第二十話:不沈の証明、そして約束
1.蹂躙の再定義
「……出力、正常。全方位への干渉、開始します」
サキモリの声は、先ほどまでの掠れたものとは別人のように、静かで、冷徹な響きを取り戻していた。
ルミナの最高位回復魔法を付与されたエレンの一射。それはサキモリの枯渇した生命力という名の器に、溢れんばかりの魔力を注ぎ込み、強制的に「全盛期」を超えたオーバーロード状態へと叩き込んだ。
「馬鹿な……あり得ん! その身体で、なぜまだ動ける!」
獅子王が驚愕に目を見開き、大剣を横薙ぎに振るう。
だが、サキモリの身体はもはや、二十年の経験が予測する「回避」すら必要としていなかった。
サキモリは、再構成され、極限まで硬度を高めた灰色の槍を突き出した。
剣速を完全に凌駕する速度。槍の石突きが、獅子王の剛健な顎を真正面から捉える。
「――が、ふ……っ!?」
骨を砕く鈍い音。
獅子王の巨体が、衝撃で宙に浮く。
脳を直接揺さぶられた激痛に、魔王軍幹部の意識が混濁する。
その刹那、サキモリの周囲を囲んでいた精鋭たちが一斉に飛びかかるが、それはもはや、構造を維持するための障害物にもならなかった。
「お待たせしました。一気に、片付けましょうか」
サキモリが独り言のように呟き、槍を一閃させる。
それはもはや「槍術」の範疇を超えた、破壊の波動だった。
暴風のごとき旋風が巻き起こり、肉薄していた精鋭たちの胴体が、紙細工のように容易く両断されていく。
そしてその一撃の終点――空中で身動きの取れない獅子王の腹部に、槍の穂先が正確に突き立てられた。
「……あ、が…………」
獅子王の黄金の鬣が、鮮血に染まる。
胴体に巨大な風穴を開けられ、幹部としての命の灯火が完全に断ち切られた。
その巨体が力なく地面に崩れ落ちると、戦場を支配していた十万の咆哮は、瞬時に凍りついたような沈黙へと変わった。
「……さて。次は、どなたの番ですか?」
サキモリは、無機質な瞳で残りの軍勢を見渡した。
血の一滴も浴びていない端正な顔立ち。だが、その後ろに控える二人の少女という「供給源」を得たこの男は、今やたった一人で世界を終わらせかねない「怪物」そのものに見えた。
「死神だ……! あの男、死なないどころか、強くなっている……!」
「逃げろ! 獅子王様が殺されたぞ! 怪物だぁっ!!」
恐怖は、伝染病よりも速く十万の軍勢を侵食した。
圧倒的な物量を誇った獣人族の波は、たった一人の「不沈」の前に完全に崩壊し、蜘蛛の子を散らすように敗走を始めた。
2.「防波堤」の陥落
戦場の喧騒が遠ざかり、夕闇が「牙の門」を優しく包み込む。
敵軍が完全に撤退したことを確認すると、サキモリはゆっくりと槍を下ろし、地面に突き立てた。
その直後だった。
「おじさんの、バカぁっ! 大馬鹿野郎!!」
地鳴りのような怒声と共に、ルミナがサキモリの元へ駆け寄り、その胸元をボカボカと叩き始めた。
「なによ『無事に帰る』って! あんな手紙一枚置いて、一人でこんなところで死にそうになって! 私、心臓が止まるかと思ったんだからっ!」
ルミナは地団太を踏みながら、真っ赤な顔で怒鳴り散らす。
その隣では、エレンが震える手でサキモリの服の袖を掴み、大粒の涙を流していた。
「サキモリ様……ひどすぎますわ。わたくしを『弾幕』にすると仰ったのに、なぜ、一人で背負おうとなさるのですか……。わたくし、もう、お役に立てないのかと……っ」
二人の少女の熱い感情に晒され、サキモリは戸惑ったように視線を泳がせた。
普段の彼なら「それが最も合理的でしたから」と、冷徹な正論で返しただろう。
だが、今の彼の胸には、自分の計算を遥かに超えた「二人の意志」が、確かな重みを持って刻まれていた。
3.初めての、そして素直な約束
サキモリは静かに、二人の前に頭を下げた。
それは、騎士としての礼でも、管理人としての形式的な動作でもなかった。
「……申し訳ありませんでした。私の独断が、結果として全滅のリスクを招き、あなたたちに過度な負担を強いてしまいました」
サキモリの声は、いつになく柔らかかった。
「……認めます。私の構築した『不沈』は、私一人の力では維持できませんでした。……感謝を、ルミナ先生、エレン殿」
サキモリは顔を上げ、二人を真っ直ぐに見つめた。
「……次は、必ず相談します。私の構造に、あなたたちの存在をあらかじめ組み込んでおきたい。……よろしいでしょうか」
「……」
「……」
あまりにも素直な、そしてサキモリらしい「合理的な謝罪」に、二人は拍子抜けしたように顔を見合わせた。
ルミナは鼻をすすり、エレンは涙を拭う。
「……あったりまえじゃない! 次に勝手なことしたら、今度は回復魔法じゃなくて、爆破魔法をぶち込んであげるんだからね!」
「わたくしも、二度と置き去りにはさせませんわ。次は、サキモリ様の背中に、わたくしの矢が盾として常に寄り添うとお覚悟くださいませ」
二人の「許し」の言葉に、サキモリは小さく、本当に微かに微笑んだ。
それは、二十年の戦場経験でも一度も浮かべたことのない、安らぎの色を帯びた微笑だった。
数刻後。
ようやく戦場に到着したガーランドの聖騎士団長アリサは、眼前に広がる光景に言葉を失った。
累々と積み上がった獣人の死骸。
胴体を貫かれ、物言わぬ肉塊となった魔王軍幹部。
そして、その地獄絵図のような戦場の中心で。
血生臭い風を浴びながら、静かに沈みゆく夕日を眺めている、三人の影。
「……あれが、『守護の盾』の真実だとでも言うのか」
アリサは槍を握る手を震わせ、ただその光景を記録するように見つめ続けた。
そこにいたのは、英雄でも、死神でもない。
互いを欠落した構造の補填として認め合った、奇妙で、しかし不沈の絆を結んだ三人の旅人だった。
第四章:完




