第十六話 眼鏡とブラコン
「鳥海さんが書く字って、すっごく綺麗だよね。あたしも、書道は頑張ってるつもりなんだけどなあ」
「あ、ありがとうございます。天城さん。そんなに褒められるほどのものじゃないのよ」
あたしの賛辞に、鳥海さんは、顔を赤らめて、『至誠』と書かれた紙を隠してしまう。
今は、書道の授業中。
異世界では、五歳でもかなり難しい漢字で、お習字するみたいです。
彼女の名前は、鳥海凪。
鳥海家は、赤城国の中でも有数の武家で、彼女は跡取り娘。
泣きぼくろが印象的な眼鏡っ子。
眼鏡はこの世界では高級品なんだけど、鳥海家なら問題なく買えるみたいね。
「ちょっと! そこのドロボウ猫! なに、気安く凪さまに声をかけてるのよ! 授業中なんだから、静かにしなさいよ!」
授業中に「静かにしろ」って言う子が一番やかましいのは、異世界でも同じで。
このきゃんきゃんとうるさい娘は、秋月紅葉。
葵君の双子の妹で、【月の女神】に仕える巫女。
太い眉毛がチャームポイント?
穏やかな性格の葵君とは違い、彼女は好戦的だ。
巫女王の有力候補の一人なんだとか。
「も、紅葉……。大声を出したら、かえって目立っちゃうよ」
鳥海さんは、恥ずかしがり屋さんで、注目されると緊張してしまうらしい。
武家の跡取りとしては、ちょっと気が小さすぎるのが、可哀想だなあ。
鳥海家は、評定衆に名を連ねる重臣だったんだけど、彼女のおじい様が失脚してしまい、抜けた穴は愛宕家が埋めてしまった。
「ちょっと、ドロボウ猫! あんたのせいで、凪さまからおしかりを受けてしまったじゃない!」
人間とは薄情なもので。
落ち目の家より、イケイケになった家とお付き合いしたいと考える人達も多くて。
鳥海派から、かなりの人数が愛宕派に流れてしまったとか。
今でも鳥海派に残っている人たちは、その分結束力が高いみたい。
鳥海さん、男の子から見ると守ってあげたくなる雰囲気だそうだし、それがいい! という人たちはぶれないでしょうね。
……鳥海さんのことは、まだよく知らないので、彼女は猫を被ってるだけなのかもしれないけれど。
「ちょっと、ドロボウ猫! あたしの話を聞いてるの!」
繊細で押しに弱い鳥海さんに代わり、幼年学校における鳥海派を支えているのが、このやかましい紅葉ちゃん。
あたしが、彼女のお兄ちゃんである葵くんと親しくしているのも、気に入らないみたい。
心配しなくても、五歳児にちょっかいを出すほど、あたしは飢えていませんよ。
光源氏みたいに、幼い子供を自分の好みに育てるなんて、キモイ事はする気はありません。
「秋月くん、天城くん。他の生徒の邪魔をするなら、廊下に立ってなさい」
何時の間に近づいてきた、書道の先生に怒られてしまった!
「先生、あたしは秋月さんのように騒いでいませんでしたよ」
「きっかけを作ったのは君だろう。連帯責任だ。速やかに廊下に行きたまえ」
「あ、あの。私が悪かったんです。ごめんなさい。あたしが廊下に出ますから、二人の事はお許しください。」
鳥海さんがあたしたちを庇って先生に謝るけど、この先生は何時もあたしと秋月さんを狙い撃ちにするのよねえ。
鳥海さんの謝罪を無視して、先生はアゴをしゃくり、あたしと秋月さんに叱責目線を飛ばす。
うがー!
なんて、理不尽な!
秋月さんのおかげで、またとばっちりを受けてしまった!
秋月さんが、スゴイ目つきであたしを睨んでから、スタスタと廊下に向かうので、あたしも廊下に出るか。
……秋月さんに関わって、こうして何度も廊下に立たされたことか!
