第三話:物量の再定義――「不沈」の防壁と人力の砲撃
「では、行って参ります。エドワード陛下、プリシラ様。……皆様は、お茶でも飲んで待っていてください。すぐには終わりませんが、必ず終わらせますから」
サキモリは、血の滲む軍服を整え、背後を振り返ることなく歩き出した。
彼が口にする「終わらせる」という言葉には、悲壮感も虚勢もない。
それは、長年使い古した道具を整備し、日課の作業に向かう職人のような、淡々とした響きを持っていた。
1.絶望の布陣、静寂の観測
城壁の上。
エドワード陛下とプリシラは、震える足で外の光景を覗き込んだ。
そこに広がるのは、アルタ王国の滅亡を決定づける「黒い海」――数万規模の「餓狼族」だ。
「終わった……。やはり、たった一人で何ができるというのだ……」
エドワードが絶望を吐き捨てた、その時。
城壁の先端、最も敵に近い場所にサキモリが立った。
彼は、手にした数本の槍を無造作に足元へ突き刺すと、深く、重い呼吸を一つ吐いた。
(観測終了。敵軍、推定二万。空域、クリア。後方からの支援砲撃、なし)
サキモリは、眼下の光景を見つめ、不思議そうに眉を寄せた。
二十年間、彼が守り抜いた島は、一秒ごとに地形が変わり、鉄の雨が降り注ぐ、生存確率がコンマ数パーセントの地獄だった。
それに比べれば、眼下の軍勢は、あまりにも「静か」だった。
「空から火が降らない。地面も揺れない。……驚くほど、御しやすい場所だ」
彼の独白を聞いた騎士が、正気を疑うような目をした。
「何を言っている! 数万だぞ! あれだけの魔物の群れに囲まれて、静かだと!?」
「ええ。弾幕も爆撃もない戦場は、私にとっては演習場のようなものです」
サキモリは、穏やかな口調でそう言うと、足元の一本の槍を掴み上げた。
2.人力の砲撃、損耗の「投資」
サキモリが、大きく右足を踏み込んだ。
「ミ、ギ……」
城壁の石材が、彼の踏み込みの圧に耐えきれず粉砕される。
「……ッ!」
サキモリの全身の筋肉が、鋼のワイヤーのように膨れ上がる。
だが、彼は決して自壊しない。
筋肉が裂ける寸前、彼はあえて関節をわずかに逃がし、衝撃を骨から全身の肉へと分散させる。
彼にとって、負傷は「失敗」ではない。
「継続戦闘を完遂するための投資」だ。
(右肩、過負荷。だが関節の潤滑に問題なし。足場をあえて砕き、反動を地面へ逃がす。……よし、まだ撃てる)
サキモリは、自らの肉体を「砲床」へと作り変える。
普通なら肩が抜け、足の骨が砕けるような衝撃を、彼は20年で培った「壊れないための立ち回り」で制御し、その全エネルギーを槍の穂先へと集中させた。
「――挨拶(掃射)です。失礼」
放たれた槍は、音の壁を物理的に突破した。
「ゴォォォォォン!!」
大気を引き裂く衝撃波が城壁の上の人々をなぎ倒す。
放たれた槍は、かつて彼が対峙した爆撃機を大破させるほどに磨き上げられた「人力の徹甲弾」だ。
一直線に空を切り裂いた槍は、餓狼族の密集陣形の中央へと突き刺さった。
瞬間、魔物の群れの中に「赤い通り道」が生まれた。
槍が通過した直線上にある全てのものが、肉も骨も、魔力の壁も、等しく等価値のゴミとしてなぎ払われ、後方数百メートルに渡って魔物の軍勢を一列丸ごと「消去」された。
3.生涯現役の理屈
サキモリは、止まらない。
一本目の槍が着弾する前に、二本目、三本目を既に手に取っている。
「九十九対一。……一万対一に比べれば、計算が容易ですね」
サキモリにとって、数千、数万という数字は「絶望」を意味しない。
それは単なる「作業時間」の単位だ。
彼は、決して無理はしない。だが、決して休みもしない。
一本放つたびに、彼の腕からは血が噴き出す。
だが、彼はその「傷」すら、次の投擲の際に腕を滑らせないための滑り止めとして利用する。
「……勇者様! 身体がボロボロです! お願い、もう止めて!」
プリシラが、サキモリの裂けた背中を見て泣き叫ぶ。
しかし、サキモリは、その視線さえ「構造」の一部として処理した。
「……お優しいのですね、プリシラ様」
彼は、次の槍を構えたまま、穏やかに答えた。
「ですが、ご安心ください。私は一生涯、防人として生きると決めております。これしきの傷で倒れては、この先、何十年と続く『国防』の務めを果たせませんから」
彼にとって、無傷で戦うことなど、二十年前の最初の五分で捨て去った幻想だ。
彼にとって、この戦いは一回限りの特攻ではない。
これから先、死ぬまで続く「日常業務」の初日に過ぎない。
そのあまりに歪んだ精神構造に、エドワードは恐怖すら感じた。
この男は、自分を「人間」として愛していない。
ただ、「皆様(国民)」を永劫に守り続けるという、最も重い責任を果たすために、最も効率的な「兵器」として自己を定義しているのだ。
4.静かな戦場の終わり
十数回の「砲撃」が止んだ時、城壁の下に広がっていた「黒い海」は、無数の血の溝によって細切れに分断されていた。
サキモリは、最後の一本の槍を杖代わりに、ゆっくりと立ち上がった。
全身から湯気が立ち上り、傷口からは絶え間なく血が流れている。
だが、彼の呼吸は驚くほど一定で、瞳の奥の光は全く衰えていない。
(戦況、安定。……次の配置へ移行)
「エドワード陛下」
サキモリが、穏やかに王を呼ぶ。
「は、はい……」
「……少しばかり、道具(槍)を使い潰しすぎました。補充していただけますか? 私は生涯、この持ち場を離れるつもりはありません。そのためには、もう少し『数』が必要です」
彼は、自分の負傷を治療することより先に、次の任務を完遂するための「リソース」を要求した。
その物腰柔らかな、しかし「死」という概念から最も遠い場所にいる、不沈の怪物。
エドワードは、自分が何を召喚してしまったのかを、ようやく真に理解した。
自分たちが呼び出したのは、地獄を生き抜くことを「義務」に変え、慈愛を「国防」という名の持続可能なシステムとして定義してしまった、この世界で最も長く、最も堅牢な『防人』だったのだ。
「……あぁ、すぐに。国中の槍を、貴公の『生涯』のために捧げよう」
「助かります。……お茶が冷める前に、外の清掃を終わらせてきますね」
サキモリは、そう言って軽く軍帽の縁に手を触れると、再び、一人の欠落も許さない戦場へと跳んだ。
異世界の住人たちが、一生かかっても理解できない「不屈の蹂躙」は、まだ始まったばかりだった。




