帰る方法がわからない
*お話は2011年春当時に書かれたものです。戦争の終った1945年を始め、
いろいろな「何年前」などの表記が2015年から考えるとおかしな事になって
きてしまうので、ご注意ください。
もう、「読んでいる今は2011年なのよ~」とかいう気持ちで読んでいくのが
bestです。
1944年―――
「おかえりなさい。」
朝、田んぼ仕事からいったん戻ったみねに、可菜は声をかけた。
すっかり朝ごはんができあがり、耕作と友作を起こして、身支度を手伝ってやっているところだった。
みねは、その様子を見て微笑んだ。
「かっちゃん、ありがとう。本当に助かるよ。家の事何にもしなくてもよかっ
たお嬢さんに、こんな仕事仕込んじまって、よねに叱られちまうねぇ。
本当にうまくなったよ。」
「いえ。・・・そんな。」
厳しいみねに、初めてほめられて、お礼まで言われて、可菜は心底うれしかった。ここにいて、いいんだ。と、思えた。
「手、すっかり荒れちまって、ごめんよ。あんなすべすべの、やわらかい手
をしてたのになぁ ・・・百姓の子みたいな手にしちまって・・・。」
そう言われて、可菜は、改めて自分の手を見てみる。
ガサガサとして、皮が一枚多くなったのかと思うほど、厚くなっているところがある。豆もできているし、草の汁のアクなのか色がついてしまっているところもあった。
でも、不思議と誇らしいような気持ちだった。
「あ、そうそう。昨日、郵便が来ていたんだよ。あんた、よねにまだ手紙出
してなかったのかい? 着いたのか、元気なのかって、ずいぶん心配してる
ようだったから、すぐに返事を出しなさい。」
と言って、みねは和子宛の分だけ封筒から出すと、可菜にくれた。
「はい。・・・・」
人の手紙を盗み読むようで、気がひけながらも読んでみると、元気にやっているとは思いますが、そちらの暮らしには、慣れましたか? など、娘を想うお母さんのやさしい言葉がつづってあるのがわかった。
手紙を読んで、パパやママを思い出した。
パパやママも、私がいなくなった事、知ってるのかな。・・・心配してるかな。
萌子さんが、うまくごまかしてくれてると、いいんだけど。
心配したって、戻り方もわからないんじゃ、心配させるだけかわいそうだもんね。
和子ちゃんだって、家族と連絡取れないんだもん。
私だけさみしいんじゃないよね。
手紙を読んで、和子の家族の関係が、やっとわかってきた。
和子には、戦争に行った父と兄、いっしょに住んでいる姉と生まれたばかりの弟が、いたんだ。
弟の名前がやっとわかった。勝くんだって。今度聞かれたら、答えられるぞ。
学校に行く道々、またママの事を思い出した。
「いっぱい、いやなめに、あったんだ。」
「そんな人とのつきあい、また始めることないじゃん。」
萌子さんとの事、話してる時だった。
「でも、もうたったひとりになっちゃったんだよ。みんな死んじゃった。
ママも、パパや可菜がいるからもういい。と、思って来たけど、過去を許
さなきゃ、ずっと心が重いままな気がするの・・・。」
「そんなものかなー・・・。つらいのに・・・」
「もし、今、生きている萌子さんを許せたら、かわいそうなめにあった10代
のママが、愛されてなぐさめられるような気がするのよ。」
「・・・・ふーん。」
じゃあ、私が一肌ぬいであげるよ! って、・・・どうして言ってあげられなかったんだろう。
ママを心から助けてあげたい!って、どうして思ってあげられなかったんだろう。
後悔しても、遅いのかな。
その日、警戒警報というのが鳴って、学校が昼までになった。
集団で下校することが決まり、ぞろぞろと列をつくって歩いていた。
可菜は、のけ者にされ、一番後ろをとぼとぼと歩いてついていっていた。
本当は、日課の髪を洗いに小川に寄り道がしたかったが、今日は集団で。と、大人に強く言われたので、6年生の班長が、のけ者のわりに離れて行動するのを許してくれなかった。
「あ、飛行機雲だ・・・。」
「あれ、光ってるのアメリカか?」
銀色の飛行機は、点のように見えるほど小さく、北に向かって飛んでいった。
その後ろを、飛行機雲が長くのびている。
と、それとは別の方角から、もっと大きく見える飛行機が、やって来た。
大きく見えるのは、それだけ低いところを飛んでやって来るからだった。
「あ! みんな、溝に伏せて!」
6年生の子が、小さな子を押して、溝に入った。溝にはにごった水が張っていた。
が、そんなことはかまっていられない。
可菜も、あわてて、溝に伏せたら、もんぺがぐっしょりとぬれた。
タタタタタ・・・・チュンチュン
・・・と、前に聞いたことのある音をたてて、飛行機が通り過ぎていった。
機銃掃射だった!
小学生の児童しか歩いていなくても、ねらうの?
