第十七話:不沈の境界線、開戦
第十七話:不沈の境界線、開戦
1.「扉」の向こう側
ガーランド公国北端、風化した石材が剥き出しになった旧砦、通称「牙の門」。
かつては国境を分かつ要衝であったそこは、今では数名の老兵と新兵が管理するだけの、寂れた遺跡に過ぎなかった。
「……あ、あの、サキモリ様。本当に我々は、中で待機していてよろしいのですか?」
震える手で扉の取っ手を握る新兵が、サキモリの背中に問いかける。
サキモリは再生槍の穂先を布で丁寧に拭いながら、一度も振り返ることなく、穏やかな声で答えた。
「はい。扉を閉め、内側から閂をかけてください。それがあなたたちに可能な、唯一の防衛工程ですから」
「し、しかし、外には十万の軍勢が……!」
「――。私の背後で血が流れるのは、構造的に不合理なのです。どうか、中で静かにお待ちください」
サキモリはそれだけ告げると、砦の唯一の入り口を背にして、たった一人で街道の中央に立った。
重厚な石造りの扉が、ギィ……と不快な音を立てて閉ざされる。
世界から切り離されたかのような静寂。
しかし、その静寂はすぐに、大地を震わせる凄まじい地響きによって上書きされた。
視界の先、地平線を埋め尽くすほどの黒い波。
獅子王が率いる獣人族の大軍勢が、砂塵を巻き上げ、獣の咆哮を轟かせながら迫りくる。
「――接敵まで、百二十秒ですね。清掃準備を開始しましょうか」
サキモリは表情一つ変えず、足元に転がっている石をいくつか拾い上げた。
2.効率的な「清掃」
「おい、見ろ! 人間が一人、道の真ん中に立っているぞ!」
「ハハッ、腰が抜けて動けなくなったか! 踏み潰せ!」
獣人軍の先陣を切る、体長二メートルを超えるワーウルフの騎兵たちが、牙を剥き出しにして突っ込んでくる。
彼らにとって、立ち塞がる人間一人の命など、道端の小石を蹴り飛ばすのと同じ程度にしか感じていない。
だが、その「小石」が、空気を切り裂く音と共に放たれた。
サキモリが投じた石。
それは魔法でもスキルでもない、ただの筋力による投擲だ。
しかし、音速を超えたその質量弾は、先頭のワーウルフの頭部を瞬時に粉砕し、その背後にいた二体をも貫通して、ようやく止まった。
「……一投で三体ですか。少し効率に難がありますね」
サキモリは静かに呟きながら、今度は両手に持った石を連射した。
ヒュン、ヒュン、と無機質な音が響くたびに、空中に展開していた翼手族の偵察兵たちが、羽を撃ち抜かれて墜落していく。
空からの射線を奪い、敵の「目」を潰す。
サキモリにとって、これは戦いではなく「作業手順」の整理に過ぎなかった。
「おのれぇっ! 全員でかかれ! 噛み殺せ!」
数百の獣人兵が、怒涛の如くサキモリに肉薄する。
サキモリはようやく、地面に突き立てていた灰色の槍を手に取った。
「――面制圧、開始します」
サキモリが槍を横一文字に薙ぐ。
ただの一振り。だが、そこには彼の超人的な技術と、一切の無駄を排した「出力」が込められていた。
槍のしなりが空気を爆ぜさせ、最前列の獣人十数体が一瞬で胴体を両断され、文字通り「ゴミ」のように吹き飛んだ。
突っ込んできた勢いそのままに、獣人たちは死体の山となって重なり合う。
サキモリはその死の山を避けるのではない。むしろ、崩れ落ちた敵の骸を足場にし、あるいは盾として利用しながら、さらに効率的な殲滅へと移行していく。
「あ、ありえん……! なんだ、こいつは! 剣が、牙が届かん!」
サキモリの動きには、戦士としての「華」がない。
敵の刃が届くコンマ数ミリ手前で、最小限の挙動で回避し、空いた隙間に槍の穂先を確実に突き立てる。
心臓、喉、あるいは魔石の核。
一突きごとに、確実に一体の機能が停止する。
サキモリは、押し寄せる十万という「巨大な濁流」を、その入り口でたった一人、槍一本で受け止め、細分化し、消去し続けていた。
3.「壁」の建築
開戦から一時間。
牙の門の前には、異様な光景が広がっていた。
サキモリが立っている場所。
そこを中心として、半円状に「死体の山」が築かれていた。
彼は、ただ闇雲に敵を倒していたのではない。
倒した敵の死体を特定の座標に積み上げることで、後続の敵の進軍ルートを物理的に制限し、自分が一度に対峙する数をコントロールしていたのだ。
「……第一防壁、構築完了です。これにより、前方三十度以外からの同時接敵率を四%まで低下させることができました」
獣人たちは戦慄した。
目の前の男は、自分たちの同胞の死骸を、文字通りの「壁」として利用している。
その肉の要塞の頂点に立ち、返り血を一滴も浴びていない無機質な瞳でこちらを見下ろすサキモリは、もはや人間には見えなかった。
「ひ、ひぃっ……! バケモノだ! 死神だ!」
「――。死神ではありませんよ。私は、ここの管理人です。ここから先は、私の管理区域ですので」
サキモリは槍を構え直す。
その後ろにある砦の扉は、未だに一度も叩かれていない。
サキモリがそこに立っている限り、背後の兵士たちに獣人の指一本触れさせることはない。
十万の軍勢。
その圧倒的な物量という暴力に対し、サキモリはたった一人、技術と構造という暴力で対抗していた。
大地は獣の血で濡れ、空気は悲鳴に満ちている。
しかし、サキモリの呼吸は、朝の散歩と何ら変わりないほどに、深く、静かだった。
「……次、来てください。まだ予定の十パーセントも終わっていませんから」
くすんだ槍が、再び弧を描く。
終わらない戦い。しかし、サキモリの辞書に疲労という文字はまだ刻まれていない。
彼はただ淡々と、十万という膨大な「不具合」を、一つずつ確実に排除し続けていた。