「懲りないドロボウ猫ね! あんたのせいで、私まで廊下行きになっちゃったじゃない!」
教室の中に聞こえないように、小さな声であたしに文句をたれる秋月さん。
彼女にはめちゃくちゃ嫌われているみたいで、ゴミを見るような目で睨みつけてくる。
「あたしには、天城朔って名前があるんだから、ドロボウ猫は止めて欲しいなあ」
「うちの神社に金貨を三千枚も寄進するなんて! 五歳でそんな大金を持ってるなんて、ドロボウしたんでしょ!」
綺麗にお手入れされた太い眉を吊り上げて、更にヒートアップする秋月さん。
金貨一枚が、日本円にしてだいたい十万円。
三千枚だと、三億円相当になるわね。
暁姉上が、さらにあたしの貯金を倍にしてしまったので、怖くなったあたしは、月の女神さまの神社に貯金の半分を寄進したのだ。
「ドロボウなんてしないわよ。月の女神さまのご加護で、予想外の大金を手にしてしまったから、感謝の気持ちをこめて、寄進しただけよ」
「私を買収して、凪さまと、葵お兄ちゃんを横取りしようって魂胆なんでしょ! 皆、あんたに騙されてるけど! あたしの目は誤魔化せないわよ!」
秋月さんは、何故かあたしに対してだけ、理不尽に当たり散らすのよね。
……鳥海派の幹部にして、将来の巫女王候補に恩を売っておきましょうと言ったのは、暁姉上なんだけどなあ。
「ちょっと! なに黙り込んでるのよ! まさか、葵お兄ちゃんにイヤらしい事でもしたんじゃないでしょうね! そんなの絶対に許さないわよ!」
興奮して鼻血をダラダラと垂らす秋月さんの顔を手拭いで拭いてあげると、「あ、ありがと」と礼を言いながら、そっぽを向いて自分の手拭いで鼻元を拭きはじめる
「きっと、葵お兄ちゃんだけでなく、凪さまも狙ってるに違いないわ! あんたなんかに、二人を絶対に渡したりしないんだから!」
せっかく鼻血をキレイにしたのに、興奮しすぎたのか、ブバッとスゴイ勢いで鼻血を噴き出す秋月さん。
「秋月さん。そんなに興奮しすぎると、鼻血が酷くなって貧血になってしまうわよ」
「あんたなんかに心配されると、かえって気分が悪くなるのよ! 余計な事は言わないでちょうだい!」
ここまで邪険にされても、あたしが秋月さんを嫌いになれない理由がある。
巫女王を目指したいなら、落ち目の鳥海家より有力な後援者を探した方が良い。
生臭い話になるけど、宗教の世界でも上を目指したいなら、政治的な力が動くみたいで。
神通力では、あたしにはちょっとだけ及ばない秋月さんは、それでも五歳としては破格の神通力を持っており、他の派閥からの取り込み工作もあると、暁姉上から聞いている。
それでも、幼馴染の鳥海さんから離れようとしない、彼女の義理堅さをあたしは評価しているのだ。
出来れば、彼女とも友達になりたいんだけどなあ。
もしかしたら、ひょっとすると、未来では彼女が義妹になる可能性もゼロじゃないんだし。
今のところ、同世代で親しくしてる扶桑人の男の子って、陽月さまと葵くんぐらいしかいないわけで。
授業が終わり、鳥海さんと葵くんが宥めに来るまで、秋月さんはキャンキャンとあたしに吠えつづけた。
秋月さんって、葵君にはデレデレなのよね。
「あ、お兄ちゃん。これは、その。ご、ごめんなさい」
あたしへの勢いなどどこに行ってしまったのか。
葵君の前では赤い顔でしろどもどろになっちゃって。
ブラコンを拗らせてるみたいだし、葵君の彼女になる女の子は大変だなあ。