「ばーか! アメ公やい!」
「ばっきゃろーッ」
行ってしまった飛行機に向かって、男の子達が叫んだ。
「こ、怖かったね。」
「うん。」
女の子達が、溝からそろそろとあがり出した。
何の音もしなくなった後も、可菜はなかなか起きあがって道に出る気がしない。
ぐっしょりはまって、気持ち悪いのに。
なんで・・・なんで、こんな時代に来ちゃったんだろう。
こんなことが続いたら、本当に死んでしまうかもしれない。
現代の誰にも行方がわかってもらえないまま、こんな片田舎で、虫けらみたいに、死んでしまうのかもしれない!
もとの時代から、最初に逃げたいって思ったのは、私?
あの時、萌子さんちに行きたくなかった。めんどくさかった。
行きたくないっ・・・て思ったから、こんなに昔の時代にまで、飛ばされてしまったのかもしれない・・・。
私が、悪かったんだ・・・
こんなところでがんばるくらいなら、萌子さんちで、がんばってみればよかった。
終戦って・・・いったい、いつだっけ?
アメリカと戦争してたってことも、全然実感なんか、なかった。
いくら歴史では聞いてても・・・。
今は、1944年・・・パパもママも生まれてないくらいの昔。
確か、パパは1976年生まれ、ママは1979年生まれだった・・・と、思う。
もし、私がこのまま帰れなくて、2011年まで生きのびたとしたら、67年プラス11年で、78才のおばあちゃんになるんだ。
パパとママは、おばあちゃんになっちゃった私と、いっしょに暮らしてくれるかな。
夏休みが終わって、家へ帰る頃、和子ちゃんが代わりに2011年に生きているとして、・・・おばあちゃんの私が、家に帰ったら・・・。
あの電車でどんなことが起きて、なんで突然78才の姿なのか全部話したら、パパとママは、私を受け入れて、いっしょに住んでくれるかな。
突然っていっても、わたしにとっては、これから67年も未来の話だけど・・・。
67年・・・なんて、私の生きてきた11年の何倍? 6倍だ。
・・・気が遠くなる。
パパやママが生まれた年にも、私は中年のおばさんになって存在するけど、会っちゃ・・・いけないんでしょ?
映画で見た。
同じ人間が、同時に存在しちゃいけない。って。
パパとママが結婚する日や、私が生まれる時には、まだ、会っちゃいけないんでしょう?
私が・・・11才の私が、萌子さんちに向かった後まで、・・・会っちゃいけないんだよね?
・・・67年、待つしかないんだ。もし、戻れなかったら。
あ!
和子ちゃんは、もう、お母さん達に二度と会えないかもしれないんだ・・・。
私は67年経ったら、戻れなくて実会える可能性があるけど?
・・・和子ちゃん、大丈夫かな。
2011年―――
夜、和子がお風呂から出ると、電話が鳴った。
萌子の様子から、可菜ちゃんのママからだとわかった。
とうとう、かかってきてしまった。
そりゃあ、心配だよね・・・。
「うん。元気よ。代わろうか?」
萌子は、電話に向かって言うと、保留音を鳴らして、和子に言った。
「声だけなら、大丈夫よ。元気だってひと言でいいから、話してあげて。」
「はい・・・・」
萌子が、電話をつないでから、和子に渡した。がんばって。と、口だけ動かす。
「もしもし? 可菜?」
「はい。」
「どうしたの? はい。だなんて。」
と、ケラケラと笑う声がした。
「あんたから、まだ電話がかかってこないってことは、まだなんだね。
・・・ごめんね。いやな ことを頼んで。可菜を信じて待ってるから。ゆっく
りでいいからがんばって。」
「うん・・・・・」何を?
「あの・・・私は元気だから。今日もね、萌子さんと出かけたの。」
「そう。夏休みを楽しんでね。」
「うん。母さんも。」
「え?・・・やーだ。母さんなんて・・・。急に大人にならないでよ、可菜?」
「う・・・うん。」まずかった?
もう、萌子さんに代わってもらおう。
萌子にもう一度代わると、なんとかうまくごまかしてもらった。
私が、可菜とは別人だとバレたら、きっとご両親は心配する。
ひとり娘だっていうし、ひとりでよそへ出すのも、今回が初めてのことだって、いうし。
私も、母さんと、初めて離れて疎開するところだったんだわ・・・。
本当のひとりぼっちに、なってしまうとは、思ってもみなかったけれど。
明日は、疎開先を訪ねてみよう。
みねおばさん達は、もう亡くなってしまっているかもしれないけれど、あの時3才だった友作くんの名前を、電話帳で見つけた。
耕作くんは載ってなかったけれど・・・。
結局、遊んであげたわけじゃないけど、その友作くんだといいな。
私や母さんの戦後の消息を、何か知っているかもしれないから。
覚えてなくても、お家の人に聞いたことがあるとか・・・。
母さん達が、空襲を逃れて、どこか別の土地へ移って、やり直したとかかもしれないし・・・。
この間の資料だけで、あきらめたくない。
・・・・一番若い勝だけでも、行方がわかるかもしれないもの。
次の日、萌子はどこかから電話が入り、「出かけなくちゃいけなくなった。」と、朝早くから家を出て行ったので、今日は和子一人で、初めて外へ出ることになった。
和子は、緊張してきた。
母さんが書いてくれたメモで覚えている、S駅まで、タクシーで行ってもらうと、やはり電話帳の友作の住所に近かった。
期待が高まってくる。
タクシーというのは、列車や乗り合いバスのようなものよりも、うんと料金がかかるらしい。
萌子さんは、みんな出してあげるからタクシーで行きなさい。と、言ってくれた。
萌子さんは、いい人だ。
何の関係もない私に、ごはんを食べさせてくれて、お金まで渡してくれた。
本当は、こんなふうに萌子さんに親切にしてもらうのは、可菜ちゃんの方だったのに。
考えてみたら、可菜ちゃんは大変だ。
見も知らない土地へ、たった一人飛ばされて。
私にとっては親せきの家だけど・・・さみしいだろうな。
誰かに相談できてる?
