第二十八話:『境界の記録』と管理人の叱咤
第二十八話:『境界の記録』と管理人の叱咤
1.臨界点
「アイギスの盾」が、悲鳴を上げていた。
百人の騎士たちが一糸乱れぬ構えで衝撃を逃がし続けているが、ドッペルゲンガー――黒き空母から放たれる火力は、それを嘲笑うかのように増大していく。
艦載機が急降下爆撃を繰り返し、艦側面のミサイルランチャーが一斉に火を噴く。
爆圧の連鎖が盾の光を削り、騎士たちの膝がわずかに屈んだ。
「……限界値、突破。構造の維持は、あと百二十秒が限度と推定します」
サキモリは、手にしていた灰色の槍を強く握りしめた。
その槍が、突如として脈動を始めた。灰色の塗装が剥げ落ち、下から現れたのは、星を封じ込めたような深淵の黒。そして、槍の内部から、感情を一切排した冷酷な電子音のような声が響き渡った。
『――認証成功。聖遺物「境界の記録」、機能制限を全解除。……所有者の情動・記憶情報を燃料スロットへ装填してください。代償に応じた魔力増幅を開始します』
サキモリの脳裏に、この槍の「真実」が流れ込んでくる。
それは神話の時代、かつての勇者が振るったとされる呪われた遺物。所有者が積み重ねてきた人生の断片――大切な記憶、燃えるような感情を「薪」として炉にくべ、その質量に比例した圧倒的な破壊エネルギーを生み出す、文字通りの消耗兵器。
「……なるほど。これが、この槍の本来の運用法ですか」
サキモリの瞳に、機械的な冷徹さが戻る。
サキモリは、自分の内側にある「資材」を計算した。
この世界に来てから得た、ルミナとの口喧嘩の記憶。
エレンと過ごした平穏な時間。
アリサたちを鍛えた日々の記録。
これらすべてを燃焼させれば、あの黒き空母を塵にするだけの出力は得られる。
「……生存率を最大化するための、唯一の選択です」
サキモリが槍の柄に手をかけ、自らの記憶を供給スロットへと導こうとした、その瞬間。
2.管理人の「拒絶」
――乾いた音が、戦場に響いた。
「っ……!」
サキモリの頬に、鋭い熱が走る。
叩いたのは、ルミナだった。その手は震えており、翡翠色の瞳には、今にも零れ落ちそうな涙と、それを塗り潰すほどの激しい怒りが宿っていた。
「……あんた、今何をしようとした? どんな『効率的な計算』をしたのか、言いなさいよ!」
「ルミナ先生。……槍の出力が不足しています。私の記憶を燃料に転換すれば、標的の完全沈黙が可能と判断しました。記憶が失われても、私が生き残り、防衛対象が存続すれば、それは勝利であり――」
「バカ言ってんじゃないわよ!!」
ルミナの怒号が、爆音さえもかき消した。
彼女はサキモリの胸ぐらを掴み、その顔を至近距離まで引き寄せる。
「あんたの記憶を燃やして勝ったって、私らの中にしかあんたが残らないなら、それは負けなのよ! 守られたって、あんたが私たちのことを忘れて『空っぽの機械』に戻ったら、そんなの世界が滅びるより最悪よ!」
「ですが、現実的な魔力供給源が他に存在しません。騎士たちの余力は皆無です」
「……わたくしたちを、お忘れですか?」
静かな、だが確固たる意志を秘めた声。
エレンが、サキモリの背後に立ち、その肩に手を置いた。彼女の瞳には、一切の迷いがない。
「サキモリ様。貴殿は仰いましたね。わたくしたちを信頼して一歩も出るなと。ならば、わたくしたちも貴殿を信頼し、すべてを預けますわ」
「……サキモリ殿」
アリサもまた、盾の列から離れ、サキモリの元へ歩み寄った。
「貴殿が遺してくれたこの『盾』は、仲間と重みを分かち合うためのもの。ならば、その『矛』もまた、そうでなければならない」
3.理論外の魔力同期
「……三人の全魔力を、私を介して槍へ直結する、というのですか。それは、人体の魔力バイパス能力を超越しています。私やあなたたちの肉体が内部から崩壊する恐れが……」
「あんたは『不沈』なんでしょ! 壊れた端から再生して、意地でも耐えなさいよ!」
ルミナがサキモリの右手を。
エレンがサキモリの左手を。
アリサがサキモリの背中を。
三人が同時に、サキモリへと触れた。
英雄と呼ばれるに相応しい潜在能力を持つ三人分の、純粋で膨大な全魔力が、サキモリという「回路」を目指して一気に流れ込む。
『――警告。外部より過剰な魔力流入を確認。……燃料を情動から「生体接続された信頼タスクに該当する純粋な魔力」へと変更します。……理論外の燃焼プロセスを開始。魔力出力、計測限界を突破』
サキモリの視界が、白く染まる。
肉体が、血管が、細胞が、あまりの熱量に悲鳴を上げる。
だが、壊れるそばから、三人の「共に生きたい」という意志を帯びた魔力が、サキモリの肉体を無理やり繋ぎ止めていた。
サキモリの記憶を燃やす以上の、圧倒的なエネルギー。
それは、孤独なシステムが導き出した「自己犠牲」という計算式を、三人の絆という「不条理な熱」が完全に塗り潰した瞬間だった。
4.境界の再起動
「……攻撃手段の判定、修正」
サキモリの喉から、今までとは異なる、重みのある声が漏れる。
槍の形状が変化していく。深淵の黒に、三人の魔力を象徴する極光が絡み合い、粒子加速器のごとき凄まじい放電が周囲の大気を焦がす。
「所有者の記憶は……不要。燃料は、今この瞬間にある『特異点から供給された魔力』にて充足。……これより、最終排除工程へと移行します」
サキモリの瞳には、もう過去の亡霊は映っていない。
自分を信じ、背中を、命を預けてくれた三人の温もりだけが、彼を支える唯一のデータとなっていた。
槍の穂先に、物理法則を拒絶するほどの超高密度なエネルギーが凝縮される。
それは、サキモリ一人の燃焼では決して到達できなかった、生存と勝利を両立させるための「未知なる一撃」の胎動。
「ルミナ先生。エレン殿。アリサ殿。……しっかり掴まっていてください。衝撃波の反動から、あなたたちを保護する義務が、私にはあります」
サキモリは、前方の黒き巨像を、その冷徹かつ熱い眼差しで射抜いた。
空母ドッペルゲンガーの全ての火器がサキモリへ向けられるが、今の彼には、その全てを撥ね退ける「絶対的な境界線」がその背負う絆となって見えていた。




