第八話 天城越え
三歳になりました。
この世界では、一歳の次は十歳、以降、十年区切りの誕生日だけをお祝いするようです。
一歳の誕生日は寝込んでしまったので、あたしはお祝いしてもらえるのは、七年も先になってしまいました。
また口調が、おかしいと思われますか?
陽月様の御側役となる事が内定しているため、まだ三歳なのに、みっちりと礼儀作法を仕込まれております。
お陰様で頭がパンクしそうです。
あれ以来、ひたすら歩き方について、自分なりに創意工夫しながら練習しました。
歩き方は、それ一つが武術の奥義なのです。
しかし、普通に歩く事は出来るようにはなりましたが、前世との膝関節の違いから、思うような歩き方は出来ません。
前世のあたしは、肩をゆらさず、体軸を真っ直ぐに歩くことが出来るように何度も何度も、基礎鍛錬をくり返しました。
本格的な修行はともかく、この世界の武道家としての歩き方を早く知りたいです。
そこで、母上達に武道の教えを乞いましたが、三歳ではまだ早いよね、とお預けです。
それよりも、礼儀作法を身につけなさいと、ごもっともなご指摘を受けました。
あたしは学校では剣道部でしたが、実際に修行していたのは、高雄流武術と言う古武道です。
中世日本に存在した武器は、全てそれなりに使いこなす事が求められる、欲張りな流派です。
何故、全ての武器を知らないといけないのか、合理的な理由があります。
自分が扱い方を知らない武器による攻撃を、初見で見切る事が出来ますか?
手加減するのも難しいですよね?
殺す技を覚える以上は、手加減したり癒す技も覚えなければならないのです。
未熟者のあたしには出来ませんが、おじい様達は患部を手でもみほぐすだけで、色々治してしまいます。
前世の泉かあさんは、剣術では高雄流最強でしたが、総合力では、お爺様達には及びませんでした。
ちなみに、あたしは剣術より柔術の方が得意でした。
柔術の当身は急所に突きや蹴りを叩きこみ、関節技は決まれば簡単にヤバいとこを外せます。
スポーツになってしまった柔道と違い、戦国武将は剣術で勝負が決まらなかった時は、相手に組み付いて挌闘戦を行ったのです。
鎧を手で殴るのは非効率的なので、鎧の隙間を突き刺したり、関節技を決めたりしていたようです。
柔術は戦場以外の場でも必要でした。
例えば、お殿様と側近の話し合いは茶室で行われたので、刀を持った侵入者を素手で撃退したり、茶杓で殴りつけたりとなんでもありでした。
ちなみに、あたしの本気の【握手】は、アイドルの握手会なんて目じゃないぐらいの忘れられない思い出になるように術理を磨きました。
武道家は喧嘩はしませんから、実際に試シタコトハアリマセンヨ。
ホントウデス。
ウソジャアリマセン。
さて、剣道は、防具で守られた決められた部位を叩くスポーツですが、古武道は、どのようなやり方で、どこを切っても突いても自由自在の殺しの技です。
高雄流には、わざと転んで、相手が近づいてきたら、下からブスリとか、小手は手首ではなく、親指の根元を狙ったりします。
親指を切られてしまったら、刀を取り落してしまいますよね?
返す刃で、相手の頸動脈をぶった切ってしまいます。
スポーツじゃない武術は、一撃目で殺すか無力化し、二撃目で必ず止めを刺します。
そんな物騒なシロモノなので、古武道の修行は、基本的には『型』の稽古を延々と繰り返します。
剣術の打ち合いは、素肌に木刀でした。
痛くないと、覚えられないそうです。
マジ痛かったです。
竹刀と防具は、剣道部でしか使った事がありません。
生かさぬよう、殺さぬよう、前世の家族からは大変可愛がっていただきました。
剣術の稽古では、木刀だけでなく、真剣を振るう事もあります。
うちあわない『型』であれば、真剣でも安心ですよね?
他の流派はそうみたいですが、中学一年生からは、泉かあさんは、「絶対に怪我をさせないから安心なさい」と、木刀のあたし相手に真剣を振るう事がありました。
もちろん、真剣ですから寸止めです。
泉かあさんとのの真剣での立合で、あたしは掠り傷一つ受けた事はありませんでした。
こんな事ばかりに精を出してたら、恋愛なんて縁遠かったのでしょうね。
恋愛的にはダメだとはわかりつつも、武道家としての生き方は変えられそうにありません。
幸い、この世界は武術を身につけて当たり前のようですので、同じように高みを目指せる男の子とお近づきになりたいです。
さて、なぜあたしが長々と回想をしているのでしょうか?
