第二十四話:不沈の男の、キャンプ飯
第二十四話:不沈の男の、キャンプ飯
1.職人の「野営」
王都での賑やかな、そしてサキモリにとっては心身を削るような刺激に満ちた休暇が、終わろうとしていた。
夕闇が王都の城壁を包む頃、三人は街の喧騒を離れ、郊外の静かな河原にいた。宿屋に戻ることもできたが、「最後は静かな場所で締めくくりたい」というルミナの提案に、サキモリが珍しく「では、私の流儀で場を整えましょう」と応じたのだ。
サキモリは、エレンに贈られたあの「七色に光る外套」を丁寧に畳み、旅袋の最も安全な位置へと収めた。
そして、着慣れた、しかし手入れの行き届いた灰色の軍服へと袖を通す。
「……やはり、この装いが最も機能的です。関節の可動域、防汚性、どれをとっても理に適っている」
「もー、せっかく可愛くしてあげたのに。でも、おじさんはやっぱりその地味な格好が一番落ち着くわね」
ルミナが焚き火の準備を眺めながら笑う。
「お礼と言っては何ですが、本日の夕食は私が用意いたします。私の故郷で、最も効率的かつ効果的とされていた栄養補給の一形態――『炊飯』と『煮込み』を供しましょう」
サキモリは、現地で調達した根菜や肉を、無駄のない手つきで切り分け始めた。
2.驚異の「調理工程」
サキモリの調理は、料理というよりは精密な「実験」に近かった。
「ルミナ先生、火加減を。……いえ、強すぎます。中心温度を九十度に保ちつつ、微細な対流を維持してください。エレン殿、香辛料の調合を。……左の袋から三グラム、右から五グラムです。これ以上でも以下でも、化学反応が損なわれます」
サキモリは、自ら調合したスパイスを、最適なタイミングで鍋に投入していく。
熱によるタンパク質の変性、デンプンの糊化、そして香気成分の揮発速度。二十年の戦場生活において、限られた資材でいかに兵員の士気を維持し、肉体を修復するかを突き詰め続けた男の、究極の「野外調理」がそこにはあった。
「……よし。蒸らし工程、終了です」
飯盒の蓋が開けられた瞬間、ふっくらと炊き上がった白米の甘い香りが、夜の冷気に溶け出した。
そしてもう一つの鍋からは、幾重にも重なったスパイスの芳醇な香りと、肉と野菜の旨味が凝縮された濃厚な「煮込み」――カレーに似た、しかしより洗練された香りが漂う。
「さあ、摂取してください。栄養価の配分も完璧です」
3.衝撃の「最適解」
「……な、なによこれ。……信じられない」
一口食べたルミナが、その場に固まった。
舌の上で解ける肉の柔らかさ。野菜の甘みを引き立てるスパイスの鮮烈な刺激。そして、それらすべてを包み込む白米の優しさ。
「……っ、サキモリ様。これは……わたくしの知る『食事』という概念を、根本から覆す美味しさですわ……!」
エレンもまた、瞳を潤ませながら夢中で匙を動かしている。
華やかな王都の宮廷料理や、派手な異国料理とも違う。それは、疲弊した肉体の隅々にまで浸透し、魂の震えを鎮めるような、圧倒的な「正解」の味だった。
サキモリは、そんな二人から少し離れた場所に座り、自らも静かに匙を運んでいた。
「……。九十二点。水の硬度がわずかに想定を外れましたが、許容範囲内です」
淡々と自己採点をするサキモリ。
しかし、その耳に届くのは、パチパチとはぜる焚き火の音と、ルミナたちが「美味しい!」「おかわりですわ!」と騒ぐ、賑やかな声だった。
4.守るべき「輪郭」
焚き火の火が、三人の顔を赤く照らしている。
サキモリは、夢中で飯を頬張る二人を、ただ静かに見つめていた。
かつての自分は、何のために戦っていたのか。
それは「国家」や「民衆」といった、実体のない、数式のような概念のためだった。顔の見えない誰かのために、自分という個を殺し、ただの「防波堤」として境界線に立ち続けていた。
しかし、今は違う。
隣で「おじさんの料理、世界一かもね!」と笑う、口の周りを汚した魔法使い。
「次はわたくしも、この調理工程を学びたいですわ」と目を輝かせる、実直な弓使い。
(……ああ。私は、この光景を維持したいのだな)
かつて彼が守っていたのは、守らねばならないという「自戒」と「規則」だった。
だが、今この瞬間の、サキモリの胸を静かに満たしているのは、もっと具体的で、個人的な、どうしようもなく「人間らしい」独占欲に近い守護の意志だった。
「ルミナ先生。エレン殿」
「んー? なによおじさん、改まって」
サキモリは、夜空の向こう――いつか来るであろう新たな脅威の予感を見据えた。
「……いえ。次の任務でも、私の後ろから一歩も出ないでください。私の構築する防衛構造は、あなたたちの平穏を守るためにこそ、最適化されるべきものですから」
「……。ふん、相変わらず可愛くない言い方。……でも、任せたわよ。私たちの管理人さん」
「ええ。サキモリ様の背中は、世界で一番信頼できる境界線ですもの」
サキモリは、そっと懐の旅袋を撫でた。
そこには、自分には似合わない、派手で不格好な「贈りもの」が大切に仕舞われている。かつての自分が捨て去ったはずの「余剰」は、今や彼が不沈であり続けるための、最も強固な芯となっていた。
「……。明日の朝、出発します。……早めに休みましょう。明日の行程も、私が完璧に管理します」
サキモリは、いつも通りの、しかし少しだけ柔らかな声音でそう告げた。
焚き火の明かりが消えた後も、その温もりは、三人の間にいつまでも残っていた。




