第五十八話 鉄仮面少女レジェンド
フローラルな甘い香りが、鼻孔をくすぐる。
あまり不快じゃない。
お香とは、かなり違う匂い。
香料とかじゃなくて、誰かの体臭のような?
でも、人間ってこんな匂いしたかしらん?
緊張感たっぷりで、荒い呼吸音が、耳孔をくすぐる。
どことなく、不快だ。
あたしの呼吸音じゃない。
誰かが、あたしの上に覆いかぶさっているような?
暁姉上の悪戯かしらんと、目を開けると。
フルフェイスな鉄仮面の少女と、目が合った。
……はて?
どこのどちらさまなのかしら?
夢の中で、仮面の女と戦っていたところまでは覚えているけれど。
そこから先のことについては、どうやら記憶がない。
記憶がないはずなのに、知識はあるようで、頭の中が混乱しているのか、ひどい目眩を感じる。
とりあえず、あの仮面の女と、目の前の鉄仮面少女は別人っぽい。
ここは、どこ?
赤城国士官学校学生寮の中の、暁姉上とあたしの相部屋。
あたしは、誰?
名前は、天城朔。
赤城国士官学校二号生。
年齢は、十三歳。
士官学校は、四年制で、最高学年は一号生。
二号生ということは、士官学校に入学して、三年目という計算に。
十歳の時に、幼年学校は卒業したらしいと、知識があたしに訴える。
変だ。
変すぎる。
幼年学校を卒業したり、士官学校に入学したなんて記憶はない!
でも、知識としては、現状を把握しているのよね。
変と変が集まって、もっと変になってる。
変な変な現状は、大変だ!!
「おい、いつまでも、私を無視するな」
でたらめな鉄仮面少女が、当たり前のように話しかけてくる。
滑らかで、柔和な声質で、このように変な状況でなければ、聞き惚れてしまったかもしれない、癒やし声。
いつまでも、おどろいてばかりではなく、落ち着いて話し合うとしましょうか。
「貴女は、何故、全裸であたしの体に馬乗りになっているのかしら?」
現状のあたしは、全裸の鉄仮面少女により、完璧にマウントポジションを取られてしまっている。
マウントポジションさえ取られていなければ、一撃必殺的なグーパンチで撃退すれば良かったものの、この態勢からだと不利すぎるのよねえ。
「何を愚かなことを言っているのだ? お前から誘ってきたんだろう!」
痴女を誘った記憶なんて、ないんですけど。
でも、嘘をついているようには、見えないなあ。
「こんな夜分に、あたしが、貴女に、何をお誘いしたのかしら? そもそも、この部屋はあたしだけじゃなく、暁姉上もいるはずなんですけど」
「……暁殿は、気を遣ってくださり、しばらく部屋から抜け出してくださるそうだ。何も問題はない」
満面の笑みを浮かべながら、サムズアップしてみせる暁姉上の姿を幻視してしまった。
嘘を言っているようには見えないし、暁姉上なら、やりかねない。
だけど、鉄仮面少女は、肝心の質問に答えていない!
「何のために、暁姉上は、部屋から抜け出したのかしら?」
問い詰めると、鉄仮面越しでもわかってしまうくらい、痴女が赤面しているのが伝わってくる。
全身真っ赤になってしまうんだもの。
「……こ……」
「こ?」
「こ、こ、こ、子作りだ! 乙女になんてことを言わせるんだ!」
唸りを上げて迫りくる鉄拳を、あたしは、頭突きで迎撃する。
ちょっと痛いけれど、あたしは、闘気で前頭部を超強化しており、相手も本気ではなかったようで、お互いにダメージは残らない。
つまり、どういうこと?
あたしが、この鉄仮面に対して、夜這いに来るように誘ったとおっしゃるのかしら?