周りのお子様たちが、みんな寝てしまったので、ぶっちゃけヒマなのです。
あたしたち一家は、一週間の間、天城の家に里帰りする事が許されました。
子供たちは、四人の駕籠者が担いだ、大きな駕籠で運ばれています。
時代劇で、ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか?
しかし、ここは異世界。
駕籠者たちは、先住の民である狼獣人です。
犬耳に尻尾などと言う中途半端な姿ではなく、この世界の獣人は直立二足歩行する獣の姿をしています。
日向博士は、「ケモナーの愛が試されるにゃー」などと、おバカな事をほざいてます。
獣人族の中でも、膂力、持久力、速力に優れた狼獣人が駕籠者の仕事を独占してるとか。
体感速度では、自転車以上自動車未満のスピードが出ていそうです。
しかも、駕籠が殆ど揺れないのです。
足場の悪い場所も走っているはずなのに、凄いですよね。
暁姉上とあたしの姉妹だけでなく、五十鈴ちゃんも一緒に駕籠の中です。
大人たちは自分の馬に乗り、駕籠に並走しております。
この世界で馬と呼ばれる生き物は、地球の馬とは、ぜんぜん違います。
熊のように雑食なのです。
騎馬戦では、お互いの愛馬が噛みつき合うほど、荒々しい性格だとか。
爆発音にも動じない度胸もあるそうです。
地球の馬よりも、戦闘には向いてそうですね。
「朔、起きなさい。よだれがたれているわよ」
ゆさゆさと揺すぶられて、目を開けると、暁姉上が、手拭いであたしの口元をぬぐってくれている。
あれ? あたしも寝ちゃったんだ。
寝たら緊張がとれました。
……礼儀作法のあれこれは、かなりストレスになってたみたいね。
「朔ちゃんの寝顔、面白かったよ。寝てるはずなのに、百面相してるんだもの」
コロコロと笑う五十鈴ちゃん。
自分の寝顔なんて見たことないけれど、そんなに変な顔してるのかしら?
あたしが一番寝るのが遅かった分、起きるのも最後だったんだ。
「姉上、ありがとうございます。もう天城城に到着したのですか?」
あたしの問いに、暁姉上は、あたしの髪を手櫛で整えてくれながら。
「いいえ、まだよ。天城峠まで辿り着いたから、ここで休憩するそうよ。さあ、駕籠から出ましょう」
と、その時、駕籠の引き戸が開かれた。
「失礼いたします。茶屋の縁台が空きましたので、どうぞこちらへ」
跪いて、あたし達を迎える狩衣姿の男性武士。
紺色の髪は短く刈り上げられ、浅黒い肌がワイルドな雰囲気のイケメンなのよね。
母上たちの腹心で、万二郎伊吹という名前らしい。
彼の歩き方一つ見ても、他の武士達よりも手練れだという事がわかる。
体軸がぶれない歩き方って難しいのよね。
伊吹に手助けされながら、暁姉上、あたし、五十鈴ちゃんの順に駕籠から降りる。
母上たちの前に、武士達が整列する。
「皆の者、ご苦労であった。この茶屋で二時間休憩とする。思うが儘、喉の渇きと腹の飢えを満たせ」
武士と駕籠者達が歓声を上げる中、伊吹だけは直立不動。
彼は堅物なのよねえ。
泉母上は、凛とした表情を崩し、悪戯っぽく微笑む。
「ただし、調子に乗って腹を壊したりしないようにな。日向先生の治療費は色々な意味で痛いぞ? では、解散!」
部下たちを見送ると、泉母上が、あたしたちに歩み寄り目線に合わせるように屈みこむ。
「長い間、駕籠の中で揺られていたけれど、大丈夫? 気分はどうかしら?」
「駕籠者達が、揺らさぬよう留意してくれたようです。朔と五十鈴の様子にも異常はございません」
お子様たちを代表して、暁姉上が答えてくれるのはいいんだけど。
五歳児がここまでハキハキと話すのを見るのは、まだ慣れないなあ。
「泉さま、道中に父上がご迷惑をおかけしませんでしたか? 我が父ながら、礼儀と言うものを知らず、汗顔の至りです」
小難しい言葉遣いをしながら、泉母上に頭を下げる五十鈴ちゃん。
……この世界では随分苦労したみたいね。
前世では、もっとざっくばらんな子だったんだけどなあ。
「五十鈴ちゃんは真面目だねえ。日向先生ぐらい、肩の力を抜いてもいいんだよ。君は私たちの部下ではないし、そもそもまだ子供だ。さあ、立ち話もなんだから、私達も縁台に行こう」
響母上に先導されて、あらかじめ空けておいてもらったらしい縁台に並んで座る。
ちなみに、日向博士は、さっさと一人で飲み食いを始めている。
あのおっさんは前世から協調性が無かったのよねえ。
まあ、あれは放っておこう。
時代劇では、こんなお茶屋でお団子を食べたりしてたわよね。
いいなあ、絶景を眺めながら、お茶にお団子!
