第三十九話:初調合、機能の再定義
第三十九話:初調合、機能の再定義
夜の静寂に、植物の繊維を断つ地味な音が延々と響く。
焚き火の横で、サキモリは網膜に投影された無機質なウィンドウを凝視していた。
【レシピ:下級回復薬】
【予測品質:劣悪(有効成分の抽出不全)】
サキモリは、手に入れたばかりの「調合」スキルを発動させた。
このスキル自体は、この世界の薬師なら誰でも持つありふれたものだ。
魔力消費もごく僅かだが、サキモリの二十年に及ぶ軍歴が、その「凡庸なスキル」の運用を許さなかった。
「……一回目。抽出開始」
掌の上のハーブに魔力を通す。
ボフッ、と情けない音と共に、瓶の中に溜まったのは泥水のような液体だ。
サキモリはそれを無造作に捨て、すぐに次の素材を手にする。
一〇回、二〇回……。
サキモリは、システムが提示する「成功率」の僅かな変動を逃さず、指先の熱量、魔力の浸透速度、素材を刻む角度をミリ単位で修正し続けた。
「……三十二回目。成分『アルカロイド』が過多。中和のため、あえて毒性のある『シバ草』の根を微量追加」
深夜。
焚き火の薪をくべ直していたアリサが、眠気を堪えながら眉をひそめる。
「サキモリ、まだやっているのか……? 毒を入れるなんて、それはもう薬ではないだろう」
「……劇薬も薄めれば薬、逆もまた然り。成分表のバランスが崩れているなら、不足している要素を持つ別の素材で相殺する。……それが、管理の基本です」
シュルシュル、パチパチ。
サキモリの手は止まらない。
一〇〇回を超える試行錯誤。
時間が経つにつれ、サキモリ自身の魔力も限界に近づいていく。
思考が鈍るのを感じた彼は、隣で丸まって眠っていたルミナの肩を、無表情に叩いた。
「ルミナ先生。魔力の補給をお願いします」
「……ん、えっ……あ、もう、おじさん……今、何時だと思って……」
寝ぼけ眼のルミナが、サキモリの手を力なく握る。
彼女から僅かな魔力がサキモリへ流れ込み、ガス欠寸前だった彼の脳が再び加速する。
「……ありがとう。おやすみなさい」
「……うん、適当に……してね……ふぁ……」
ルミナはそのまま、吸い込まれるように再び夢の中へ戻っていった。
夜が白み始める頃。
延々と繰り返された「素材の追加と改良」の果てに、ウィンドウの文字がようやく変化した。
【レシピツリー更新:下級 → 中級回復薬(サキモリ仕様)】
【品質:一級(外科手術不要の再生能力)】
「……基準値に達しました」
サキモリが掲げた小瓶の中には、夜明けの光を吸い込んだような、透明度の高い琥珀色の液体が揺れていた。
特別な魔法はない。
ただの初級スキルを、妥協という概念を捨てて一晩中使い続けた結果、システムが想定する「凡庸な薬」の枠を超え、深い裂傷すら瞬時に塞ぐ「一級品」へと至ったのだ。
「……おい、まさか本当にやり遂げたのか」
完全に目が覚めたアリサが、宝石のように輝く瓶を見て息を呑む。
「ただの野草から、これほどの精良な薬を……。一体、何度繰り返したんだ」
「……数えていません。ですが、この性能ならアリサ殿の腕のヒビ程度なら、かけるだけで治療可能です」
サキモリは淡々と答え、その「一級品」の性能を最終確認すべく、無造作に腰のナイフを抜き放った。
そして、当然の義務を果たすかのように、自分の左腕を迷いなく切り裂こうとした。
「――っ! 何を、馬鹿な真似を!!」
ガシャンッ! と激しい衝撃。
アリサが全力の体当たりでサキモリを押し倒し、ナイフを石畳に叩き落とした。
「……何をするのです、アリサ殿。性能試験を妨害しないでください」
「妨害なものか! 自分の体を傷つけて試すなんて、そんな狂った確認方法があるか!」
押し倒されたまま、サキモリは至極真面目な顔で反論した。
「……自身の肉体なら、再生速度や痛覚の推移を数値化してフィードバックできる。最も合理的です」
「合理的でも何でもないわよ! アンタはアタシたちに『管理権』を預けた私たちの大切な兵士なの! 備品(自分)を勝手に損壊させるなんて、最高の規律違反よ!」
騒ぎで起きたルミナも加勢して怒鳴り、サキモリはやれやれとナイフを収めた。
「……了解しました。規律違反と言われては、強行できませんね。試験は実戦まで保留します」
サキモリは静かに立ち上がり、泥を払った。
その手には、泥臭い努力の末にレシピを確立した「中級ポーション」。
彼のログには、ようやく「熟練度:1/100」の文字。
「……夜が明けましたね。出発しましょう。ルミナ先生が仰っていた、凶作に苦しむ近郊の村へ。この調合技術の『汎用性』を試す、良い試験場になるはずです」
一人の男の「妥協しない」という狂気が、ただの薬草を奇跡の端緒に変えた。
不沈の軍人は、朝日を背に、救済という名のロジスティクスを開始する。
第三十九話:完