「あたしも乙女なんですけど。乙女同士で、子作りなんて、できるわけないじゃないの」
あたしの反論に対し、鉄仮面少女はひどく憤慨し、
「お前は、男だろう。子供の頃は女だったかもしれないが、成長したいまは、男なんだぞ? 子作りできても、何もおかしくないではないか!」
鉄拳制裁よりも、ひどい心理的ダメージを受けて、涙目になるあたし。
不本意ながら、九歳で、男の子の身体に性転換してしまい、十三歳となったいまでは、自分の身体つきが、かなり男らしくなってしまっているのが実感できてしまい、更に涙目に。
身体はともかく、心は乙女なのよ! と訴えてみたところで、事態が穏便に収束するとは思えないので、出かかった言葉をごくりと飲み込む。
「子作りなんて、どうしたら良いのか、さっぱり分からないし、怖そうだし、今夜は、ここまでということでお願いできないかしら?」
下手に出てみたあたしに対し、鉄仮面少女は、ますます全身を紅潮させ、
「お前という男は! どこまで私を辱めようというのか! 私主導で、子作りしてみせろだなどと、何という破廉恥なことを要求するのか! 繰り返すが私は、乙女なんだぞ!」
「そもそも、何故、そこまで子作りにこだわるのかしら? あたしたち、まだ学生なんですけど」
「何も、問題ない。私が妊娠していても、士官学校は卒業できる」
軍人を養成するために、軍事教練を繰り返す学校を、妊婦が卒業できるはずがないと考えるのは、あくまでも地球の常識であって、この世界では、本当に問題がないのかもしれない。
だからといって、鉄仮面痴女の言いなりになるわけにはいかない。
「それに、子作りなんて、もっとお互いのことを知ってからじゃないと、無理だと思うんですけど。貴女は、何故、鉄仮面で素顔を隠しているのかしら?」
この鉄仮面痴女を士官学校に入学させた大馬鹿者を、あたしの目の前に連れてきてほしい。
動かなくなるまで、タコ殴りにしてやりたい!
「今は、素性を明らかには出来ないし、素顔を見せるのはもっと駄目だ。男なら、女の裸が見られたら、子作りには問題あるまい? それに、名前なら、お前も知っているだろう」
こんな不審人物、誰が入学させたんだよ!
絶対に許さないんだから!
この不審人物が、“謎の鉄仮面・志熊”と名乗っているらしいことを、知識は訴えかけているけれど、どう考えても、それって本名じゃないじゃないの!
「顔が見えないのは、やはりちょっと厳しいかな? 裸さえ見られたら問題なし、と断じてしまうのは、男の子に対する偏見なんじゃないかしら? 男心もきっと繊細だと思うんですけど」
「私は、お前と口論するために、恥を忍んで、夜這いに来たわけではないぞ! さあ、ここを元気にしろ! そして、私を孕ませろ!」
鉄仮面痴女は、あたしの言い分を遮って、ぽんぽんとあたしの下腹部を。
具体的には、象さんがあるあたりを叩いてきて、ちょっと痛いんですけど。
ピンチ!
あたし、大ピンチ!
「叩かれても、そこが、元気になったりはしませんよ?」
「その気がないのに、私を誘うとは、どういうことだ?! 私を愚弄しているのか?!」
ちょっと空気が、やばい感じになってきたような気がする。
鉄仮面痴女は、剣呑な目つきで、あたしをガン見している。
これ以上、話し合いは無理そうだ。
不利を承知で、ガチのステゴロを始めるしかないのか?
そんなことやらかして、士官学校を退学させられたら嫌だけれど、貞操とは引き換えには出来ない。
不意に、ガチャリと音がして、誰かが、この部屋に入ってくる気配が。
学生寮は、床は木製の板張り、出入り口は鍵付きの開き戸と、建築様式がちょっとお城やお屋敷とは違うのよね。
「あらあら、お邪魔してしまったかしら? そろそろ頃合いかと思って、帰ってきてしまったのだけれど」
暁姉上が帰ってきてくれた!
助かった!
超助かった!
助かったんですよね?
興味津々といった様子で、あたしを覗き込む暁姉上の姿を見て、だんだん不安になってきたんですけど。
大変おまたせしました。
新章スタートです。