この世界のお団子はまだ食べた事が無いから凄く楽しみ!
「適当に注文しておいたから、自分が食べられそうなものを選んで食べると良いよ。君たちが食べなかった分は部下が食べるだろうから」
やっぱり、響母上は、響かあさんとは別人なんだ。
食べ物にこだわらない響かあさんなんて、あり得ないもの。
「飲み物は冷たいお茶を注文しておいたわ。ここのお茶は、ほんのり甘くて美味しいのよ」
部下たちの前ではないためか、泉は、やわらかな微笑みを浮かべている。
公私の切り替えがしっかりしてるのね。
さほどの間もなく、看板娘らしい、そばかすが可愛い少女が、お盆に湯呑とお皿を載せてやってくる。
「お待たせいたしました。あまぎ餅と、あまぎ団子、あまぎまんじゅうをお持ちしました」
お菓子はどれも、澄み切った青空のような水色をしてるんですけど。
餅や団子と名前は似ていても、材料は全く日本のそれとは違うみたいね。
「ありがとう。お盆は受け取っておくから、私に貰えるかな?」
かしこまりました、と少女は響母上にお盆を渡してから一礼して立ち去っていく。
「さあ、好きな物をお食べ。お茶は残念ながら全部一緒だよ」
笑顔で響母上が促してくれるけど、お茶も水色なのね。
暁姉上はあたしの分の湯呑も持ってくれる。
こーゆうところは、やっぱりお姉ちゃんなんだなあ。
「私は、朔と五十鈴が選んだ後に、残った物を頂戴いたします。どれも美味しそうなので、自分では選べそうにないのです」
などと言ってくれてるけど、きっとあたし達に気を遣ってくれてるのよね。
気遣いが出来る五歳児って凄いなあ。
「暁さま、ありがとうございます。では遠慮なく、私はあまぎ餅を頂戴いたします」
五十鈴ちゃんは草餅に形が似た餅を選んだようね。
色は水色だけど。
「では、私はあまぎ団子を頂きます。暁姉上は、あまぎまんじゅうでよろしいですか?」
どれでも構わないわ、と暁姉上が言ってくれるので、あたしは団子を受け取る。
色のことは忘れて、ぱくっと食べてみると、日本の団子とはかなり食感が違う。
なんて言えばいいのかしら?
もちもちとした歯ごたえなんだけど。
程よい甘さだけど、この甘さもなんと表現したらいいのかわからない。
あたしには、食レポは無理みたいね。
子供達が食べ始めるのを確認してから、母上たちもお菓子に手を伸ばす。
部下だけでなく、子供達にも気を遣わないといけない、働くおかあさんって大変だわ。
「このおまんじゅうのアンコ、甘酸っぱくて面白い!」
五十鈴ちゃんが歓声を上げるので、彼女の手元を見てみる。
……アンコっぽいのもの確かに入ってるけれど、やっぱり水色なんだ。
あたしの視線に気が付いたのか、五十鈴ちゃんが一口どう? と、まんじゅうをちぎって分けてくれる。
ぱくっと。
食感は確かに、こしあんっぽいのだけれど甘酸っぱくて不思議な味だなあ。
甘いものばかり食べて喉が渇いたので、湯呑のお茶も口にしてみる。
ほんのりと甘いけど、なんて表現したらいいのかしら?
喉ごしすっきり?
ビールの宣伝みたいだけど、飲み込んだときに清涼感を感じさせる不思議なお茶。
家族たちは職務から解放された為か、リラックスした良い表情をしている。
考えてみたら、家族揃ってのんびりした事って無かったような気がするなあ。
この峠を越えたら天城城まで残りわずかだとか。
まだあたしが顔を合わせた事が無い親族が待っている。
どんな人達がいるのかしら?
泉母上が部下に号令をかけるまでの間、あたしは甘味と峠の景色をまったりと楽しんだ。