誰もいないかもしれないな。本当のひとりぼっち。
この時代みたいに、なんでもスイッチ1つでできちゃうところに住んでた可菜ちゃんが、農家のみねおばさんの家に行ったら、山のように仕事があるのに、びっくりすると思う。
火も水も、用意するのは大変だもの。
それは、やっていた私が一番よく知っている。
大丈夫・・・かな、可菜ちゃん。
可菜ちゃんのママが言ってた「頼んだこと」が、私にわかれば。
何でもやってあげるのにな。私にできることなら、なんでも。
タクシーを降りると、広い庭のある一軒家が、なだらかな石垣の上に建っていた。
表札に、水谷友作とある。
「ごめんくださーい。」
何度も大きな声で、奥に向かって呼びかけた。
何度目かでやっと、中庭の方から、女の人が出てきた。
「あれまぁ。ピンポン鳴らしてくれりゃよかったに。・・・どちらさん?」
和子は、その時初めてインターホーンの存在を知った。
「すみません。あの・・・お電話した石田可菜といいます。友作さんに、戦争
の時のお話を・・・ あの、社会の勉強で・・・。」
と、萌子に考えてもらった設定(?)を、しどろもどろになって説明すると、
「ああ! 小学5年生っていう・・・。あがってください。おじいちゃんは、
奥にいますで。」
それらしく見えるよう、ノートとえんぴつをかまえて、和子は友作の向かい側の席に、座った。
「疎開した子を、受け入れた町と聞いて・・・あの、どんな子がやって来ま
したか?」
「いやー・・・あんたさんの方が、よく調べてくれとるくらいでね。わしは、
まだ2つか3つの子どもじゃったで、あんまり戦争中のことは、わからん
でね。戦後のことなら、多少苦労した話もできるんじゃが・・・」
「そうですか・・・。終戦までのことが、知りたかったのですが・・・。
あの、川島和子という女の子を覚えてますか? 確か、こちらに疎開してお
世話になったと思うのですが・・・。」
「川島和子・・・そういえば、遊んでもらった女の子がいたなぁ。和子ちゅう
名前じゃったろうか・・・? しかし、その子は亡くなったんじゃなかった
かな、もう。」
「あの、お母さんのよねさんや、和子ちゃんのご家族は?」
「・・・みんな亡くなったと、聞いとります。ひどい空襲があったそうでね。」
「やっぱりそうですか・・・。」
「お役に立てんで、すまんね。兄が生きとったら、もう少し覚えとるんじゃろ
うが、昨年ガンで他界してね・・・。」
「そうですか・・・」
「しかし、今の学校は難しい宿題を出すんだねぇ。今ごろ戦時中のことを話し
てくれる大人は、見つけるのも大変じゃろうなぁ。
わしも誰か、探してみてあげるよ。連絡先を置いていきなさい。」
「はい。ありがとうございます。」
和子は、うそをついたことに、少し心が痛みながら、それでも少しでも手がか
りはほしかったので、友作の申し出はうれしかったのだった。
さっき出迎えてくれた女の人は、お嫁さんで、その人が駅まで車で和子を送ってくれた。
ここで、疎開していた和子が死んだという話は、和子にはショックだった。
私がここで生きているということは、可菜ちゃんが、私の身代わりになって、戦争に巻き込まれて、死んだ。ということではないのか?
家族といっしょに死ぬのは、私だったのに!
かわいそうな可菜ちゃん!
帰る方法は、本当にないの!?
この場所からは、過去はぜったい変えられない。
もし、もとの時代に戻れたら・・・?
過去が変えられるかもしれないんだわ。
母さん達が、空襲で死なないために、私にできることがあるかもしれない。
もし、もとの時代にひょっこり戻れたら。
そんな偶然が、またあったら・・・!
あるかもしれないわ!
そしたら!
せっかく何もかも、あの戦争のことを自由に知ることのできる、平和な未来に、私は来たんだもの。どこが安全で、どこが危険だったのかを、調べることができるんじゃないかしら・・・!
それをメモして、持ち帰ったら!
・・・いいえ。メモはだめだわ。
私の持っていたメモは、この時代には持って来られなかった。
ただ、着の身着のままだったんだから・・・。
全部、頭に入れて、持ち帰らなけりゃ。
和子は、まだ自分にできることがあって、ホッとした。
やれるだけのことをして、がんばろう。と思った。
つづく




