?防壁に通達をした。南門が開くからそこから出ろ。5層の門が開くのに約10分かかるから暫くまて。出撃を許可する」
その声にジュリアが叫ぶ。
「10分だと間に合わないよ!逃げられちゃうよ!サトシ!エリナ!防壁内の生体反応を確認して!ユウキ!そのまま真っ直ぐ!ボクを信じて!お願い!」
待機場から開いた隔壁を出たドーリーがスピードをあげる。南東方向の分厚い防壁がある方向へ一直線に向かう。
「止まれ!ドーリーごときで防壁は抜けん!大破するぞ!南門に回るんだ!よせ!」
エリナとサトシは何も言わない。ジュリアが信じてと言ったのだからと、当たり前のように信じる。
ユウキは何も言わず、更にドーリーを加速させていく。
「防壁の直線上に生体反応ありませんわ。大丈夫ですジュリアさん」
ドーリーの天井にいたジュリアが、エリナの言葉に飛び出す。
サトシの目に映るジュリアの体は美しい緑色の紋様に覆われて、神々しく輝いていた。
その小さな体が突進し、轟音が響き渡る。
土煙が晴れると、要塞を守る5層の防壁に、一直線の巨大な穴が空いていた。
「馬鹿な、、、し、信じられん、、、防壁に穴だと、、、」
管制官が絶句する。
防壁から落ちてくる瓦礫を避けつつ、ユウキがドーリーのスピードをさらに上げた。
防壁の外は草原だった。巨大な2つの月の下、見渡す限りの草原をドーリーが爆進する。
通常のドーリーの最高速度を遥かに超えるスピードが出ていたが、恐ろしく滑らかな挙動で安定していた。
防壁を砕いたジュリアは、サトシがいる主砲が設置してある格納庫の開いたハッチから戻ってきた。
攫われた2人の位置が分かるらしく、操縦室に指示を出し続ける。
「見えた!距離2000!このまま真っ直ぐ!」
それから暫くして、サトシの目にもようやく見えた。
空中を何かが飛んでいる。エリナを抱きしめるサキと、その周囲を飛ぶ5人の人影。
ぐんぐんとその姿が近づき、真下に入った時にジュリアが再び飛んだ。
「サトシ、2人をドーリーに投げ込むから受け止めて!」
大地を踏み砕く音と共に、天高く舞い上がる。
巨大な2つの月を背に空中を翔けるその姿。
ああ、綺麗だと見惚れた。
5人のエルフが妨害しようとするが、数秒と持たずに地上に叩き落とされる。
セイラと彼女が抱きしめるサキを抱えて、ジュリアが落ちてくる。
地上に落ちる寸前、こちらにセイラとサキが投げ飛ばされてきた。
凄まじい衝撃を腹に受けて、壁際まで押し込まれながらも、サトシはセイラの体を何とか受け止める事が出来た。
「サキさん!セイラさん!怪我はない!?」
倒れた自分の上に乗る2人に慌てて聞く。
「大丈夫〜受け止めてくれてありがと〜」
「でかい声を出すな。かすり傷ひとつない」
いつもと変わらぬ2人の様子に安心する。
操縦室から通信がきた。
「月明かりの下のデートなんて、洒落た事してんな2人とも」
ユウキの軽口に、何故か真っ赤になるセイラ。
「おふたりが無事で安心しました。すぐに要塞に帰還しましょう。ジュリアさんは?」
エリナの落ち着いた声に、やっと終わったと安堵する。
「戻ってきたよ!エリナ!帰ろ!うー、、、サキとセイラは、いつまでサトシに乗ってるの?はやくおりて!」
要塞に帰還した後、めちゃくちゃ怒られた。
置いていこうと主張するセイラを何とか説得し、気絶していた5人のエルフを収容して、要塞に帰還したが、警備部隊に取り囲まれ連行され、明け方近くまで事情聴取を受けた。
人類の防衛線である5層の防壁をぶち抜いたのが相当拙かったようで、本来なら終身刑もあり得る重罪になる可能性もあったと説明を受けた。
しかし、友軍であるエルフ族による民間志願警備員の誘拐という有り得ない不祥事に加え、警備部隊の虎人族による襲撃という前代未聞の出来事をなかった事にする条件で、司法取引が成立した。
「事情は分かった。行動に妥当性があったのも分かったが、防壁を砕いたのはやりすぎだ。お咎めなしは示しがつかんから懲罰は受けてもらう」
司令官のゲンジは呆れていた。
そして、サトシ達は同期の民間志願警備員114人が、19機のドーリーで初仕事に出掛けるのを見送ってから、ガランとした待機場の掃除をしている。
「サトシ、ため息をつくな。気分が下がる」
やけに機嫌がいいサキに注意される。
いつもサキにくっついているセイラが、何故かサキを避けながらも、チラチラと盗み見て、顔を百面相しているのが不思議だった。
「給料はちゃんと出るんだしいいだろ!楽じゃねえか!まあ、俺の無双伝説の始まりとしちゃあ締まらねえけどな!」
ユウキが運転したドーリーの動きは、充分伝説だと思うよと返したら、めちゃくちゃ喜こんでいた。
「今日中に、理由の説明があると竜胆司令官から言質を取りましたし、わたし、お掃除は嫌いではありませんわ。お仕事として頑張りましょう。」
エリナはすごい判断力で、やっぱりリーダーになってもらってよかったなぁと思う。
彼女がいなかったら、もっと酷い懲罰になっていた可能性が高い。
エリナがきちんと出撃許可を取ったから、清掃程度で済んでいると感謝を伝えた。
当然ですわ!と胸を張りながらも、ホッペをピンクに染めて照れる姿が可愛らしかった。
とんでもない活躍をしたジュリアは、いつも通りに朝ごはんを沢山食べて、今日も元気に明るく笑いながら、とんでもないスピードでモップをかけていた。
ジュリアさんはカッコよかったし、綺麗だったなぁと言うと、体が軋むような力でぺしぺしと尻を叩かれた。
こんなすごくて気のいい仲間達と、一緒に働ける事が幸せだと思えた。
明日からまた頑張ろうと、サトシは雑巾を固く搾りモップがけを再開した。
減給がなかった事に安堵する愚か者




