第二十三話:境界線の内側、王都の休日
第二十三話:境界線の内側、王都の休日
1.養生としての「休暇」
「……休暇、ですか。なるほど。次なる防衛の任に備えた、英気を養うための『養生期間』と解釈いたします」
聖騎士隊への過酷な指導を終えたサキモリは、アリサから手渡された重みのある報奨金の袋を眺め、至極真面目な顔で頷いた。
獅子王との死闘、そして連日の練兵。サキモリという「防波堤」の摩耗を案じたアリサによる、強制的な休息命令である。
「おじさん、もっと素直に喜びなさいよ! 王都よ? 買い物よ! 美味しいものよ!」
「そうですわ、サキモリ様。我らの『管理者』として、たまには浮世の彩りに触れていただかないと」
左右からルミナとエレンに腕を引かれ、サキモリは抵抗することなく歩き出した。
彼にとって、王都の喧騒は戦場の咆哮よりも予測のつかぬ「不具合」に満ちている。しかし、隣で弾むように歩く二人の少女の気配を、彼は無意識のうちに「守り抜くべき平穏」として心に刻んでいた。
2.方角の迷路
「任せなさい。この街の作りは、さっき配られた地図で完全に把握したわ」
ルミナが胸を張り、意気揚々と先頭を歩き出した。
目指すは王都最大の賑わいを見せる商業区。珍しい魔導具や土地の品が集まる場所だ。
しかし、五分後。
「……おかしいわね。この角を曲がれば噴水広場のはずなんだけど」
ルミナが自信満々に曲がった先に現れたのは、つい先ほど出発したばかりの「宿屋の看板」だった。
「……ルミナ先生。出発地点に戻っております。道に術が施された形跡はありません。単純な方角の勘違いかと思われます」
「わ、分かってるわよ! 二百年ぶりに知らない街に来たから、ちょっと感覚が鈍ってるだけ! 次こそは完璧よ!」
ルミナは顔を赤くして、今度は反対方向へ全力で突き進んだ。
サキモリとエレンは無言でそれに従う。
さらに十分後。
辿り着いたのは、昨日まで騎士たちを鍛え上げていた「演習場」の正門だった。
「なぜですの!? 商店街とは真逆ですわよ!」
「……一度訪れた場所にしか行き着けぬという、奇妙な帰巣本能ですね。ある種の呪い、あるいは極めて深刻な方向感覚の欠落を感じます」
サキモリは淡々と分析し、そっとルミナの手から地図を取り上げた。
「ルミナ先生。目的地への最短経路は私が定めます。あなたは私の服の裾を掴んで離れないでください。これ以上の迷走は、貴重な時間の浪費です」
「うう……。おじさんのバカ……」
屈辱に震えながらも、サキモリの背中に隠れるようにして歩くルミナ。
その不器用な姿に、エレンはクスクスと笑いながら続いた。
3.隠密性、皆無
ようやく辿り着いた衣類店で、エレンの「攻勢」が始まった。
「サキモリ様。いつまでもその灰色ばかりでは、心まで枯れてしまいますわ。もっとこう、目を引く、人の上に立つ者に相応しい威厳が必要です!」
エレンが持ってきたのは、金色の糸がこれでもかと縫い込まれた、背中に巨大な黄金の翼があしらわれた礼装だった。さらにルミナが横から「これもいいわよ!」と、七色に輝き、魔法の力で勝手にひらひらと動き続ける、極彩色の外套を重ねた。
「さあ、着替えてきてくださいませ!」
数分後。
試着室から出てきたサキモリは、もはや歩く灯火であった。
「……判定します。この配色は、人目を忍ぶには全く適しません。いえ、適さぬどころか、白昼堂々『ここに標的がおります』と触れ回っているようなものです。さらにこの外套、動きを妨げるだけでなく、魔力の残響が強すぎて、探知の術に掛かり放題です。……エレン殿、これは私を闇討ちさせるための罠ですか?」
「何を仰いますの! 素敵ですわ! 眩しすぎて直視できませんもの!」
「そうよおじさん、翼が生えてるみたいで立派よ!」
「立派の定義が、私の生存戦略と致命的に乖離しております……」
真面目に困惑し、鏡の中の自分を「脆弱な標的」として冷徹に見つめるサキモリ。
結局、二人の猛攻に押し切られ、彼は「休息中の忍耐訓練」という謎の理屈を自分に言い聞かせ、その派手な外套を羽織らされる羽目になった。
4.痛覚耐性の限界
昼食に立ち寄ったのは、南方の異国から来たという激辛料理の専門店だった。
「激辛……? 面白いじゃない、高位の術師である私に効くものかしら」
「わたくしも、刺激的な経験は歓迎ですわ」
二人に釣られ、サキモリもまた、真っ赤な汁が波打つ「地獄の煮込み」を注文した。
サキモリにとって「食」とは糧であり、味覚の刺激は本来不要な情報だ。
しかし、一口運んだ瞬間。
「…………っ」
サキモリの動きが止まった。
瞳にみるみるうちに涙が溜まり、頬が赤らむ。
「……サキモリ様!? お顔が大変なことになっていますわよ!」
「おじさん、大丈夫!? 水!? 水飲む!?」
「……。判定、不能……。これは、栄養摂取の域を超えております……。口の中から喉にかけて、絶え間なく熱による損傷を受けているかのようです。……これは、痛覚の限界に挑む修練ですか……?」
サキモリは、震える手でコップの水を飲み干したが、熱さは引かない。
しかし、あまりの不条理な辛さに悶絶するルミナと、涙目になりながらも「美味しいですわ……!」と意地を張るエレンを見て、サキモリは不思議な感覚に陥っていた。
戦場の泥水を啜るような食事とは違う。
意味のない買い物、理屈に合わぬ道迷い、そして無駄に痛いだけの食事。
そのすべてが、かつての自分が切り捨ててきた「余剰」であった。
「……不合理ですね」
サキモリは、じんと熱い口内を冷やしながら、静かに呟いた。
「ですが……この非効率な時間の積み重ねこそが、私が境界線の外側へ追いやり、守ろうとしていた『日常』の正体だったのですね。……悪くないひとときです」
「……おじさん、なんか今、格好いいこと言った?」
「辛さで脳の作りが書き換わったのではなくて?」
「いえ。……単なる、備忘録への追記です」
サキモリは、少しだけ、本当に微かに微笑んだ。
その外套は七色に輝き、背中の翼は不格好だったが、王都の夕暮れに溶け込む三人の姿は、これまでに築いてきたどんな陣形よりも、強固で温かな「構造」を成していた。




